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「やばっ、唯先輩にチューナー借りっぱなしだった」
「唯先輩なら、教室に忘れ物したから行くって言ってたよ~」
同じパートの友達がそう教えてくれる。
先輩は家で自主練することが多いから、必要なはずだ。
「よし、急いで行けば会えるかも!」
3年生の教室に向かう途中、部活が終わりの恭太に会った。
まだ練習着姿ということは、佐々木先輩も近くにいるのだろうか?
「佐々木先輩はいねーよ!」
私が少し目線を動かしただけで察する恭太。
少し機嫌が悪く見える。
「あっそー、じゃあ私急いでるから! 誕生会には間に合うように行くね!」
「よろしくー! っておい桃、まさか3年の教室に行く気じゃないよな?」
「なんで?」
「絶対行くなよ!」
頭ごなしに言わず、こっちも急いでいるのだから早く理由を知りたい。
その時、恭太の鞄から着信音が鳴る。
「やべ、かーちゃんに連絡するの忘れてた」
いそいそとスマホを探す恭太に我慢できず、後で謝ることにしてとりあえず3年生の教室に向かうことにした。
背中から恭太の呼ぶ声が聞こえたが、また誕生会で会うのでその時に話せば良い。
受験を控えていることもあってか、他の学年に比べて3年生は明かりの付いている教室が多い。
邪魔をしないようにそっと唯先輩のクラスに近づくと、中から話し声がする。
知っている声が2つ。
嫌な予感ほどよく当たる。
息を殺してドアの隙間からそっと覗くと、佐々木先輩と唯先輩がキスをしていた。
そこからどうやって家まで帰ったのか覚えていない。
ベットに横になると、思い浮かぶのは先輩達のキスシーン。
羨ましいとか、悔しいとかそんな気持ちはなくて、ただただ悲しかった。
心配した両親が、今日はそのまま眠った方が良いと言って部屋を後にする。
涙は出ていないのに泣き疲れたようなダルさと空っぽな思考の中、私はいつの間にか眠っていた。
ドンドン ドンドン
窓を叩く音が、私の浅い眠りを引き裂いた。
こんなことをするのは、あいつしかいない。
ぼんやりした頭を揺さぶりながら、カーテンを引く。目の前には、窓の向こうで今にも泣き出しそうな顔をした恭太。
初めて見せる彼の表情に、私は一瞬にして覚醒する。
「勝手に開けるぞ」
鍵がかかっていなかったらしく、軽々と窓を乗り越えて当たり前のように部屋に入ってくる。
「酷い顔だな」
片手で私の前髪をかきあげながら、淡々と言う。その言葉に少し傷つきつつも、恭太の指先の温もりが少しだけ心地良い。
「元々酷い顔ですよ」
「知ってる」
そう言うと、恭太は私をそっと抱き締めてきた。
体が硬直し、一瞬で心臓が跳ねた。
何が起きているのか理解する前に、彼の体温を全身で感じで恥ずかしい気持ちが込み上げる。
「ちょ、ちょっと! いくら仲が良いとはいえ、ボディータッチの域を越えてるから!」
時々こうして窓を乗り越えて互いの部屋を往き来することはあるが、こんなことは初めてだ。
抱き締める腕に更に力が入り、必死に抵抗を続けてみたが全く敵わない。
私は観念することにして、両手を上げた。
「ごめん」
本当に泣いているのかもしれない。
震える声で恭太がポツリと言った。
ごめんと謝られる覚えはないが、もしかしたら3年の教室に行くなと止めたあれか?
「もしかして、教室に行くなと言ったのって……」
「佐々木先輩が告るの知ってた」
その言葉に思わず息を呑む。
知ってたなら、しっかり止めろよと言いたかったが恭太にしては結構本気だったのでこれ以上は何も言えない。それに、あの2人がこうなることは分かっていたし。
でもまさか実際の場面に出くわすとは思っていなかったが……。
「先輩達、キスしてた」
「……ごめん」
「恭太が謝ることじゃない。私こそごめんね、誕生会行けなくて……皆は?」
そう言えば、やけに家が静かだがもう両親は眠ってしまったのだろうか。
「親達で静かに盛り上がってるよ、俺は退散。あの人たちは飲む理由が欲しいだけだし」
「主役なのに不憫な……」
「別に」
「そんな言い方っ!」
「桃がいないなら、別にやる意味ねーし!」
その言葉の受け取り方が分からず返事が出来ずにいると、恭太がわざとらしく深いため息をついた。
いや、私だって流石に分かるよ。
分かるけど分からない、だって恭太だよ?
小学生低学年まで一緒にお風呂に入っていたし、何度も同じ布団で眠ったりもした。
恭太がおもらしした時、私がこっそり洗ってあげたこともある。
「私がいなくて、寂しかったってこと?」
「あほ」
「だって恭太だよ?」
「俺が桃を好きなのを、お前以外のやつは皆気付いてるぞ? お前の親にもさっき、いつ告るんだと言われた俺の立場よ」
また深いため息をつく恭太。
私を好き?
恭太が?
「好きなんだ、桃が」
熱っぽい瞳で見つめられ、私の心臓がとびっきり大きく跳ねる。
「いやいやいや! だって私たち、というか私は先輩が好きで……」
「3回も嫌言うか? 桃が先輩のこと好きなのも、先輩が唯先輩好きなのも知ってた」
「ごめん……。 じゃあ、何であんな態度」
「謝んなよ。 俺がとやかく言ったって、どーせ自分で見るまで納得しないだろ?」
確かに。
よく分かっている。彼の言う通りだ。
いつも私は、自分で見なきゃ納得できない性格だった。それを理解している彼だからこそ、あえて止めなかったのだろう。
中学の時に失恋して、彼に慰められた時と状況が似ている気がする。
「そんな所も、好きだ」
「好きって……」
「顔、真っ赤で可愛い」
「やだ、恥ずかしいから」
「その顔、反則だろ……」
恭太の視線から逃れようと、顔を背けると顎に指を添えられて強制的に真正面を向かされてしまった。
見た目以上に引き締まった身体、男子のくせに悔しいほどに長い睫、その奥にある艶っぽい瞳。
佐々木先輩にときめいていた時とは比較にならないくらいドキドキしている。
「……プレゼント」
「え?」
「やっぱ貰うことにする、誕生日プレゼント」
「何を急に……」
「桃が良い、桃が欲しい」
恭太の瞳が真っ直ぐ私を射抜く。その真剣な目に、私はどう返事すればいいのか分からなかった。
「……っやだ」
「先輩のこと思い出す暇なんて、与えてやらねーよ」
そう言うと、恭太は顔を近づけ、軽く頬に彼の唇が触れる。小さな音が、部屋に響いた。
「ひぇっ!」
「はは、色気ねー声だな。 じゃっ、俺帰るわ」
「はっ?」
急に告白してキスしてきて、急に帰るとは?
「先輩のことなんて頭からぶっ飛んだろ?」
にしし、と悪戯っ子のように笑うと恭太はひょいっと窓枠に足をかける。
そして私が引き留める隙もなく、恭太はすぐに自分の部屋に入るとそのままご丁寧に鍵もカーテンも閉めて消灯してしてしまった。
「信じられない……」
恭太の言った通り佐々木先輩を思い返すことはなく、恭太のことを考えては悶絶するを繰り返して朝を迎えた。
「おはよー」
思い目蓋を擦りながら、教室に入ると窓際に座る恭太と目が合い顔の温度が上がるのが分かった。
つられて恭太も顔を真っ赤なする。
そんな私達をクラスメイトは見逃さなかった。
「相良! お前ついに、ついに言えたのか!?」
1人の男子が相良の背中をバシバシ叩く。
恭太が何も言わないものだから、それを肯定ととらえたクラスメイト達。
「良かった、良かったな相良。 長かったな~」
「幼稚園の頃から好きなんて、ほんと素敵」
「おめでとう!」
そう盛り上がっていると、ホームルームのチャイムが鳴り先生が教室に入ってくる。
私と恭太の赤面と、クラスの様子を見た先生も何かを悟ったようで満面の笑みで大きく頷く。
「恋愛も良いが、勉強もしろよ」
そう言うと、先生は何事もなかったかのように出欠を取り始めた。
友達に確認すると、恭太が私を好きなことは周知の事実だったらしい。
佐々木先輩に恋する私、そんな私が好きな恭太がどうするか皆ハラハラしながら見守っていたとか。
そんなこと、私は知らない。
おかげで1日ポンコツだった。
授業が上の空で先生に怒られて、階段を踏み外しそうになり、今も赤信号なのに行こうとしたところを恭太に腕を掴まれて危ないところだった。
「大丈夫か?」
日中ぼんやりして失敗する私を見て笑っていたくせに、今は心配そうな瞳で私の顔を覗いてくる。
「ぜ、全然大丈夫だしっ」
ふいに昨日のことが頭に過り、思い切り顔を反らすと恭太が喉を鳴らして笑った。
「はは、覚悟しとけよ。 なんせ幼稚園の頃から好きだったからな、溜まりたまってるぞ!」
どこか吹っ切れたようにそう言うと、私の手を握り歩き出す。
「ちょっと!」
「また飛び出されたらたまったもんじゃない」
返す言葉がなく、私は静かに手を繋いで歩く。
恭太と触れるのはやっぱり嫌じゃない。
むしろ心地良い。
そう意識すると、心臓がまた大きく音を立て始めた。
見上げればカラッと晴れた雲一つない青空が広がっている。
今はまだ少し難しいけれど、曇りのない想いを恭太に抱く日も近いかもしれない。
私はそうなることを願いながら、彼の手を強く握り返した。
[桃と恭太]