1*
見てしまった。
大好きな人のキスシーンを!!
胸の中で何かが崩れていく。心臓が強く締め付けられて、息が詰まりそうになる。
目の前の光景を否定したくても、どうしても目を逸らすことができない。ただ、私は呆然と見つめることしかできなかった。
―――――
高校に入学すると、新入生へ向けて先輩たちが部活発表を行う。初めて佐々木先輩を見たのは、その時だった。
茶色がかったやわらかな髪に、くりっとした瞳、甘い笑顔。そしてテニスボールを軽々と操る姿に、私はもう一瞬で心を奪われた。
私は1年生、佐々木先輩は3年生。年齢も違うし、立場も違う。
中学生に片足突っ込んでいる芋っこが先輩のお眼鏡に叶うはずがないことなんて分かってる。
だから、遠くから彼を見つめているだけで十分だと思っていた。友達と一緒にキャーキャー騒いでいるその時間がとても楽しかったし、心が満たされる一時だった。
「おーい桃、お前の好きな佐々木先輩がいるぞ!」
昼休み教室の窓際から大声で私を呼ぶのは、幼馴染みの相良恭太。
家が隣で親同士が仲が良く、物心つく前から私たちはいつも一緒だった。
イベント事は合同で行うのが暗黙の了解になっていて、今日も恭太の誕生会で相良家に呼ばれている。
中学後半から急に背が伸びた恭太は、170センチを超えて急に大人びた雰囲気になってきた。
テニス部でも彼なりに頑張っているらしく、最近は佐々木先輩とも一緒に練習するようになったとか。
「ちょっと、そんな大声で呼ばないでよ!」
「別にいーじゃん。お前が佐々木先輩好きなのなんてクラス中知ってるんだし」
佐々木先輩を見つけるたび悶絶する私の姿はクラスでは珍しくもなく背景と化している。
担任までも「おい、そこに佐々木いるぞ」と教えてくれる始末。
「そりゃそうだけどさ、恋する乙女にもうちょっと配慮しようよ」
「へいへい、ほら先輩見えなくなるぞ!」
「それは大変!」
私は慌てて窓際に駆け寄り、先輩の姿を確認する。
今日も変わらず素敵だ。
「あんなにイケメンで、テニスも上手いのに彼女いねーんだよな」
「……そうだね」
恭太の一言にテンションが下がる。
私は知っているのだ。
佐々木先輩には好きな人がいることを。
先輩のがふいに目を反らすことがあって、それが何度かあると嫌でも気付いてしまった。
今もほら、意識して目を反らした。
佐々木先輩と同じ3年の山田唯先輩。
長い手足に、スッと鼻筋の通った綺麗な顔、背中まである髪はポニーテールかお団子にしていてスポーティーな雰囲気だが吹奏楽に所属している。
なぜ知っているかと言うと、私も吹奏楽部だからだ。そして同じ楽器を担当しているので、唯先輩のことはよく知っている。
彼女はただの美人というだけではなく、その性格の良さと面倒見の良さから、みんなから慕われている存在だ。
そんな唯先輩が近くにいると、佐々木先輩は必ず意識するのだ。
「はぁ……」
「桃、どうした? 俺のおにぎりやろうか?」
「いや、いらないよ食べかけなんて」
「はははっ!」
背が伸びた辺りから男らしい雰囲気になった彼を好きだと言う女の子がいるけど、私には理解できなかった。
恭太なりに励ましてくれているのだろうけど、食べかけのおにぎりをくれる奴はないだろう。
よく一緒にいるので付き合っていると誤解されるが、恋人というよりも兄弟の方が感覚が近い。
「あ、今日はよろしくな」
思い出したように恭太がにかっと笑う。
「はいはい。 そういえば、プレゼント本当にいらないの?」
「いらねーよ、もうガキじゃねーんだぞ?」
中学生の頃までは、彼がプレゼントをせがむのが恒例だったのに、急にそんなことを言い出して驚く。
お年頃なのかなと、少し笑いがこぼれる。
そんなことを考えていると、急にクラスがざわめき出した。
目の前の恭太も目を真ん丸にさせて、私の横っ腹を突っつく。
「何よ! もうガキじゃないって言ったばかりでしょ、突っつかないでよ!」
「桃、うしろ……」
「へ?」
恭太に急かされて振り向けば、先程まで見つめていた人物が数メートルの距離で爽やかな笑顔を向けていた。
「相良! 今日の練習、いつもの3年の教室な」
「はい!」
恭太が真面目な顔で返事をする。
私は慌てて窓の外を確認すると、晴れていた空に厚い雲が広がり、ぽつぽつと雨が降り始めていた。
ということは、佐々木先輩は唯先輩の所に行ったのだ。
テニス部や野球部などの外部活は雨で校庭が使えないと教室や階段を使う。
私たち吹奏楽部が楽器ごとの練習でよく教室を使うので雨の日は運動部が交渉してくるのだ。
今日もそれがあったのだろう。
「いつもの3年の教室」というのは、私たちフルートパートが使っている教室だ。
なぜそれが分かるのかと言うと……。
佐々木先輩が去った後、今度は唯先輩がクラスにやってくる。
「桃ちゃーん! 今日はセッション練習だから音楽室待機でよろしくね」
「はーい!」
思ったよりも、上手く声が出せた。
ヒラヒラと手を振ると、唯先輩は次のクラスに向かう。
部長の佐々木先輩がパートリーダーの唯先輩に交渉するのは当たり前なのだが、モヤモヤが止まらない。
唯先輩は顔には出さないが、彼女もまた佐々木先輩を意識している。
私が入り込む隙なんてないのだ。
精一杯、明るい声で答える。想像以上に上手く返事ができた。
唯先輩はヒラヒラと手を振りながら次のクラスへ向かう。佐々木先輩が部長としてパートリーダーの唯先輩に交渉するのは自然なことだ。それは分かっているのに、心の中にモヤモヤが溜まっていく。
唯先輩もまた、佐々木先輩のことを意識している。それは分かっている。
私が入り込む余地なんて、どこにもないのだ。
「はぁ……」
深いため息が自然と漏れる。
クラスメイトの何人かが気遣うように肩を叩いて励ましてくれるが、その優しさが今はむしろ痛い。
「なんだ桃、やっぱり俺のおにぎり食いたかったのか?」
「はぁ……」
阿保な恭太を無視して、私は自分の席に座り込んだ。