焼きそばパンの明日
わたしは購買で買ってきた焼きそばパンに思いきりかぶりついた。
焼きそばパンっていうのは、焼きそばのボリューム以外で他の惣菜パンと勝負できる点がないように思われる。たとえば、コッペパンと麺には国産の小麦を使用しているだとか、有機栽培の果実を配合したフルーティな味わいのソースだとか言われてもいまいちピンとこないし、ソーセージやらマヨネーズやらたまごサラダやらの見た目インパクト重視の新商品どもがひしめく惣菜パンの棚で、古参である焼そばパンが客の目を引くためには、やっぱりはち切れんばかりの麺のボリュームでアピールしていくしかないのだ、と口に出して言った。隣の席では秋川さんがカレーパンにかぶりついているけれど、お互いに正面を向いているので一緒にご飯を食べているというわけではなかった。
「え、ひとりごと大きくない?」
「ごめん。なんか伝えたくなって」
「ひとりごとじゃなかったんだ」
秋川さんは私の目を見ながら紙パックのコーヒー牛乳をちゅーって吸うと、正面に向き直って机をちょっとだけ前に押し出してから椅子を引いてまたカレーパンにかぶりついた。さっきまではちゃんと隣の席だったのに、今となっては斜め前の席みたいになっている。カレーパン派の秋川さんは焼きそばパンの憂いにみちた将来性の件については別段、興味がないといった風だった。
しかしどうだろう。毎日毎日カレーパンを頬張っている秋川さんだって人ごとではないのではなかろうか。寝る前のちょっとしたひとときにカレーパンの明日を憂いているのではないだろうか、と口に出して言ってみた。
「焼きそばパンって無様だよね」
「は? なにがですか」
秋川さんは首だけで振り返って、私が手に持っている焼きそばを見て鼻で笑った。
「びよびよの麺がだらしないでしょ。食べてるうちに袋の中で焼きそばがはみ出してグズグズになるし。ご丁寧に紅生姜と青のりまでのっけちゃってさ。まともな羞恥心があったらそんなもの大口を開けて人前で食べらんないよ」
言い過ぎでは、と思ったけど、あらためて食べかけの焼きそばパンを見た。
断面は美しくなかった。
通常の、鉄板焼きの焼きそばであれば、食事中に麺の断面を直視することなんてあるはずもないけれど、焼きそばパンだとそうもいかない。頬張るたびにその断面が目の前に出現するのだ。
いざこうして対峙してみると、ひしゃげたパンに押しつぶされた麺たちはそれぞれに大変に悲しい顔をしているような気がするし、これがわたしのかぶりついた証だ思うとなんだかちょっと恥ずかしくもあった。
「その点カレーパンはさ、さくさくの揚げパンに包まれてて、ひと口齧るまでその中身のカレー本体がどんなだかわかんないの。そのワクワク感が他者と一線を画してるんだよね。まぁ焼きそばパンの同様にカレーパンも表面上の見た目はどれも同じだけど、中身への期待値があるから玉石混交の惣菜パンコーナーのなかで今も昔もずっとナンバーワンなわけ」
そういうと秋川さんはまた机と椅子を前に出して距離を空けた。私は悔しさのあまり、あろうことか焼きそばパンを強く握りしめてしまった。はみ出してきた焼きそばがこぼれそうになるのを慌てて口ですくうみたいに受け止めた。無様で情けなくてちょっとだけ泣いた。こんな拒絶の仕方ってないと思った。
「でも、焼きそばパンだって揚げパンにしちゃえばそれなりのワクワク感はあると思うんですけど、そのへんどうなんですか」
「は? 揚げパンに乗り換える可能性を示唆するとか、あんたと焼きそばパンには矜持ってものがないの」
「だったらやっぱりボリュームで勝負するしかないですね」
「ほんとわかってない」
秋川さんはコーヒー牛乳のパックを教室の床に投げ捨てた。秋川さんはいつも投げ捨てる。かっこいいなって思ってるけど私には真似できない。
「こだわるべきは麺ではなく紅生姜だと?」
「違う。そういうことじゃない。焼きそばパンっていうのは、コッペパンに焼きそばをただ挟むだけ、その手軽さがいいのよ。6つ入りの小さいバターロールに切れ目をいれて、ちょっとだけカリッと焼き目をつけて、そこにハムとかウインナーの入った焼きそばを挟んで……お母さんが作ってくれるおやつみたいな安心感、そこがいいの。ただ闇雲にボリュームに走ってる今の焼きそばパンは本質を見失ってる」
わたしの食べる焼きそばパンはいつも冷たい。
電子レンジでチンすれば温かくはなるけど、コッペパンがしっとりしすぎて形状を保つことができず、あまりにふにゃふにゃで袋から取り出すのが困難になるし、焼きそばの方はちょっとチンしただけとは思えないくらいに高温になってしまって、たいていの場合は口または指先に軽度のヤケドを負ってしまう。そして最後にはいつも麺だけが袋のなかにだらしなく残ってしまうんだ。袋に残った麺を食う姿は、いくら焼きそばパンが好きだとはいっても無様でしかない。
でも、秋川さんの言うように家で作れば問題はないんだ。袋に包む必要もないし、コッペパンはトースターで、焼きそばはフライパンで別々に調理する。それぞれ適切な温度で温めて食べることができる。万が一、食べ方をミスったとしてもそこにいるのは近親者、もしくはひとりきりだ。無様もなにもないんだ。出来立てならきっとどんな惣菜パンよりもおいしい。もう誰にもホットドッグの下位互換だなんて言わせないんだから。秋川さんだってきっと唸るはず。
「秋川さんが焼きそばパン食べてるとこ見たいな」
「なにそれ」
「焼きそばパンを正面向いて食べられる仲っていいなと思いました。わたし、作りますよ」
「そんな誘い方ってある?」
「あります」
「ケチャップをかけるんだけど、それでもいいの」
「は? ホットドッグじゃないんで。無理です」
「やってもないのに否定するとか、ほんとないから。焼きそばパンの新境地を味わわせてあげる」
わたしは小さく笑ってから飲み干した牛乳パックを投げ捨てた。狙ったわけじゃないけど、牛乳パックは教壇の上に乗っかってしまって、なんだか綺麗におさまりすぎで誰かの忘れ物みたいになってしまってゴミ感がなくて不本意だったので回収した。あらためて窓からグラウンドに向かって投げてやろと思ったけど、それじゃああまりにも放物線が青春してて気恥ずかしさを飛び越えて反吐がでたから廊下に転がした。
秋川さんは、なにしてんだって顔で空っぽのリュックを背負ってる。わざわざ説明するのも照れくさくて、笑ってごまかしてるうちに予鈴のチャイムが鳴り出して、また教室に人が戻ってきた。あらためて息を吸うとなんだか変な匂いで充満してる気がして、こんなに場所にいちゃいけない気がして教室を出た。
たぶんもう学校には行かない、そんな予感があったけど、隣で歩く秋川さんがあくびをして、わたしもつられてあくびをしたら、それもいいかなって思えてきた。
それからわたしたちは6つ入りのバターロールと焼きそばを買いに向かった。自分で言い出しておいてなんだけど、いくらなんでも急だなって思って、べつに今日じゃなくても、今じゃなくてもいいんじゃないかなって口に出して言うと、明日がどうなってるかなんてわかんないでしょ、って秋川さんははにかんだ。明日も焼きそばパンが食べられたらいいな、そう思ったらお腹が鳴った。楽しげないい音がした。
(了)