歌も話すことも嫌い
肇にとって、いや、この一年生全員が、待ちに待った部活の始まる日を楽しみにしていた。
五時間目。
その授業は、初めての技術だった。
「はいじゃあ席ついて。名前······出席とるからね」
肇はこの出席に期待していた。
期待というのはなんなのか。
それは──
「アレイ? ん、ちょっとごめん苗字教えて」
「雲母でーす」
「キララ? すっげえ苗字だな」
──そう、苗字教えて、と尋ねられること。
これまで全ての教科で期待していたが、一回も尋ねられることはなかったのだ。
チャンスはこの一回のみ。
果たして。
「えーっと、ケイトウイン?」
ダメだった。
「はい」
肇は諦めて、少し悲しく返事をした。
すると、嬉しいのか嬉しくないのか分からなくなる言葉をかけられた。
「いやー、お前の苗字見た時にね、分からなかったからネットで調べてたんよ。よかったわ」
「そうなんですか」
調べなくてよかったのに。
肇の頭の中では、この教師が『邪答院 読み方 苗字』で調べている様子がイメージされていた。
次の真面目は。
「ほうにっぽん? にほん?」
「いや、奉日本です」
「タカモト? 凄いな。珍し」
全ての教科の担任から、同じことを言われ続けていた。
苗字の珍しさなんて、違う意味で捉えれば、その人を傷つけることになるのに。
真面目の苗字が奉日本だと、肇は今知った。
これからは真面目じゃなくて、タカモト呼びにしようと、肇は思ったのだった。
肇の入部したバトミントン部は、体育館での練習と、外での練習がある。
はやく打ちたい、と肇はワクワクしながら体育館に入ったのだが、そのワクワクは吹き飛ぶことになる。
「じゃあまず一年は素振りからしよっか」
ふざけんじゃねぇぞ、少し声に出た。
体育館の端ですることじゃないだろ、と肇は言いたくなった。
毎日毎日素振りばっか。
そのためか、肇は部活が嫌になったのだ。
肇は、歌を歌うのが得意じゃなかった。
そんな中、やってきたのが合唱コンクール。
「哩歌うの好き?」
「ふふっ、肇クン。好きと得意は違うんやで?」
「······同じ考えで安心」
曲選びの時。
歌は、二つのクラスが合わさって歌うことになっている。
その選び方は、一から七までの候補曲を選んで、そのどれかになる──はず──というもの。
多すぎじゃね?──クラス全員、呟いた。
肇は取り敢えず、難易度が一番低いものを第一候補に選んだ。
あとは適当。
なんとなく好きなリズムだったりした曲を選んだ。
「え、これ自分らで手叩くん? おもしろっ!」
「これ第一候補にしよ」
「俺もそうするー!」
歌いながら皆で手拍子をする曲。
それを第一候補にするクラスメイトは多かった。
──肇は第三候補だったけど。
「榮倉センセー。曲まだ決まってないん?」
「んー、明後日には決まるし、それまで待っといて」
一日に二回はその会話を聞くようになった。
そして、とある日の朝の時間。
「えー、曲は──」
遂に、歌う曲が発表された。
残念だけど、手拍子の曲じゃない。
更に残念なことに、肇の候補の中になかった、激ムズ曲だった。
「えっ、俺喉潰れるって······」
「これ選んだやつまじヤバいやん」
それから始まる、地獄。
その歌は、メロディーを歌うソプラノと、ハモリのアルト、そして男声の三つのグループに分かれて歌うものだった。
肇はもちろん男声。
哩も。
ソプラノは簡単。喉潰れるけど。
アルトはまぁ、頑張れ。
男声は、頑張るしかない。
知っているメロディーとは全く違う音程。
しかも、ソプラノに負けないように歌わなければならなかった。
「すげぇ音つられる」
「ホンマに。どうやんねんマジで。絶対つられんねんけど」
ソプラノの声のCDを流しながら歌う。
苦痛だった。
音楽室は、高い声と低い声で埋め尽くされていた。
そして、伴奏を練習するキーボードの音。
その隣では、指揮者が式の練習をしていた。
パートリーダーが、もう一回練習しようと声をかけた。
流れるソプラノの声。
肇はもう、早くこの時間が終わればいいのにとヤケクソだった。
チャイムがなった──肇はいち早く歌うのをやめて、高速で帰る準備を整える。
「じゃあ、CD片付けたとこから帰ってねー」
即帰還。
肇と哩は、重たいドアを開けて、一目散に教室へと向かった。
「俺もう歌いたくねー」
「僕らいま変声期なのになー。拷問やん」
「いいやマジそれな。歌いたいやつだけ歌えばいいのにさ」
「榮倉の野郎が悪いわ。前のクラスが最優秀賞とったとか、そんなの知らんし」
「榮倉の野郎? っ、お前言ったな。聞こえてたら終わりだぞ」
「ふっ、ちゃんと周りは確認してるんやもんねー!」
だから大丈夫ー!
哩は自信満々にそう言った。
「──あっ、給食の用意なんでしてるんやろ」
そして、自分の謎行動に気がつく。
哩の机は給食の用意がセッティングされていた。
「うん、ずっと思ってた」
「じゃあ言えよ!」
「悪ぃ悪ぃ」
全然思ってない顔をイメージして、肇は哩を煽った。
哩は、肇がワザと煽っているのは分かっているだろうけど、ノリに乗って、怒る。
「絶対思ってないな!」
「まぁ、そーゆーこともある」
こういうしょーもないことで盛り上がるのが、肇と哩のコンビなのだ。
「あれ、凸守なんで給食の用意してんの?」
「まだ給食ちゃうでw」
「あー、今日の給食何ー?」
三陽キャが声を上げた。
そして、肇が一番会いたくなくて、一番嫌いな奴が、煽り運転でやってきた。
こうなってくると、クラスは騒がしくなる。
ねちっこいおじはん。
そう、クラス皆が嫌うデコがやってきた。
教室に入るなり、女子から嫌そうな目で見られるデコ。
給食の用意を片付ける哩を見て、ニヤッと笑った。
「あれぇー? 凸守もう給食食べる気? 馬鹿じゃねw」
「カデノ! オマエ食料の癖に生意気やぞ!」
「ホンマにやで。今日の給食にもお前の親戚出てくるのに」
「親戚? 今日の給食何?」
哩が三陽キャ達に尋ねた。
それにいち早く反応したのは、魚なら何匹でもおかわりするメガネ真面目チビ。
「なぁヒナタ、今日の給食何か知ってる?」
「ごはん、牛乳、豚キムチ、なんか野菜炒め、味噌汁」
全員が納得する。
その中には多分、デコも含まれてる。
「いや、なんで親戚?」
「分からんの!? 豚キムチやぞ?」
いい気味いい気味。
肇は多数につきたいタイプ。
だから、デコを陽キャたちと一緒に追い詰めていった。
今日は少し気分が良かった。
だからなのか、肇は部活も少し楽しめた。
部活で、友達ができたからだろうか。
肇のことを知った顧問が、三年や二年の上級組に肇を入れたからだろうか。
どちらでも構わない。
授業は面倒だ。
国語の先生なんか、肇は本当に苦手で。
「幸せと不幸せってさ、交互に来たらプラマイゼロでなんも感じないとか言ってるけど、ソイツ馬鹿だとおもう」
「なんで?」
「いや、一日の最初にいいこと起きても、最後に嫌な思い出出来たら嫌じゃん?」
「なーるほど。つまり、弁当のおかず食べる順的な?」
「そゆこと、? かな」
あんまり話を理解されなくて、肇は少しさみしくなった。
でも、仕方がないと割り切った。
漫画の主人公の名言なんて、作れっこないって。
笑いながら、友達とそんなことを話していたあの時を思い出した。
それから肇は、名言っぽいことを言うのをやめた。