【01】七日も手を出してくれないなんて
堅牢なる石の砦と呼ばれるトワル公国、公主の城の一室。
薄く灯りを灯した夫婦の寝室で揺らめくふたつの影。
「じゃあおやすみ。また明日な、フレイア」
「マクマトさま、待っ……」
言葉を遮って、扉が静かに閉ざされた。
取り残された私は、伸ばした手の行き場がないまま、彼が出てゆくのを見送るほかなかった。
「また、出て行ってしまった……」
手が、そのままぽとりとベッドに落ちる。
ぼんやりと、去ってしまった彼の姿を思い浮かべる。高い背に黒い髪、褐色の肌、金色の瞳。
そして、白く大きな二つの角と、銀色の長い尻尾。
(やっぱり、他種族との婚姻は受け入れがたいのかしら)
はあ、と、漏れてしまう溜息。
新婚夫婦の片割れである私、フレイアは、今日も夫と寝所を共をする事に失敗した。
――ことの起こりは、七日前。
我がトワル公国に、竜人族の若さまが婿入りをした。
トワル公国は、大陸から離れた小島にぽつんと浮かぶ小国だ。
気候は寒冷、領地も狭く、国が持つ力は他国に比べて弱々しい。
あちこちで発生し始めた国同士の不穏な争いに、巻き込まれればひとたまりもない。そうなる前に講じた一つの方法が、同盟を結ぶ事だった。
相手は火山地帯に棲む竜人族。十八の氏族を束ねる銀鱗の一族は、トワル公国と同じ懸念を抱え、断絶していた交流を百年ぶりに再開。二つの婚姻を結んだ。
トワル公国は双子の公女の内、妹を、竜人族へ嫁がせた。
竜人族もまた、銀鱗の一族の中から、次男をトワル公国に婿に出した。
互いに力を貸し合い、理解し合い、この困難な時世を乗り越えようという約束の為の結婚だった。
私は公女として、銀鱗の若君マクマトさまを迎え入れた。
マクマトさは性格も気さくで人当たりもよく、大変朗らかな人物だった。はじめは緊張していた私もすぐに打ち解け、この人ならばと安心したものだ。
そこまでは良かった。
けれど、暮らし始めて七日間。どうしても解決しない問題がある。
すなわち――
『一緒に眠らない新婚夫婦とはいかがなものか』。
そう、彼は、一度も私と共にベッドに入ってくれないのだ。
(普段は何事もないのよ。お話もするしお食事だって。だけれど寝所だけは共にしない。私がお気に召さないって事なのかしら)
ベッドの上で悶々と、私は懊悩に沈んだ。
金の髪がはらはら零れる。新婚の十日間は特に身を整え、愛し合うに相応しい装いをするのが習わしだ。普段は着ない装飾過多の夜着に結い上げた髪。メイドが数人がかりで手をかけてくれたのに、また今日も無駄になってしまった。
(マクマトさまに不満なんかないわ。婿入りなんて立場は決して楽ではないでしょうに、文句の一つも言わずに生活してくれている……)
初めて顔を合わせたその日から、私は彼に惹かれていた。
一目惚れと呼ぶには頼りない直感ではあったけれど、間違いなく、素敵な方だと思った。滑らかな公用語で誓いの言葉を述べた時、その直感は確信になった。
「これから色々と迷惑をかけると思うが、宜しく頼む。私――いや、他人行儀だな。俺も、君と君の国と、徐々に仲良くなっていけたらと思ってるよ」
そう言って、褐色の肌と黒髪に良く映える、磨き上げた石のような白い角を陽光に輝かせたマクマトさまは笑った。それは正に、完璧な結婚相手だった。
(――だけれど、ベッドは別)
事実を再確認すると、胸がちくりと痛んだ。
はしたないとは分かっているけれど、私にだって人並みの女心くらいはある。好ましいと感じる男性と結婚し、その初夜に起こるべき出来事を、不安まじりながらも期待する心があった。
あの薄い唇は柔らかいのだろうか。大きな手はどれくらい力強いのだろうか。
妻としての扱われ方を期待して、甘い夜を夢想した。
実際は、口づけも、抱擁も、何ひとつ体験した事がない。
「徐々に仲良くなろうって、言ったじゃない……」
気遣い上手な彼の事だ、私に問題があるのだとしても、きっと口には出さないだろう。ましてや婿の立場、そうそう出来る事ではない。
そして、そんな人があからさまに寝所を共にせず理由もはぐらかすというのは、相当言いづらい何かがあるに違いないのだ。
そう考えると辛かった。公女として恥のない生き方をしてきたつもりだけれど、彼にとってそうでないなら、このままで良いわけがない。
「……良いわけがないのよ」
私は自分自身に呟き、枕から勢いよく顔を上げた。
こんなもやもやしたままで、八日目も同じ過ちを繰り返すのはごめんだ。
(明日こそ問い詰めよう。至らない点があるのなら改善しなくてはいけない。私達は国の為に結婚したのだもの、夫婦の円満が、何百もの人々の平穏に繋がるのよ)
些細な事でもきちんと正していかなければ、夫婦としてやっていけない。
きつく唇を噛み締めたまま、私はベッドに倒れこんだ。
(きちんと妻として扱って頂けるよう。せめて新婚らしくキ、キスくらいはして頂けるように!!)
奮起した私は、よし、と拳を握って明日に備えた。
潜り込んだベッドは冷たくて、腰かけていたマクマトさまの体温は少しも残っていない。寂しさを堪えて目を閉じた。明日はきっと暖かく眠れるはずだと信じて。
●
「マクマトさま」
「んがっ!?」
椅子に腰かけていたマクマトさまが、びくっと跳ねてから顔を上げる。
私の声を聴いて、彼は目を覚ましたようだった。二人で過ごす部屋のうち、最も日当たりのいい大きな出窓の前、うたたねをしていた金色の瞳がこちらを向く。
「君か。すまない、少し寝てた」
マクマトさまはすぐに立ち上がり、ばつが悪そうに苦笑した。
「ここは居心地が良いな。早いうちから太陽が差して気持ちがいい。景色も申し分ないし」
薄い笑顔はそのままだ。口の端から尖った八重歯、いや、牙が覗く。
よくよく顔を注視すると目の下が青黒くなっていた。寝不足のあとだ。胸の奥が、つきん、と刺されたように強く痛む。
(ちゃんと眠れていないんだわ。それでも、私の隣を選んでは下さらない……)
痛みを認識したとたん、居ても立っても居られない気持ちになった。
用意していた場と言葉――さりげなくお茶に誘い、それとなく聞き出していくという計画が、がらがら崩れる音を聞く。悲しみや悔しさ、ままならなさが、喉にまでせりあがってくる。
「……お昼寝してしまうほど眠たいのなら、ご一緒して下さったらいいのに」
ぽつり、と。
痛みは言葉になって零れた。
マクマトさまが首を傾げる。重たそうな角が左に傾いた。
「すまない、聞き取れなくて。何て?」
「なぜ寝所を共にして下さらないのかとお伺いしました!!」
もうこうなったら勢い任せだ。私は強く込み上げるまま、叫ぶように問いかけていた。
最後までお付き合い下さったらとても嬉しいです。次話もぜひ読んでやって下さい。




