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世界の終わりと始まり 第2部 覚醒編  作者: とみなが けい
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『アルタミラ』の「女」は…別の存在になっていた…。

「ハイボール、お代わり作りますか?」


 カウンターの女が声を掛け、入り口を凝視していた私と山口が、ビクッ!とした。


「ああ、少し飲み過ぎたかな?

 コーラを二つくれる?」


 女は無言でレモンの薄切りを乗せたコーラを二つ出した。


 私達の隣でそうめんを頼んだ中年の男がズズズと啜っている。

 セルゲイエフセンサーの表示は960あたりで小刻みに上下している。

 私は体の重心をずらし、いつでも山口を抱えて店の外に飛び出せるようにした。


「…どうなんだろう?」


「…判りません…でも…もう少し様子を…ひ!」


 山口が隣の男を小さく指差した。


 男が箸で口に運んでいるそうめんがくねくねと蠢いていた。


 私と山口は男のそうめんを凝視した。


 器に盛られたそうめんも濡れた白い体をゆっくりとくねらせていた。


 私は携帯電話を取り出して動画モードにして男から見えないように腕で隠しながら撮影した。


 そして携帯をカウンターの下に持って行って山口と見た。

 携帯の画面では、そうめんに異常は見られなかった。

 私と山口は小声で話し込んだ。


「…大丈夫、佐伯邸の時も見せられた幻覚です」


「放射がここまで強いとありえますね…もう少し頑張ってみましょうか?」


「…大丈夫ですか?

 山口さん?」


「小夜子と呼んで下さい…コマンダーと呼んでもらった方が良い状況ですけど…」


 私と山口がくすくすと笑った。


 こういう状況でも笑えるという事に私は安心すると共に、山口の肝の太さを頼もしく思った。


 山口の笑顔が引き攣った。


「でも…あれは…ちょっと」


 私は男を見た。


 男の頬を何か細い物が何本も内側から押しているようで皮膚が突っ張っている。

 やがて男の口の中に入ったそうめん何本もが…男の頬の皮膚を突き破り、うっすらと血が付いた白い体をのたくりながら何本も出て来た。

 そうめんは寄生虫の様に、蛭の様に、空間に頭をゆっくりと振りながら男の顔の上を這いまわった。

 そうめんが突き破った皮膚から、だらだらと血を流しながらも男は全く頓着せずに、カウンターの女と笑いながら話し、また新たに、はしでそうめんをつまんで口の中に入れ、啜った。


 のたくりながら新たに男の口に入ったそうめんは、男の口の中でまた皮膚を突き破りながらのたくりだした。


 男の頬から血の赤にまみれた白いそうめんが男の顔から首筋に掛けて這いまわり、また皮膚を突き破って男の中に入り込んだ。


 男の顎の先からだらだらと血が滴り落ちたが、カウンターの女も、二人連れのサラリーマンも一向に気にしなかった。


 山口が顔を引き攣らせながらコーラを一口飲んだ。


「よく飲めますね…そのコーラも何か…」


「あら、幻覚でしょう?

 大丈夫、味は普通ですよ」

 

 山口の声は少し震えていたがしっかりとした発音で私に言い、また一口コーラを飲んだ。

 私も山口を見習ってコーラを飲んだ。

 普通のレモンの酸味が効いた、ごく普通のコーラだった。

 クルニコフ放射は960で安定していた。


 私はもう一度腕で隠しながら携帯で男を動画撮影をした。

 男の顔にそうめんは写っていないが、全体に男の顔が歪んでまるで佐伯邸で見た、テレビのニュースキャスターの様に般若の顔になっていた。

 それどころか背景の店内の様子もひどく歪んでまるで岩石をくりぬいた洞窟の様になっていた。


「山…小夜子さん、いつでも飛びだせる準備をしておいた方が…」


 山口が無言で頷いた時にカウンターの女が話しかけて来た。


「私達、綺麗に写ってますか?

 せっかくのそうめんは写らないみたいですね…ふふふ」


 カウンターに座っている中年の男とサラリーマンの二人連れも私達を見ながらニヤニヤしている。

 サラリーマンの男たちは目からおびただしい血を流し、中年の男の目玉をそうめんがゆっくりとくねりながら通り過ぎた。

 中年の男が口を開けたがその中の舌は、そうめんが何本も入り込み、頭を出して、食い荒らしていた。


 私が腰を浮かせかけた時に、入り口のドアが開き、黒いフード付きのコートで顔を隠した女が入って来た。


「あら…真田さん

 やっと来たのね…フフフ…ずっと待ってのよ」


 妙にしわがれているが間違いなく「女」の声がした。

 私は山口の手を握り、山口も私の手を握り返した。

 見た目には冷静に見えた山口の手は汗でびっしょりと濡れ、小刻みに震えていた。


 山口がそろそろともう一方の手を伸ばしてセルゲイエフセンサーをバッグの中に滑り落した。


 山口の手をしっかりと掴んだまま、私は山口の前に出た。


「真田さん…どうしたの?

 私を忘れたの?」


 「女」はフードを上げた。

 異様に嬉しそうな微笑みを浮かべた「女」の横顔が見えた。


「お前…ヒカルじゃないな…ヒカルじゃないだろ?」


 「女」が背中を向けて、ひと回転して反対側の横顔を見せた。

 その顔は恐怖にひきつり、目を極限まで見開いた顔だった。

 私は病院で見た「女」の逆さ釣りにされた顔を思い出した。

 この場を逃げ出したかったがアルタミラの出入り口は立ちはだかった「女」の真後ろしかない。

 私の後ろで山口が携帯電話を操作する音がした。


「後ろのいるお嬢さんは綺麗だね…あっちの方も具合が良かったかい?」


 カウンターの女と客達が「女」の声を聞いて卑猥な笑い声を上げた。


「私の口で何度もイッタくせに…私のお尻で気持ち良く痙攣しながらエキスを吐き出したくせに…ドピュピュッてさぁ…やっぱり本当の女の方が良いのかねぇ?」


 「女」が酷く下卑た言葉を吐いていた。

 本当の「女」なら絶対に口にしない。

 再び「女」の顔がフードに隠れた。

 俯いた「女」は体を私達に向けた。


「お前は本当のヒカルじゃない…ヒカルはそんな事を気にしない女だったよ」


 私は隙を見て「女」突き飛ばして店から出ようと思い、山口の手を引き寄せた。

 「女」を、いや、かつて「女」だった物を油断させるために会話を続けなければ… 


「お前はあれからどうしたんだ?何度も電話したし、マンションも…ここだって…」


 俯いたままの「女」の肩が震えた。


「くくくく、随分心配してくれたのね。 嬉しい」


 私は山口の手を引き、じりじりとカウンターから離れた。


「あの鴉の一件の後、一体どうしたんだ?

 何があった?」


「お前には想像もつかない事が起きたよ、ふふふふ、究極のエクスタシーだったねぇ…」


 私は悟った、こいつはあの気高い「女」でも、ルシファーでもない、何か他の存在だと、私は確信した。


 ルシファーの言葉使いに似ているが、「女」の姿をまとった物は、ルシファーとははっきりと違う、下卑た禍々しい印象を私に与えた。


「小夜子さん…ついてこれます?」


 私は山口にだけ聞こえる様に小声で話した。


「はい、死に物狂いで」


 山口が押し殺した声で囁いた。


「よし、コマンダーとダイバーは一蓮托生」


 私は小声で返すと、山口の手を掴んでいない方の手で、カウンターの丸椅子の座面を掴んだ。


「あの、体が引き裂かれそうな快感をお前にも味あわせてやりたい…お前のあれがこれ以上も無いほど堅くおっ立って、ヒ―ヒ―泣くよぉ…お前の後ろの女も一緒にどうだ?…綺麗な女だねぇ…」


 カウンターの女や客達がニヤニヤしながら私達に近づいてくるのが、彼らが出す瘴気の様な吐息で判った。


「…綺麗な女だねぇ…私がその女の様になったらもう一度愛してくれるかい?…もう一度お前のあれを入れてくれるかい?…その女の体が欲しいねぇ…」


 フードの下で俯いた「女」の顔がヒクヒクと震えていた。


「私の体はもう、あまり使い物にならないんだよ…全部すっかりしゃぶり尽くされてね…そりゃあもう気持ちよかったけど…あの快感たら、無いよ……」


 「女」が俯いたままじりじりと前進した。


 薄暗い店内はさらに照明が暗くなり、あちこちで空間が歪んで見えた。

 

「そろそろこの薄汚いオカマの皮も萎びてきちまったよ…新しい皮が欲しいねぇ…ぴちぴちした…本物の女の皮が欲しい…くれるかい?…あたしにおくれよ…その女の皮をさぁ…」


 山口の手がブルブルと震えだし、いきなり私の手を振り払った。


「小夜子さん!」


 振り向いた私の前で、山口はカウンターに腰を押し付け。

 ウィスキーのボトルを握りしめて、カウンターに叩きつけた。


「小夜子さん!しっかりしろ!」


 山口が引き攣った顔で、ブルブルと手を震わせながら、ギザギザに割れたボトルの割れた口を自分のあごに持って行った。


「そうそう。自分でその可愛い面の皮を剥いでおくれよ…ひひひひひひ」


 山口は心の中の正気な部分を総動員して必死にボトルの侵攻を止めようとしていた、が、ブルブル震える手に握られたボトルの割れ口の切っ先があごの先端に当たり、一筋の血が細い線になってボトルに流れた。


「ひひひひひ!そうだよ!そうだよ!剥いじまいなよ!剥いじまいなよ!そしてそれを私におくれよぉ!」


 「女」と、カウンターの女、客たちが、卑猥でおぞましい笑い声を上げた山口をはやしたてた。


 山口は失禁したようだ。

 山口のスカートが尿で濡れて、見る見るシミが広がって行き、山口の大きく見開かれた目から涙が溢れた。


「…コマンダー!

 小夜子!

 気をしっかり持って!

 俺を見るんだ!」


 私はカウンターの足の長い丸椅子を右手に持ち、「女」や客達をけん制しながら、山口を見た。


 山口の目が動き、私の方を向いた。

 どうやら正気の部分がまだあるようだ。

 彼女は必死に自らの顔の皮を剥ぐという衝動と戦っていた。


(ルシファー、ルシファー、一体どこにいる?)


 私はいつの間にか心の中でルシファーを呼んでいた。

 

「それ以上近寄るな!この化け物ども!」


 私が一喝すると、奴らの動きが止まった。

 私は左手で山口のあごに当たっているボトルの割れ口を包んだ。

 あごとボトルの間にゆっくりと手をすべり込ませてボトルのとがった切っ先を手で包んだ。

 私に左手にボトルの切っ先が食い込み血が流れ、山口のあごからの血と混じり合った。


「コマンダー、大丈夫、佐伯邸の奴よりもずっと小物です。

 大丈夫、力を抜いて下さい」


 私が山口にほほ笑んだ。

 山口の涙を流した目が笑ったように見えた、が、依然として山口のボトルを掴んだ手には自分の顔にボトルを突き立てようとする力が掛かっていた。

 ボトルはじわじわと私に左手に食い込んで行った。


「ふふふふふ、いくら怒鳴ってもいくら怒鳴っても…無駄だよ…怖くなんかないよ…ううう、しゃべりにくい…」


 「女」が両手を、フードの中に両手を入れた。


「顔が…崩れてきちゃった…」

 

 濡れたテープを剥がす様な、ぼろきれを引き裂くような音がして、「女」の手がフードから出て来た。


 それぞれの手には、中央から半分ずつにに引き裂かれた、かつてはため息が出るほどに美しかった「女」の顔がつままれていた。

 片方の顔は目じりが下がり微笑んでいる顔、もう片方は恐怖にひきつった「女」の顔が。

 それぞれの顔にはまだ意識が残っているのか、苦しげに、嬉しそうに動いていた。

 「女」が顔の残骸を放り捨て、カウンターの女や客達が、顔の残骸にとびかかり、互いに奪い合い引き裂き合って貪り食った。

 かって聞いた覚えがある「女」の声が、か細い悲鳴が聞こえ、女や客達の唸り声にかき消された。


 「うふふふ…私の喰い残しもこいつらには旨いらしい…下等な奴らだ…しかし私には新鮮な皮や肉が必要なんだ…」


 私はじりじりと近づいてきた「女」に右手で持った椅子を思い切り投げつけた。

 それの足が…「女」の体に深々と刺さった。


「ああああ!なんて事を!」

 

 「女」が腹に刺さった椅子の足を握りしめて叫んだ。

 私はそれに構わずに山口に向き、空いた右手で拳を作り、山口に腹に叩き込んだ。


「コマンダー!ごめん!」


 山口が苦しそうに顔を歪め、ボトルを掴んだ手の力が抜けて床に落ちた。

 私は苦しそうに体を折り曲げた山口を左手に抱えて、「女」を突き飛ばし、入り口に走った。

 「女」の全身は、たががゆるんで、ずぶずぶと手がめり込む様な、気持ち悪い感触だった。


「ちきしょう!逃すか!」


「女」がぬめぬめした感じの厭らしい声で叫ぶと、入り口ドア全体が黒く染まった。


「?」


 目を凝らした私にはおぞましい、私にとっては非常におぞましい光景が映った。

 入り口のドアにはびっしりと…でかくて黒いゴキブリが貼り付き、私が大の苦手なゴキブリがてらてらと店内の頼りない光を、その脂ぎった羽に反射して蠢いていた。

 私は目を見開き、動きが止まった。


「ふふふふふ…どうするどうする?」


 私は震えながら手を伸ばした。

 今までこいつらは直接私に物理的な攻撃をしていない、幻覚を見せたり、心理的に操ろうとしているだけで、直接的な攻撃を掛けていない。

 この入り口のおびただしいゴキブリも、あのノタクルそうめんと同じだ!幻覚だ幻覚だ幻覚だ!幻覚だ幻覚だ幻覚だ!

 

 私は覚悟を決めて入り口のドアのハンドルをしがみついているゴキブリどもごと掴んだ。

 ゴキブリは幻覚なんかではなかった。

 私の手の中で握り潰された何匹ものゴキブリの体からはみ出る体液、薄い羽根が指に間に入り込み、千切れた足がもがく感触が襲った。


「うああああああ!」


 私は大声で叫びながらその気味が悪いヌルヌルべとべとした感触に耐えて手に力を込めると握り潰したゴキブリの感触の先のドアハンドルの頼もしい金属の取っ手にたどり着いた。






続く

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