Report 7 黒い花壇
食堂にはコンコンと音が響き渡っていた。
既に昼も夜も過ぎ今は九時。食堂には皿洗いを片付けたメイドとアオしかおらず、アオは食事が終わっても誰かを待ち続けている。
メイドが「ヨウカ待ち?」と聞いてもアオは答えない。
「あのさ、そろそろここも閉めるから出ていってくれる? それか食事運ぶの手伝え」
「……」
アオが立ち上がったのを見てメイドは大きなカゴを運び出した。これから二人は二棟に向かう。
二棟は構造的には一棟とそう変わらない。ただし、手入れが不十分なので周りは草が覆っているし、設備も一棟の数世代前のものだ。一棟の部屋数でディープグラウンド内全員を格納できるのでこちらに住む理由はない。
それでも二棟は使われている。特に訳ありの者はこちらに住んでいて一棟に移ろうとは決して思わない。
二人が夕食を運んでくるとすぐに一人が出てきた。
軽い足取りで夕食のもとへ駆け寄る。
「おっそーい! お腹と背中がくっついたんですけど!」
「早く欲しかったら自分の足で取りに来な! こんな草むらの中を私に歩かすな!」
「えーっ? でも~、私目が見えないから歩くのもっと大変だし~、そんなことでキレられてもね~。ざーこ♡」
「あぁ?」
彼女はメスガキちゃんなのでご愛嬌。
でもメスガキちゃんは目が盲目なのでおでこへのデコピンがほとんどクリティカルヒットするという弱点があったり。
アオは二人が意味不明な争いを繰り広げるうちに夕食を二棟に運び込んでおいた。
メイドとアオが戻ると誰かが食堂の入り口で座っていた。服はよれよれで髪もかなり乱れているが間違いなくヨウカだった。
アオは全て理解してヨウカの元へ走った。
「ちょっと、皿は最後まで運んでよ!」
「後で! それより何か温かい飲み物をお願い!」
・・・・・
「ねぇ、本当に大丈夫?」
「大丈夫です……たぶん」
火傷するほど熱いコーンポタージュが喉を通る度、体の芯に生気が戻っていくような気がする。メイドの気遣いが何より暖かい。
アオも心配そうに見ているが、メイドは何故か彼女に冷たかった。
「アオ、部屋に戻って。それか、ヨウカの部屋を片付けて」
「……分かった」
「荷物は食堂の前に持ってきて」
メイドはアオを手早く食堂から追い出して僕と二人きりになった。
それから僕の目をみて、ほっとしたように表情が和らいだ。
「まだましな方ね」
「どういう意味ですか」
「被害者がまた増えたってこと。今までにも何回かあったよ、ヨロヨロの足でクシャクシャの服を被ってここまで逃げてくるの。大抵泣きながらね」
予想以上に闇は深いようだ。道理で対応が慣れているわけだ。
メイドは二本指を立てた。
「ヨウカの選択肢は二つ。このまま一棟で暮らし続ける。その場合、次は襲われても私は助けない。もう一つは二棟へ移る。そうしたら生活水準は下がるけど女神と関わることはほぼなくなる」
けど、とメイドは付け足した。
「ヨウカはたぶん難しい」
「どうして?」
「昼前から夕食後まで、ざっと十二時間? よほど気に入られたんだ。まあ、反応が可愛かったからね」
「……」
「それは冗談にしても、自分から犠牲者側に入ったんだから今さらやめますと言って、はいそうですか、とはならないよ」
昨日の自分を殴りたい。どれだけ馬鹿な選択をしたのかやっと分かった。
でも、
「誰かが僕の犠牲で助かったはず!」
「ん? 女神との約束? あんなの守られる訳ないでしょ」
「そんなことは……」
「確かにヨウカのおかげで一人かくれんぼに不参加だったけど、どうせ退屈でまたゲームに戻るよ。他にやることないんだから」
どうして……あんな遊戯に戻って何になる。ここの人はおかしい。
「おかしいに決まってるでしょ。ここはディープグラウンド、新しい薬と手術の人体実験を世間から隠蔽するための場所なんだから」
僕はメイドから改めてここについてのレクチャーを受けた。
ディープグラウンドにある娯楽は実質的に三つ、食事、睡眠、ヒエラルキーだ。仮想の上下関係がロールプレイングゲームとして働き、彼女らはこの地下空間で生きる意味を持っている。一方で、役割がない人間は死を選択できる。二棟に入った人間はやがて服毒して穏やかな安楽を得る。
愛も希望もなければ未練なくこの世を去っていく。
そして、女神には裏の顔がある。彼女はここに徹底的な支配を敷いていてそれに例外はない。二棟は彼女が興味を持っていないだけで、いつでも壊そうと思えば壊せる。彼女の権力を支えるのは彼女が持つディープグラウンドの設備のコマンドと管理者レネとの繋がり。もっと分かりやすいものは武力。すなわち、アカの存在。
そして、アオの存在だ。
夜を再現したようにこの時間のこの空間は暗い。あるいはただの電気の節約か。どちらにせよ、時間感覚を失わずに済む。
アオが僕の荷物を持って戻ってきたのはだいたい三十分後だった。
「遅かったね」
「ごめんなさい」
「僕に謝らなくていいよ。僕は自業自得。けれど、僕より前の人たちには謝った方がいい」
「ごめんなさい」
アオの紙袋の奥は分からない。もしかしたら無表情で僕のことなんかなんとも思っていないのかもしれない。それでも、僕には彼女が分からなかった。
はっきり言えば、アオはずっと悪の味方をしていたことになる。
「答えて。どうして彼女の味方をするの?」
「……言えない」
「あっそう」
そうか、それも選択。彼女にとって僕はただの一時的なお人形だったのだ。
人形は、要らなくなったら捨てればいい。
「僕は二棟に行くから」
「……」
「せいぜい女神の護衛頑張ってね」
僕は決めた。
ここを出るまでにあの女神を排除する。