花の騎士 4
「…………」
「……応えぬか。言葉を変え――――」
ガンダスの言葉の先は、クレーが蹴り上げた扉の破片を防ぐことで遮られることとなった。
一瞬の静寂――――
「(言葉は不要か……)」
刹那、赤い閃光と白き閃光が轟音を響かせた。
その衝撃によって綺麗に手入れされた芝生が波を打つように揺れる。
「ふっ、語り合おうか〝花の騎士〟よ」
ガンダスの巨躯から振り抜かれた聖剣を防ぐことなく身を翻すことで躱し、クレーの深紅の刀身がガンダスの首元に向かって振るわれた。
だが、にやりと笑ったガンダスもまた身を反ることで紙一重に躱し、聖剣を支えにするようにして崩れた状態を距離を取るとともに立て直す。
当人同士では普通にやり取られたものだったが、背後に立ち尽くしたミザリーはただ唖然とその様子を見つめていた。
「……敵?」
一度、刀身を鞘に納めるとクレーはようやく喋り出した。
「どうした? 殺意が足りなかったか?」
「……もう二回殺せた。でも敵じゃない」
だから、殺さなかった。
ただ当たり前かのように言われた……〝王の騎士〟呼ばれる〈大都市ラワーレス〉の最強の剣士は、その言葉を鼻で笑い飛ばした。
「私に殺意が足りなかったようだ……。ただ、お前はもう既に斬られてるぞ?」
ガンダスの持つ聖剣が狂気に光ると、突如現れた斬撃がクレーの胴体を捕らえた。
だが、その明確な攻撃の意思が仇となったのかクレーはその場から飛び退く。
「……なにをした?」
少し回避に間に合わなかったのか、メルビィとミザリーに着せられた黒を基調とした服の胴体部分が口を開くようにゆっくりと切り裂かれた。
「何も難しいことではない。ただそこに斬撃を復元させただけの話しだ」
最初の一撃目、ガンダスが放った横薙ぎの一閃をクレーは余裕を持って躱したはずだ。
身に染み込んだように防ぐことなく一度だけ斬り返す。
本当ならば、あの一瞬で刃を届かせることが出来たはずのクレーは殺意はあっても敵意のないガンダスを本当に斬っても良かったのかと聞いたのだ。
だが、まさか生殺与奪の優位をいつの間にか持たれているとは思わなかった。
「……ミザリー」
未だ背後で茫然としていたミザリーに、珍しくクレーから声をかけるとハッとなり正気を戻す。
「ど、どうしたの!?」
「……斬っていい?」
「うーん……っと――――」
改めて、ガンダスの瞳に語り掛ける。
何かの目的があるのだろうと思ってはいたが、本当に目的があるようだ。ガンダスは一度だけ目を交えるだけで即座にクレーに標準を戻した。
「お城はダメだよ? あと、殺したりしちゃダメだよ! あ、それと怪我とかも最小限にね!」
もしも本気で斬れと言った時、もはやこの王城は跡形もなくなっていることだろう。
この場で、ミザリーだけはこの目を通して脳裏に焼き付くように残っている光景があった。
地平線に逃げるように隠れた神々が造り出した存在に向かって放たれた一振りの衝撃を、流れ揺蕩う遊雲をかき消さんばかりの勢いで切り裂いた斬撃を、あの紅に向かって本当に悔しそうにしていた剣士の存在を……決して消すことの出来ない記憶として残ってしまっているのだ。
人間の何百倍の体積だろうと、人間の何百倍の広さろうと、ミザリーが「斬れ」と言ってしまえばクレーは一刀両断してしまうことだろう。
神が造りしものと言われた太陽にその剣を届かせようとしたのだ……それくらいは造作もない。そう言わせるような説得力を昨日見せつけられた。
「……分かった」
クレーはそっと撫でるように剣の柄に手を置く。
だが、ミザリーが言った言葉も並みの剣士には残酷なことである。
この〈大都市ラワーレス〉最強の剣士に対して、「手加減をしろ」と言っているのだ。ここにガンダスをよく知っている人物がいたなら腹を抱えて笑っていることだろう。
出来るはずがない、と。
目の前には白を基調とした汚れの一つもない王が住まう城、そしてクレーの体ほどある白く輝く剣を持つ大男。どちらも「斬れるか?」と言われたなら尻すぼみしてしまうような屈強さが見て取れるほどの存在であった。
「私は〝花の聖女〟様に随分と低く見られているらしいな……。だが不思議と憤りを感じないのは私が最強だからなのか、〝花の聖女〟からの言葉だったからなのか、それとも……答えは、お前の一振りが全てを解き明かしてくれるか。この一撃で防御結界が破壊させることなるだろう、全力で来るといい……〝花の騎士〟ッ!!」
その光輝く剣を握り直し重心を落としたガンダスは、惜しみなく力を解放した。
凡人では気が付くことすら出来ずに斬り伏せる不可視の斬撃――――これまでガンダスが振った回数分の一振りを、クレーを囲むように復元させる。
「(さぁ、どうする!? 少年ッ!!)」
身の毛がよだつ天をも裂く斬撃。あれは、目の前で構える少年の斬撃であると先程の一太刀で確信を得られることが出来たのはガンダスも剣士として極致にいるからだろう。
どれほどまで研ぎ澄ませばあの領域まで届くのか……四十年以上の時間を剣に費やしたガンダスは、その至高とも言える領域に住まう少年の一太刀に興奮を隠し切れなかった。
一体、どれだけ時間を費やせば――――その剣に手が届くのか、と。もう五十になる老骨が、まるで少年のような笑みでクレーの姿を見つめる。
「…………」
だが、見据えたのは実に空虚な存在だった。
ただ構えているだけ。ただそこにいるだけ。そんなことを勘違うような愚か者もいるだろう。
しかしガンダスは歴戦の戦士。〈ラワーレス〉で最強格の存在だ。
「ッ!?」
剣を振ろうとしていること以外に何も感じないという感じ取ることの出来ない不確かで恐慌するような透明な殺意。
それはある種の極致と言っていい。
この手に持つ剣に斬れないものは存在しない。
この手が振る剣に届かないものは存在しない。
必中必撃の一刀――――それが、クレーが辿り着いた剣の極致。
「……消え――――」
たった一瞬の爆発的な加速、視界に映ったものと耳で聞きとったものに相違が生まれ意識に少しの隙間がつくられてしまった瞬間だった。
何故ならば、地面を蹴った音が遅れて聞こえるほどの速さでクレーが加速したからだ。
いつの間にかガンダスの剣によって展開されていた斬撃の復元の合間を紙一重で駆け抜け、ガンダスの後方にクレーは立っていた。
しかし、ガンダス自身は困惑していた。
「(何をした……? 体を斬られた感覚はないが……)」
痛みがやってくることはない。だが、クレーがただ通り過ぎて行ったわけではないことくらい理解していた。斬っていないにしろ、斬ったにしろ、何かしらの行動を行ったはず。
その時、自然の視線が空を向く――――
〝花の聖女〟を守る者として、彼女を害する全ての存在を腰に携えた一本の剣のみで弾き返す。
得てして〝花の騎士〟となったわけではない何も知らぬ少年が、たった今……世界中にその名を轟かせる瞬間が訪れた。
それは音も無く、嗅覚をくすぐるように香った花に香りもしない……もはや、人間の感覚というものを忘れてしまったかのような一瞬。
「……これでいい?」
そう静かに言って剣を鞘に納めるクレーの声で、ようやく視覚が動き出したような気がした。
「――――あぁ……実に素晴らしい回答だ」
やるべきことはたった一つ――――目の前に立ちはだかった障害を斬り伏せる。
それ以外に語ることのないほど完結した答えだが、何も正解は一つじゃない。
相手の心を折ることも、正しく解となりうるものなのだ。
ガンダスを通り過ぎていたクレーの頬からじわりと溢れた血が流れそれを手で拭い去ると、呆然と空を見上げているミザリーの隣に戻る。
「ねぇ、クレー? もう少し……手加減とか出来なかったの?」
もしも本気で斬れと言った時、この人間の何百倍もあるような巨大な建物などいとも簡単に真っ二つに斬られてしまうことだろう。
出来ることなら、この一振りを人に向けてしまうような事態は想像したくはない。
そんなことを考えながら、ミザリーは割れた蒼空を見上げた。