花の騎士 1
黄金の花が咲き、その蔦は一つの城を飲み込んだ。それからある都市は、幸福に満たされていくことになる。それがここ〈大都市ラワーレス〉の歴史の始まりだった。
世界は魔獣の進行を止められず、戦士たちはどれだけ抵抗を見せていたとしても、その大きな渦に飲み込まれていく。そんな地獄とも言える環境から一つの花が咲いたのだ。
聖なる輝きが大地を照らしていくと共に、数多の魔獣が消滅していく。
たった一人の修道女が起こした奇跡――――それが、〝花の聖女〟が生まれた瞬間でもあった。
大聖堂フローラル――――その大広間にて、絶叫が響き渡る。
「あちゃー……間に合わなかったかぁ」
何種類もの薬剤を腰のポーチに仕舞い、ある程度肌を見せた軽装をした女性を天を仰いだ。
「…………?」
その隣にただ立ち尽くす少年は受け取った黒い服をどう着ればいいのか分からずに眺めているだけであり、目の前で絶叫した一人の少女は視野に収まっていないようだ。
「こら、クレー。早く服を着なさい。目の前にいる聖女様が困ってるだろ?」
「……服を自分で着たことがない」
初めに着ていた白地の服は戦っている最中にいつの間にかボロボロになっていた。もはや、クレーの記憶の中には服を着せられていた記憶などないだろう。
「…………おっけー。ということで――――この少年が今日からお前の騎士だ!」
「どういうことですか!? まずは服を着て下さい!」
「だって分からないって言うんだもん。仕方ないよ、ねぇ? クレー」
「何でそんな少年を――――」
私の騎士に連れて来たんですか……そう続こうとしていた口が自然と閉じていった。
「――――お、当たりな感じかな? ミザリー」
〝花の聖女〟ミザリー。
彼女でだけではない、聖女には見えると言われている。繋がりの糸。
「……メルビィ」
「…………良かった。これなら私たちの仕事が報われるってものだよ。それじゃ、私はこれを報告してくるから、あとは二人で話し合って決めてね」
手をヒラヒラと振ってメルビィは扉から出て行く。
これで大広間には二人が残った。
「場所を移しましょう? ゆっくりと話せる場所へ」
「…………服着れなてない」
「分かってますよ! 取り合えずあなたに服を着せるために私の部屋に行くんです!」
「うん、分かった」
◇
花の蜜が空気に混じって甘い香りが漂う広くも狭くもないような一室。その部屋には、数々の植物が壁や天井に生えており、家具の一つ一つは伸びた蔦によって形成されていた。何も分からない人が入れば異常事態だと勘違いしてしまうような部屋であったが、それとは裏腹に非常に美しいとも感じ取れてしまう部屋でもあった。
「ふぅ……さて、服も着せたことですし――――本題に入りましょう?」
「…………ん」
「あ、この紅茶飲んでいいですからね。自然物で作られたものなので体にも良いですし、体の自然治癒力が向上します」
「…………」
「では、まずは自己紹介から始めましょうか。私の名前はミザリー・フラワティア、〝花の聖女〟なんて大層な二つ名が付けられてしまった普通の農民です。ちなみに〝フラワティア〟は聖女になった時に貰ったもので、本来はミザリーと言う名前なので私を呼ぶときはミザリーでお願いしますね」
「俺はクレー。剣使う」
「じゃぁクレー、あなたは私を見て何か感じることはありますか? 何かこう……接しやすいなぁみたいな感覚なんですけど、別の感情でも良いですよ。私に対して邪な感情は抱いていないですか?」
〝花の聖女〟は幸運と幸福を齎す存在である。たが、反対に絶望と不運を呼び込んでしまう存在でもあるのだ。しかもそれは、ミザリー本人に降りかかる代償。
他の聖女も例外ではない。存在するだけで幸せを齎すが、その本人には必ず代償が必要である。
故に、自分の身を守る限界がある。
故に、共に歩んでくれる騎士という存在が必要なのだ。
だがその騎士を選ぶことは、決して簡単なことではない。聖女には騎士となりうる対象と繋がりが見えてしまうからだ。
「……よこしま?」
「え?」
「…………分からない。剣を振ること以外は」
「なッ、え? どういうことですか?」
「気が付いたらここにいた。それ以外は何も知らない」
「そ、それじゃ……あなたを連れてきた人のことも?」
「…………」
ただ静かに頷いたクレーの姿にミザリーはまた絶叫したい気分になった。
「つまり、あなたはメルビィに…………攫われて来たということですか?」
「……攫われた、は少し違う」
すると、クレーはこれまでの自分に起きた出来事をゆっくりと説明し始めた。
気が付いた時から親と呼べる者はおらず、剣を握っていたこと。
ただ目の前に現れる何かと殺し合っていたこと。
改めて周りを見渡したらどこかの森の中に立っていたこと。
名前も顔も知らない女の人が急に話しかけてきて、いつの間にかこの場所に立っていたこと。
「……俺、何も知らないけど、攫われたのは少し違う……かも?」
「いや、それは攫われたって言うんですよ」
「そっか……で、俺は何をしたらいい」
いつの間にかここに連れて来られて何も知らないクレーに少しだけ同情する。連れて来た相手はこの国で一番の魔法使いであり医者でもある人物なんてことも、この国の王がクレーの歓迎会を開こうとしていることも、近頃隣国の〝火の聖女〟とその騎士が訪れることも、その騎士と御前試合が組まれることになるであろうことも――――この少年は何も知らないのだ。
「(そんな相手に、私は何て言えばいいんですか……)」
目の前の少年の過去を聞けば、それとなく出生は分かる。
かつての魔獣進撃によって起きた大きな争いで両親がいなくなった戦争孤児だろう。年齢も見た感じ十六から十九の間ほど……少しだけ体は細く見えるが、これはこれで剣を振るために最適な体に適応していった結果だろう。
だが、何も知らない彼に「私の騎士になってくれませんか」など言ってしまってもいいのだろうか?
聖女の騎士とは一時的なものではない。これからクレーが生きている時間を全て使って聖女の近くにいて、守る誓いだ。
「……何か悩んでる?」
「うん。悩むよ」
繋がりが見えてしまうことが、余計に辛い。
彼と私の相性の良さが私だけに見えていることが、余計に苦しい。
「…………何を?」
「さっきも言ったけど、私には……いや、クレーには私の騎士になる資格があるの。それもとびっきりの好条件で、私にとっては手放したくないような存在ってわけで。でもクレー本人は望んでいないでしょ? 私に対して特に何も感じないというのはそういうことだと思う」
「……それはどんな感じなの?」
「――――ねぇ、クレーはさ。私のことを護りたいと思ってくれる? 私が戦場に立ったとして一番最後まで隣で護ってくれる? 裏切ったり、悪いこと考えないで私の隣に立っていてくれる? 私の言う〝感じ〟っていうのはこんな感じだよ。私の騎士になるっていうのは、私に関わる全てと私のことを命に代えずとも護り抜くことの出来る存在のこと……。君には出来る?」
ようするに、私の我儘と私自身を守れるかと自己中心的で最低なことを聞いているわけだ。
今の私の言葉に幻滅するか、あるいは嫌な奴だと思われるか…………どちらでもいいが、自分が〝花の聖女〟である限りはそういう考えでいなければいけない。
ミザリーは〈大都市ラワーレス〉に幸運と幸福を齎す――――その逆の現象が身に降りかかることを代償にして。
だからこそ、騎士を選ぶことは命と同じくらいの価値と真剣さが必要なのだ。
「…………?」
「そりゃ困っちゃうよね、なら――――」
「……ようはミザリーを守ることが出来るか? ってこと?」
「そ、そうだけど」
「それはミザリーが望んでいること? なら俺やるけど?」
黒い鞘に仕舞われた剣を持ち上げて、もう冷め始めてぬるくなってしまった紅茶を溢さないようにテーブルの上にそっと置いた。
「な……何を」
「……俺、何も出来ないし知らないけど――――斬れる」
初めて剣を振った瞬間など覚えていない。
だが、気が付けば体中に傷痕が残っており、眠さが限界を迎え意識が眠ろうとしている時に訪れる凍えるような殺気で目が覚める。そのあとはひたすらに戦ってきた。
何人殺したんだろう、何を斬ってきたんだろう、どんなものが斬れるのだろう。そんなことは考える暇もなかった。気が付けば斬っていた――――斬って斬って斬って斬って斬って斬って……肉を裂く感覚を忘れた。――――斬って斬って斬って斬って斬って斬って……全て斬れるようになった。
地獄のような場所だったかもしれない。
そんな場所から抜け出した後は、何をすればいいのかなど分かるはずもない。
「攫ってくれたこと、ありがとうって思ってる。俺、なにをすればいいのか知らないから。だからミザリーが守れって言うなら守るよ……それ以外に俺が出来ることない」
「守れるか分からないけど……」と小さく付け足したクレーの表情は、相も変わらない。
ポーカーフェイスにも近い無表情、毛先だけが黒い灰色の髪の毛はその表情を隠すように伸びていおり、どんな瞳をしているのかなど分からない。
だけど、きっと強い眼差しを向けている。そう感じさせるには十分な言葉だった。
「……本当に?」
「嘘にならないように頑張る」
「……そっか、そっかそっか。なら私の〝騎士〟になってくれる?」
「ん、分かった」
〝花の聖女〟を守護する騎士には必要なものが一つだけある。
それは、魔獣や人間を引き寄せてしまう代償を払い続ける〝花の聖女〟をどんな状況でも護り抜けるという実力。
繋がりがあり、尚且つ――――強い。
単純なことであるが困難な条件をクリアして、クレーは今……〝花の騎士〟となった。