81話 魔王城の壁
俺は、石の中で目が覚めた。
石の中にいる。
体は動かない。
だが、自分の体があることはわかった。
目が見えた。
俺が忍び込んだ、魔王城5階の巨大なホールだ。
俺は壁の一部となっていた。
体があることは自覚できる。だが、動かせない。
自分の体が、無機物に変化してしまったわけではないようだ。
コンクリートの中に押し込められて固められたようなものなのだろう。
なら、壁から顔ぐらいは出ているのかもしれない。そうでなければ、ホールの様子を見ることはできないだろう。
体は動かないと思っていたが、眼球のみであれば動かすことができた。
視界の一番左端に、大きな玉座が見える。
紫色の肌をした華奢な女が腰掛け、右手で丸い玉を弄んでいる。
俺は、その玉が壊さなければならないオーブだと感じた。
さっき見たときは、魔物の魂の残滓が繋がっていたのは、魔王ではなく持っている玉だった。
最初に行った異世界で、オーブはゾンビではない奇怪な魔物の頭部になっていた。
オーブとは、元の異世界と別の異世界とを繋ぐ何かなのだろうが、別の異世界にただ存在するだけでなく、世界に変容をもたらすものなのかもしれない。
玉座に座る女は、魔王か、魔王に近い存在だろう。
その女が、オーブを非常に大切に扱っているのがわかる。
現在、ホールにいるのは女だけだ。
俺は、このままでは死ぬだろう。石に閉じ込められ、生き続けられるほど超人ではない。
どうせ死ぬのならと、俺は声を出した。
「グルルルルル……」
俺は喋ったつもりだったが、舌が動かなかった。眼球は動くのだから、体内にある舌が動いてもいいのではないかと思ったが、動かなかった。
ただ喉が鳴り、自分でも意図しない、初めて聞いたようなうなり声が出た。
玉座に座る女が、俺のいる場所に視線を向けた。
少なくとも、喉から音を出すことには成功しているらしい。それすらも俺の幻聴ではないのかと不安になったのだ。
女が立ち上がり、俺に向かって近づいてくる。
華奢に見えるがスタイルは良く、露出の多い服をまとっている。
ヒナほどではないが、男なら目を奪われるだろう。
「……ほう。壁にしてやったのに、意識があるか。魔術の効きが悪いのか?」
女が、俺の目の前に立った。
壁に手をつき、俺を覗き込んだ。
その様子から、俺は理解した。
俺は、壁から顔が露出しているわけではない。完全に壁に同化しているのだ。
目が見えるという現象も、眼球を動かせるのも、原理はわからないが、たまたまなのだ。
本来なら、俺は目覚めることもなかったはずなのだ。
「ああぁぁ……ううぅぅぅ……」
俺は尋ねてみた。相変わらず、言葉にはならない。目の前の女は、意味が理解できたらしい。
「その通り、魔王は私だ。この姿は、愚かな勇者どもの油断を誘うのにちょうど良くてな。ああ……お前が勇者かどうかはわからんが、お前も油断したくちか?」
魔王は笑い、背を向けた。
もはや、俺に話しかけることは二度とないだろう。
俺にはそう思えた。
魔王が玉座に戻ったところで、俺の視界の右側の端にある扉が開いた。
「魔王様、勇者を捉えました」
「そうか。連れてこい。また魔王城の補強をする素材が手に入ったというわけだな」
「はっ」
魔王の倍はあろうかという巨大な人形をした、俺には鬼としか見えない魔物が、勇者コミュレを連れてきた。
連れてきたというより、運んできたというほうがいいだろう。
俺が見る限り、勇者コミュレは死んでいた。
魔王城にはたどり着いた。
だが、魔王には届かなかったのだ。
魔王は、勇者コミュレを俺とは反対側の壁際に連れて生き、押し付け、めり込ませた。
あれでは、戻ることは不可能だろう。
俺は、体が壁と同化する光景を見つめていた。
元に戻ることはできない。それは、俺自身にも言えることだった。
※
あるいはウーなら、俺を壁から取り出す方法を知っているかもしれない。
効果範囲が限定された魔法だが、俺にも把握できないほど、オークのウーは様々な魔法を使いこなす。
だが俺は、自分の手がどこにあるのかもわからない。いつもの場所にあるのだと思う。
実際に動かすことはできない。自分の手を見ることはできない。場所がわかっても、本当に手の形をしているのかどうかわからない。
俺は、勇者コミュレが壁に埋め込まれて、壁と同化するのを見ていた。
俺の体に同じことが起きているなら、俺の体は壁と同化し、感覚だけが残っているのかもしれない。人の姿として、存在していないのかもしれない。
いずれにしても、魔法の石版を取り出す方法がわからない。
そのうち完全に壁になり、意識もなくなってしまうのだろうか。
俺は何もすることができず、魔王と配下の魔物たちをただ観察していた。
※
俺が壁に埋もれ、千年が経過した。
俺は壁の一部となったまま、身動き一つできないまま、魔王と配下の魔物たちを見続けていた。
眠ることはできた。意識を手放す感覚だ。
そのまま意識が戻って来なければ、そのほうが楽だったのかもしれない。
だが、眠った後はしばらくして目覚めた。
目玉があるのかどうかもわからない。
同じように勇者コミュレも生きているのではないかと、何度か呼びかけた。
いつしか、俺は喋る壁だと魔王たちに認識されるようになった。
だが、俺以外に喋る奴がいないからこそ、特別な壁なのだ。
俺には誰も近づかず、どうやら魔王城七不思議の一つに数えられていることを、魔物たちの噂話で聞いた。
俺が壁になってから千年後、ついにその時は訪れた。
次々に飛び出して行った魔王の部下たちが戻らず、魔王の持つオーブに次々と魂が戻っていく。
魔王は忌々しそうに舌打ちし、オーブに口づけしたかと思うと、顎が割れてオーブを飲み込んだ。
これまで、見たことがない魔王の態度だ。
魔王が立ち上がった直後、ホールの扉がけたたましく開けられた。
人間たちがなだれ込み、その先頭に、俺でも勇者だとわかる壮麗な装備で全身を飾った若者が姿を見せた。
勇者の背後で人間たちが次々に魔法を放つが、どうやら魔王に向けてのものではなく、勇者の強化をするための魔法らしい。
勇者の口上が始まり、魔王が秀麗な女性の姿から、醜悪な魔物に変化した。
勇者対魔王の戦いが始まり、ついに勇者の剣が、魔王の心臓を貫いた。
魔王が絶叫をあげ、煙をあげながら人型の姿に戻る。
若い女性の姿ではなく、年老いた老人から、さらに干からびたミイラのような死体に変わった。
勇者は魔王の首を切り落とし、高々と掲げた。
人々が歓喜の声をあげる。
その直後、魔王城の崩壊が始まった。
勇者と人間たちが逃げていく。
俺の体が倒れた。
俺が同化した壁が倒れたのかと思っていた。
だが、実際には倒れたのは壁ではなく、俺の体そのものだった。
床が揺れている。
魔王城が崩壊する。
魔王城の崩壊よりも、俺は千年ぶりに見る、自分の体に気をとられた。
俺の周囲に、瓦礫が落ちる。
俺の手があった。足もある。
俺は、左手に意識を集中させた。
魔法の石版が出現する。
俺は、生命魔法をタップした。
前に走る。
感覚がおかしいが、たしかに足は動く。
俺は死んだ魔王の体に手を突っ込み、腹の中からオーブを取り出した。
床が崩れる。
魔王のホールは5階にあった。
頭上から天井が崩れ落ちてきた。
運に頼るしかない。
俺は、生命魔法をタップし続け、手足を丸めて小さくなった。
体が落ちる。床が崩れたのだ。
魔王城の無数の瓦礫と共に、俺は落下した。




