76話 壁を上る
この世界の勇者が、どのような存在なのかはわからない。
万能ではなく、隔絶した力の持ち主というわけでもない。
無意識に俺を殺そうとしたのは、生存本能が働いたのか、あるいは勇者に力を与えた何者かの指示かもしれない。
俺は勇者を殺そうとしていたわけではないが、俺が投げつけたダイナマイトで吹き飛んで、死にかけたのは事実なのだ。
勇者コミュレは覚えていない。
俺は、何も言わないことにした。
いきり立つウーにとっておきの保存食を与えてなだめ、ブロック型の携帯食にかじりつくウーを脇に抱えて、俺は座り込む勇者コミュレに近づいた。
「闇大王トカゲは……ソウジが倒したのか?」
勇者コミュレは、半眼で俺の背後に広がる闇を睨みつけていた。
そこには、闇大王トカゲの死体はない。俺は巨大な爬虫類を殺し、死体を魔法の石版に収納した。
魔物ではなく持ち物に分類されたので、死んでいるのは間違いない。
最近では、死体を魔法の石版に入れることが多くなっているが、人間の死体以外は、非常食としてである。
優れた保存食がいつまでもあるわけではない。非常時の備えはいつも必要なのだと自分には言い聞かせているが、実際には、俺の持ち物の中で、食料はほとんど増えていない。
収納する数と取引で使用する数が同じなので、収納したものがどんどんなくなっていくのだ。
ちなみに、魔法の石版内に保管しておくと、魔物だけでなくアイテムの時間も停止しているため、厳密には保存食を入れておく必要はない。
だが、ブロック型の固形食は、俺が現代を思い出せる唯一の品であり、なにしろ大量の保存食が一つのアイコンにまとまっているという点で非常にありがたいのだ。
セットになっているダンボールを無くしてしまうと、保存食の数だけアイコンを占領してしまい、肝心の時に必要なアイテムを取り出せなくなってしまうのが難点だ。
「倒したというか……逃げて行った。かなり弱っていたから、もう来ないだろう」
俺は嘘をついた。魔法の石版に収納したのだと説明するよりは簡単だからだ。
ウーが不思議そうに俺を見上げたが、あえて何も聞かないでくれた。
「……そうか。あのぐらい、倒せると思ったんだがな」
勇者コミュレは立ち上がろうとし、ふらついて再び座り込んだ。
「一度は死んでいたんだ。まだ動かない方がいい」
コミュレの心臓は、間違いなく停止していた。現代人である俺は、心臓の停止が必ずしも死ではないことを知っている。そうでなければ、コミュレはあのまま死んでいたはずだ。
「……死んでいた? どういうことだ?」
「心臓が止まっていました。ソウジが癒したんです」
黙っていられなくなったのか、ウーが口を挟んだ。
一番最近仲間にしたウーだが、一番俺に対する評価が高いようだ。俺が低く見られるのに腹を立てるという傾向は、アリスやシルフにはあまり見られない。
「お前……いや、ソウジは、死者を蘇らせることができるのか?」
「そんなに大げさなものじゃない。俺は、多少回復の魔法を使用できる。さっきは、コミュレはショックで心臓が止まっただけだった。そのまま心臓が動かなければ数分で本当に死ぬが、心臓だけなら、単純な刺激で動かすことはできる。俺はそれを知っていただけだ」
「……わからん。だが……助かった」
「その俺を、さっきコミュレは首を閉めて殺そうとした。だから、ウーが怒ったのさ」
「それは……すまなかった」
「いいよ。俺を殺そうとしないというのなら、もう少し、体をちゃんと直しておこう。俺を信用してくれるならな」
「……わかった」
勇者コミュレは、神妙に頷いた。
「ウー、手伝ってくれるか?」
「……嫌です。でも……仕方ないですね」
ウーは、魔法の杖を小さく振った。
※
勇者コミュレの体を癒し、休憩をとると、再び俺と勇者は頭上のはるか高みにある光を目指すことにした。
幸いにも、ほかに強力な魔物はいなかった。
闇大王トカゲがいた場所をまっすぐに進み、おそらくは闇大王トカゲの餌だと思われる大蜘蛛やネズミたちを蹴散らし、俺たちが侵入したのとは反対側の壁に至った。
俺は、魔法の石版を確認する。
オーブは間違いなく壁を超えた向こう側にある。
壁を登るしかない。
ごつごつとした岩肌で、掴む場所は多いが、何しろ暗い。
「……私には、この壁は無理ですね」
俺の足元で、ウーがぼやいた。
「そうだな」
「なら、お願いします」
ウーが、俺に向かって両腕を伸ばした。
「抱っこか?」
「そんなはずがないでしょう。幼子ですか。私なら……あそこに入れば、邪魔にはなりません」
ウーは、自分を魔法の石版に収納しろと言っているのだ。
「十分に休んだ。俺は先に行くぞ」
勇者コミュレは、壁に飛びついて登りだす。
時々光っているが、雷の勇者と呼ばれるコミュレである。剣が放電現象を起こしている。わずかの光で、コミュレは手がかりを探している。
「ウー、しがみつけ」
俺は、ウーに背中を向けた。
「えっ? 私……このままなんですか?」
「この暗闇で、壁をのぼるというのは自殺行為だ。明かりが必要だ」
「えっ……と。つまり、ソウジは私が必要なのですね?」
「そうなるな」
「なら、仕方がありませんね。私に任せてください。どんな闇でも、たちどころに払って見せましょうとも」
ウーは嬉しそうに言うと、俺の背中にしがみつき、魔法の杖に光を灯した。
ウーの灯す魔法の光を手がかりに、俺は岩壁を登り始めた。
勇者コミュレが先行している分、進みやすい。
途中で片手が自由になるタイミングを見計らい、俺は生命魔法を数回づつタップした。
しばらくは手足の力が増進された状況で登れる。
しばらくして、俺は生命魔法に頼らないと、自力では登れないくらいには疲れているのを理解した。
まだ頭上には高い壁が続いていた。
「ソウジ、どうしました?」
俺の背中にしがみついていたウーが尋ねる。
「疲れたんだな。魔法なしでは、これ以上は登れない」
「では、任せてください」
ウーが言うと、周囲が闇に包まれた。
手首に、ひんやりとした何かを押し当てられたのがわかる。
「……なんだ?」
「回復魔法です。簡単な切り傷なら完治します。疲労回復にも役に立ちます」
「……全身の回復がとれるのかな?」
ウーの解説から判断するに、筋肉疲労にシップを張るようなものだろう。怪我をしていれば、オキシドールを塗るぐらいの効果はあるかもしれない。
俺の質問に、ウーは派手に首を振る。
「そんな夢みたいな魔法はありません。杖で触っている場所だけです」
「そうか。じゃあ……脚は……」
「ソウジの脚を癒すと、たぶん私は落ちますね」
「うん。そうだろうな。いや、やらなくていいから、そんなに泣きそうな顔をしないでくれ。指先も頼む。手の指だぞ」
「任せてください」
ウーの魔法は役に立つこともあるのだ。ただ、俺の体を回復してくれている間は、光を灯す魔法は使えないために、周囲は真っ暗だ。
何も見えない状態で登り続けることはできない。結局、俺は壁に張り付いたまま、しばらく休息することになった。
※
すでに勇者コミュレの放電が、かなり上の位置で見えた。
随分離されてしまったが、慌ててのぼって力尽きては仕方がない。
勇者コミュレも、俺が登るのを助けてくれるような義理はないはずだ。
俺がのろのろと登り続けていると、突然、手の平に鋭い痛みを覚えた。
「ソウジ、どうしました?」
ウーは光を灯している。俺が岩をつかんでいた手を慌てて引っ込めたので、不審に思ったようだ。
「何かに切られた」
俺が手を持ち上げて見せる。ウーが照らすと、右手が赤く染まっていた。
「岩ですか?」
「……違うみたいだな」
俺がさっきまで掴んでいた岩の上に、窪んだ跡がある。
今は何も見えない。だが、なにかが動いたように見えた。
左手を離せないため、魔法の石版は取り出せない。つまり、俺は魔法が使用できない。
俺が差し出した傷ついた手に、ウーが回復魔法を使用する。
つまり、明かりが消える。
同時に、俺の頭に向かって小石が飛んで来るのを感じた。
完全に、ただの勘だった。
俺は、目を閉ざして、頭を掴んだ岩に叩きつけるようにした。
岩にぶつかる前に止めるつもりだった。
岩にぶつかる前に、何か別のものにぶつかった。
ギャッという声を出し、なにかがのけぞった。
「ウー、光だ」
「あっ……はい」
闇雲に、俺は手を前に伸ばした。
俺の背で、光が灯る。
俺の目の前に、壁に対して垂直に立つ、黒い毛の獣がいた。
俺は、自分の手が獣の皮を掴むのを見ていた。
大きくはない。
見た目の印象は、黒く塗りつぶしたカワウソだ。
俺は獣の胸ぐらを掴み、壁の下に投げ捨てた。
悲鳴をあげて落ちていく。
「ソウジ、見事です」
「いや……あまり褒めてくれるな」
「どうしてです?」
ウーは褒めてくれたが、危機は去っていなかったのだ。
ウーが照らした範囲だけで、複数の同じような獣が、岩から頭を出していたのだ。




