59話 救出の果てに
俺は拳銃を手にしたまま、寝ているオークの間に足を忍ばせた。
オークたちを起こすことなく、女のところに辿り着く。
まだ若い女だ。若いといっても、栄養状態が悪いこの世界では、年老いているように見える。
実際には、俺とそれほど変わらない年齢だろう。
「あんた……これを持っているか?」
オークを起こさないように声を落とし、俺は魔法の石版を持ち上げた。
「……ああ……魔法士様なのね。よかった……助けて。お礼はするから」
女は、縛られた手を俺に差し出した。
足をもぞもぞと動かす。この世界のお礼は、さすがに察しがつく。
「これを持ってはいないんだな?」
「ええ……私は魔法士ではないわ。魔法士様の象徴でしょ」
「象徴……それは知らなかったが、魔法士なら必ず持っているだろうな」
「違うの? どこかで拾ったものなの?」
女は、俺の石版を凝視した。女の言い方に、俺はこの女は俺のような石版を持っていないし、持ったこともないのだと確信した。
「拾うことはないだろうな。落とすこともない」
ドラゴンたちは、俺が持っている魔法の石版を魂の結晶と呼んでいる。ドラゴンたちの呼び方が正しいならば、自分の魂をどこかに忘れてくるという器用な真似をしなければならない。
俺は、拳銃を石版に収納した。音が大きすぎる。
代わりに、石版のアイコンから短剣をタップする。
「どこから出したの?」
「秘密だ」
オークは、あいかわらず寝ていた。女の手足を縛っているのは、植物の蔓だ。
引きちぎるのは難しくても、剣で擦れば切れるだろう。
「この洞窟から逃げられれば、集落には行けるのか? 近くの集落に住んでいるんだろう?」
俺は尋ねながら、女の手を縛っていた蔓を切断した。
「いいえ。私は、集落の出身ではないわ」
「一人で暮らしているのか?」
俺は、女の脚を解放した。
俺がこの世界に来たばかりの頃、ヒナに知り合った。ヒナは山羊飼いをして、一人で暮らしていた。
同じような境遇だろうかと、俺は想像した。
「いいえ。私は勇者を支援するグループ、ドラゴンスレイヤーの一員なの。ここを抜け出したら、一緒に来て。魔法士なら歓迎するわ」
俺が知らない情報だ。俺はこの世界に来て結構経つが、この世界の人間と関わった経験が驚くほど少ない。
人間が少ないのだ。まだ、この世界のことを俺はごく一部しか理解できていないのだろう。
俺は迷った。この女の招待に乗ってもいい。だが、同じような経験を過去にしている。
「……俺は、マーレシア様と契約している。魔法を奪うつもりなら、マーレシア様を敵に回すことになるぞ」
俺はとっさに、俺の能力を奪って配下に与えた貴族のことを思い出した。
「ああ……貴族に能力を奪われたことがあるのね。大丈夫よ。保身だけを考えている地方貴族とは違う。ドラゴンスレイヤーは、仲間を騙したりはしない」
「俺は仲間じゃない。だけど……その話は後にしよう」
「……どうしたの?」
女は、足首をさすっていた。手の戒めも、俺が断ち切っていた。
俺は、女の背後を指差した。
オークのイビキがやんでいた。
オークが体を起こす。
俺は、魔法の石版に指を当てた。
※
オークは頭部がイノシシにも豚にも似た、体格のいい魔物だ。人間から見れば手強い相手だろう。
知能のほどはわからない。俺は、オークとは始めて会ったのだ。
フシューという声を漏らしながら、オークたちが三頭とも目覚めた。仲のいいことだ。
「た、助けて……食べられる」
「早く逃げないからだ。言っても仕方ないが……」
早く逃げなかったのは、俺と話していたからだ。俺がすぐに逃げなかったのは、ここがダンジョンの入り口だったからだ。
シルフとアリスも、見張りのために離れた場所にいる。まだ、ダンジョンに入るわけにはいかない。
俺は、精神魔法に指を当てながら、短剣を構えた。
「……フゴー……」
「フシュー……」
「フゴフゴ……」
言葉はない。いや、本当は言葉を話しているが、俺には聞き取れないのかもしれない。
一頭が首をめぐらし、俺と女を見つけた。
「ブヒー」
一頭が粗末な槍を握り、一頭が粗雑な石斧を手に取り、一頭はまだぼんやりしている。
槍を持ったオークが、俺に槍を向けて突き出した。
俺は、精神魔法をタップし、オークの精神に干渉するようイメージした。
突然、オークはぽかんと口をあけた。
精神魔法が効いた。俺は、一歩踏み出した。
踏み出し、持っていた短剣をオークの顎から突き刺した。
短剣の柄近くまで、オークの肉にうまる。
俺は生命魔法に指の位置をずらし、タップした。
強引に短剣を抜き取る。
大量の血を吹き出し、オークが倒れた。
「ブヒー!」
石斧を振り上げたオークが俺に向かって飛びかかる。
俺は石斧を剣で防ぎ、魔法の石版を持つ手で殴りつけた。
オークが怯む。生命魔法で強化された拳は効くようだ。
たじろいだオークの喉に、短剣を突き刺した。
最後にぼんやりしていたオークは、俺に向かって両手をあげた。
俺は戸惑う。
「信用しないで! 殺して!」
「ソウジ、駄目だ。魔法士は、その魔物を殺しちゃ駄目だ」
俺の背後で、女が叫ぶ。正面に飛び出してきたシルフが、全く逆のことを叫んだ。
「シルフ、どういう意味だ?」
「魔物には二種類いるんた。魔法士を案内するための魔物と、勇者を殺すための魔物だ。勇者を殺すための魔物は、話せないし、見境がない。だから、ソウジが殺しても仕方がない。でも……魔法士を案内するための魔物は、魔法士の味方だ」
「……話せるってことか?」
俺は、最後まで寝ぼけたようなオークに視線を向けた。
よく見ると、先の二頭より体が小さく、イノシシというよりブタ寄りだ。
「……はい。あなた……魔法士ですか? ドラゴンに挑む勇者じゃなくて?」
小柄なオークは、おずおずと尋ねた。
「ソウジは、ダンジョンを攻略したんだ」
シルフが胸を張る。
「そりゃ凄い。魔法士万歳!」
オークが両手をあげる。
「ちょっと……本当なの?」
俺の背後にいた女のことを忘れていた。俺が振り返ると、女は突然走り出した。
「ソウジ、勇者の仲間だ。殺した方がいい」
シルフが突然残酷なことを言って騒ぎだす。
とにかく俺が追うと、前方から悲鳴が上がった。
走って近づくと、女が転んでいた。
「ちょっと、酷いじゃないですか」
文句を言っていたのは、地面に転がったアリスだ。女は、アリスに足を取られて転んだらしい。
「……私を、殺すの?」
女が、引きつった顔で俺を見上げる。
「逃げるということは……この近くに村でもあるのか?」
俺はドラゴンに連れてこられたので、このあたりの地形も地理も知らない。
「何言っているの? この世界に、村なんてないわ。そんなことも知らないの?」
「……知らないな。勇者……ドラゴンたちに敵対しているんだろう? 村も作らず、どうやっているんだ?」
「……言わないわ。殺したければ殺しなさいよ」
言いながらも、震えていた。オークに喰われることを恐れていた人間にしては、開き直りが良すぎる。
「……殺さないよ。好きにしろ」
「……吠え面かかせてやるわよ」
言いながら、女は逃げていった。
「ソウジ、どうして逃したんだ?」
洞窟の中から、シルフが出てきた。
「そうですよ。勇者は魔物の敵なんですから」
「いや……問題はないだろう」
「どうして」
アリスの支援を受けたシルフが唇を尖らせる。
「俺はこれから、ダンジョンに入るんだ。いつ出て来られるかもわからないし……勇者はきっと魔法の石版を使いこなす凄い奴なんだろうけど……ダンジョンには入ってこない。勇者は、ダンジョンに入ってオーブを壊すのがいやだから、ドラゴンに逆らうんだろう? それなら……オーブを壊さないと脱出できないダンジョンまで追ってくるはずがないさ」
「まあ……そうかもな。でも、この辺りに美味しい果物が生る木があっても、ゆっくり食べていられないぞ」
「そうですよ。美味しい草があるかもしれないのに、食べられないなんて酷いです」
アリスも主張するが、アリスが草の味を食べ分けているとは思えない。
「ダンジョンの中には、もっと美味しい芋虫と草があるかもしれないぞ」
「ならいいんだ」
「そうですね」
シルフとアリスは、どうやら腹を空かせていたらしい。




