48話 代償
首を立てるとドラゴンの頭部ははるかな高みだ。その高みから、ドラゴンが俺に言った。
「魔法士であれば、『魂の結晶』を持っているはずだ」
「魂の……結晶?」
何のことだと口に出しながら、俺は心当たりがあった。
携帯型の石版を取り出す。手にしていない時、懐に入れているつもりだったが、本当に入っているのかという疑惑はあった。懐に異物がある感覚が全くしないのだ。
魔法を使用するときに使用してきた。また、貴族との契約でも使用した。
「それだ」
ドラゴンの声が急速に大きくなる。頭部が近づいてきたのだ。
俺の目の前にドラゴンの頭部が迫る。
明らかに、俺を一飲みできる大きさだ。もっとも近づいたのは眼球だった。
まるで太陽を見ているような禍々しく変化する瞳に、俺はたじろいだ。
「『魂の結晶』を掲げよ」
「……ひっ」
思わず悲鳴を漏らしてしまった。
手を震わせながら差し出す。俺が魔法の石版とも端末とも読んでいた装置は、俺の魂を結晶化したものだと、ドラゴンの言葉から推測できる。しかし、そんな技術があるとは思えない。
「ほう。すでに貴族と契約し……奪われたか」
ドラゴンは、声を落としていた。低く、小さく、まるで囁くような声だ。ドラゴンが咆哮すれば、大地すら震わせてしまうため抑えているのだろうか。
「あ、ああ。その代り……これから手に入れる力は俺のものだと約束した」
「とんだお人好しだ。この程度の力で、どうやって先の力を得る? なにより、どうやって金貨500枚を稼ぐ?」
「うっ……それは……なにか方法が……あるんじゃないか?」
「ある」
俺は何の確信もなく、ただドラゴンに責められるのが嫌だったために口にしたが、ドラゴンはなんとなく嬉しそうだと感じる声音で断言した。
一言声を発してから、ドラゴンは体勢を戻した。頭部を下げておくのは辛いのだろうか。ドラゴンは、再び高みから俺を見下ろした。
俺は値踏みされているかのように感じた。
「俺は、どうすればいい?」
「魔法士にしては珍しい……いや、貴重というべきか。実にお人好しだな。いいだろう。お前が目指すべきはダンジョンだ。そこでは、力も金貨も手に入る」
「……本当か? ダンジョン?」
「そうだ。ダンジョンに挑むなら、『魂の結晶』を掲げよ」
「わかった」
俺は再び魔法の石版を差し出した。
ドラゴンが片手を伸ばす。その先端は、鋭い鉤爪になっている。
鉤爪の先端で、その巨大で凶暴な部位でよくぞと思えるほど、丁寧に、石版に触れた。
ドラゴンが笑う。雷鳴のようだった。
「魔法士よ、ダンジョンを目指せ。それこそが、貴様のやるべきことだ」
「……そうなのか?」
俺は半信半疑で、魔法の石版を覗き見た。
貴族との契約を示す紋章に、精神魔法、生命魔法のアイコンのほかに、見知らぬ記号が浮かんでいた。次のページがあることを示す記号に見える。
いままで、画面は1ページしかなかったのだ。
指を横に滑らせる。いわゆるスワイプだ。すると、新しい画面に洞窟をイメージさせるアイコンが一つだけあった。
俺がアイコンをタップすると、魔法のアイコンとは違いアプリケーションらしく、画面全体に広がった。
俺の位置が中心にある。
近くに、赤い光が灯っていた。
「この近くにも、ダンジョンがあろう」
「ああ……多分、これだな」
「魔法士しか入ることはできぬ。魔法士でも、ドラゴンに認められなければ入れぬ。それがダンジョンだ」
「……ドラゴンに認められる? ドラゴンっていうのは……魔物じゃないのか?」
「魔物ではない」
大気が震えた。ドラゴンの声に怒りがこもった。初めてのことだ。
「ソウジ、やめて。ドラゴンを怒らせないで」
ヒナが、檻に囚われたままで叫んだ。俺は頷く。勝てるはずがない。歯向かうことすら想像できなかった。俺は言葉を続けた。
「じゃあ……ドラゴンっていうのは、なんなんだい?」
「ダンジョンを攻略しろ。そうすれば、いずれわかる」
「その時まで……ヒナは無事でいるのか?」
「約束しよう」
「わかった。ヒナ……ドラゴンの中だが、我慢できるか?」
「うん。大丈夫。だから……ドラゴンを怒らせないで」
ヒナはかたかたと震え、檻の中でへたり込んだ。よほど恐ろしい思いをしたのだろう。
俺を見つけた時、半狂乱で助けてくれと叫んだヒナが、まだドラゴンの腹のなかで耐えられると主張している。
俺は痛々しく思い、我慢できずにヒナの手を取った。
渡せるものはない。ただ、生命魔法をタップした。
ヒナの体が修復されることをイメージするが、感覚で魔法が不発に終わったことを知る。珍しいことだった。
「……大丈夫なんだな」
「うん」
ヒナが理解しているかどうかはわからない。ただ、ヒナの体に、生命魔法を施して癒せる部分はない。
俺を見た瞬間に助けてくれと叫んだのは、あくまでも精神的な疲労だったのだろう。
代わりに、俺は精神魔法をタップした。生き物の精神を操る意外にも、落ち着かせる効果もある。その力で、孤児の集落で乳を出さなくなった山羊を癒したものだ。
ヒナの手に触れながら精神魔法を使用すると、ヒナは顔色を取り戻した。
「待っていてくれ。できるだけ早く戻る。ドラゴンは、ヒナを死なさないと約束した。ドラゴンの約束が信じられなければ、何も信じられない」
「その通りだ。魔法士にしては物分かりがいいな」
頭上から、ゴロゴロとした声が降り注ぐ。
「他の魔法士にも会ったのか?」
「当然だ。魔法士を探すのも、我輩の大いなる使命の一つだ。もっとも、我輩を見つけると、魔法士は決まって戦おうとする。全て殺した。久しぶりだ。これほど、お人好しの魔法士は」
「ウサギにも言われた」
「ウサギ?」
「自分のことを魔物だと言っていた」
「それでどうした?」
「一緒に旅をした。ドラゴンを恐れて別れたが」
「ガハハハハハハッ……」
ドラゴンの笑い声は、まさに雷鳴だ。俺が耳を塞ごうとすると、ヒナが檻の格子の隙間から手を伸ばして止めた。
ほんのわずかでも、ドラゴンの気分を害してはいけないのだ。
「ウサギ型の魔物と旅をしたか……魂の結晶は、お前が思うよりずっと色々な機能が備わっている。魔物を友とするなら、いずれ魔物を使役することもできよう。ソウジといったな。貴様の名は覚えておく。初めてのことだ。魔法士の名を覚えたのは。行け。この人間は死なさん。吾輩が保証する」
「わかった。ヒナ……すぐに会える」
「うん」
檻の中で、ヒナは笑った。強がっているのかもしれない。だが、落ち着いて見える。
力づくでドラゴンから奪うことはできない。その前に俺が死ぬ。
ヒナを取り戻すには、ドラゴンが言った通り、ダンジョンに挑んで金貨500枚を持って帰るしかないだろう。
ドラゴンはゆっくりと移動するらしい。ゆっくりとしか移動できないのではなく、おそらく、俺のような魔法士が見つけやすいように、歩みを遅らせているのだ。
ならば、ダンジョンから戻っても、キリシアンと名乗ったこのドラゴンを見つけるのは、難しくないはずだ。
俺はヒナとドラゴンに背を向けた。
ドラゴンの言う『魂の結晶』を取り出し、タップした。
ダンジョンマップを立ち上げる。
もっとも近いダンジョンならば、走れば十分とかからない。
随分見つけやすい場所にあると思った後、俺の勘違いに気づいた。
見つけやすい場所にあるのではない。
深い森の中にあったが、近くをドラゴンが通ったために見つけやすくなったのだ。
俺は走った。
背後で悲鳴が聞こえる。檻に囚われた人々が、再びドラゴンの腹のなかに収まるのだと思い、せめてヒナが溶かされないように祈りながら、俺は走った。
ダンジョンの位置を示す場所に、大きな木のウロがあった。
人間が通れそうな木のウロだ。
ダンジョンの入り口だろうか。
ただの大木に出来た穴に見えた。
俺は飛び込むのを戸惑い、足を止めた。
その直後、目の前に華奢な姿が降ってきた。
「やあ、ソウジ、迷わずに来れたね」
「人間にしてはなかなかです」
木の陰から、草を噛みながら白い毛玉が現れた。
「……ああ。二人が言っていたコナラの木っていうのは……ここか」
「知らなかったのか?」
「褒めて損しましたね」
「いや……冗談だ。知っていたさ」
俺は嘘をつき、シルフとアリスを抱きしめた。
「誰だよ、『竜兵』なんて言い方したのは。ドラゴンそのものじゃないか」
「そう言っているじゃないですか」
俺は震えていた。あまりにも巨大な相手に立ち向かった震えが、顔見知りにあったことで、現実として襲ってきた。
適当なことを言いながら後ろ足でたしたしと叩くアリスの頭を、俺は気が済むまで撫で続けた。




