123 隠れ里の猿たち
高い丘の上からはわからなかったが、この世界には高い樹木があまりないようだ。
雑草やシダのような植物は見られるが、元の世界の杉や檜のような高木は見たことがない。
一度滅びた世界は、植生すらも変えるほど汚染されたのだろうか。
俺は、チンパンジーの群れに導かれるように、草と岩が作る入り組んだ道を歩いた。
「あれ、盗まれないかしら。盗難防止をつけてないから、誰でも操縦できるわ」
途中で、俺の前を行くファルキが振り向いた。
俺は、魔法の石板に視線を落とした。
そこには、アイコンとなったバイクがある。
ファルキは乗り捨ててきたつもりだろうが、俺は回収していた。
「必要になるのかい?」
「わからないわ」
「なら、心配しても仕方がない」
俺は、魔法の石板を手の中に消した。
俺が、自由に魔法の石板を出し入れできることは、大勢に見られている。
魔王は画面を見ることができたし、魔法の石板を使って俺が魔法を使用していることも理解している。
だからといって、誰にでも理解できるというものではないだろう。
この世界の人間にあたるチンパンジーのファルキには、黙っておくことにした。
「……そうね」
ファルキは唇を捲り上げ、歯茎を見せながら言った。
チンパンジーとしての何らかの感情表現には違いないが、俺には理解できなかった。
しばらくして、現在の位置が俺にはわからなくなったころ、チンパンジーの集団は立派なゴリラの置物を曲がった。
「……この像は?」
「この世界には、生まれながらの格差があるわ。ゴリラ族は、紛れもない支配階級よ。どの集落にも、ゴリラの像を置くことが義務付けられているの」
「これが踏んでいるのも、そうか?」
「ええ」
ゴリラの像は、跪く人間を踏みつけているように見えた。
悪趣味だ。とはいえ、この世界をかつて滅ぼしたホモサピエンスといえば、悪魔そのものだ。
世界の支配階級が、悪魔を足げにしている像を、悪く言うことはできない。
俺は、内心で落ち込みながら、ファルキの後に続いた。
そこには、村があった。
石を積み上げ、植物を重ね合わせた家が立ち並ぶ。
確かに、俺の元々の世界の人間では、耐えられない環境かもしれない。
猿のようなたくしい生命力と力があって、初めて生活ができる世界なのだろう。
特に出迎えもない。
家の隙間からチンパンジーが垣間見えるが、何も言ってはこなかった。
チンパンジーが何かを齧っていた。
緑色をした、どうやら腕であるようだ。
「ファルキ、あの子は何を食べているんだろう?」
「ああ。ゴブリンの腕ね」
ファルキが言ったことが、俺の理解を阻んだ。
俺が目を疑って、道端でフランスパンを齧るように緑色の腕を食らっているサルを見つめると、先導していたチンパンジーの一人が言った。
「誰かが世界を汚染した。この世界では、満足に植物も育たず、動物もいない。俺たちの主食は、狩った魔物だ」
「……そうか。この世界が滅びた後、魔物が生じたと魔王は言っていた。この世界を浄化するためだと言っていたが、新しい生物の餌となる目的もあったのか」
「ソウジ、わからないわ。ただ、他に食べられるものがないからよ」
ファルキの呟きは、この世界の状況を表している。
俺は黙って、質素な村の中を歩いた。
出迎えもなく、静かな村だった。
だが、村がある。
俺がいた、ドラゴンの支配する世界より、文明が発達しているかもしれない。
俺が不遜なことを考えていると、チンパンジーたちは村の集会場と思われる、建物に入っていった。
逃げられない俺は、黙って付き従った。
拘束こそされていなかったが、監禁されているようなものだ。一対一で戦って俺を制圧できない人間は、この世界にはいないのだ。
※
建物は、集会場として使用される場所なのだろう。
ひとつの大きな空間があった。
建物の外にも、大きなゴリラの置物があった。
「さて……お前は古代の人間、ホモサピエンスで間違いないな?」
ファルキの父らしい、険しい顔をしたチンパンジーが、一番大きな椅子に腰掛けて口を開いた。
名をミゲルと言うのだと、ファルキに教えられていた。
「俺は古代の人間のつもりはないが、ホモサピエンスであることは否定しない」
俺が言うと、一緒についてきたチンパンジーたちがざわついた。
ファルキの父ミゲルが、床を足で踏みつけて全員を黙らせた。
ちなみに、床といっても土が剥き出しなので、地面と変わらない。
ミゲルは靴をはいておらず、チンパンジーたち全員が、裸足である。
俺なら、数分で歩けなくなる凹凸の激しい道を、ファルキも含めてこの世界の人間たちは平然と裸足で歩くのだ。
足元は裸足だが、体は隠したいらしく、魔物の皮をつなぎ合わせたらしい服で体を覆っていた。
足の皮が厚いのもあるだろうが、足の指の長さもあるだろう。
手と同じように、足で物を掴んでいる人間たちがいる。
ざわつくチンパンジーの群れを、足を踏み鳴らしてミゲルが黙らせた。
「かつて、ホモサピエンスは我らの祖先を檻に入れ、見せ物としていた」
ミゲルの言葉に、チンパンジーたちが怒りの声を発する。
俺は黙っていた。下手に口を聞いて、暴動を起こされては収拾がつかなくなると感じてのことだ。
ミゲルは続けた。
「ホモサピエンスは世界を滅ぼし、自らも死に絶えた」
チンパンジーたちが喝采する。
「世界は我々、新しい人類のものだ」
ミゲルが大きく両腕を広げた。
チンパンジーたちが拍手する。
「だが、我々の部族は、その恩恵を受けていない。ホモサピエンスに隷属していた頃と変わらない」
チンパンジーたちが俯いた。受け入れ難いが、事実なのだろう。
「世界はゴリラ族のものとなった。争うことができるのは、魔王とその一派だけだ。魔王は、我々にとって敵か? あるいは、味方か?」
チンパンジーたちが困惑している。ミゲルはさらに続けた。
「魔王を殺そうとしている勇者は、ゴリラ族の勇者にすぎない。我々の勇者ではない。今、魔王を倒してしまえば、我々は永遠にゴリラ族の奴隷となる。まずは勇者を倒す。魔王は怖くない。ゴリラ族の勇者などいなくとも、魔王には負けない」
ミゲルが拳を振り上げると、チンパンジーたちが立ち上がった。
ミゲルが俺を指差した。
「滅びし人間、ホモサピエンスよ。魔王はお前に、勇者の討伐を託したと聞いた。それは本当か?」
「本当だ」
「嘘だ。こんな弱そうな奴を、魔王が信じるはずがない!」
背中が丸まったチンパンジーから見て、真っ直ぐに立った俺は、弱そうに見えるのだろうか。
「待って! ソウジは私を連れ去った、ゴリラ族のチャンプを倒したわ。魔王も認めている。世界を滅ぼしたホモサピエンスなら、勇者を倒せるかもしれないわ!」
ファルキが声を上げた。
俺に向けられた怒りが行き場を失う。
ファルキの言葉は、俺にもむしろ中傷に聞こえたが、悪意があるわけではないのだろう。
俺は、チンパンジーたちを見回した。全員の視線が俺に向かっている。
俺は咳払いした。
「勇者は倒す。手段は選ばない」
「勇者を倒して、再び世界を滅ぼすのか? それでは、意味がない」
誰が言ったのかはわからない。だが、全員の気持ちは同じなようだ。
「勇者が持つあるものが、俺にとって必要だ。世界を滅ぼせるような力は、俺は持っていない。ホモサピエンスは、一人では何もできない。心配なら、あんたたちも一緒に来い。俺がやっていることで世界が滅びると思ったなら、俺を殺せばいい」
チンパンジーたちが困惑していた。
ミゲルが声を張り上げる。
「勇者の討伐は、我らが悲願! それを、悪魔だけの手柄にさせていいのか!」
「駄目だ!」
チンパンジーたちは賢いのかもしれないが、単純なようだ。
ミゲルの誘導に、全員が声をそろえた。
「共に行こう。勇者の息の根は、我らが止める」
「おおっ!」
「出発は?」
ミゲルが突然、俺に首を向けた。驚いたが、俺は即座に返した。
「明日だ!」
「明日だ! 今日は宴だ!」
「宴だ!」
チンパンジーたちが立ち上がった。
どうやら、俺は頼もしい味方を得ることができたようだと、胸をなで下ろしながら、自分の尻を下ろした。




