117 猿の異世界 ☆
俺は魔王に首輪をつけられて、ペットのように引き回された。
ダンジョンに入って直後に出た神殿のような建物は、魔王が無数に持つ拠点の一つだったようだ。
魔王は魔法陣で魔王自身と俺を包み、一瞬で違う場所に移動した。
左手にした指輪を中心に魔法陣が出現したように見える。
場所を移動する魔法の指輪なのだろう。
「すごい指輪ですね」
「ああ。手に入れるのは苦労した」
俺が尋ねると、魔王はにやりと笑って答えた。
性別として女性である魔王は、額から突き出た鋭い角や唇から覗いた牙を除けば、可愛らしいともいえる見た目をしている。
がっしりした鎧を着ているが、覆われているのは肩と腰回りだけで腹や長い足は剥き出しのため、煽情的とも言える姿だ。
だが、俺は惑わされない。俺には、ヒナがいるのだ。
「どこかで買うんですか?」
「作らせたのだ」
魔王の言葉に、俺は内心で喚起した。
魔法の道具を作る。
それが可能な世界であれば、魔法の力で時間を遡ることもできるかもしれない。
「他にもあるんですか?」
「ああ。沢山ある。だが、お前はまずはここだ」
俺に首輪をはめた魔王は、俺の知らない建物の、薄暗く長い通路を渡り、ある部屋に入った。
白衣を着た背中が見える。
「余だ」
「これは陛下、今日はどのような御用でしょうか?」
白衣を着た背中が振り向く。
魔物かと思った。
真っ黒い顔に、毛むくじゃらの体をしている。白衣を着ていることを除けば、二本足で立つゴリラだ。
背中をまっすぐに伸ばしているため、見上げるほど大きく、肩幅は俺の4倍はあるだろう。
「面白いものを手に入れた」
魔王は言うと、俺の首輪に繋がったロープを掴み上げた。
俺は、首輪で体を吊られながら、よたよたと前に出る。
「これは……ど、どこに居たのですか? せ、世界を滅ぼした悪魔ではないですか」
ゴリラが真っ黒い目を見開いて、俺を睨みつけた。
単に顔つきが怖いから、睨まれているような気がしたのだろうか。とてもそうとは思えなかった。
ゴリラは俺を見て、『世界を滅ぼした悪魔』だと呼んだのだ。
「違う。俺は、そんなことはしていない」
「しゃ、喋った! 間違いない。悪魔の一族です。す、すぐに処分を!」
「待て。スワレル、貴様が危険視するのはわかる。だが、これは余のものだ。余の神殿に突如現れたのだ。勝手に処分するのは許さぬ。貴様に研究させようと思ったが、すぐに処分するというのであれば、余が預かる」
スワレルと呼ばれた直立したゴリラは、フンと鼻を鳴らした。
「研究するのであれば、解剖をしてもよろしいのですか?」
「元に戻せると約束できるのであればな」
「約束はいたしかねます」
「ならば、預けられぬ。おい、貴様にはこいつはどう見える?」
魔王は、ロープをぐいと引っ張ってスワレルを指差した。俺に尋ねたのだろう。
俺は即座に答えた。
「真っ直ぐに立ったマウンテンゴリラです」
「ゴリラとは?」
「猿の一種です」
「貴様!」
俺の答えが気に入らなかったのか、スワレルと呼ばれたゴリラが怒声を発した。
俺に手を伸ばそうとし、魔王に弾かれた。
ゴリラの握力で掴まれれば、俺は即死する自信がある。
「余は、こいつらを人間と呼んでいる。かつては、お前のようなホモサピエンスが世界に蔓延った時代もあったそうだ。だが、滅んだ。人間だけでなく、世界を滅ぼして、生物の大部分は生きられなくなった。世界に魔物が現れたのと同時期に、人間もまた新しくなったのだ」
魔王は俺の首輪を掴んで持ち上げた。
首を吊られ、俺は引き摺られた。
「お、俺は……異世界から来ました。この世界のことは知りません」
「無責任な。魔王様、どこの世界から来ようが、ホモサピエンスは同じです。信用できません」
ゴリラが興奮して、胸を叩いた。俺の知る限り、ドラミングである。
「ああ。そうだな」
魔王は言うと、俺を引き摺りながら部屋の奥に向かった。
※
部屋の奥には、窓があった。高い位置ではない。むしろ、足元を見下ろすような位置である。
透明のガラスがはまっていた。
ガラスの存在を、俺は不思議には感じなかった。
この世界は、一度人間が滅ぼしたのだ。
全ての生命が生きられなくなった環境に、新しくこの世界の支配者として魔物が生まれた。
新しい人間も生まれたが、それはかつての人間とは違う姿をしていたらしい。
野生の猿は、知能を発達させた人間より、はるかに強く、頑丈な体をしている。
その猿たちが、肉体はそのままに知恵を持ったのが、現在の世界の人間であるらしい。
一度、世界が滅びるまでに科学を発達させたのだ。
俺が住んでいた大元の地球より、発達の程度は高いかもしれない。
現在は魔法や魔力といったものを利用しているが、あるいは科学技術も残っているかもしれない。
俺は、首輪を掴まれて、床に投げ出された。
「見ろ」
魔王に言われるまま、俺はガラスの窓を除いた。
そこは、地下だった。
ただの地下ではない。
中央に太い柱があり、無数の突起がある。
柱の根元は暗くて見えず、柱の上の部分は窓からは見られなかった。
柱の周囲に足場が組まれており、突起を掴んで足場で踏ん張っている、数えきれないほどの猿がいた。
いずれも、遠目にはゴリラに見える。
猿の中でも、知能が高く何より力が強い。
「あれは……」
「かつて、この世界を支配したホモサピエンスが、枯渇したエネルギーの代替として発明したものだ。あの柱を回し続けることにより、空中にエネルギーが発生し、拡散する。そのエネルギーを、我々は魔力と呼ぶ」
「……では、かつて世界を滅ぼしたのは、魔力ですか?」
「違うな。この世界を滅ぼしたのは、魔力の活用方法を間違えたからだ。魔力を利用するために、ホモサピエンスは機械装置を作り、利用した。その結果、枯渇することのないエルネギーを背景にした大規模な戦争が幾度も起こり、世界は滅びた。これも全て、ホモサピエンスが残した記録からの知識だがな。我々は、魔力と呼ばれるエネルギーを体内に蓄え、制御することで利用している。魔道具の精製も、魔道具製作職人の道具と腕で作られる。決して、血の通わない機械による大量生産は行わない」
「働いているのは、この世界の人間に見えますが」
「ああ。かつての文献により確認したが、当時のホモサピエンスよりはるかに力が強い。大量の魔力が日々生み出されている」
「この世界の支配者は魔王様で、人間は魔王様に協力しているということですか?」
俺の純粋な問いに、魔王はやや皮肉げに笑った。
「お前がゴリラと呼んだ、研究者の反応を見ただろう。現在の人間は、ホモサピエンスを憎み、恨んでいる。魔力を発生させる装置を再起動するのにも、根強い反対があった。現在の状況は、余が大規模な殺戮を行った成果だ。人間たちの多くは、魔力を体に取り込むことができない。下にいる連中は、人間の街から強制的に連れてこられた奴隷で、さっきの研究者スワレルは、人間の中の裏切り者だ。人間の中にも、ごく稀に魔力を体に取り込める者がいる。そういう奴らは、むしろ余の考えに同調するのだ」
「魔王様が、俺に教えてくれる理由はなんでしょうか?」
魔王が俺に親切にするメリットがない。俺は、取引の材料を探しながら尋ねた。
「ここに連れてきたのは、珍しいホモサピエンスの生き残りを研究するためだったが、スワレルがあの態度では任せられん。貴重な生きたサンプルなのだ。お前にこれを見せたのは、自分達が世界を滅ぼした原因をホモサピエンスに見せて、反応を見たかったのだ。意外と冷静なのだな」
「俺は、この世界のホモサピエンスではありません。別の世界から、送り込まれてきました」
俺の言葉を聞き、魔王が俺を踏みつけた。
「誰に、何をしろと言われた?」
「こ、この世界にあるオーブを壊しにきました。もし、魔王様が持っていないのなら……おそらく、魔王様の敵が持っています」
これまでの傾向から、オーブを持つ者は、その世界で強い力を持つはずだ。
俺を踏みつけていた魔王の足が退いた。
俺は体を起こし、魔法の石板を取り出した。
マップ画面を出す。オーブの位置は、かなり遠い。
「現在、人間の中で世を敵視する一派がいる。その中心人物が勇者と呼ばれているが、丸い玉のことは知らんな」
「持っているはずです。その玉を壊せば、勇者は力を失います。俺は、その玉を壊しにきたんです」
「……ふむ。流石に、簡単には信じられん。だが、ホモサピエンスのような弱い個体が、ただ1人で生き続けていたことの方があり得ないことだ。異世界から来たというのも、あながち嘘ではあるまい」
魔王は、俺の首輪を掴んだ。
再び、一瞬で景色が変わる。
魔王が魔法で転移したのだと、俺は悟った。
俺の目の前に、ゾウを思わせる巨漢の背中が見えた。




