114 伝説の魔法士と仲間たち ☆
壁の穴をくぐって奥に進むと、平らな床の上で様々な形の魔物が平伏していた。
俺はアリスを抱き、シルフを足にまとわりつかせ、ウーに先導させていた。
「ソウジ、これは何をしているのですか?」
ピンクのオークが、掲げた杖の灯りを消して振り向いた。
壁の奥は、何が光っているのかわからないが、十分に明るかった。
「ウーが知らないなら、俺にもわからない。アリスとシルフは?」
首を振るのが、腕と脚の感触でわかった。
平伏する魔物たちの行動を理解できず、声をかけてはいけないような気がして、壁に張り付くように横移動した。
「遅いな」
「外の出店で、時間を潰しているのかもしれない」
「外の出店は、ただの飾りだぞ。暇な奴が順番で店番の真似事をしているだけなのに」
魔物たちが囁き出した。
俺は、魔物の話が聞こえてしまった。
それほど緊迫しているわけではないのだろう。
俺は、近くにいた犬顔の小男に声をかけた。ファンタジー世界なら、コボルトと呼ぶところだ。
だが、俺はこの世界の魔物は、全てドラゴンによって作られていることを知っている。
種族の区分けは意味をなさないだろう。
「何を待っているんだ?」
「あんた、聞いていないのかい? 伝説の魔法士様が、この温泉宿にいらっしゃったらしいんだよ。だから、こうして全員でお迎えしようとしているのさ」
「……伝説の魔法士?」
俺が繰り返すと、コボルトのような外見をした男は、口の端から垂らした舌を口腔に締まった。
顔つきは柴犬に近い。舌をしまったのは、真面目な顔つきになったといったところだろうか。
「まさか、知らないはずがないだろう? 全ての魔物は、生まれてすぐに聞かされるはずだ。千年前、ドラゴンたちが破壊したがっているダンジョンを、歴史上唯一破壊した魔法士がいたってことだ」
「ああ……聞いたな。外で、恐竜の小さいのが、ウサギの耳をつけて大声で話していた」
「あの兄弟、まだ外にいたのか。岩男が騒ぎながら駆け込んだが、聞き逃したのかな」
岩男とは、洞窟の入り口で、饅頭と言いつつ茶色いスライムの詰め合わせをシルフに売りつけた魔物だろう。
外見から俺は岩男と呼んでいたが、仲間からも岩男と呼ばれているらしい。
「ソウジ、それって……」
「どうして気づかれないんでしょうか?」
アリスの問いに、ウーが首を捻る。俺はあえて犬顔の魔物に尋ねた。
「そうか。それで、みんなで歓迎しようってわけなんだな」
「そうだ。わかったら、あんたもそこに並べ」
「どんな外見なんだ?」
柴犬によく似た顔で、鼻柱に皺がよった。おそらく、俺のあまりの無知に怒っているのだ。
犬顔の男は、苛立ちながらも集団の背後にある像を指差した。
「あれだ。この温泉宿に来たってことは、二つ目のダンジョンを攻略したんだ。ますます、伝説になる」
俺たちは、全員で指さされた先の像を見つめた。
像で描かれたのは3人の像だ。
中央に、宇宙服のような物を着た巨大な人形があり、耳の尖った美女が寄り添っている。
2人を守るように、巨大な魔獣が威嚇している。
その魔獣は耳が長く、尻尾が丸かった。
どうやら、俺たちの像らしい。
だが、想像で作ったのだろう。
俺はこの時代の人間たちのように防護服を着させられているし、エルフのシルフはすらりとした背の高い美女だし、アリスは恐ろしい魔獣だし、ウーはいない。
二つ目のダンジョンの直前に仲間になったウーは、知られていないのだ。
「ソウジ、このまま行こう」
俺の足にしがみついていたシルフが、ズボンの裾を引っ張った。
「……そうだな」
魔物たちの幻想を壊したくはない。
俺は同意し、コボルトと思われる魔物に礼を言って、こっそりと移動した。
俺が平伏していないことを咎められても困るので、途中から同化魔法を使用した。
巨大な像の隣に空いた入り口から、湯気が立ち上っているのが見えたのだ。
俺は仲間達と共に像の脇を通り、湯気が立ち上る入り口をくぐった。
脱衣所などはなく、暖かそうなお湯が溜まった広い空間があった。
「ここ、なんですか?」
アリスが、俺の腕の中で頭を持ち上げた。
「温泉だ」
「温泉って、食べものじゃないんだな」
シルフがぼやいた。
「……私の像だけなかったです」
「とにかく、服を脱いで入ってみよう。気持ちいいぞ」
「私、脱げないです」
俺が地面に下ろすと、アリスが自分の毛皮を引っ張った。
「アリスはそのままでいい」
俺は言いながら、服を脱いだ。
思えば、暖かいお湯に全身を浸らせたことは、異世界に来てからなかった。
俺は我慢できずに服を脱ぎ、湯気を上げるお湯の中に足をつけた。
※
肩までお湯に浸かる俺の隣で、アリスがほっこりと毛皮のまま首まで沈んでいる。
シルフが抜き手を切って泳ぎ、ウーが水死体のように浮かんでいた。
水飛沫をたてるシルフと、浮き沈みするウーの腹が対照的だ。
思えば混浴だ。
魔物だらけの温泉で、男女の区別には意味がないだろう。
だが、混浴だ。
俺は、どう考えても意識することができなかった。
俺が指摘しなければ、アリスもシルフのその事実に気づかないだろうし、そもそも混浴が何かまで知らないはずだ。
ウーの性別は、実はわからない。本人もわかっていないようだ。
俺は、あえて追求しなかった。
壁の一部から、熱いお湯がとめどなく注がれており、溢れたお湯が排水口のような穴に流れ落ちている。
腹を出して浮かんでいたウーが、ゆっくりと排水口に流れていく。
シルフが回り込み、手で作ったお湯鉄砲でウーの上向いた鼻の穴にお湯を当てる。
慌ててウーがもがき、シルフを追いかけた。
アリスは相変わらずほっこりとしている。
俺は、この世界に来て以来の平穏な空間を満喫していた。
だいぶのぼせて来た。
俺が立ち上がる。
背後から物音が聞こえた。
「お前たち、魔法士様をお迎えもせず、何をしている。不敬であるぞ」
先頭に立っていた長く白い髭を生やしたカッパが怒鳴った。
カッパに似ているというだけで、カッパではないだろう。
頭部に皿があり、背中に甲羅があるが、似ているだけだ。
「俺が魔法士だ」
俺は全裸だが、魔物たちのほとんどは服など着ていない。ただ、体の前にぶら下がったものが、どうにも無防備に感じるのは仕方がない。
「何を言う。魔法士様は人間だ。お前は魔物ではないか」
「いや……人間というのを、あんたたちは見たことがないんじゃないか?」
「そうだ。人間ってこうだぞ」
シルフがお湯からアリスを引っ張り出しながら俺を指差した。
アリスがおとなしかったのは、どうやらすっかり茹で上がっていたらしい。
シルフの差した指の先が、どうも俺の股間に向かっているような気がするのは、深い意味はないだろう。
「岩男が知らせに来たんだろう。岩男はどうした?」
「俺だ」
岩を繋ぎ合わせたような外見の魔物が手を上げた。
「俺が魔法士だ。間違いないだろう?」
「あー……そうか? 実はよく覚えていないんだ。あんたがそう言ったかもしれないが、魔法士ってのは……外の像みたいなのだろう?」
岩男は、どうやら鈍いらしい。
俺は舌打ちを堪え、髭面のカッパに言った。
「魔法士の出迎えに行かなかったのは悪かったよ。でも、このお湯は誰のものでもないだろう? ドラゴンに、温泉に入れって言われたんだ」
「……本当か?」
カッパが尋ねた。
「ああ」
「ふむ。なら、まあいいだろう。結局、魔法士様が来たっていうのは、岩男の勘違いだったようだしな」
カッパは言うと、背後の魔物たちとお湯に入り始めた。
「ソウジ、いいんですか? 誤解されたままで」
お湯から上がって体を拭きながら、のぼせたアリスに杖を向けたウーが尋ねた。
「いいさ。こんなところで祭り上げられても、面倒なだけだ」
「ここにいる魔物が、全部ソウジの配下になるかもしれないぞ」
シルフは現実的だ。俺は、その白い頭部を撫でて応える。
「多すぎて、覚えきれない。当面、これだけ優秀な仲間がいれば十分だよ」
「まあ、それはそうかもしれないな」
シルフがやや顔を赤らめながら言った。
アリスも頭部を持ち上げる。
俺が服を身につけたとき、外から悲鳴が聞こえた。
「外に誰かいるのか?」
「温泉街で働く魔物たちが大勢いる」
お湯の中から、カッパが答える。
「ソウジ、どうします?」
簡素ないつもの服を纏ったウーが尋ねた。
「俺たちに関係がないと思うが……」
「大勢の悲鳴が聞こえますが、変ですね。暴れているのは1人です。その1人は、どうやら心臓が動いていませんね」
体も冷えたのか、横になっていたアリスが頭を上げ、長い耳をぱたぱたと動かしながら言った。
「どうやら、無関係ではなさそうだな」
俺が言った時、温泉の入り口から飛び込んできたのは、まだ幼女の姿の吸血鬼王ベティアだった。




