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異世界には村もなかった  作者: 西玉
第3章 1000年後

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112 異世界の湯治場 ☆

 この世界での温泉の存在を、アリスも、シルフも、ウーですら知らなかった。

 3人とも、同じ世界ではあっても千年前の存在だ。

 この世界で今の時代で生み出された魔物は、ハンヘドだけだ。


 俺たちは、全員がハンヘドの背に乗って移動した。

 その速さは凄まじく、それ以上に揺れた。

 しがみつくのに必死になっていた俺は、請われてアリスとシルフを魔法の石板に収納した。


 ウーは平気そうだった。

 魔法の杖をハンヘドの背中に押し付けている。以前にも接着魔法呼ぶものを使っていた。杖で張り付いているのだろう。


「ここだ」


 数時間移動を続けたが、ハンヘドは疲れた様子もなく足を止めて、背中に乗っている俺を振り向いた。

 ずっと森の中だった。


 途中から、木々が少なくなっていたのに気づかなかった。

 ハンヘドが足を止めた場所から先は、草も生えない岩と砂の地面だった。

 さらに前には地面が上り坂になっており、その先に白い湯気が立ち上っている。


「あれが温泉か?」

「そうだ。温まるぞ」


 ハンヘドが巨大な口を開けて優しく言った。

 俺は、ウーを抱えてハンヘドの背中から降りる。


「臭いです。お腹が減りました」


 ウーが言った。

 ウーは鼻が上向いており、要は豚づらだ。

 鼻の穴も大きいため、塞ぐのは簡単ではない。


「臭いのに、腹が減ったのか?」

「臭くても、美味しいものはたくさんありますから」


 豚の顔を器用に歪めながら、ウーは涎を拭いた。

 やはりオークという種族がら、食い意地はすごいのだ。


「何の匂いだ? 硫黄みたいだな」

「硫黄がなんだかわからないが、温泉の近くには、腐った卵がたくさんあるのだ」


 ハンヘドが頷きながら言った。

 確かに、腐った卵のような匂いがする。

 それは、硫黄の匂いとして喩えられる匂いだ。


「だから、硫黄だろう?」

「硫黄が何か知らない。卵が腐っているのだ」

「腐った卵が、実際に転がっているのか?」

「見たことはないが、匂いがする以上、あるはずだ」


 ハンヘドは譲らない。俺は、議論することは無駄だとわかっていたが、本格的に言い合うのはやめた。


「毒じゃないよな?」

「大丈夫だろう」


 ハンヘドにとっては大丈夫かもしれないが、俺はもっと弱い生物だ。

 俺は、試しにアリスとシルフを呼び出した。


「……ああ」


 アリスは、草の生えていない地面に絶望するかのような声を出した。


「臭いな。誰が死んでいるんだ?」


 シルフは鼻を摘む。


「誰も死んではいない。卵が腐ったのだ」

「なんだそうか」


 ハンヘドの説明に、シルフは摘んでいた鼻から手をはずした。


「もし、空気に有害な成分が含まれていたら、シルフはわかるか?」

「そのためにあたしを呼び出したのか?」

「ああ」

「わかった。先に行く」


 言うと、シルフは斜めに傾斜した地面を登り出した。

 立ち上る白い煙に向かう。


「ちょっと待て。どうした? 何が『わかった』んだ?」


 追いかける俺に、シルフは言った。


「空気が毒なら、あたしが死ぬだろう。あたしが死んだら逃げろ。そのためにあたしを呼んだんだろう」

「そんなことをさせるために呼んだんじゃない」


 俺はシルフに追いつき、シルフを抱え上げた。


「ハンヘド、案内してくれ」

「はいよ」


 巨大な体躯が宙を舞う。

 俺たちを飛び越して、前の地面に降りた。


「上まで登るほど、お湯は熱くなる。頂上にはドラゴン様たちが湯浴みにくるほどだ。ぬるい方がよければ、あちこちに洞窟があるだろう。どの洞窟でもお湯が溜まっている。好きな湯に入るといい」

「……へぇ」


 俺は、坂道になっている岩と砂の地面を見た。

 言われなければ気づかなかったが、洞窟のような入り口があちこちにある。


「ハンヘドは、どのぐらいのお湯に入るんだ?」

「我は、沸騰するお湯ぐらいだな。七合目にある」

「百度じゃないか。死ぬぞ」

「ゆっくり浸かるには、それぐらいの方がよいのだ」


 ハンヘドはぬるめの温度を求めて、百度のお湯に入るらしい。

 温泉としての不純物が混ざっていれば、沸点はさらに高いはずだ。


「もっと熱いお湯なんてあるはずがない」

「ドラゴン様たちは、マグマの湯に浸かるぞ」

「……うん。わかった。俺には無理だ」


 上り坂になっているのは、これが火山だからなのだろうと俺は思った。

 頂上では、活火山が噴火活動をしており、マグマが貯まっているのだろう。

 それを求めて、ドラゴンが浸かりにくるのだ。


「いくらドラゴンでも、本物のマグマに入るわけがない。それだけ、煮立って熱いお湯だってことだな」

「そうなんですか?」


 俺の言葉を受けて、ウーは並んで歩くハンヘドに尋ねた。

 ウーはドラゴンをとても尊敬しているが、尊敬しすぎて直接会うことも避けている。

 ドラゴンのことはよく知らないのだろう。


「見ればわかるだろう」


 ハンヘドは、体の割には小さな前足で前方、斜め上を指した。

 俺は、視線を向けて後悔した。

 俺たちが歩いている山の頂には、間違いなくマグマが吹き出し、山頂から溢れ出している。

 しかも、マグマが溜まっているだろう山頂で、揺れ動く長い首を発見した。


「……竜兵か?」

「ドラゴンソルジャーはあんなに小さくない。ドラゴンナイトだな」


 ハンヘドが答える。俺は、足を止めた。

 山頂でおそらくマグマに浸かってくつろいでいるドラゴンが、真っ直ぐに俺を見たような気がしたのだ。

 気のせいではなかった。


 周囲にマグマを撒き散らし、巨大な翼が空を隠す。

 熱風が渦巻き、ドラゴンが舞い上がる。

 俺の目の前で、地響きが上がった。

 俺は背後に逃げた。

 ドラゴンの体から、マグマの水滴が散らばったのだ。


「ソウジか。やはり、ダンジョンを攻略したのはお前だったな」


 ドラゴンが言った。

 俺の名前を知っている。

 俺は、足を止めて振り返った。


 全身が赤い岩に包まれた、ドラゴンの石像が身震いした。

 マグマは、冷えると石になる。

 マグマの湯に浸かっていたドラゴンが空を飛んだために冷やされ、石を纏っていた。


「キリシアンかい?」

「うむ。この美しい鱗に見覚えがあるのだろう」


 ドラゴンナイトであるキリシアンは、俺が名前を覚えていたことに満足したようだ。

 自慢らしい鱗を見せたが、マグマが冷えて硬化した岩で見えなかった。


「そうだな。綺麗な鱗だ」


 俺は嘘をついた。ドラゴンソルジャーの頃より小さくなったとはいえ、象の3倍以上ある巨体の相手に、正直ではいられなかった。


「次のダンジョンに行く前に、休暇か?」

「ああ。俺の仲間は、魂の結晶に収納している間は、時間が止まるだろう。次のダンジョンですぐに動けるように、体調を万全にしてやりたい」


「やはり、ソウジは変わった魔法士だな。そんな考え方をする魔法士は、他に見たことがない。魔物とは、使い潰すものだ」

「そういうことを言うから、こいつらが怖がるんだ」

「怖がる?」


 俺の言葉に、キリシアンが長い首を捻って首を傾げた。


「そ、ソウジ、何を言うんです。私は、怖がってなんていません」

「そ、そうだ。ただちょっと、恐れ多いだけだ」

「あっ、漏れました」

「アリスはいつもだろう」

「し、失礼ですよ」


 ウーとシルフとアリスは、俺の足にしがみついて体を隠して震えていた。

 顔だけで俺の身長ほどもあるキリシアンを目の前にすれば、恐怖して当然だ。


「怖がっていたわけじゃないみたいだ。でも、大事な仲間だ」

「そうだな。ダンジョンを3つも攻略した魔法士が言うのだ。それが正しい考え方なのだろう」


 キリシアンは笑って言った。俺に近づけていた首を、やや遠ざけて下の位置に戻しながら、続けて尋ねた。


「休憩したなら、ダンジョンに向かうか? また、送ってやろう」

「いや。今休憩にきたところだ。もう少し、のんびりさせてくれ。ここは、温泉なのだろう?」

「うむ。魔法士であっても、頂上付近の湯は勧めない。入れば死ぬだろう。麓近くの洞窟に入るといい。魔物たちが商売をしている。金がなくとも、我へのつけで好きなものを買うといい」


「『つけ』か……俺、あんたに金貨五百枚を渡して、ヒナを助ける予定なんだが」

「もし、ソウジの望みが叶うのなら、それは1000年も昔に遡った後のことになるだろう。この時代に金貨を返されても、もう返すべき人間はいない。1000年前に戻って金貨を返そうとしている男に、これ以上金を出せとはいわんさ」


 キリシアンは笑いながら翼をはためかせた。

「わかった。温泉でくつろいでから、またキリシアンを呼ぶ。今度はできれば……2番目のダンジョンに近い匂いの場所がいい」


 時間を遡るのに、科学技術が発達した異世界へというのは、俺の判断だった。意識してはいなかったが、俺の元の世界のSFの影響だったのだろう。

 俺の知る物語で、時間を遡るのは科学だけではない。魔法を使った物語でも、時間渡航をした例は多い。


 1000年後の地球でもタイムワープは実現されず、科学技術が進歩した異世界に行くことも失敗した。

 俺は、今度は魔法が発達したダンジョンに賭けようと思い直したのだ。


「わかった。探しておく」

「ああ。頼む」


 キリシアン自身は、マグマの湯を堪能した後だったのだろう。高く飛び去った。


 俺は、山を登ることは止め、熱いお湯に入りたがっているハンヘドを見送り、ウー、シルフ、アリスを連れて近くの洞穴を探した。


挿絵(By みてみん)

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