106 吸血鬼城の執事長 ☆
俺が剣をそのまま武器として使うことにしたのは、吸血鬼を拳銃で倒せるとは思えなかったからだ。
生身の生物であれば、深い傷を負わせる拳銃は非常に有効な武器だろう。
だが、頭を失っても頭と体だけで動き続け、痛みすら感じない者たちに、有効な武器とは思えなかった。
より具体的に肉体を破壊できる武器が必要だったのだ。
俺は、左手に魔法の石板を握りながら右手に短剣を持って、人間に襲いかろうとしている吸血鬼に襲いかかった。
剣を振り下ろす。
手応えがある。
剣が根元まで食い込む。
ただし血は出ない。
吸血鬼が振り向いた。
目を血走らせ、半開きの口から長い犬歯が剥き出しになっていた。
口から血は滴っていない。
対峙していた人間の戦士は、構えた盾がひしゃげていた。
俺に向かって振り向いた吸血鬼のうなじに、人間の戦士が斧を叩きつける。
人間の戦士の動きと同時に、俺は死霊魔法を使用した。
「倒れろ」
俺が念じるように言うと、吸血鬼は小さく頷きながら床に倒れた。
「助かった……お前、誰だ?」
「誰でもいい。味方だ」
「そうだな。まずは、俺たちを襲う魔物を殲滅することだ」
「ああ」
俺は戦士と短く言葉を交わし、ひれ伏せさせた吸血鬼に動かないように命じてから、次の標的を探した。
吸血鬼を殺せないまでも無力化しながら、場所を移動する。
人間たちも半数近くが倒れる中、突然の怒声が響いた。
「痴れ者どもが! 何をしておる!」
俺は、咄嗟に柱の影に隠れた。
『痴れ者』と聞いて、異世界から紛れ込んで勝手に暴れている俺のことを言われたのだと思ったのだ。
俺だけでなく、全ての吸血鬼と人間たちの動きが止まっていた。
訓練場と思われる広場の中央に、やせぎすの血色の悪い男が出現した。
「あれは誰だ?」
「静かに。城の執事長だ。王の側近だぞ」
俺が思わず呟いた声を聞き咎め、背後から囁いたのは、俺が一緒に戦った戦士の1人だ。
俺が背後を見ると、人間たちがまるで家臣のように平伏していた。
中央に出現した吸血鬼は、手のひらを上に向けた。
「陛下にあだなす者は、全て殺す。陛下のお食事を勝手に食おうとする者は、全て殺す。この場にいる吸血鬼は、全て殺す」
宣言が終わった瞬間に、広場にいた吸血鬼が一斉に、執事長と呼ばれた1人に飛びかかった。
吸血鬼たちに覆われて、城の執事長だという吸血鬼の姿が見えなくなる。
それは一瞬だった。
俺の視界が黒く霞み、次第に薄く変わる。
中央にいたはずの、やせぎすの吸血鬼が消えていた。
「助かった」
俺が横を向くと、勇敢に長剣を振り回していた大男が、脱力していた。
「……助かったのか?」
俺は、あまりにも危険な吸血鬼を前に、とても安心する気にはなれなかった。
戦っていた人間たちが、隙だらけになるのも構わずに膝を付き、頭を下げる。
吸血鬼たちも動きを止めた。
俺の目には見えなかった。だが、やせぎすの吸血鬼がまだそこにいると感じた。
同時に、動きを止めた吸血鬼たちが破裂するかのように四散した。
俺は、目にしている出来事のあまりの凄惨さに、腰が抜けて座り込んだ。
「このような事態を引き起こした者を捕らえなければならない。そこのお前、何か知っているか?」
ただ1人残った吸血鬼の視線が、真っ直ぐに俺を見ていた。
「おい、早くお答えしろ」
俺の脇で、一緒に戦っていた人間が囁く。
人間たちは、吸血鬼に対抗できるように鍛錬をしてきたのだろう。
だが、目の前にいる一体には、どうやっても勝てないのだ。
俺も、戦おうとする気力すら湧き上がらない。
「わかりません。一体、何が起こっているのか」
嘘をつくのは賢明ではない。俺はそう感じた。
嘘は見破られる。根拠はないが、そう感じた。
俺は嘘を言ったわけではない。
俺は、この世界とこの城についての知識が乏しすぎる。
何について尋ねられたのかも、はっきりとはわからない。
その意味で、わからないと言ったのだ。
嘘を言ったわけではない。
王の執事を名乗ったやせぎすの吸血鬼は、しばらく俺を見つめていた。
何も言わず、ただ見られる時間が長かった。
俺は左手で魔法の石板をタップし続けていた。
視線を逸らすことは、恐ろしくてできなかった。
何の魔法を発動していたのかはわからない。
だが、しばらくして、吸血鬼は視線を外した。
「他の部屋を見回って戻る。分岐の間で、不届き者たちを一層した者がいれば名乗りでよ。褒美が下賜されるだろう」
言うと、吸血鬼の姿が朧に消えた。
俺の知っている伝説でも、吸血鬼は霧になることもできるはずだ。
だが、この世界で霧に変わる吸血鬼を見たことはなかった。今、この時が初めてだ。
「今のが、国王じゃないのか?」
「お前、何を言っているのだ。今のはジャミロフ、この城の管理をしている執事長だ。国王陛下の右腕と言われている」
「そうか。かなり位の高い吸血鬼なんだな」
俺は、言いながら安堵していた。
確かに手も足も出なさそうな強者だが、一番の下っ端だと言われれば、俺は逃げ出すしかないところだ。
「そういえばお前、どこから来た? 見たことがない奴だな」
「ああ。老人たちの間にいたからな」
俺は、またも嘘は付かなかった。
老人たちの間にいたのは事実である。ただ、そのずっと前が存在しているに過ぎない。
「ああ……餌たちの所か。爺さんたちの世話係だったのか。その体では無理もないが、よく戦ったな」
俺よりずっと逞しい体をした男が、俺の肩を叩いた。
俺は恐縮しながら手元を見た。
左手の中で、俺はずっと精神魔法を使用し続けていたようだ。
吸血鬼には精神を支配する能力があるとは、俺の昔いた世界の知識だ。
ジャミロフというさっきの吸血鬼が俺の精神を支配しようとしていたのかどうかはわからないが、俺は精神魔法で自分の精神を保護していたのだ。
「随分死んだな」
「ああ。俺たちは死ぬのが仕事だ。城の支配者たちに血を吸われて死ぬか、別の吸血鬼に血を吸われて死ぬか……吸血鬼になるのも、死ぬのと同じことだからな。気にするな。片付けは後でやる。飯にしよう」
男は俺を立たせた。
「俺もいいのか?」
「当たり前だ。仲間だろう」
俺は再び肩を叩かれた。
野良吸血鬼の襲来により、どうやら俺は信頼を勝ち得たらしい。




