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怪滅神甲ダイダラ  作者: 足洗
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1話 兆し、学び舎における彼の役割

ハーメルンに同タイトルの小説を掲載しています。



 夕空は赤黒い“膜”に覆われている。

 山一つを包み込んでしまうほどの広大さ、それは物理的な遮蔽物であり、物理法則に並び立つ異なる力が為したる巨大な繭である。

 かつて現世に流入した異能────魔術により編まれた結界である。

 内部に閉じ、あらゆるものを逃さぬ為に布かれた悪意の檻。

 その只中に立つ一人の影。いや、一つの、巨大な人型の異形。紫の肌、鳥のような黒い翼と蝙蝠のような翼膜を両の背に負い、下半身には無数の蛇が群生している。なによりも、全高三丈(10メートル)にも及ぶ巨躯。

 腰から流れるようにくびれた曲線の肢体、豊満な乳房、そして黒いベールから覗く瓜実形の顎が、それが辛うじて女、雌性のものであると主張している。

 とはいえ化物だった。違えようもなく魔なるモノ。喩えるまでもない邪悪の顕現。悪魔が化身。疑いはない。

 かの者こそ、この結界を創り出した張本人だった。

 閉じ込められた人を、魔を、諸共に喰らう為に。姿通りの悪辣さで、憎き者共を害する為に。

 しかして、奇怪。

 殺意と憎悪の権化の如き化物は、その牙を、爪を、揮うことに躊躇していた。

 怯えていた。


『オ、オ前ハ』


 化物は慄いている。恐れている。

 眼前に在るモノに。

 在り得ぬ筈だと。在ってはならぬと。

 赤黒い闇を払い、魔性たるその巨躯を照らす、“銀”。


『オ前ハナンダァ!!?』


 それは武威の顕現。

 銀の鎧。不破の盾であり、絶対貫徹の矛である。

 國守(くにもり)の要。怪滅の神甲(はがね)なり。

 其は、称して────










「あいよ500円丁度、まいどあり」


 放課後の校内というやつは実に賑々しい。足早に帰宅の途に赴く者、意気軒昂各自の部活動に勤しむ者、何くれとなく級友らと駄弁に興ずる者。

 各クラスから溢れる活気を聴きながらに笑む。変わらぬものの実在を、何やら嬉しく思うのだ。

 屋上前の階段踊り場。扉の窓から注ぐ西日。それに金属光沢が照り返した。

 貨幣を一枚受け取って銭入れに仕舞う。代わりに広げた茣蓙の上から一つ、小振りな金属の輪を取り上げる。

 真鍮製の指輪であった。外観の飾り気は極少ない。


「……ホントに効くんですか、これ」

「さて、試してみてのお楽しみってなもんでね」

「ちょっ、それじゃ困るんですよ!」

「まあまあ、効き目が気に食わなかったそん時ゃ代金はそっくり返してやる。まずは一晩、使い心地を検めな」

「余裕ないんですよこっちは! 毎晩毎晩搾られて……精力付く食材とか薬とかいろいろ試しましたけど、もう限界で……」

「こうして藁に縋って来た訳だ。しかし、真っ先に縋るべき場所が他にもあろうに。ほれ、確か、この学校の養護教諭は魔道カウンセリングの資格持ちだってぇ聞いたがね」

「い、言える訳ないでしょ! こんなっ……こんなこと……」

左様(さい)で」


 顔を羞恥の赤色に染めて少年は俯く。“下”の相談など出来ぬと仰せだ。

 呆れと、その様の憐れに肩を竦める。


「その指輪は接触した生体の『オード』の消耗を抑え、同時に大気中のオードを吸収変換し、生体に横流す。ま、流行りのハイブリッドエンジンみてぇなもんだ。お前さん程度のオード量なら、普段の倍は放出できるようになるだろう」

「ば、倍っ……ホントなんですか?」

「だぁから、手前(てめぇ)で使って確かめやがれぃ。効こうが効くまいが別に死にゃしねぇよ」

「……わかりました」

「おう。まあ()()に、彼女と仲良くな」


 こちらの言に、少年が顔を上げる。そのげっそりとやつれ切った顔が笑みを形作る。


「仲悪かったらこんな苦労してないですよ……」

「ハハハッ、違ぇねぇ。だがそいつぁ、淫魔と(わり)無い仲になっちまったお前さんの自業自得だぜ?」

「うぅ」


 ぐうの音を上げながら少年は去っていく。

 そうして、その背中が階下に失せた直後に、声が響いた。滑らかで、艶っぽい。鼓膜から神経を侵すかの美声。


「ケンくん! もう! 探してたんだよ?」

「メ、メイヤ!? 先に帰っててって言ったのに」

「やだって言ったもーん。えへへ、ほら早く帰ろ」

「う、うん」

「……あれ? ケンくんのオード、なんだか今日は強く匂うね。濃くて、たっぷりしてて、あはっ、瑞々しい……んっ、ちう」

「メイヤ!? やめてよ! こ、こんなところで……!?」

「ふふ、どうして……? ケンくんだってこんなに昂ってるのに……すぅ、ほらぁ、こぉんなに匂ってる。青くて、臭くて、香ばしい……あはは、硬くなってきたよ、ほら、ほら」

「ひっ、ぃん……メイヤぁ……」


 鼻に掛かった喘ぎと甘い囁きが吹き抜けから響き昇ってくる。

 お若い二人は、どうやら踊り場でおっ始めるつもりのようだ。


「おぉいおい勘弁しろよ。袋小路だってのに……」


 のこのこ階段を下りて鉢合わせるのは如何にも間抜けだ。馬に蹴られる趣味もない。

 仕様もなく、扉に向き合う。無論、ここは常に施錠されている上、わざわざ鍵を失敬する暇もなかった。

 触れて、“式”を起ち上げる。常ならぬ超常なる“力”を丹田にて練り上げ。

 鍵穴へ注ぐ。


「なんだ、シリンダー錠か」


 ならば式の小細工すら要らぬ。こちょこちょと練った気を操り捻り押しやって、回せばかちりと錠が引っ込む。

 大事な商品を鞄に詰め、茣蓙を丸めて縄で括る。そそくさと扉を開けて屋上へ出た。

 吹き込む風は陽の匂い。満天に茜、地続きに夜闇の群青、そこに白の疎ら雲。春の終わり、夏の気配色濃く薫る日和であった。


「ははぁ、春の終わりも近いかねぇ」

『暦の上ではとうに済んでいる』


 頭上より声が降ってきた。

 声、などと表してはみたが、それは声帯を震わせ空気を通して響く音声(おんじょう)ではない。

 肉の喉の代わりに頭蓋を直接打って奏でるかの調べ。形なき言葉の念。

 ざらりとした質感をした低音。さりとて重みはなく、それは水晶の鳴動めいた女の声。

 黒い羽が一片落ちる。

 羽撃(はばたき)と共に現れたる黒い影、象。

 烏であった。たっぷりの漆で染め上げたかのように濡れた漆黒の姿。嘴から足先までで三尺(1m)にもなる体躯、それが己の肩に止まった。

 鉤爪を具えた脚が一つ、二つ、そして三つ。

 三本の脚がしっかりと肩を掴んだ。


「よう、集金ご苦労。こいつが今日の上りだ」

『この私を伝書鳩代わりに使うなど』

「昔を思い出すか?」

『ほざけ』

「ハハハッ!」


 札入れを脚に括ってやる。業腹極まると嘶いて、鴉は一飛び、屋上の手摺に乗り移った。

 その後に続く。


『“石”はまだ見付からんのか、と。上政所(かみのまんどころ)から矢の催促が来ている』

「気安く言ってくれる。だが、どうも手応えがねぇな」

『隠されている、ということか』

「あるいは未だ力を行使されておらぬか……厄介なことよ」


 眼下には正門に向かう生徒らの、大小様々な姿がある。本当に、千差万別な。

 直立二足歩行の者とそうでない者との比率は半々、あるいは後者がやや凌ごうか。

 体格の大きさが目を引くのはやはり、ケンタウロスだろう。サラブレッド種並の下半身からネイビーブレザーの制服を着た女人の上半身が据わっている。

 イヌ科ネコ科、他多数の獣の身体部位を持つ者は特に多い。耳だの髭だのは序の口、手足はおろかまるきりの獣が二足歩行する姿も散見される。猫又、クー・シー等が代表的であろうや。

 下半身の長大さというなら、その点ラミアは抜きん出ている。ある生徒など正門にまで爬行し終えてなお、尾の先が未だ玄関口に留まっている始末だ。


「あれー? 刈間(かるま)だ。どうしたの、こんなとこで」


 背後に羽撃の風を聴く。

 見やれば鮮やかな蒼い翼、蒼毛のハーピー。級友の少女であった。娘は両腕の翼で空を巧みに掴みその場で滞空している。

 挨拶を返そうとした途端、頭上に無数の影が過る。

 翼持ちの生徒が今、続々と空へ舞い踊っているのだ。色とりどり種々数多の鳥類種。蝙蝠や鼫のような翼膜、皮膜で滑空する者もある。


「ミリーは今帰りかい」

「そだよ。空組でカラオケ行くんだ。今日はすごいよー。なんと一年のセイレーンの子が来ます! あ、刈間も来る?」

「おいおい魔術師でもねぇただの人間に無茶を言うんじゃねぇや。カラオケ屋まで行っておいて耳に蝋燭つめる訳にもいくまい」

「大丈夫大丈夫。小声でマイク通せばへーきへーき。あとなんたって合唱部だからね!」


 だからなんだと、問うべきであろうか?

 とぼけた娘の言い回しに肩が落ちる。


「ここから連れてったげるよ。こう、鉤爪でぶら下げて」


 少女らしい張りのある両腿の、しかし膝から下は鳥の趾め足。固く厚い皮膚に鎧われた鉤爪がある。

 皮肉はおろか骨まで砕けよう握力のそれを目にして、思わず笑声が漏れた。


「そりゃまた楽しそうだが残念、この後バイトでな」

「クックルー……まーた振られちゃった」

「まあまあ、これに懲りずまた誘ってくれな」

「それこの前も聞いた~。そうやっていけずな奴はもう誘ってやんないぞー!」


 膨れっ面でなお一層バサバサと翼で宙空に地団駄する小鳥の娘子。悪びれ拝み手に誤魔化そうとした、その時。

 一陣、強風が屋上を席巻する。

 竜巻も斯くやの荒々しさ。いやさまさしく、それは竜の仕業であった。


「うわっ、ノヴァリア先輩だ!」


 翼持ちの生徒らを後塵に置き捨てる凄まじい紅の疾風。紅い翼膜、紅い外皮、そこから覗く女生の顔容。

 人化したレッドドラゴン。三年のノヴァリアは、その美しい偉丈夫に見惚れ凝固する諸々を一顧だにせず大空へ羽撃いて行った。

 その両腕に、少年を一人抱えて。


「いいなぁ……(つがい)と一緒に飛び下校デートとか……うぅ私もやりたい!」

「デートはいいがな。流石にあの速度は人間には辛かろう」

「ああ、たぶん平気だよ。風系の加護……や、魔法かな? 綺麗な流線で風が避けてたし」

「ほほう流石ハーピー、よっく見とるのう」

「まあねっ。でもノヴァリア先輩なんか期末の魔学学年一位だよ? 美人で強くて頭も良いとか竜種ってホント反則だよねー」

「それに選ばれっちまった男子(おのこ)は、さながら勲章もんかね」

「いやいやこれが結構大変らしいよ。ドラゴンって肉体も魂も他の種族と存在の位階からして違うでしょ? 特にほら、ナニとは言わないけどアッチの方の相性とかオードとか体力とか……」

「ナニからナニまで言うとるが」


 少女は実に邪な顔で楽しげに笑った。

 レッドドラゴンの番に選ばれた少年。思えば、なるほど。運び去られた彼には見覚えがあった。


『永続で肉体強化できる刺青があるって聞いたんだけど!?』


 走り込んできた開口一番にそう捲し立てられ、なかなかに面を食らった。

 ドラゴンと他種族、とりわけ人間との存在力の隔たりは、生半に埋められるものではない。骨肉、魂魄の両面から文字通り粉骨砕身の鍛錬を数十年続け、ありとあらゆる伝説級の宝具を身に纏えば、その後ろ足の爪の先に届くか否かといったところ。それも、その血脈に英雄の才覚と器を備えているという絶対前提条件を要するが。

 若い身空の親に貰った大事な体。相わかったと気安く呪紋なんぞ刻み込む訳にもいかず、その時はソーマを小瓶3ダースばかり都合して引き下がらせたのだった。

 内服薬を恃むとはいえ、今もああして仲睦まじく連れ添っている。なによりのこと。


「いいないいな~、私も早く番見付けなきゃな~。ちらっちらっ」

「おぉミリーならば引く手はさぞや多かろうなぁ。気立てが良い器量も良い。特にその、尾羽の蒼の爽やかさと言ったら」

「ッッ~~! そっ、そう? そうかな?? や、実はね、最近ね、羽繕いの美容院変えたんだ……す、すごいね刈間! 人間のくせにわかっちゃうんだ! わ、私のことどんだけしっかり見てるんだよぉ! な、なぁんて……えへ、えへへへへへ。クックルル~♪」


 上機嫌も上機嫌。羽撃すらまるで舞いの様相でくるりと転身。

 そうして床面に降り立った娘は、小鳥同様の慎重さでちょこちょことこちらに近寄った。


「か、刈間、バイト終わった後でいいからさ、わ、わ、私とさ、ふっ、二人でさ……ん?」

「ん?」

「それ……?」

「どれ?」


 翼の羽先で肩口を指差される。手でまさぐると、一片。それは大振りな黒い羽であった。


「う……」

「う?」

「浮気者ぉーー!! ばぁかばぁか! 刈間のばぁか!」


 発奮した娘はその勢いで飛び立ち、一声掛ける隙さえ晒さず青空に昇ってしまった。

 その鮮やかな蒼は、空の青みの中でなお際立って、軌跡は流星めいた残光を引く。

 思わず吹き出す。魔物の妖しき美しさと童女のような幼気が、なんともはや面白いというか愛らしいというか。


「浮気だとよ。お前さんも悪い女だなぁおい」

『……知らん』

「カッカッ、そうかい」


 虚空より、隠形を解いた黒い烏が現れる。こちらの皮肉にも取り合わず、烏は不機嫌そうに一声、嘶いた。

 眼下には今もなお多種多様の人魔の営みが広がっている。内訳は人の男子と魔物の女子、それが大半だ。

 逆はない。少なくともこの学園においては。

 一種ちぐはぐな光景がしかし、現世情を如実に顕している。

 魔物の大胆で強烈で甚だ旺盛な求愛に、怯みたじろぐ人の子ら。其処此処で繰り広げられる熱烈なお相手(つがい)探し。

 新学期の始まりを思い知る。


「春の終わりはいつになるやら」






 人界と魔界の融合。

 それが今、この世界の有様。



 この事変は巷間に『融界』と呼称された。

 世界各地で発生したこの大規模な異界出現は、極点を越え沈静化を見せているものの、今もって緩やかにそして確実に広まり深まり、双方向の侵食を続けている。


「先の二大大戦、魔界進撃戦と人界決戦を経て、多くの犠牲を払いながら人外種および亜人種、そして只人種との間に和平が為りました」


 黒板型のデジタルディスプレイに映し出された年表の中、クローズアップされた一項目が赤く明滅する。

 童女のような小さな手がそれを指し示した。

 教卓にちょこんと座する矮躯。歴史兼魔術史を担当する因幡教諭はアルミラージと呼ばれる兎の半獣人である。兎らしいふわりとした白い毛並みと綿毛のような尾、ピンと立った二つの長い耳。

 そして兎とは名ばかりの、その額から聳えた雄々しい一角。

 縄張りで悪さする子を手当たり次第串刺しにしてたから赤くなったの……などと、彼女は実に愛くるしい笑顔で語ってくれたものだ。


「それぞれの戦役に終止符を打った兵装、二種類ありましたねー。一年次の歴史で履修しましたねー。さあ何と何! じゃあ……中村くん答えてください」

「うえ!? えぇ~っとぉ~……??」

「期末のテスト範囲だったでしょー。もぉー中村くんマイナス二万点」

「落第とかいうレベルじゃないっす先生」

「はい! じゃあクヌィラさん、哀れな中村くんに答え教えたげてください」

「魔界からは槍。人界では鎧だ」


 教室の後方、体格の良い褐色肌の女生徒が即答した。

 異様に発達した犬歯を剥いて、少女はとても快活な笑みを見せる。


「あの地獄の総元締め、悪魔共の(かしら)手ずから放った槍は魔界に進出した人間の一個師団を蹴散らし、次元境界に風穴を空けやがった……!」


 荒々しく息吐き、その興奮を隠しもしない。戦を語り昂るは、彼女が戦闘種族アマゾネスの血統ゆえか。


「おぉ流石女傑アマゾーンの末裔。皆さんもクヌィラさんを見習って」

「資料集読むだけで濡れてくる。その挿し絵で何度も抜いた」

「見習わなくていいでーす」

「好みで言えば人界側の鎧の逸話はマジでたまんねぇ。開かれた魔界と人界を繋ぐ大穴に陣取って666の悪魔軍団をたった一人で塞き止めたなんて言うんだぜ? 思い出すだけで……んっ、ふ、うっ……マジ半端ねぇ」

「半端ねぇのはあんたですよ。椅子拭いといてください。他の生徒も使うんですから」


 我らが『マギケイブ学園』は朝礼とその他連絡事項の通知を除き、授業にはもっぱら講義室が利用される。各授業の度に生徒らはクラス単位、履修科目単位でめいめい移動していく訳だが。

 当然ながら講義に使用する机と椅子は共用のものであり、次に来る生徒が愛液で濡れそぼった座面にうっかり腰を下ろしては、なかなか憐れなことになろう。


「はい! この二大戦争で用いられた兵器の正式名称、来歴、運用年、運用国家。試験に頻出っていうか必ず出ますよ! 絶対覚えてくださいね。進学考えてる人は特に!」


 チャイムが鳴った。本日のカリキュラムの全消化を祝う鐘である。

 それに負けじと、白兎の教諭はさらに続けて。


「フォーリナーズパートナーシップの二年次仮契約書面の提出日、来月までですからねー! 皆さん忘れずに出してください!」

「やっべ」

「もうそんな時期かー」

「うわ、俺かんっぜんに忘れてたんですけど」

「私が出しといたよ」

「お、さっすがシルキーはマメだなぁ」

「貴方を見付けた日に」

「……それ入学式の日?」

「うん!」


 講義室の各所で提出したの忘れたの、がやがやと相談事が始まる。その大多数が相談の始まった矢先から、抜け目のないパートナー……主に女生徒の側で既にして事務処理が一切、全く、何条の()()()()済んでいる旨の報告に終始していく。


「いやはや若ぇってのにしっかり者ばかりよな、この学校の皆皆は」

「そういう問題……?」


 純白の少女シルキーに腕を抱かれながら、中村くんがぽつりと言った。

 通常シルキーは人ではなく、家に憑く妖精である。果たして彼をいつから見初め、いつからその傍近くに身を置いていたのか……彼が知る必要はないだろう。こんなにも幸せそうに娘子は笑み綻び、両人仲睦まじいのだから。

 その時、己の座る長卓にどっかりと尻が乗った。


「おめぇは他人のこと言ってる場合じゃねぇだろ」


 クヌィラはその太く分厚い腕を組む。贅肉とは縁遠く、優れた筋骨に鎧われた長い手足。太い眉、ぎらつく眼光、野性味溢れる精悍な顔立ちは虎か獅子のそれ。破壊と闘争に特化し尽くした、強靭なる美を備えた姿。

 当人にその意図はないのだろうが、えらく凄みを利かせた睨みが降ってくる。


「さて、そう急ぐようなことでもなかろうさ」

「急げって因幡が言ってたろ今。ああ、なんならオレがもらってやろうか?」

「カッカッ、そいつぁ有り難ぇ申し出だが。お前さんにゃもう決めた相手が居るであろうに。柔道部のカークランドだったな」


 彼には以前、筋肉増強の魔術・妖術・法術各種を記した書物を幾らか目録に認めてやった。肉体面で僅かでも彼女を満足させたい、と……なんとも純なその願いに胸を打たれたものだ。

 涙ぐましい努力を彼は今も続けているのだろう。この豪放な娘子の為に。


「へぇよく知ってんな! でもま、いいんだよ。オレらは強ぇ男の子を孕んでなんぼなんだ。おめぇはその点、いい線いってる気がすんだよなぁ」

「おぉおぉ派手に買い被りやがって。まあ褒めてくれんなぁ嬉しいぜ。だがお前さんはその前に、手前(てめぇ)で汚した椅子をとっとと掃除しちまいなよ」

「えー、いいじゃんかよーあれくらい。ウンディーネのやつなんて毎回どっかしら濡らしてんじゃん」

「あんたの小便と一緒にすんじゃないわよ!!」


 呼ばれて飛び出てとはまさにまさに。座席の合間を高速で走り抜けてきた液体が水の柱となって立ち塞がり、そうして人型を取る。

 液状の長い髪、液状の制服、液状をした少女の顔が今、憤怒に泡を立てている。


「小便じゃねぇよ。汁だ汁。まん」

「言わんでいい言わんで」

「同列に扱うなって言ってんのよこの蛮族!」

「ま、まあまあリューズ」


 ウンディーネの少女に遅れて、パートナーである李少年がその手を取る。流体の手は少年の手を握り、形を崩して、さながら一体化の様相で絡み付いた。リューズの許しなくばそれは永遠に解けまい。

 その辺りの悶着をおそらく随分と前に済ませたらしい李くんは、気にした素振りも見せず。

 両人手を握り合わせたまま己の方に向き直った。


「刈間まだパートナー見付けてないカ?」

「へぇ、ちょっと意外」

「ハハハッ、そいつぁまたどんな買い被り方だ。即断即決お相手を見付けろたぁ、この憐れな転校生にゃ無理の勝つ難題ってぇもんじゃねぇかい?」

「まーたそゆこと言ってー」

「そういう胡散臭い言い回しの所為で女の子寄り付いてこないんじゃないの?」

「まだるっこしいよな」

「こりゃまた手厳しい」


 人と魔の共存共栄。それが現世論の主流と言って差し支えない。官民を問わずあらゆる団体、組織、企業が、国家が、(こぞ)ってそれを掲げ、それに見合う規制緩和、法改正を実施してきた。

 フォーリナーズパートナーシップ制度もまたその一環である。個人、個体単位で言えば、あるいはこれこそを()()()と呼ぶのやもしれない。

 本国においては一般的に満十五歳以上、義務教育を修了した者が対象となる。基本的には諸学区単位に通知が配されるが、近県合同で催しを開かれることもしばしば。対象者には優先的に外界人との出会いの場と機会を設けられ、魔界人界の多様な文化、風土、情緒を知り合い、学び合い、次世代的(ネクスト)グローバリゼーション意識の醸成を促すと共に、種族間の垣根を越えた真の融和を新世代の若者達に託して云々かんぬん。

 要は、国を挙げた異種同士の見合いであった。制度参加者には公共施設使用の優待や様々な礼品が贈られ、人魔カップルが成立すればそこへさらに上乗せがされる。そうしてそれが婚姻にまで至った場合、地域によっては一部税の優遇措置から、なんと助成金まで出るそうだ。それも通常の婚姻に対する免税・助成と並立して、である。

 御大層な御高説で謳い上げてはいるものの、魔界側の人界に対する根深い執着を嗅げずにおられない。そして人界側の手厚い忖度もまた。異種交配による異界間の軋轢の解消、延いては国民の感情の操作を狙って……そう批難する声もある。

 終戦から早七十余年にもなるが────あるいは、まだほんの七十余年でしかない。

 これら魔界人種との親交推進を図る現在の世界情勢をして、(はばか)ることなく。


 ────狂っている


 そう叫ぶ声も、ある。

 だが。


「そ、そんなことないよ!」

「ん?」

吓死我了(びっくりした)……!?」

「んだよセラス。でっけぇ声出しやがって……てかおめぇ、でかい声出せたんだな」


 妙なところに感心して頷くクヌィラに、セラスと呼ばわれた少女は俯いてしまった。

 その深緑の髪の頭上に戴く、淡い桃色をした五枚の花弁が垂れ下がり、娘の羞恥した顔を隠す。袖口より這い出た蔦を指先にいじいじと巻き上げ、花ばかりでなく肩身まで縮まってしまう。

 土より出で、花に生まれしアルラウネのセラス。元来が植物としての特性を色濃く残す種族だが、この娘子は幼体を除けば土壌を必要としない。まさに今も我々の眼前で直立して二足歩行すらして見せている。その根は確実に高位の魔界植物に由来を持つのだろう。

 優れた能力はしかし、必ずしも自負自信という骨子を組み上げるものではないらしい。この少女は実に、引っ込み思案なのだ。

 そんな彼女が声を荒げて一体全体どうしたというのか。


「か、刈、間くんは、いい人間……すっごく、すごくいい人間、だよ……? 私と、私のパートナーのことで……その……し、親身になって、相談、乗ってくれて……」

「んー? そんなこともあったかねぇ」

「え、セラスもこいつに?」

「助けて、もらった」


 セラスのパートナーである少年は、なんとも不幸なことにナス科植物のアレルギー持ちだった。娘の能力あらば原種由来の毒性を変態させ薬効に転じる程度は造作もなかったろうが、人体側のアレルギーにはさしものアルラウネとてどうすることもできない。

 少女の体に触れれば少年は全身に発疹と痙攣を起こし、その花粉を吸い込めば重い咳喘息を発症した。己が彼らに出会った頃には、触れ合うことはおろか近寄ることすら困難になっていた。

 この場合の対処として最も適当なのは、まず医師の診断を仰ぐことである。生体医術にせよ医的魔術にせよ、素人が浅知恵を働かせるよりもよほど現実的だ。しかし、その結果このカップルにまず推奨される対策は、パートナーの変更であろう。

 リスクの伴う交友に拘泥させず、安全確実な交配を……それはむしろ、自然界の動植物の摂理だが、魔界ではむしろそちらの方がスタンダードであるらしい。クヌィラの性に対する豪放さが良い例だ。

 しかしそれでも、彼と彼女は問題の解消を望んだ。不断の、固い意志で。

 何故に?

 勿論、皆まで言うことではない。

 その言うまでもない覚悟を見せられたのだ。であれば、己如きが一肌脱いでやる理由には十分。

 一悶着二悶着と大っぴらに言えぬ些末事が幾らもあったが、“裏技”を使ってどうにかこうにか御し均し、今やセラスは想い人と連れ添ってこの学び舎に在る。


「わ、私の友達、紹介するよ! マイコニドの子とか、に、日本の南方の、木の妖精さんとか……!」

「ほう、キジムナーか。そいつぁ変わり種だな」

「刈間くんが、どれくらい、どれくらいすごい人間か、わかってくれる。きっと、みんなわかってくれるから……だから!」


 気を落とさないで、とでも続くのだろう。

 どうやら己はこの娘子に心底憐れまれている。あるいは心配をされている。

 それがなんともはや、擽ったいやら可笑しいやら。


「聞いたかおい。己なんぞの為に骨を折ってくれるとよ。セラスは優しい子だなぁ」

「ふゆ!? そ、そそんなこと……!」

「クヌィラもちったぁこの娘の健気を見習ってみちゃどうだ」

「うっせ」

「無理無理、このガサツ野蛮女にそれはマジ無理難題だってば」

「しつこく言うな! 小便ひっかけて黄色くすっぞ!」

「そういうとこが下品だっつってんのよ!!」

「カッハハハハハッ」


 水の精霊らしからぬ元気な怒りっぷりと、女戦士の荒っぽい気性、その応酬がなんとも愉快だった。

 他人事のように存分笑声を上げていた時。


「君達、そろそろ講義室を閉める。いい加減に帰り支度をしてもらえるかな?」


 澄んだ美声が差し込まれる。それは凛然とした響き。脳裏に美麗な銀細工を想起するような声だ。銀の精緻な飾りをあしらった────十字架を

 二対四枚の純白の翼が西日の赤色を孕み、清浄なる光輝となって再び照り返す。後頭部では、微細な光の粒子が真円の輪を構成し、後光の如く静止している。

 天使。

 この紛うことなき主上よりの御遣いは、何を隠そう我がクラスの委員長サリエリーヌである。


「うげっ、サリー……」

「人の顔を見てそれはないだろうクヌィラ。それと立ち聞きに申し訳ないが、パートナー選びは基本的に当人の自由意思で行うものだ。周りが急かすべきじゃない」

「っ、ご、ごめんなさい……」


 途端、花の少女がなお一層に縮こまる。

 サリエリーヌはそんな少女へ優しげに微笑した。慈しみさえ滲んで。


「セラスの思い遣りは間違いなく素敵なことさ。その善意を僕は賞賛するし、君の深い友愛には敬意を表する」

「ふぇっ……はぅぅ……!」

「いちいち言うことが大袈裟なんだよ、こいつ」

「クヌィラはもう少しだけ言葉を和らげてみてはどうだい。そうすれば相手にも君の本来の思慮深さを伝えることができる。君の飾らない気風は美徳だ。僕も好ましく思う。けれど心根は胸の奥深くに在り、表現することは常に難しい。僕は君が、正しく評価されることを望むよ」

「あ゛ぁーー!! これだ! サリーの話は聞いてると背骨が痒くなってくんだよ!」

「ふふふ、それは君の良心に僕の声が響いてくれているということかな?」


 クヌィラは両手で背中を掻き毟った。そうして堪らんとばかり卓から跳び降り一目散出口へ向かう。途上で鞄を手に引っ掛け、振り返りもせずこちらに手を振った。


「じゃあな!」


 扉の向こう、瞬く間に軽快な足音が遠ざかっていった。

 リューズが瑞々しい笑声を上げる。


「いい気味ね。あいつには放課後、毎日サリーに説教してもらえばいいのよ。少しは懲りて品も上がるでしょ」

「僕との会話をまるで拷問か何かのように扱わないで欲しいんだが……」

「あぁらそんなつもり全然ないわよーオホホホ。よし! じゃあ私達も行きましょっか、李」

「あい。帰り、晩ゴハンの買い物しなきゃネ」

「セラスも行く? 駅前の商店街までだけど」

「う、うん。私も、駅で待ち合わせ、だから……」

「ではお開きだな。皆、帰り道は気を付けて行くんだぜ」

「刈間もね」

「再見、刈間」

「さ、さよなら、刈間くん」


 ひらひらと手を振って三者を見送り、己もまたえいこら席を立つ。


「それで?」

「あん?」

「ギンジには誰か、気になる子はいないのかい」


 肘を抱いて小首を傾げる。黄金を溶かし紡いだかのような金のショートボブ、その横髪が淡い血色の頬に流れる。

 各国の宗教画に描かれる(たお)やかな天使よりも、かの娘の面差しはずっと幼気だ。下手な世辞すら浮かばぬほどに可憐な少女が、微笑を湛えて己を見ていた。今度はそこに微かな、悪戯の気色を滲ませて。





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