魔獣(ビースト)
「ありがとうございます」
ハンモックのような縄から解放され、青年が『ひとまずこれで』と、バスタオルサイズの布を渡してくれた。
俺は借りた布を腰に巻いて大事なイチモツを隠すことが出来て、ようやく新たな大地に足がついた。
森の豊かで新鮮な空気をいっぱい吸い込み、優しく息を吐き、青空広がる天を見上げる。
股がスース―するのは気になるけど、原始人になった気分で今は良しとしよう。
「すまないが靴がない。ここから近くの村まで行く間は、悪いが裸足で我慢してくれ。キツイと言えば私が君を背負おう」
はじめ強張っていた表情から変わって、今は優しく微笑む青年がゆっくり手を出して握手を求める。
「私はコールス。君の名前はあるのかい?」
コールスと言う青年の手を握り、彼の優しさに緊張の糸が切れた俺も笑顔で返し、名前を言う。
「カナタです」
「カナタか。その名前は自分でつけたのか?」
「俺の母がつけました」
「どこかの女神様が名を授けてくれたんだな」
「いや、ごく一般的などこにでもいる鬼怖い母です」
話の流れで俺のことを神の使者としてコールスは接してくれているが、俺に特別な能力もなく、足の速さだけは自信がある一般人で、神を称えるような存在の扱いに気が引けてしまう。
ふむ。けど、俺はここに来てからまだ何もしていない。もしかすると何か起こせるんじゃないか。超能力とか魔法とか。
神様にまつわる伝説を信じるコールスの為に、一つくらい使者らしい神技を出せるか挑戦してみよう。
「フンス! ほぉぉぉ」
両手を上に大きく振り上げて、目をつむり息を吐いて気を集中させる。
すると、両腕がプルプル小さく震え始め、身体の底から何かが込み上げる。
「では村まで案内するからゆっくり着いて来て… どうしたカナタ」
コールスが俺に何か言っている気がするが、それより今はこの未知なるパワーがもう少しで何なのかが分かりそうな気がする。
腕だけでなく全身が震えて、先ほどの冷汗がまた噴き出て顔と背中を濡らした。
くる… 何かが… さあ見せてくれ… 俺の授けられし神業…
「コールス! 上を見ろ!」
「なっ! アレは!」
コールスの仲間の一人が何かを見て驚いた声でコールスを呼びかけ一驚する。コールス自身もそれを見て一驚した。
肌を撫でるような柔らかった風がザワザワと森を揺らし、枝から離れた葉っぱが空中を飛び交うざわつきが聞こえる。
目を開けて確認したいが、あともうちょっとで発動しそう。これで上手くいけば本当に神の使者となり、この世界でその存在として生きていくのも悪くない。
さあて、何が出るかな、何が出るかな。
「魔獣だ! そこから離れろカナタ!」
びーすと? おい、まてよ… ビーストって獣なんじゃ…
穏やかな空気が一変にして、重力の重みが増したかのように身体が重く感じ、明らかにヤバい事態だと察する。
正直、意味のない形だけの儀式を中断し、恐る恐る目を開き頭上を見上げると現実では考えられない生物が瞳にしっかり映った。
『グオオオオォォォ!』
途端に、周囲に地鳴りを起こすほどの雄叫びが俺の鼓膜を痛く刺激して、あとにキーンと耳鳴りが残った。
魔獣は巨大な翼をはためかせ空を舞い、俺は現実を受け止めきれないまま、恐怖で指一つ動かせない硬直状態になった。
エサを狙う鷹のような鋭い目をした魔獣は、コールスの方ではなく微動だにしない俺を見つめる。
かつてない恐怖心が増して声すら出せない。まさに蛇に睨まれた蛙。この言葉にピッタリすぎる最悪な展開。
『グオオオオオオオオオオオォォォ!!!』
映画やアニメやゲームでしか聞いたことない、リアルな獣の雄叫びと共に魔獣が俺にめがけて飛行してくる。
さっきの儀式中に起きた不思議な震えと、ドバっとあふれ出る冷汗はこの危険を察知した予知能力なのか。
予知能力があるんなら最初から教えてくれよなカミサマ。今更知ったところで意味ないじゃないか。
避けられない猛撃に為す術もなく、先ほどから風圧を全身に浴びている俺はただ息を吸う。
「はあッ!」
絶体絶命の中、コールスの高々な掛け声が聞こえ、四つの槍が真っすぐ魔獣へ飛び込んでいく。
同時にその時俺は、実はちょっと前から鼻の穴に違和感を感じていた。そして、
「ぶぇっくしゅッッッ!」
『グゥオオォォォォオオ!』
硬直状態と言いつつも、鼻の穴がムズムズしていて耐えきれず思いっきりクシャミが炸裂。
魔獣の身体に四つの槍が見事に刺さり、貫通はしていないがダメージが効いてフラフラ揺れ、針路が微かにずれて地面へ衝突。
クシャミの反動でしゃがんだ形となって、魔獣には間一髪当たらずに済んだ。
「今のうちに逃げろ!」
コールスの焦り声で意識が我に返り、後ろに倒れた魔獣を見ず、ひたすら全力前進で走る。
「来い突然変異体の魔獣。この私が相手だ」
俺を助けるためコールスが自ら魔獣へ向かい、誘き寄せる。
魔獣の身体に刺さった槍に向けて手をかざすと、引力が働いて槍が身体から抜けて素早い速さでコールスの手元に戻って行く。同じく仲間たちも手をかざし、槍が手元に戻って行った。
守衛が戦闘態勢に入り、手汗を握る戦うシーンを見てみたかったが、それどころじゃない。
「我が身大事! 一度死んだけど!」
魔獣は職人たちに任せ、一般人は自慢の足でならべく彼らから距離を離れることだけを考えていた。