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38 手紙という遺書

 

 ――時間は少しだけさかのぼる。



 ここは、彩乃の病室。


 ベッドに座る彩乃の側には、大学の友達であるしずかと京子の姿があった。


「こ、これが、入手困難という噂の……」


 神妙な面持ちのしずかは、切り分けられたバウムクーヘンをジッと見つめていた。

 それを彩乃と京子は、固唾をのんで見守っている。


 しばらくの葛藤の末、意を決してしずかが大口を開けて噛り付いた。

 

「んー、うまッ! すげー何だこりゃ」


 と、口に入れた瞬間、すぐさま驚きの声を張り上げたのだ。

 目を丸くして、手に持ったバウムクーヘンを、裏と表を凝視しながら仰天していた。

 頬は大口でかじりついたため、膨らんでいる。



 今日は、お昼過ぎに親友のしずかと京子がお見舞いに来ていた。

 そして彼女たちは今、有名菓子店である木輪屋のバウムクーヘンを食べていたのだ。

 知っての通り、それは海斗が昨日、彩乃のために持ってきた洋菓子である。それを彩乃の提案により、一緒に食べる事となったのである。



「実は、私もここのバウム食べるの初めてなんですよ。とっても人気があって、めったにお目にかかれないですからね。買うのにすごく苦労したと思いますよ。すごいですよ海斗君は。そんな彩乃ちゃんは、もっと羨ましいです」


 京子は微笑しながらそう言うと、フォークで小さく切り取ったバウムを口に運んでいた。


「羨ましいだなんて、そんなことないよぉ」


 まんざらでもないといった表情で照れ隠しをする彩乃に、京子が踏み込んだ質問をした。


「……で? 海斗君とはどうなんです? うまくいったんでしょ?」


 と、フォークをくわえながら、色っぽい上目遣いで訊いてきた。


「えっ……ど、どうって」


「だってぇー、彩乃ちゃん。さっきからずーっとお顔がニヤニヤしてるんだもん」


「そ、そっかなぁ」


「そうよ。きっと、昨日あたりなにかイイことあったんじゃないかなーって、私は思っちゃったりしちゃうんです。特に、海斗君と……ね♡」


 京子は小首を傾げてニッコリと彩乃の顔を覗き込む。

 彩乃は目を逸らして「ま、まあ」と、恥ずかし気にささやいた。それを聞いた京子は、更に顔面を崩して、


「やっぱり、いやぁ~ん、あ・や・の・ちゃん~、そっか、そっか、うんうん」


 と、色っぽい声を出して彩乃をからかう。

 彩乃は「ちょ、京子ちゃん」と掌をバタバタとさせながら、赤くなる顔とあふれ出る恥ずかしさを隠そうとしていた。


「ふふっ、彩乃ちゃん、可愛い♡」と京子は肩をよせて言った。


 そんな感じで二人がじゃれ合っていると、


「うわー、やば! やば! マジ美味い! 彩乃、もう一切れ貰ってもいいか?」


 と、しずかは興奮気味にお代わりを請求していた。


 あっという間に分け与えられたバウムクーヘンを食べ切ってしまい、空っぽになったお皿を彩乃の前に差し出してきたのだ。


 やや気圧され気味になった彩乃。

 見れば手元には、まだ手を付けてなかったバウムクーヘンの切り分け、彩乃自身の分があった。

 彩乃はそれを迷うことなく「はい、これどうぞ」としずかに渡そうとした。すると、それを見ていた京子が、


「それって彩乃ちゃんのなんですよ。いいのですか?」


 と、請求しているしずかの前を遮る格好で、彩乃を心配したのだ。

 

「京子ちゃんありがとう。でも、まだいっぱいあるから。しずかさん、遠慮しないで食べてね」

 

 そう言って彩乃はしずかに、お皿の一切れを手渡した。

 サッと受け取るしずかに、京子は軽くため息をつく。


 簡易テーブルに置かれていた、切り株のような物体。

 割と大きめなバウムクーヘン本体は、海斗が惜しみなく大枚をはたいて購入したに違いない。よほどがっつりと食さない限り無くなりはしないだろう。それ位のおおきさだった。


 そこから、彩乃は小さなナイフで再び切り分けをする。

 

 その姿を見て、ふと疑問に思った京子は「……それって、まだ海斗君食べてないんでしょ?」と彩乃に訊いた。


「うん、昨日持ってきてくれたばっかだから。でも、カイはみんなで食べてくれた方がイイって言ってたし……それに、ほら、まだこんなにあるでしょ」


 見れば、確かに残りはまだまだあるように見えるが、実際のところ最初の大きさから半分ほどは切り取られた形になっている。

 しかし、目の前のバウムを食べたいだけのしずかは、そんなことはお構いなしに、


「そうだ、そうだ! 京子はケチケチすんなよな」


 と、京子に野次を飛ばす。ムッとした京子は後ろを振り向き、眉を寄せた。


「あなたは黙っていて下さい! せっかく海斗君に貰った貴重なものなんですから。彩乃ちゃんも、ちゃんとご家族の方にも、わけて差し上げないとですよ」

 

 京子に言われて「あー、それも、そっか」と、納得する彩乃。

 それでも、それ程気にした様子を見せてはいなかったが。



 結局、昨夜は時間が遅かったこともあり、海斗と彩乃はバウムクーヘンを食べてはいなかった。

 せっかく海斗が買ってきてくれた洋菓子。

 明日にでも一緒に食べようと彩乃が提案したのだが、出来るだけ美味しいうちに早く食べてほしいと海斗は言ったのだ。もしも、夕方の訪問になってしまう自分より、友達が先に来てくれたのなら、僕の事は気にせずに食べてくれと言っていた。


 その言葉がフラグになったのだろうか、それとも匂いを嗅ぎつけてきたのだろうか、案の定たまにやってくるしずかと京子が、正午過ぎに顔をだしたのである。


 それに加えて、母親もそろそろ顔を出すのではないかと、彩乃は思っていた。


「おー、うめえなぁ」と白い歯をむき出しにした笑顔で、しずかは二個目のバウムを頬張っていた。


「……もう! しずかさん。これは、滅多に食べられない高級なお菓子なんですよ。もっと味わって、ゆっくり食べて下さいよ。もったいないじゃないですか」


 そう、しずかに注意する京子は、お皿の上のバウムクーヘンを、ファークを器用に使って外側から一枚づつ年輪を、丁寧にはがしながら食していた。


「チッ、お前、そんなちまちました食い方で旨いのかよ? こういうのはな、豪快に食ってこそ本来の味わいがわかるってもんよ」


 と、しずかは少しだけ皮肉っぽく京子に対抗する。

 

「十分に美味しいですよ。しっとりとした食感と、ほど良い甘さが口の中に広がります。一切れ一切れ、じっくりと味わえますから、最高に堪能できますよ」


 二人の掛け合いを笑いながら見つつ、彩乃はバウムを口に入れた。


「んーーーー! 美味しい~」


 香ばしい風味と、深みのある甘さが口の中に広がると、彩乃も顔をとろけさせて至福の感情を表現していた。


「んだろ!」と、さも自分の手柄であるかのように、しずかは得意げに言った。

 それを気にかけることなく、京子は淡々と食べ進める。

 と、おなじペースで食べ進める彩乃が「ん゛ん゛ッ」と喉を鳴らした。


 口の中の水分がスポンジに吸収されてしまい、喉をうまく通らないのだろう。

 京子はそれを見て、自分の喉の渇きもあることから、気を利かせて言った。

 

「……なんだか甘くって、喉乾きますよね。私、売店行ってお茶買ってきますので、皆さん何かご希望ありますか?」


「おう、わりいな。渋めの奴、買ってきてくれ」


「はいはい。……彩乃ちゃんは、飲み物何にします? 他に欲しい物とかあれば」


「んー、アヤのお茶はここにあるし、特に買ってきてほしい物も無いし……いいかな」


 彩乃は、小さな冷蔵庫からお茶の入ったペットボトルを取り出す。

 冷蔵庫の中が気になった京子は、覗き見て確認すると、柔らかい笑みを返して言った。


「もうちょっとくらいあってもいいと思いますから、追加で買ってきますよ」


「ごめんね京子ちゃん。気を使わせちゃって」


「いえいえ、私に出来る事なら何でも言ってください」


 その言葉に、しずかがなにかを思いついたのか、横で手を上げて言った。


「あっ、京子。しょっぱい煎餅みたいなのもよろしくな」


 甘いものを食べた後の反動で起こりえる、しょっぱい物を食べたくなる生理現象なのだろうか。本当は、彩乃のために言ったのだと思いつつも、京子もまた、しずかが言ったその言葉に少しだけだが納得してしまう。


「……はいはい……じゃ、行ってきますね」


 そう言って、京子は彩乃の病室を離れていった。


 


 今、病室にいるのは二人だけになった。

 急に静かになった病室。しずかはスマホをいじっていた。

 少しだけその様子を見ていた彩乃は、窓の景色に視線を向けると、ぼそりと口を開いた。


「……実はね、しずかさんにお願いがあるの」


「ん?」 


「しずかさんにお願いしたいことがあるの。聞いてくれる?」


「いいけど、アタシにか? 京子じゃなくていいのか?」


 しずかはスマホの画面から目を離さず、素っ気無い言葉を返す。


「そ、しずかさんに。どうしても」


 弾んだ声で彩乃が言うと、しずかはちらりと彩乃の顔を見た。

 口端をキュッと上げて微笑むその姿に、しずかは妙な違和感を感じてしまう。


 彩乃は、ベッドの脇にある棚に手を掛けて引き出しを開けた。

 そして、その中から一枚のかわいらしい封筒を取り出した。


「ん? なんだそれ?」


「……これはね。アヤからカイへの手紙なの」


「ふうん……今更ラブレターかよ。で? それを渡したいのか……あれ? 彼氏君って毎日来るんだろ? だったら自分で渡しゃいいじゃんか」


「ううん、違うの。これはね…………アヤの、遺書なの」


「えっ! おーい、おいおい、遺書ってなんだよ!」


 しずかは、驚き語尾を荒げて言った。彩乃はそれを気にする様子も無く、淡々と話を続ける。


「なんだよって……そうよ、とっても大事な遺書。カイにどうしても伝えたいことが書いてあるの。だから、それを、しずかさんにお願いしたくって」


「お願いって…………え? まさかとは思うが、お前、自分が死ぬなんて思ってるんじゃないよな?」


「もちろん、そんなつもりは全然ないわよ。だってアヤは今、一番幸せなんだもん。こんな時に死んでたまるもんかって思ってるわ」


「だったら、こんな――」


「だから、だからなのよ。この手紙はしずかさんに預かっていてほしいの。その日が来るまで持っててもらって、アヤが死んだらカイに手渡してほしいの。お願いね」


「ちょ、ちょっと待ってくれ! そんな大切な物、アタシが預かるなんて――」


「大丈夫、死ぬつもりなんて1ミリも考えていないから。うん。……それって、万が一の、保険のようなものだからね。アヤの気持ちを落ち着かせたい、それが一番の理由。他意はないわ。それに、それ(・・)を預けられる人って、しずかさんの他にいないから」


「…………マジかよ」


 彩乃はしずかに向かって、うんうんマジ、と相槌をする。手紙を託されてしまったしずかは、額に変な汗をかきながらジト目で彩乃を見据えていた。


 にっこりと笑い返す彩乃は、そのまま話の続きを切り出す。

 目は伏せて声を震わせながら。


「……ただね、しずかさん」


「只? なんだよ?」


「入院してから、日を重ねるごとに体の調子が悪くなっていくのが自分でもわかっていて……今だって、こうやって座ってるんだけど、凄く辛くて……」


「…………」


「でね、もうすぐ自分が、彼の前からいなくなっちゃうんじゃないかなーって、そんな夢まで見るようになって、ずっと気になって、それで……書いたの」


「バ、バカ言うなよ。いつも能天気なお前が、死んじまうわけねえだろう」


「ふふっ、だよね。そうだよね」


 目尻の涙を拭い、笑顔を返す彩乃。

 しずかは沈んだ空気を吹き飛ばそうと、悪態をついた。


「そうだよ、バァーカ!!」


 彩乃は手紙の入った封筒を、しずかに手渡した。

 受け取ったしずかは、しばらくその封筒を見つめている。そして、


「……もしも……もじもだぞ。アタシがこの手紙を読んだら、お前はどうするよ?」


 しずかはその鋭い視線を彩乃に向けると、そう呟いた。


「まあ、見られてもそんなに恥ずかしいこと書いてないし、大丈夫なんだけど……第一にアヤは、しずかさんを信用してますから、間違ってもそんなことしない人だと」


「……それって、京子よりも、ってことか?」


「ええ、そうよ。京子ちゃんて、見た目通りふわふわした子でしょ、何考えているかわかんないところあるし」


「まあ、確かにな」


「だから、秘密を託すんだったらしずかさんだって、決めてたの。二人だけになれて、丁度よかったわ」


「……ふう、秘密かぁ……まあ、考え方次第じゃ、それも悪くねえかな」


「でしょー」


「もう一度訊くが、本当にこの手紙、アタシが預かってていいんだな?」


「ええ勿論、おねがいします。しずかさんしか頼める人いないから」


「……この手紙が、遺書にならないことを、開封されないことをアタシは願ってるよ。マジで」


「ありがとう、しずかさん。うふ」


 彩乃の見せた笑顔に、どうにも腑に落ちないといった感じのしずかは、鼻を鳴らしながら自分のバックへ封筒を仕舞った。

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