第4話 幽霊って信じる?
あれから一ヶ月が経った。
あいも変わらず電車に揺られ、上司に怒鳴られ、うんざりする毎日だ。あの化け物を退治した日はなんだったのか、実に平和である。
アルブ・ギギさんの話では俺の力が必要になれば呼ぶとか言ってたけど、今のところそれは無い。まぁ、そりゃ毎日世界の危機が訪れる筈もないし、当然と言えば当然か。
ただ、変わった事もある。
一番はやっぱり、
「エンリー、こっちおいでー」
エンリ、俺の過去が異能として発現した力。ソファで寛いでいた身体を起こして寄って来る姿は、俺にとって何よりの癒しだ。
「キューオ?」
「よしよしよしよしよし」
名前についてはかなり悩んだが、選んでみればこれで良かったと思う。付けるならこう、オシャレな名前の方がエンリも嬉しいだろうし。
しかし、俺はオシャレなだけでは選ばない。ちゃんとした理由もある。
エンリ、漢字で表すと円の理と書いて円理となる。黄金の輪っかを見て着想を得た。それと、エンリの能力を鑑みればなかなかに合っているのだ。
エンリの能力とは即ち、封じる力である。迷いを司っていると言ってもいい。
エンリが俺の視界に入った直後、脳裏に浮かんだのは《廻廊》の文字。そこからある程度の力の使い方がわかった。
あの化け物、オビゲウスは倒したように見えるが実際はまだエンリの中で生きていて、終わりのない迷宮を歩いている。
終わりがない、そこでイメージしたのが丸や八の字の無限。ここから考えに考えたのが円理というね、俺にしては頑張ったのではなかろうか。
まだこの力の全容を把握出来ていないが、そこはまあ後々わかってくるだろう。
でだ。
もう一つ、変わった事がある。
『確かに見たんだよ! 首が駐車場にいっぱいいて、お、踊ってたんだ!』
ピッ
『毎晩寝る時に聞こえるんです。クスクス、クスクスって笑い声が』
ピッ
『UFOを見たんだ。え? 胡散臭いって? 俺もそう思うけどさ、信じないならそれでも良いよ。ただし、言葉には気を付けろよ。後になって信じてましたは通用しないんだからさ』
デデーン! キャーキャーワーワー!
ピッと、テレビの電源を消した。
2019年6月
空前のオカルトブーム、到来。
◆○◆
「あち〜」
夕暮れの特徴的な明るい光を浴びて、会社の先輩方に頼まれた飲み物を買った俺は周囲に目を走らせる。
目の前にある自販機を中心に公園にいる子供、それを見守る母親、ふざけたようにブランコでたむろする学生。
その誰もが、気付いていない。
横に長い頭を振り回して走る爺さんを。
マンホールの蓋の隙間から伸ばす黒い手を。
浮遊する目玉、般若顔の猿、和風の歌を口遊む首無し女、人の顔を形作るハエの群、等々。それらを眺めながら妙に柔らかいベンチに座り、先輩方より一足先にお茶を飲んだ。
「ママー、あの人何やってるのぉ?」
「しっ、目を合わせちゃいけません!」
下を見ればそれはベンチではなく、ベンチみたいな犬だった。複眼をギョロつかせ、犬特有のハッハッという息遣いが聞こえる。
俺はそっと立ち上がり、本物と確認したベンチに座りながら空を見た。
馬鹿でかい鳥が風を巻き起こし、俺が持っていたお茶が中身を散らしながら彼方に吹き飛んだ。
あ、あーあーあー。しょうがない、よくある事だ。また買い直せばいい。何の問題も無い。
最近よくあるよねーこれ。オカルトブームだっけ? 今巷で最もホットでワンダフルな、子供が好きそうな話題だよね。
うんうん、と頷いていると、足元にハトが集まってきた。
風に起こされて食べ物のカスが飛んだのか。美味しそうに啄むそれは、浮遊していた目玉であった。
ダンッ! と地面を蹴れば、四本足のハトはバサバサと慌てて何処かに飛び去って行った。
「ねぇママあの人ーー」
「しっ! 見ちゃーー」
でもさ、流行りは所詮流行りで、時間が経てばまた元通りの日常に戻るさ。
「あ、すいません。ぼーるとってくれますか?」
考えていると、遠くからサッカーボールが飛んできた。小学生くらいか、やんちゃ盛りの少年は元気いっぱいである。
そうだ、またこんな日常が戻ってくるさ。ボールを蹴り返そうと足を引き、見た。
サッカーボールに張り付く人間の顔を。
戻る。戻るさ。俺の退屈でつまらない日常。平和だったあの日に。変わらないあの日に。もど、もど、もど、
戻らねぇぇぇぇぇえええええええええ!!!
腹の立つ顔に全力で蹴りを入れ、ボールは何処かへと飛んでいった。
確かに非日常を望んでいたけど、いたけども!
知ってはいた。戻れないって、そうアルブ・ギギさんに教えて貰ったから。
ある一定の文明レベルに到達していない惑星は、オゴロギアムの強制力によって保護されていて、外界の、つまり宇宙からの影響をシャットアウトしてくれていたと聞く。
そのおかげで何も知らずに生きてこれたわけだが、俺がその壁を破ってしまった。
本来ならもっと文明レベルが発達して、地球上では人が何も怖くない生活を送れるようになって初めて条件が満たされるのを、俺一人の力が強過ぎて見事に条件を達成。
一気に第八位という、銀河連合に仮とはいえ登録されてしまうまでになり、こうなっている。
こんな不安定なままで問題が起きないのか?
起きるに決まっている。
宇宙に蔓延るゴミーーアルブ・ギギさんによれば通称ハードは生命の思念が消費され、残りカスが適当に集まったものを指すらしい。だからこそ掃除と揶揄されているが、大事なのはそこじゃない。
つまり、生きている限りハードは増え続けるという事だ。
今はまだ無害だが、残りカスでも集まれば強力な個体が生まれてしまう。そうなればテレビの笑い話に収まらず、最悪死人が出る可能性もある。
まぁ、あまり心配はしていない。それはーー
「うぐっ、ひっぐ」
ハッ! しまった。恐る恐る後ろを向くと、少年は顔を歪ませ、俯きながら、泣いた。
「うわぁぁぁん! うわぁぁぁん!」
「ごごごごめんね! お兄さん気が立っちゃってて、すぐボール見つけてくるから! ね! 男の子だろ君、そんな簡単に泣いちゃいかんよ!! 大丈夫! 探すから、ちゃんと探すから!」
人があまりいなくて良かった。
特に大人は誰もいない。俺の奇行に親子共々帰って行ったようだ。
ただ中学生くらいの奴らはなにか見てはいけないものを見てしまった表情でそそくさと立ち去っている。写真を撮ろうとしたやつもいたが、携帯は念力で吹き飛ばした。
握り潰すべきだったか、でも流石にそれは……
しかし、不味いな。
かなり目立ってしまった。
顔を覚えられたかもしれない。
ま、やっちゃったもんはしょうがない。兎に角今はサッカーボールを探さないとな。
電柱の角を曲がり、自転車が並べられている細い道をしばらく走って行くと、見つけた。サッカーボールだ。
選挙の貼り紙にある男性の顔に丸い跡が付き、そこにさっきの腹立つ顔が浮かんでいるが、どうでもいい。
ちゃっちゃと回収しよう、としたのだが、どうも様子がおかしい。
人が頭を抱えている。
「だ、大丈夫ですか!?」
これ、もしかして。
自分の予想に冷や汗が出た。
見た目からして女性だ。少し離れた所に手引きする荷車があり、旗に段々宮豆腐と書かれている。
豆腐屋か? この辺では珍しいな。
「怪我はありませんか?」
「は、はい。ありがとうございます」
そう言って女性が顔を上げた瞬間、俺は衝撃のあまり息が出来なくなった。
嘘、だろ。
記憶にはあった。もう一人の俺だが、知ってはいた。その愛する女性の顔を。
青色の三角巾を頭に被る眼鏡をかけた女性。というより、女子か。高校生くらいに見える。下がった眦と泣き黒子が、何故か幼く感じさせた。
あっていいのかこんな偶然。
いや、本当に本人なのか? 似た人なんじゃないかと疑ってしまう。
「あ、あの……」
オドオドとした振る舞いと、猫背が気になる人だ。ただ、彼女の胸部を考慮するならば、それもまた仕方なし。
凄く、でかいです。猫背でも強調されるあたり、本当にメロンでも詰まってるのかもしれん。
成る程、確かに何千もの並行世界を渡り歩いてでも救いたいオパーイである。
「ああ、すいません。少しボーッとしてました。ところで、どうしてあそこで、その、頭を抱えてたんです?」
「はい、あの、ペットボトルが降ってきて」
「身体に当たったんですか?」
やっぱり当たっていたか。不注意とはいえ、怪我をさせるなんて。
「いえ、近くに落ちただけなんですけど、サッカーボールが」
「当たったんですか?」
え、本当に大丈夫なのかそれ? サッカーボールは痛いだろう。当たりどころが悪ければこの程度では済まない。運が良かったのか。
「いえ、それも近くに落ちただけで……」
じゃあ、携帯か!? 金属があの勢いで頭に当たるって、かなり不味いだろ! 早く病院で診て貰わないと!
「携帯が目の前に落ちてきて、それで、壊れる大きな音にびっくりして壁に頭をぶつけちゃって……」
……ぇえ。いや、まぁ、無事で良かったけど。
これ、全部俺のせいじゃねーか。
運命的な何かを感じる。一投目が駄目なら二投目、二投目が駄目なら三投目と運命くんが無駄な頑張りを発揮しているのか。
けどなぁ、正直関わりたくないな。負い目というのか、あれだけもう一人の俺が必死に助けようとしていたのに普通に生きていて、なんの努力もしていない俺が繋がりを持とうとしている。
それで平気な顔して接することができるのか?
たぶん無理だ。俺にはできそうにない。俺自身だからこそ、強くそう思ってしまうのだ。
幸い怪我も軽そうだし、ここでおさらばしよう。
「そうですか。大きな怪我でなくで良かったです。それじゃあ僕はこのへんで」
会釈をしてから踵を返し、よし帰ろうと背を向けようとした時。「うっ」という声に足を止めた。
「どうしました?」
「大した事じゃ、無いです。ちょっとした貧血です」
そう言う割には結構顔色が悪いけどな。
「家に帰って休んだ方が良いですよ」
「はい。でも、その」
彼女の視線が手引きの荷車と段々宮豆腐の旗に向く。今は自力で持って行くのは無理っぽいな。空も暗くなってきてるし、女の子が一人で出歩くのも危ないか。
「じゃあ、僕がそれを運びますよ」
「えっ? そんな、大丈夫です。自分で運べますから」
「気にしなくても良いですよ。元はと言えば、僕が飛ばしてしまったサッカーボールも少しは非がありますから。ただすみません、ちょっと待っててくれませんか。このボールを友達に返さないといけなくて」
「そう、ですか。わかりました。ここで待っています」
少しは迷惑をかけたんだし、少しだけ関わるとしようかな。
なに、今日だけだ。送り届けたらそこでお終い。しかも俺は大人であの子は学生、共通点が無ければ自然と会う事もなくなるだろ。
しっかし、つくづく運命というものを感じずにはいられないな。
◆○◆
少し時間がかかってしまった。
ボールを無事少年に届けたまでは良かったが、なかなか泣き止んでくれなかったのだ。お菓子をあげてご機嫌を取り、その後友達になる約束をしてその場を去った。
俺は言った言葉に責任を持てる男である。
親御さんにチクるのはよくないと言い含めておくのも忘れない。
ともあれ、これで漸く向かえる。
さっきまでの道をなぞり段々宮のところへと歩みを進める。それにしても、可愛かったなぁ。恥ずかしがり屋で、胸部装甲が厚くて、おまけに眼鏡っ娘。
地味だが、なんとも庇護欲を掻き立てられる。
やっぱ好みも一緒なんだなと、この場にいないもう一人の俺にハイタッチしたい気分だ。
電柱の角を曲がり、自転車の並ぶ細道を通り過ぎていくと、着いた。
「綺麗だね、姉ちゃん。ねっ、俺らと今から遊ぼうよ」
「や、やめてくださいっ」
「そんなこと言わないでさぁ、いいだろ? なぁ!」
「いやっ!」
なんていうか、もう。
俺はため息を吐いて、絡まれている段々宮さんの所へと足を進めた。