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取り扱い注意な彼女とお手軽な僕

作者: もすこ

ストッキングは玄関に脱ぎっぱなし、いつ食べたのだか解らないカップラーメンがテーブルに乗っかっていた。出張が重なって二週間振りに会ったのにも関わらず、寝間着姿でソファベッドに転がって少女漫画を読んでる。時折、奇声を発してごろごろと転げまわり。ああ、ほら勢い余って床に落っこちた。

 僕の彼女、由衣ちゃんはとにかくだらしがない。ゴミ出しが面倒だと言って袋が二つ溜まっているし、空のペットボトルが至る所に散らばっている。広めのワンルームの部屋には漫画や雑誌が所狭しと積んであって、その上に紙袋が置いてあった。中身を覗いてみるとまた漫画。しかも埃がうっすら被っている。大方大人買いをしたは良いが気に入らない展開があったのだろう。途中で読むのをやめてほったらかし。ついでに言えば絶賛僕も放置され中である。話しかけてみたが、どうやら新刊に夢中らしい。

 厳しい家庭で育った由衣ちゃんは親元を離れた途端弾けた。今までの鬱憤を晴らすが如く気になるものを買いあさっては汚れていく部屋。最初は良かったんだ。気ままな独り暮らしだし過保護すぎるお母さんと離れて羽根を伸ばしているのだろうと微笑ましい気分で彼女を見守っていた。暫くすれば落ち着くだろうと楽観視していたんだと思う。けれど、由衣ちゃんのぐうたら生活は留まることを知らず現在まで続いている。どうしてこうなった。

 大学で知り合った僕たちは社会人になっても交際が続いている。付き合いが長くなったせいなのか好きだの愛しているだのと言葉にはしなくなったけど大事な大事な彼女である。互いが互いにそう思っているっていると考えていたのだけれど由衣ちゃんの甘い表情何てここ数ヶ月見ていない。加えてキスもハグも同じ期間ご無沙汰様だ。

二十代半ばとはいえ色気のない生活ってのはどうなんだろうか。漫画を読んでいる彼女の近くに座ってコロコロで床のゴミ取りをしている僕。ちょっとみじめな気分になる。久しぶりにデートの一つでもしてみたいもんだけど、化粧するのも着替えるのも面倒だと言って、ソファベッドから動こうとしない。いやいや、少しくらいご褒美をくれてもいいんじゃないだろうか。この部屋の掃除、ゴミ出しをしているのは僕なんだから功労賞がほしい。


「由衣ちゃん、ご飯食べに行かない?」

「どこ食べに行くの? ファミレス、それとも駅前のラーメン屋?」

「ビュッフェ行こうよ。東都ホテルで北海道フェスやってるらしいよ。ウニとかカニ、食べたくない?」

「混んでそう。土曜の昼間なんか家族連れ多いでしょ。平日友達と行ってきたら?大体遊びに行くのなんて趣味の合う人と行った方が楽しいよ」

「いやいや、僕デートしたいんですけど」

「え、嫌だよ。デートスポットなんか行ったところばかりじゃん。お台場も横浜も浅草も鎌倉もその他もろもろ付き合い始めの頃に行ったし。高級ランチとかディナーとか肩が凝るところよりそこら辺の店で食べたほうが気楽だしよっぽど良いよ」


さも面倒臭そうに言う由衣ちゃんは読んでる漫画から目を離さない。どうやら彼女は釣った魚に餌をやる気はないようだ。だけど今日の僕は一味違う。ここで諦めたら試合終了だ。


「一度行ったところでも良いじゃん。ラーメン食べたいなら中華街行こうよ。今赤レンガの方でイベントやってるらしいよ。ビールフェスタだって。先週会社の後輩が行ったんだけど、由衣ちゃんの好きなオランダとベルギーのビール沢山あるらしいよ」

「へえ。来週行ってくるわ。貴重な情報ありがとう」

「来週は僕行けないじゃん。今日今から一緒に行こうよ。山下公園とか久しぶりに行ってさ、ジェラートでも食べようよ。最近新しくできたイタリアンジェラートの店美味しいんだってさ。それにデコレーションにもこだわってるらしくて可愛いんだよ」

「興味ない。てかさ、よくもまあ下らないことでぺらぺらと舌が回るよね。どうせ集めた情報って『週末デート 大人編(R25)』からでしょ。会社の子が読んでたわ。横浜特集ってね。私前言ったよね。繁忙期だから家でゆっくりしたいって。折角ストレスフリーの週末なのにさ、洗濯しろ掃除しろデートしろってやかましいな」


漫画からようやく目を離してくれた由衣ちゃんっだったが表情は険しい。完全に不機嫌モードだ。早く謝って宥めなくちゃバラエティに富んだ悪口雑言が飛んでくるに違いない。既に秒読み段階にまで入っている。危険察知センサーに赤ランプ点灯、警鐘がなっている状態だ。

本来であれば「ごめんね」と言って引き下がるのが一番被害の少ない対処法だ。だけど、だけどさ。久しぶりに会った彼女とデートしたいっていうのはこんなに怒られなくちゃいけないものなのか。由衣ちゃんの喜びそうなスポットを調査して、実際行った人に聞いて。プランまで考えてたというのに、こんな反応はあんまりだ。

大体掃除洗濯料理って僕がほとんどやっているじゃないか。繁忙期だって聞いたのは二ヶ月も前。三六五日忙しいんですか、エブリデイ繁忙期ですか。最後にデートしたの誕生日の時だし、平日だからディナー行って解散。不満をあげてみると切りがない。

由衣ちゃんの不機嫌が移ったのか僕もだんだんむかむかして腹が立ってきた。


「何だよ、その言い方。僕だって忙しいよ。出張続きで空いた時間やりくりして由衣ちゃんに会いに来てるのに、掃除洗濯ゴミ出し結局全部僕がやっているんじゃないか。そのソファベッドだってさ常にベッド状態でソファ形態見たことないんですけど。だらしないんだよ、カップ麺の容器の中に割り箸入れっぱなしだし。漫画読んで奇妙な笑い浮かべるし、僕のこと見てないし。僕は家政婦じゃないよ」

「黙って聞いてりゃ言ってくれるじゃん。甲斐甲斐しいお世話ありがとう。でも大きなお世話だ。家に来るたび小言ばっかり、誠くんと居てもストレス指数上がるばっかで全然癒しになってないんですけど」

「僕も由衣ちゃんといても癒されない。全然可愛くない。いつも詰まらないような顔見てるとこっちまで盛り下がる。大嫌いだ」


彼女の顔の澄ました顔が歪んだ。僕は謝ることなく部屋を出た。いつになく乱暴にドアを閉めて、興奮冷めやらない感情は荒々しい足音に表れていた。いやいや、あんな言い方はないでしょう。大抵の文句は飲みこめる。由衣ちゃんが疲れているのも解っていたし、内弁慶だから会社の人間関係でストレスが溜まっていることは想像できたから。でも、でもさ。会話もおざなりで僕は家事ばっかりしててこんなの恋人とは言えないと思うんだ。大嫌いは言いすぎたかもしれないけれど、今回は引っ込むつもりないぞ。

力強く握りこぶしを作ったけれど、幾らかも知らないうちに高ぶった感情がしゅるしゅる萎んでいく。空気の抜けた風船みたいだ。爆発的ないらいらは初めこそ絶大なエネルギーを持つけれど中々続かない。元々怒鳴るとか喧嘩とか苦手な僕だからなおさらだ。今既に後悔している。最後に見た由衣ちゃんの顔は泣き出し寸前のものだった。いやいや、心を鬼にしなければ。僕も言いすぎたが、彼女のほうがずっと殺傷力のある言葉で胸を刺したんだ。謝らない、絶対に謝らない。

その日僕は溜まった鬱憤を晴らすため、有名なパティシエがやっているケーキ屋さんでホールケーキとマカロンを買い一気食いした。甘さは幸福を生むけれど過ぎ足るは胃もたれを引き起こすことを身を持って経験したのだった。



連絡が、無い。同期とサシ飲みをしている席。がやがやと賑やかな店内は心地がいいけれど、そんなことよりまずい状況に頭を抱えていた。由衣ちゃんと喧嘩してからもう十日になる。携帯を逐一チェックしているけれど彼女から連絡はまだ来ていない。もう既に別れたと思われているんだろうか。大嫌いと言ったから、これ幸いとストレスフリーのぐうたらライフを満喫しているとしたらやり切れない。


「誠、陰気な雰囲気出すなよ。折角の酒が不味くなる」

「だって相原、由衣ちゃんから音沙汰なしなんだよ。もう僕不安で不安で仕方ないんだよ」

「休みの度、家政婦扱いされてたって言うのに何でそんな女に執着しているんだか。新しい出会い探せよ。連絡来ないっていうのも明確な意思表示だろ」

「ちょっと悪く言わないでよ。そりゃだらしないところもあるけどさ、案外可愛いところあるんだよ。お菓子食べて笑ってるのとか、僕の誕生日の時もつっけんどんにプレゼント渡してきてさあ、中身なんだったと思う? 腕時計だよ。僕が好きなブランドの最新モデル。結構手に入れるの大変だっただろうにおくびにも出さないで。可愛いし、結構スタイルいいし、あれ由衣ちゃんって実はすごい彼女じゃない?」

「はいはいご馳走様。お前の惚気を肴に酒飲むなんて馬鹿馬鹿しい。どうせ下らないことで喧嘩したんだろ。さっさと謝って元サヤに収まれよ」

「いや、大嫌いって言った手前引っ込みつかないんだよね。でもさあ、こうやってビール飲んでてもごつい男の顔じゃ癒されないよね。由衣ちゃんの顔見てたらぶすくれてても美味しいのに、なんか味気ない」

「人畜無害な顔して結構言うよな。俺だってお前と顔つき合わせてるより可愛い女の子と飲みたいっつうの」


相原はエイヒレをつまみにちびりちびりと日本酒を舐めている。『天狗が舞』と言って石川の有名な酒だ。去年北陸旅行に行った時に気に入ったらしくそれ以来居酒屋に行くと度々頼んでいる。根っからの酒好きな彼は開拓と称しては行ったことのない店に僕を連れて行き飲み歩くのだ。


「どうしようかなあ。謝るって何か癪じゃない? 実際僕悪くないし」

「お前の恋愛模様なんてさらさら興味もないけどさあ、『すごい彼女』なんだろ。もたもたしてたら他の奴に掠め取られるぞ。それに時間が経てば経つほどこじれてくものだし、自然消滅ってのも嫌だろ」

「でも男のプライドってあるじゃん」

「被虐趣味の誠くんにそんなもんが備わってるとは思わないけど、くだらないプライドでこのまま別れていいのか? 良く良く考えてみろ。由衣さん居なくなったらお前に残る週末は合コンか俺らと飲むかの二択だ」

「嫌だよ。相原もほかの奴らもゲロゲロ族じゃん。酔いつぶれて介抱する役目なんてまっぴらだ。大体女の子なら可愛げもあるけど、お前らいびきかいてやかましいだけだし。でもまあ一理ある」


会話をすればトゲだらけ。皮肉屋で小心者。本当は人から嫌われるのを何より恐れている由衣ちゃん。コミュニケーションが上手くないからつい一言多くって煙たがれてしまう不器用な女の子。でも僕は知っている。わがままでだらしがなくてけたたましい時もあって、それでも笑った時の顔は誰よりも可愛い。目がおかしいんじゃないのと呆れた風に言うけれど口元が緩んでいる、内心喜ぶあまのじゃく。おっぱいも大きくて柔らかい身体も大好きだ。被虐趣味と言われようと欠点だらけな彼女が好きなのだ。


「相原悪い。今度奢るからお開きでいいかな? 由衣ちゃんに会いたくなってきた」

「誠、お前っていつも素直だな。行ってこいよ。振られたらやけ酒な」

「不吉なこと言わないでよ。まあでも当たって砕けろ猪突猛進の精神で突撃開始だ。ヘタレ舐めるなよ」

「どんな啖呵の切り方だ」


相原は席を立つ僕にひらひら手のひらを振って笑う。僕は携帯を取り出してメッセージを送る。それから親指を立て笑い返し、かばんをもって走り出した。社会人になってから全速力で走ることなんてない。でも会いたいんだ。今の時間なら会社にいる。幸いなことに居酒屋から近い距離だ。会いにいく、会いにいく。心臓に負荷がかかってどくどくと鼓動が激しくなってきた。僕、何やってんの。スーツ姿で彼女に会いたいからって会社にまで出向くなんて、まるで子供じゃないか。頭の冷静な部分が馬鹿にするけれど、由衣ちゃんの顔を目に映したい。十日間会わないなんてざらにあることなのにすっかり欠乏症だ。

 由衣ちゃんの会社のビルが見えてきた。大きいエントランスホールは既に消灯していてメインの入口は既に閉じられていた。しまった、警備上の関係で二十時には施錠されちゃうって言っていたっけ。そもそも不精の由衣ちゃんが仕事中に私用携帯を携帯しているのかも解らない。消された電気と同じく僕のやる気も消えていこうとしていた時だった。


「誠くん」


振り向くとコンビニのビニール袋を持った彼女だった。


「え、会社は?」

「飲み物買ってきてた。何で来てるの。良く解らないメッセージ来てたし。てか汗臭い」


通常運転の由衣ちゃんである。呆れた態度を隠さず半目になって僕を見ている。ああ久しぶりの彼女だ。変わらない姿にほっと安堵の息を付いた。けれどどうしよう。こんな反応されると謝るのってどうなんだろう。いや、勢い任せに行ってしまえ。深呼吸をして口を開いた。


「ごめん。大嫌いなんて嘘。大好きだ、由衣ちゃん。デートしたいのは由衣ちゃんだからなんだ」

「馬鹿じゃないの。そんなこと言うために態々走ってきたの。どこの青春漫画よ。てか馬鹿じゃないの」


安定の憎まれ口ありがとうございます。知ってるよ。声が震えているし、眉根が寄ってる。瞳からは涙がこぼれ落ちそうだ。


「大体こんな大きい声で大好きとか馬鹿じゃないの。謝るのはこっちなのに何でそうやっていつも先回りしちゃうの」

「うん。馬鹿だから良いんだ。理由とかプライドとか幾ら考えたって仕方がない。だって答えは初めから出てたし」


なおも言葉を連ねようとした彼女だったがそうは行かない。かばんを放り出して抱きしめる。知ってるんだよ。由衣ちゃんが邪険に出来ないってこと。本当は僕のこと好きでしょ。エネルギーチャージ完了した僕は万能だ。さっきまでの不安なんか全部吹き飛んでいた。腕の中に収まる彼女はやっぱり可愛い。泣いてる顔もだらしない姿も全部ひっくるめて好きなんだ。


「横浜の赤レンガ、全部おごりなら今度の休み行っても良いよ」

「うん、ありがとう」


うっかり調子に乗ってキスをしようとしたが理性的な由衣ちゃんの小さな掌によって阻止をされた。残業があるからってやっぱり会社に戻ってしまったけれど僕の心のもやはいつの間にか晴れていた。デートだ、デート。

完全浮かれモードに入っていた僕は知らない。次に会った時、会社の同僚にからかわれた、と烈火の如く怒る由衣ちゃんに対面することを。ただ、その日に飲んだビールは最高に美味しかったとも言っておこう。だって彼女の笑顔を見れたんだから。


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[気になる点] 由衣ちゃん視点も見てみたい( 'ω') [一言] 良き( ˇωˇ )
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