9.~イケメンは嫌いです~
――魔界にきて二日目、俺たちはアスタロト邸に向かっていた。
バアルの歓待を受けた翌日、早朝から叩き起こされると、すでに朝食の準備が整っていた。
こんなに早起きしたのは高校生以来だろうか……。
速やかに伝説のリッチを討伐するとは言っていたが、こんなに朝早くに起こされるとは思ってもみなかった。
まだ体は目覚めておらず、食欲もないが、パンを手にとって無理やり詰め込む。
「いつまでも食べているつもり? 早くなさい、街中を観光する時間がなくなるわよ?」
こいつは、本当に元気だな、もう食べたのかよ……
それに観光って何の話だ?
「いや、残念ながらそんな時間はない。今日は一日、馬車で走ってもらうぞ。車中から外を見るのは自由だが、それ以上は無理だな」
案の定、さっそくバアルにたしなめられている。
ことの重大性を理解していないウズメは観光したいと食い下がるが、バアルは相手にしない。
手を休めて、横目でそれを観察する。
「ほら、もっと食べないとダメだよ。野菜も残さないで……」
白雪は我関せずと、食のほそい俺に、もっと食べるよう促してくる。
俺の意思に反して、パンが皿に盛られた。
「もう、食べれないよ~」
「だめだめ、半分だけでも良いから食べなさい!」
「うえ~」
「ほらほら」
まるで幼子の世話をする母親のようだ。
俺のことを考えてくれているのは分かるが、少々やりすぎだと思うこともある。
仕方なく、パン半分と、野菜を少々平らげると、頭をなでてくれた。
……ちょっとうれしい。
俺たちが起きた時には、全ての準備ができていた。
あとは伝説のリッチと対峙すべく目的の地へ向かうだけとなっていたため、朝食を終わらすと、俺たちは、そのまま馬車に乗り込んだ。
伝説のリッチが復活したという場所までは、およそ六十㎞、馬車で二日の距離だ。
道中にあるアスタロト邸で一泊し、次の日に監視を行なっている野営に合流する。
野営には先に一級鑑定士を派遣しており、そこで奴の情報を入手する予定だ。
その後、対策を立てて戦いに臨むことになる。
俺たちを乗せた馬車が街中を走りだした。
「本当に人間の町にそっくりね。でもセンスが少し古いわ、中世のヨーロッパ?」
「ホントにな、住んでるのが魔族なことを除けば、人間の世界と同じじゃないか。どっちかがパクったってことか?」
「魔族は破壊することは得意だけど創造や生産は苦手だからね。たぶん地上から人間をさらって造らせたんだろうね」
バアルはうなずくと、ある方向を指差す。
指先には人間らしき男が見えた。
彼がゴーレムに指示を出して、何やら土木作業のようなことをしている。
「ご覧のとおり、あれは人間だ。だが、さらったわけではないぞ、双方が同意してのことだ。奴は願いごとを叶えて対価を払った。それだけの話だ」
俺には願いと対価の中身が分からない。
だが、昔話で聞くような、なんとも悪魔的な話だ。
まあ自分も同じ状況だったわけだが、第三者として聞くとな……。
又、それを平然と説明するバアルとの間には埋めがたい溝があるようにも感じた。
魔界に来てバアルの魔王としての側面にふれるうちに、俺の認識は少しずつ変わりつつあった。
今もバアルを好ましく思っているが、ただの美人とは思っていない。
男の顔に魔界で奉仕している悲壮感がなかったのが、俺にとっては救いであった。
街中から郊外に出ると、どこまでも続く草原地帯にでた。
今のところ問題は生じていない。夕方にはアスタロト邸に到着するだろうとバアルが言った。
――アスタロト邸に着いた。
「ようこそ、おいでくださいました」
城外まで迎えに出たアスタロトは深々と頭を下げた。
彼が高貴な身分であることは、その容姿と振る舞いから容易に想像できる。
そばで控える従者は雷帝バアルを直接見たことはなかったが、魔界の重鎮、魔王十席である主人アスタロトが頭を下げるのはただ一人だ。
赤髪の麗人がバアルであろうことは察しがついた。
……だが、あの者たちは何だ? 雷帝様の周りにいる、おかしな者たちは?
やる気のない冴えない顔をした男に、その腕にきゃっきゃとしがみつく女……
城壁に向かってタンを吐く不敬な女。
平民がアスタロトの眼前でこのような無礼を働けば、殺されてもおかしくないが、バアルとの関係も分からない以上、おいそれと追求はできない。
アスタロトも内心のモヤモヤを抑えて、整った顔を引き締めると報告を始めた。
「野営からの報告では本日十一時現在、伝説のリッチはロンダルギア最北東バシリ村付近におります。移動速度は遅く、明日もバシリ村付近にいるとみて良いでしょう。周辺の村民は退避させており、今は北東全域を立ち入り禁止として情報封鎖を行なっています……」
「ご苦労、だが少し疲れた。先に休憩するぞ。食事の用意をしろ…………なに、安心しろ、奴を倒す目処はついたぞ」
「おおお!!」
この難局に頭を痛めていたアスタロトはバアルの力強い言葉に安堵する。
さすがは我が雷帝様と感激するアスタロトは、まともに返事をするこを忘れてしまった。
その失態を補うように慌てて従者に食事の指示をだす。
バアルはこの城の主人のようにドカドカと奥へと進み、その後ろに俺たちが続く。
今日の食事も期待できそうだと、スキップをしながらバアルの後を追う俺たちの姿に、アスタロトのモヤモヤは更に大きくなった。
――アスタロトは手際のいい男だった。
バアルの訪れる時間も計算していたのだろう。
俺たちは応接間で待つこともなく、直接ダイニングホールに通された。
「わーい、今日もご馳走だね!」
「おお、作法も分かってきたし、今日はたくさん食べるぞ!」
「疲れた~! 酒持ってきて~! 一番いいやつね!」
「うむ、なかなかの料理だ」
バアルの歓待に勝るとも劣らない見事な料理が運ばれてくる。
昨日と同じようにガチャガチャ音を立てて料理を平らげていく俺たちの様子に、こいつらは本当に何者だという視線を投げかけるアスタロト。
「うま! この酒、うま! 気に入ったわ、どんどんついで頂戴」
(ぐはっ……1945年のロマネ・コンタじゃないか……うぬぬ、あんなにグビグビと、どれだけ貴重か分かっているのか?)
秘蔵のワインをがぶ飲みするウズメに対して、アスタロトの顔が少しゆがむ。
「はっはっはっ……いい飲みっぷりですね、どうですか食事のほうは? ご満足頂けましたか?」
「まあ、バアルのとこも美味しかったけど、ここの料理もなかなかのものよ! この酒もカビ臭いけど、なかなか良いわ!」
「はっはっはっ……」
バアルから接待を受ける者など、ごく限られた存在だ。
アスタロトでさえ雷帝に降った際に一度受けただけだ。
我々の前での不遜な態度、それを黙認する雷帝、彼らの言動、ムカつく奴らだがただ者でないことは確かなようだ。
俺は先ほどからアスタロトがこちらを伺っていることに気づいていたが、無視を決めこんでいた。
気に食わない……理由は金髪イケメンで、なおかつバアルに近い存在と思われるからだ。
幼稚な理由だが世の中そんなものだ、俺は聖人君子ではない。
「そう言えば、まだ紹介してなかったな? この者たちは私の友人だ」
アスタロトは魔界の頂点とも言えるバアルが口にした言葉の意味を考える。
雷帝様のご友人? 対等の者? そんなバカな? 比喩か? 様々な思いが巡るがすぐには答えがでない。
かまわずバアルは俺に自己紹介を促してきた。
(こいつと話したくないな……)
アスタロトを快く思っていない俺の頭にいたずら心が湧いた。
ビビらせてやろうとスキル《ミフネ/名演》を発動する。
神をも欺けるほど、ひたすら演技が上手くなるというウズメ固有のスキルだ。
途端に俺のまとう空気が一変する。
支配者特有の威厳が備わり、直視できないほどの威圧感を放った。雷帝バアルをも凌ぐ存在感だ。
給仕たちの足はとまり、中には土下座する者まで現れた。
ただ座っているだけの俺が発する異常な空気にアスタロトは刮目するが、態度が急変した理由が分からない。
何か琴線にふれる失礼があったのだろうか? 助けを求めるような視線をバアルに向ける。
「俺はマサオ・ニア・デビル……タスマニア地方からきた……」
バアルから正体を隠すように言われているため、むかし動物番組でみた肉食獣の名前を借用して偽名を名乗った。
「おお、まるで闇夜を支配する黒き魔獣のごとき力を感じる。すばらしい名前ですね……」
アスタロトは世辞を言うが、その顔に先ほどまでの余裕はない。
続いてウズメも答える。
「私はウズメ・ニア・タイガー、同じくタスマニア出身よ」
(おいおい、なんで被せてくるんだよ……)
「おお、イナズマのように疾走する伝説のオオカミが目に浮かびます。美しい名前ですね」
(お前は動物博士かよ……)
世辞に満足したウズメは鼻を高くしている。
白雪がこっそり俺の腕をつねってきた。
俺はバカだから気づかなかったが、どうやらやりすぎたようだ。
反省してスキルを解除した、彼女はいつも正しい助言をしてくれる。
それに合わせてアスタロトの緊張も緩んだ。
だが、さっきまでのおかしな奴らを見るような目はしていない。対等な者に対する視線だ。
一応、スキルを発動した意味はあったようだ。
(タスマニア……聞いたことのない地名だ)
彼は詳しい素性を尋ねかったが、不用意なことは聞けそうにない。
代わりに自身が疑問に思っていたことをバアルに尋ねた。
「ところで伝説のリッチの件ですが、どうやって成敗されるのでしょうか? 愚かな私にお聞かせ願えないでしょうか。他の魔王たちも召集されたのでしょうか?」
「うむ、奴は私とこの三人で処分する」
「っ!!」
伝説のリッチの戦力はおおよそ想像がついている。
雷帝といえども単騎では勝利を望めないだろう。
魔王十席の半数を率いて互角、確実に勝つなら魔王十席全員を率いる必要がある。
バアルほどの者がそれを理解していないわけがない。
信じられないことだが、彼女はこう言っているのだ。
この三名は魔王十席全員に匹敵すると……。
アスタロトは納得できない。
いや、他の魔王がここにいたとしても同じ考えを持つだろう。
確かにマサオ・ニア・デビルからは底知れぬものを感じた。
だがこんな氏素性の分からない者に雷帝様をまかせることなど出来ない。
彼は同行の許可を願いでた。最悪、自分が盾になるしかないという忠誠心からだ。
しかし、その願いはあっさりと却下されてしまった。
「北東地域の情報封鎖はお前でなければ務まらん。これは重要なことだ、完璧にこなすことを期待している」
「しかし!」
バアルは右手を前に出して言葉を制した。
これ以上の意見を許さない強い意志が感じられる。
アスタロトはそれ以上、意見が言えない。
母親に見捨てられた子供のようになんともいえない哀れな表情をしている。
彼は俺たちに顔を向けると、雷帝様をくれぐれも頼むと言い、深々と頭を下げた。