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5.~バアル様、バンザーイ!~

 ――ロンダルギア、魔界の中央に位置する広大な台地。

 周囲は険しい岩山に囲まれ、冬は長く厳しい。

 春秋の冬と言われる戦国時代に終止符をうち、魔界に大帝国を築き上げた魔王リヴィアタン。

 万年の時が経ち、伝説上の存在となった彼が残した天然の要害。

 リヴィアタン以来、この地を治める者が魔界の支配者であると認められている。

 その台地の南西に鎮座する贅を尽くした宮殿、パンデモニウム。


 その宮殿の一室、七百以上ある部屋の中で最もランクが高い部屋の一つ、銀水晶の間と言われる王の寝室から子供が泣きじゃくるような声が聞こえる。

 声の主は私。バアルである。


 私は、傍で正座した侍女に抱えられるように膝枕をされ、うえーん、うえーんと泣きながら恨みの言葉を吐き出していた。


「あの天使ひどいのよ! 人の物を横取りして! 私のことブスだって! うえーん! 絶対、絶対許さないんだから!」


 先刻、宮殿に戻った私は寝室に入るなり、この調子であり、私自身、この体たらくに少なからず驚いていた。

 まさか、正也を寝取られる形となったことがこれほど悔しいとは……


 ずっと孤独だった。

 雷帝と呼ばれ、配下の者なら捨てるほどいる。

 だが、対等の者、友、ましてや恋人などいない。

 欲しいと思ったこともなかったし、不満があったわけでもない。

 しかし、正也からあの提案を受けて、胸の奥で眠っていた素直な気持ちが目を覚ました。

 友達になって、恋人になって、夫婦……

 考えると戦場での高揚とは違う何か、不思議な気持ちが胸を高鳴らせて、顔が熱くなった。

 世界が輝いて見え、心地よい鼓動を感じる。

 私は今、どんな顔をしているのだろうか?

 正也を好きになったわけではないが、これからのことを想像するとワクワクした。

 それを、あのバカ天使め……許さんぞ。

 だが、幸い天使に対する正也の忠誠心は無いに等しい。

 それなら奪い返す方法もある。

 あの時、天使を滅ぼして再交渉することも出来たが、人間は暴力を恐れる。

 本性を見せれば、警戒するだろうし、その後の関係にも響いただろう。

 時間は十分ある。ゆっくりやるさ。

 先程まで無言でバアルを慰めていた侍女が口を開く。


「私もその天使の所業が許せません。特にバアル様に対する罵倒は万死に値します。その場にいれば八つ裂きにしてやったのに、口惜しい!」


 怒りでワナワナと震える侍女の名はリリス。

 バアルを名前で呼べる者は少ない。

 それが出来る彼女は、バアルと特別な信頼関係にあることを意味した。

 又、そうでなければ、バアルも子供のような姿をさらけだすことなど出来ない。


 リリスは表面上バアルの忠実なシモベに見えるが、彼女を動かしている原動力は忠誠心ではなく愛である。

 侍女という立場を利用して、バアルの使用済み下着をコレクションしているような変態的な愛だが……

 バアルを狂信的に愛しているリリスは、彼女に膝枕をさせる要因となった天使に対して感謝する一方、憎しみをつのらせる。

 当然、憎しみの方が勝り我が事のように憤っている。


「今からでも遅くありません。後悔させてやりましょう!」


 バアルも侍女に全てを話していない。

 正也の力は極秘事項だ……いずれは言うだろうが、それはまだ先の話だ。

 近衛の役割も果たす彼女は血気盛んに、ひたすら出撃許可を願い出る。

 忠誠心の現れとはいえ、血の気の多さには困ったものだな。


「うむ、リリスよ。お前の言葉、嬉しく思うぞ。だが、今はまだ早い」


 本気の言葉と伝えるために、泣くのをやめ、魔王の態度で語りかける。


「そんな! ザコ天使の1人くらい私だけでも葬りされます! どうか出撃許可を!」


「ふむ。だが、私の私怨を以って天使達との協定を破ることは出来ない。私は魔王として魔界全体の利益を優先させなければならないのだ」


「大丈夫です! バレないように上手くやります。是非、私にお命じ下さい!」


 天使だけなら問題ないのだが……いや、是非やって欲しい。

 それはもう、ボコボコにへこましてやりたい。

 だが、天使だけをやれと命じても事情を知らない彼女がどう動くか不安だ。

 恐らくそばにいる者も一緒に消そうとするに違いない。

 正也が近くにいた場合、事態は複雑になる。

 バアルは様々な言い訳を並べて彼女を説得すると、最後は独断で動かないように釘をさす。


「むっ、そろそろ、会議の時間だな、支度をせよ」


 強引に話を打ち切る。

 リリスは、あからさまに肩を落とし、渋々ながら命じられた通りに動き出す。

 しょんぼりとした姿を見ると、悪いことをしたような気になるが、仕方がない。

 今度は、人間界に連れていってやろう。

 上に立つ者として部下のケアも仕事のうちだ。

 魔王というのも、楽ではない。




 ――宮殿内、ルビーの間と呼ばれる会議室。

 政治、経済、外交、戦争その他魔界における重要事項の大半がここで決定される。

 従ってここを魔界の心臓部と捉える者も多い。

 室内は他の部屋ほど大きくはないが、内装の豪華さはひけをとらない。

 上品で透明感のある赤絨毯、繊細な杢目をもつ円卓、星々を彷彿させるシャンデリア、ここを王の間だと言えば信じる者もいるだろう、そんな造りだ。


「呆れましたよ。よくもおめおめと雷帝様の前に顔を出せたものですね? あなたはこの任務がどれほど重要なものか分かっているのですか?」


「もちろんだよ。魔界の統一、この偉業の一端を担えることは大変名誉なことだと思うし、来るべき天使達との戦いにおいて、重要な意味を持つ任務だということも分かっているつもりだ」


「分かっていながら、このざまとはねぇ?」


「耳が痛いよ。でも、仕方がないだろう。暗黒大陸に行ったこともない君には、分からないだろうがね」


 目つきが悪い長身痩躯の男 ベリアル。彼が金髪碧眼の美少年 アスタロトに小姑のような嫌味をぶつける。

 だが、アスタロトは挨拶をするような気軽さで、彼の言葉を軽く受け流している。

 いつものことなのだろう、周りの者は気にかけている様子もない。


 先の天使との大戦で敗北した要因の1つが悪魔軍の結束のなさであった。

 総戦力は悪魔たちが勝っていたが、一枚岩の組織として戦う天使軍に対して、悪魔軍は大小様々な勢力が好き勝手に暴れ回っているだけの状態であった。

 そこには大局的な戦略もなく、同士討ちが起こることも珍しくなかった。


 バアルが治める前の魔界は、戦国時代の再来と言われ、魔王が各地に乱立していた。

 基本的に魔王と呼ばれる者は大きな力を持ちプライドも高い。

 傲慢で他者を見下すことは出来ても団結や協力とは無縁の孤高の存在である。


 雷帝バアル、三十年前に突如として歴史に名を現した彼女は、その強大な力で瞬く間に頭角を現した。

 だが、特筆すべきはそこではない。

 以前の魔界では征服した相手を皆殺しにすることが常であった。

 魔王という者は恭順すること知らない。殺さずにいればいつか力を取り戻し、牙を剥く。

 ここでは、当たり前のことであり議論を待たない。


 征服したなら殺す、これが魔界でのセオリーであった。

 だが、バアルは降した魔王達を次々と傘下に引き入れ、実力に応じた地位につけた。

 これはそれまでの常識を覆すものであった。

 圧倒的な力で魔王を降し、至大なる器を持って従属させる。

 長い魔界史においても類を見ないことであった。

 これによって戦うたびに戦力は増強され、短期間で広大な魔界の大半を支配するに至った。

 今では北の(おに)霧島(ぎりしま)、南の暗黒大陸を除く全ての国の上に君臨している。


「まもなく雷帝様がお見えになります」


 係りの者が告げると、一斉に私語がやみ、魔王達は席に戻って直立不動の姿勢をとる。

 小悪魔がその威容ある姿を前にすれば、小便を漏らし、震える以外に何も出来ない、名の知れた魔王達だ。

 その魔王たちが訓練された猟犬のように規律正しく動く様は、ある意味異様な光景と言えた。


「雷帝様のお成りだ」


 勢いよくドアを開いて入室したリリスが言い放つ。

 私はリリスに先導され、円卓の上座に着座すると、周りの魔王達を一瞥し軽く片手を上げた。

 毎度のことながら、面倒なことだ。

 リリスは傍らに立ち、その意を魔王達に伝えた。


「楽にして良い」


 魔王達はさっと頭を下げ、即座に着席した。

 軍隊のようにきびきびした動きに、内心、辟易する。

 リリスはべリアルに顔を向けて報告を始めるよう目で合図する。


「雷帝様の麗しき御姿を拝し、私どもは恐悦至極にございます」


「うむ。皆も良く集まってくれた。大儀であった」


 バアルに対して臣下の礼をとり、慣れた口調で司会を始めた。


「さて、雷帝様の貴重なお時間を無駄にすることは来ません、早速ですが報告に移りたいと思います」

 

 べリアルは実務的な男だ。挨拶が終わるとさっそく本題に入る。

 味気はないが、数多くの会議をこなすバアルにはこの方がいい。


「では第一報告、南の暗黒大陸侵略の件、皆さんも既におおよそはご存知と思いますが、アスタロト卿から詳細を説明をして頂きます。アスタロト卿、お願いします」


 南の暗黒大陸、始まりの地とも呼ばれている。

 ここで生まれる悪魔は強力なものが多く、気性も荒い。

 常に争いが起きるこの地は、リヴィアタンでも支配下に置くことが出来なかった。

 そのため、この地を始めて統一した竜王ボルビックをバアル以上と見なす不届き者も少なからずいる。


 かの地に派遣されたアスタロトの任務は侵略ではなく外交と調査だ。

 侵略というのはべリアルからのささやかな嫌がらせだろう。


 竜王ボルビック、確かに侮れない相手だ。

 だがバアルは魔界をほぼ手中に収め、統一まであと一歩だ。

 強大な兵力も有し、力攻めでも征服することも出来だろう。

 つまり、この状況から逆転する手は竜王にはない。

 しかし、それは天使との大戦を度外視した考えだ。

 実際に戦うとなれば兵力の損耗は避けられない。

 それは天使を利するだけだ。敵の敵は味方であり、大戦を前に悪魔同士で争うことは全く愚かなことだ。

 そのため使者を送って、少なくとも大戦中の不可侵条約を結ぶことがアスタロトに課せられた任務であった。


 と、以上が表向きの理由である。


 実のところ、私は正也の動向こそ大戦の結果を左右するものと考えており、それ以外のことは些末なことと考えている。

 そのため、アスタロトから王都に辿り着くことさえできず、外交の入り口にすら立てなかった旨の報告を受けても大して心は動かなかった。


 アスタロトは報告を終え、バアルの言葉を待っている。

 任務は難しいものであったが、それは理由にならない。

 べリアルの前では軽口をたたいた彼であったが、雷帝の前で同じことが出来るほど肝は据わっていない。沈黙がつらく手に汗が滲む。

 さて、どうでも良いことだが、他の部下の手前、お咎めなしには出来ない。

 適当な理由をつけて、うやむやにしてやるか。


「……まさか、邪竜の群れに襲われ首都にたどり着くことも出来ぬとはな。相手を警戒させぬよう少数で行ったことが仇となったか……。その邪竜はおそらくボルビックの差し金であろうよ。アスタロト、大儀であった」


 厳しい叱責を受けることを覚悟していたアスタロトはただの感想とも言えるバアルの言葉に戸惑った。

 べリアルや他の魔王達は驚いている。

 だが、間をおいてバアルの偉大さを悟った彼らの感情は、感動に変わった。

 天使との戦いを前に、この余裕、まさに王の中の王、誰もがそう思った。


「だが、なんとか連絡手段が欲しいものだ。考えろ」

「はっ!」


 雷帝の器の大きさを目の当たりにしたアスタロトは、更なる忠義を誓い、その声に力を込める。


 その後も次々と報告があがり終了すると、バアルに代わって、リリスが魔王達に労いの言葉をかける。そして来た時と同じようにバアルを先導して退出する。

 今のところ、気にかけるような案件はないようだ。

 雑務はべリアルに回して、正也のことに集中しなくてはな。

 魔王達は直立不動の姿勢でそれを見送り、退出を確認すると堰を切ったように話しだした。


「雷帝様の器の大きさには驚きました」


「またアスタロト卿にお命じになられたが、大丈夫だろうか?」


「邪竜が群れをなすなど、見たこともありません。責任逃れのためにアスタロト卿が嘘をついているのではあるまいか」


 大半がバアルに対する賛辞とアスタロトに対する疑問である。


「雷帝様の寛大な心に救われましたな。ところで、新たに命じられた任務について考えは、おありか? 同輩のよしみ、手に負えないようなら私が代わろうか?」


 べリアルの言葉は、もちろん親切心からではない。

 正直、アスタロトに策などない。

 べリアルに丸投げできればどんなに楽なことか、だがそうすれば自分は無能と言っているようなものだ。他の魔王達の前でそれは出来ない。

 かといって断れば、失敗した時の立場はより悪くなる。実に彼らしい嫌がらせだ。


「ありがとう。だが、私が直接雷帝様から命じられたことだ、なんとか頑張ってみるつもりだ。もしかしたら君に力を貸してもらうこともあるかもしれないが、その時はよろしくお願いするよ」




 ――今日の予定は、もうない。

 私は自室に戻り、リリスに湯浴みの準備を命じた。

 いつもは専用の大浴場で入浴するが、今は気分を変えたかった。

 この風呂を使うのは、久しぶりだな。


 リリスは嬉々として作業に取り掛かる。

 本当に感心な奴だ。本来、近衛長に命じる仕事ではないのだが、彼女は自ら進んで事に当たってくれる。良くないことだとは思うが、そんな彼女にいつも甘えてしまう。

 バアルは気づいていないが、リリスの目は血走り鼻息も荒い。

 普通の者が、こんな奴を夜中の道端で見れば、一目で分かるだろう……変態だと。

 リリスは、バアルを愛している。

 いつもの大浴場では多くの小間使いが控えているため、彼女の出番はない。

 滅多にないチャンスだ。彼女は顔中の興奮と喜びを隠そうともしない。

 一刻も早く、ほにゃにゃらしたいと、ものスゴイ勢いで準備を整えている。


「はあ、はあ……バアル様、湯浴みの準備が整いました!」


「んっ」


 リリスがスッと後ろに立ち謁見用の大仰な衣裳を丁寧に脱がせていくと、中からシルクのような滑らかさを持った半透明の肌着が現れる。

 もう裸といっても差し支えない透けぐあいだ。


(おお、生きていて良かった……うふふ、なんというお美しいお姿)


 バアルからは見えないが、リリスが鼻から血を垂らしている……

 こんなに息が乱れるまで、急がせてしまって悪かったな。

 バアルの的外れな同情をよそに、彼女が肌着にそっと手をかけた。


「うひひ、体の隅々まで綺麗にいたしますね……」


 コンコン……


 リリスは血走った目をドアに向ける。


「何事だ! 雷帝様は今忙しい。下がれ!」


 至高の時間を邪魔されたリリスの声に怒気が宿っている。


「暗部三番隊所属、零の六です。緊急のお知らせを持って参りました。」


 暗部、バアル直属の私兵。兵の中でも特に優れたものが抜擢される精鋭部隊。

 その中でも三番隊は、監視や諜報活動を主な任務とする。

 彼らの任務は、いずれも重要なものばかだ。

 しかも、一桁ナンバー……これは、よっぽどのことだろう。

 リリスもすぐに事の大きさに気づくと、バアルにガウンを羽織らせ、零の六の入室に許可を出す。


 ドアが開き異形の者が入室した。

 ミイラのように包帯で全身を覆った異様な姿、違いはその包帯が黒色だという一点のみ。

 わずか数歩の動きだけでも相当な手練れであることが窺える。

 闇の忍者を彷彿させるそれは、歩み寄ると、頭を下げ、片膝をついて懐から手紙を出す。

 リリスがそれを受け取り、バアルに恭しく差し出す。


 魔法によるメッセージは簡単に傍受できる。

 手紙を寄越したのは重要な情報だからだろう。

 大層なことだ……しかし、こういう場合は大抵が良くない知らせだ。

 バアルはうんざりしながらも封を開いて目を通した。途端に険しい顔となり低い唸り声を出した。


(なんだと……伝説のリッチが復活しただと……)


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