第6話:三人暮らし
二人が家へと帰れたのは、それから数時間―――日が変わった頃の事だった。
持ち金を既に全て使った揺命とストレアは、その後迷宮のような細かい道を三時間かけて渡り、行き当たりばったりで何とかスラム街を抜け出し、傍目には恋人か奴隷と主人か、はたまた兄弟に見えた二人は、こっちだこっちだと言い合った後にどちらに行っても外れ、試行錯誤を繰り返した上でようやく娯楽街に辿り着いた。
しかし金を完全に失っていた揺命は、サキュバスの淫靡な誘いに惑わされながらも努力の末我慢し、帰宅する事を選んだ。彼女の服が薄く、寒そうだった為、サキュバスにフラれ正気に戻った揺命はその後は寄り道をせずに出来るだけ早く帰ろうとした。
しかし、本当にこの大都市は迷宮そのものであり、その後も行ったり来たりを繰り返したが娯楽街から抜け出せず、またスラムに戻る――といった愚行を繰り返した結果、日が変わってしまったのだ。
「はぁ、ファルテ怒ってっかなぁ。」
やっとの思いでたどり着いた家の玄関前で、溜息交じりの弱気な言葉を漏らす。ストレアは揺命のその様子を見て、
「ふぁるて…って誰。がーるふれんど?」
と、邪気の感じられない無表情で、淡々と尋ねてくる。まさか、と揺命は首を横に振る。あちらも「お姉ちゃん志望」な気がするし。
その動作を見て、「ふぅん」と適当な言葉を漏らし、彼女はその薄手の布の中でぶるりと身体を震わせる。
ストレアは家へ帰ってくる途中も、見た目は14歳程度なのにヤケに落ち着いていた。実年齢もその程度だろうが、種族的な違いだろうか。奴隷として連行されていた時に瞳が嘆いていた恐怖は、嘘のように消えていた。口数が少ない為に感情が欠落しているようにも見えるが、あくまで無表情なだけであり、娯楽街ではドラゴンのぬいぐるみを眺め瞳を輝かせていたものだ。
冷える夜の草原で、いつまでも幼女をこんな格好で立たせている訳にはいかない。そんな趣味は、生憎揺命は持ち合わせていないのだ。
「…ただいま」
意を決して、家の中へと飛び込む。不用心故にその扉には鍵が掛かっていなかった。苦笑を浮かべながらもストレアを家の中へ来るように手招きし、火の点いたままのランプに照らされたタオルでストレアの裸足の足を拭こうと身体をしゃがませる。彼女も特に抵抗なく、片足を持ち上げ揺命の方へと伸ばした。幾ら相手が幼女とはいえ、ほぼ全裸の彼女の姿が灯りに照らされ瞳に移ると、僅かに頬を熱くする。出来るだけ上を見ないように足を拭き終えたピュア童貞は、ストレアに自室の位置を教え、先に中で服を着ておくようにと指示し、ファルテの姿を探しに仄かに暖炉の火が燃えるリビングへと向かう。
「…ファルテ」
軽く声を掛けたが、返事は無い。まだ帰って来ていないか、あるいは自室か――暖炉の火を一旦消そうと一歩進めば、床の液体を踏んでしまう。「うわ」と声を上げ慌てて片足を持ち上げると、そこには酒瓶が乱雑に倒されていた。そして、その酒瓶の中心の椅子には――ファルテが寝ていた。大方この家で飲み会でもして騒いだのであろう、酒瓶の量は一人で飲み切れるようなものでは無かった。家の中で彼女が着ているのはTシャツ一枚と下着のみで、こちらの格好もかなり際どい。ローアングルから覗いてはいけない格好だ。彼女は恐らく「家族だから」と気にしないだろうが、こちらが気にしないのは無理というものだ。彼女の酔いで赤らんだ身体から目を逸らしつつ、その肩に手をかける。
「…風邪引くぞ姉さん」
つい、姉さんと口を滑らせてしまう。揺命には現実世界で姉がいた。最後に現実世界にいた日には、彼女はOLだった。有名な大学を卒業した、自分の良いところを全て持っていった様な姉。それ故に、家ではだらしない彼女の姿とファルテが被った為、そう呼んでしまったのだ。本人が寝ていて心の底から安堵しつつ、彼女を軽く引き摺りながらファルテの部屋へと移動する。
「――うわ、だらしねー」
つい、そんな言葉を漏らし眉間に皺を寄せた。初めて入る彼女の部屋の中は、様々な衣服や書物、更には武器とアイテムが錯乱し、足の踏み場が非常に少なくなっている。力を入れ彼女をベッドへ横に寝かせつつ、掃除をしたい衝動に駆られる。
「…明日は掃除だな」
ストレアが待っている事、そしてファルテが寝ている事。それを考慮し、彼は部屋を後にする事を選んだ。第一、隣でファルテが無防備な姿で寝ている最中であれば、変な気を起こしてしまいそうだった。勿論出来ないとは思うのだが。
彼女におやすみ、と心の中で呟く。
可愛らしい寝息を立て、寝返りを打つ彼女の無防備な姿に、一つ気付いたように再度駆け寄り。そしてその健康的な太腿に顔を寄せるように見つめれば、
「……黒か」
そう呟き、急いで部屋から退散した。
「フラト、遅過ぎ」
部屋から出た後、自室へ戻った揺命は、奴隷布を脱ぎブカブカの自分のTシャツを着た事ではだけきった彼女の身体にまたもや心を揺さぶられる。慌てて彼女の衣服のボタンを締めできる限り露出量を減らした上で、彼女が出した為に散乱した衣服を畳み片し始める。
「悪かったって。ストレア、今日からここがお前の家になるからな。あと、シェアハウスだとお前は一応奴隷扱いだから、同じ部屋で寝る事にする。床にタオル敷いておくから――」
「嫌だ」
自身の提案を言い切る前に否定される。異世界に来てからどうも人の話を聞かないやつとばかり話している気がするが、恐らく自分もそう変わらないだろうから咎める事はしない。
「……あのな。俺はお前のご主人様だから、俺が床で寝るのはおかしいだろ。あんまワガママ言うなよ…」
こんな時、彼女に自分の意見を強く言う事が出来ないのは、自分に自信が無いからかもしれない。
「や。やー。いーやーだ」
両手を振り上げ、全力で否定するストレア。音を立て足踏み、彼女のミディアムボブの金紅髪が揺れる。改めて見ると本当に艶やかな髪色だが、今は感心している場合ではない。静かな空間が一転して煩い空間へと変貌する。彼女の酔っ払いの寝起きを想像し、身震いしては彼女にやめるよう言う。
「うっせ!あーもうわかったよ、お前が布団で寝ろ!」
半泣きになりながら、彼女の立てる騒音を鎮めるためにベッドを譲る。固い床で寝るのは慣れていないので、明日は変に身体が痛くなっていそうだ。
妥協した揺命に、ストレアはまだ不服そうに頬を膨らませる。照れか怯えか、僅かに俯いたストレアの顔は、赤らんではおらずその感情が読み取り辛い。もしかすると吸血鬼は、肌の色が変わり辛いのかもしれない。
「…何だよ」
「そうじゃ、なくて。…一緒に寝よ」
そう小さな声で告げられた。吸血鬼の癖に、天使かよ。耐性の無い揺命は、ベッドに顔を埋め一分弱悶えた。
シングルベッドである為、二人で寝るには少し無理があるだろうか。身体を川の字のように並べ、向き合い眠る。彼女の髪が自身の顔へと近付き、サラリとした感覚と僅かな甘い匂いに心臓は高鳴る。
「…フラト」
「どーした」
ぶっきらぼうに言葉を返す。彼女はまだ寝付けないようだ。…奴隷から解放された現実に嬉しがっているのか、揺命に申し訳無さを感じているのか、あるいは何か別の事を考えているのか――白く透き通る肌とほぼ無表情の瞳からは、感情を読み取る事は難しい。
「…ありがとう」
「おう、まぁ俺もなんであんな事したかわかんねーしな。気にすんな」
至って素直な言葉が漏れる。彼女を助けたのは事実本能であり、自身の知らない自身の衝動的な動きに過ぎない。
「…私も分からない。なんで、アナタの名前を知っているのか。なんで、アナタに既視感があるのか」
きっと、自分と同じ位に彼女も困惑しているのだろう。一切覚えのない少女に名前を呼ばれたときは、こちらも困惑しきっていたものだ。
「ま、その内分かんだろ。明日からはお前もココの家族なんだからよ」
相手は下等種族とされるヴァンパイアだ、本来なら家族として受け入れがたいだろう。奴隷として、外で寝せるのが一般常識なのでは無いだろうか。
…だが、ファルテなら。彼女ならきっとOKしてくれるハズだ。彼女には、差別などの概念が無いように感じられる。本人には言えないが、彼女の人の良さ、優しさ、寛容さは計り知れないだろう。感謝してもしきれない位だ。
「んな事より、ストレア。お前、ちょっと臭いぞ。長く捕まってたからろくに銭湯も入ってねぇんだろ。明日、服買うついでに銭湯行くぞ」
「デリカシー皆無。モテないでしょ」
余計なお世話だコンチキショー!内心キレつつもそれをグッと堪え、適当に相槌を打っておく。
「お風呂、フラトと一緒?」
「いや流石にねぇよ。ファルテっていう俺の姉貴みたいな人がいるから、アイツと仲良くしてやってくれ。いい奴だから」
彼女の下着を思い返しつつ、ストレアに紹介する。彼女は数秒悩んだ後、こくりと頷いた。
そして彼女は目を瞑り、揺命の胸元に寄りかかる。昼間の彼女の怯えた瞳を思い出し、そっと彼女の髪を撫でる。そんな経験今まで無かったから、かなりぎこちなかっただろうが。
「…フラトに逢えて良かった」
「こっからだろーが。ったく、種族差別とかよくねーよなぁ…」
ヘマトフィリアの揺命は、ヴァンパイアに憧れた事もある。血を吸い生き永らえる、素晴らしい響きだ。この世界に限り迫害されているヴァンパイアを救いたくなったのは、彼の性癖の所以でもある。
「そーいや、ヴァンパイアだから血が必要なんだろ?」
「……うん。…フラトが良いなら、フラトの血が吸いたい。アナタの、美味しそう」
危ないワードに反応するのをこらえつつ、その言葉に彼女がヴァンパイアであると再認識する。その気になれば恐らく、彼女は一瞬で人間を殺せるのだろう。可愛くしか見えなかった八重歯、少し長い爪、幼い四肢、それら全てが敵対した途端に己を殺すに容易に事足りるであろう。
「…おう、いいぜ。ただし、俺が血を吸われたい時は腹いっぱいでも少しは吸ってくれよ」
「…変態。」
「そーいう能力なだけだ」
その発言に僅かに彼女の頬が赤くなった…気がする。勿論理由はあるのだ。血を吸われ失血状態になれば、それにより揺命の能力が使えるようになる。彼の能力である『血垂らしの悦楽』を簡単に発動する引き金となるわけだ。
…と、そろそろ寝なくては。明日はファルテの部屋を掃除する事と、リビングの掃除で朝から大忙しだ。揺命は軽い欠伸をして、重くなってきた瞼を擦る。
「…んじゃ、早く寝ろよ。おやすみ」
「まだ話したい事が――」
彼女の寂しげな声を遮るように、続けて言葉を返す。
「明日また話せるんだから、良いだろうが」
その言葉に、目の前の少女ははにかむように微笑んで。こくりと、小さく頷いた。
幸せそうな表情。奴隷としての生活はきっとさぞ寂しいものだったのだろう。彼女の過去を、そしてその正体を探るのはまたの機会にしよう。眠くて頭に入りそうも無いからだ。
「…分かった。ありがと、おやすみ」
ゆっくりと閉じた彼女の瞼を見つめ、揺命も静かに目を瞑った。いつもの静かな空間に、少女の可愛らしい寝息が追加される。
「………なんか眠れねぇぞ。」
情報開示:『魔法縄』
ストレアを縛っていた縄。この縄に呪術師の呪いが組み込まれており、これで縛られたものは力を発揮できず、各種能力が封じられる。元々は死刑囚や獰猛な獣に付けられるものであったが、闇市場でどこからともなく普及してしまい、それ以降は裏社会で奴隷などが抵抗しない為の用品としても使われている。




