プロローグ:ハルマゲドン
『新しい政治の方向性』『UMA目撃相次ぐ』『騎士団員失踪から二十年余り』『紙の値上がり続く』―――――。いつもの様にネットサーフィンをしていると、どうでも良いニュースの文面がヤケに記憶に残る事がある。桜庭揺命は、普段動かさぬが為に重く言う事を聞かない身体を伸ばすと、改めて画面へ向き直った。
今日からとあるオンラインゲームの新たなイベントが始まるのだ。最上位報酬は最高レア度の装備一式。少しも休む暇は無い。朝3時からイメージトレーニングをして、つい先程パソコンを起動した。この時間に起動したのは用事を終わらせる為と、2時間のメンテナンスがあったからだ。早く起動していても意味は無い事を、揺命は理解していた。
今着ているTシャツに書かれている『ハルマゲDON』とは、このゲームの名前だ。5か月前にリリースして、登録者1000万を超えた話題のPC用オンラインゲーム。プレイヤーは様々な武器を駆使し、同族と協力して別の種族のプレイヤーを狩っていくシンプルイズベストを具現化したようなゲーム。揺命のアバターはケット・シーの女の子。可愛いは正義なのだ。因みに下に履いているのは動きやすいただの部屋着である。
…このパソコンは貯金を叩いても買えないものを、母に頼み買って貰ったものだ。その分モニターが小さく吊り合っていない感が否めないが、この男は引き籠りだ。バイトもしていないので文句は言っていられない。
毎日揺命が10時から行う掃除の係も、朝起きた直後に終わらせた。その為に睡眠時間を割いたのだ。多少寝る時間が足りなくとも体力が有り余り、活力に満ち溢れている。これが普段何もしない引き籠りの良い所だ。前日の内にカップラーメンを用意し、お湯と共にセットしてある。これで小腹が空いたらすぐに食べ、即座に周回を再開できる。完璧すぎるぞこれは、とにっこり。
前回のイベントでは全国12位で、ギリギリ上位10位景品が貰えなかった。今回は絶対に勝つ。揺命はこの時の為に人生を歩んできたのだと自らに言い聞かせ、キーボードに手を添える。
6時のイベント開催まで後5分――彼は身体を震わせる。武者震いというやつだ。ギルドメンバーも恐らく、前日に残業していた奴以外は全員揺命と同じように起きて、始まりの瞬間を楽しみに待っているはずだ。それぞれが別々の役職を持ち、秀でている奴らの集団。その副ギルドマスターが揺命だ。扱うのは剣。如何にも主人公という感じがして素晴らしいだろ?
残り2分――緊張に震える指を解す。乾く喉にコーラを通す。焦がれる脳を必死に抑え、それでも収まらずにスリープ状態のスマートフォンを指の腹で撫でる。落ち着け、落ち着けと何度も自分に声を掛ける。しかし時間が経つ度に自らを抑える事が出来なくなってしまう。
…残り10秒。アップデートにより更に美しいグラフィックとなった世界を、とうとう堪能できる。さあ開幕だ。冒険に胸を膨らませ、まだ見ぬ未知と出会うその瞬間だ。
体調は万全か。己は何かやり残していないか。準備はできていて、もう行けるのか。
「…行くに決まってんだろ」
そう、自分自身に言葉をかけた。
3、2、1、…0!その瞬間、閉じていた門が開き、眩いばかりの閃光に画面は包まれ―――
(あれ?包まれ過ぎじゃね?画面どころか俺の後ろまで光が突き抜けている様な―――眩しい!あーくそ、早く起きすぎたせいで俺の身体が何か変な事になってるんじゃねぇか…?
ああ、肌が焼けるように熱くて―――まるで、生まれ変わる様な。)
…
…
…
…次に揺命が意識を覚醒させたのは、非常に巨大な部屋の中心だった。辺りは巨大な何かの線で一杯の部屋だ。その淡い光が、眩暈の最中でもハッキリと目視できる。意識の覚醒とともにすぐに始めた状況分析より先に、尻餅をついた。床は硬く、鈍い痛みが尻からじんわりと全身へ広がる。
「―――ッ、いってぇ…」
反射的に声を上げた。片手に持ったままのスマートフォンの感触、今の床に尻をぶつけた痛み、裸足の足から伝わる床の冷たさ、それは十分に理解できた。だが、眩暈がする。光っていない部分の様子をロクに見る事も出来ない。揺命の脳裏に即座に浮かんだのは、今空前のブームとなっているVR機能のステルス実装だが、瞬時に否定する。今の技術では、VRをするのにも専用機器を頭に取り付ける必要がある為だ。先ほどまでの自分はパソコンの画面に顔を寄せていただけで、特別なものは何も身に着けていなかった。
だとすれば何だ――夢か、妄想か、はたまた――そんな彼の思考を砕くように、一つの細い声が上がる。
「…◇□〇※×△%#+。」
…怪訝な呪文だ。さっぱり理解できない。すると、声の主は何かに気付いたように慌てて別の言葉を詠唱する。直後、少しだけ身体が浮いたような感覚がした。
「今度は言語が通じるはずですね。……ようこそ救世主様。私の召喚に応えて頂きありがとうございます。」
単語の意味を理解しようと努める程にはまだ余裕が無い。今は直感で理解した事のみを把握しよう。声質は、ガラス細工のような、脆く儚い声だった。やっと眩暈が収まり、声の主を探すべく視線を上げる。
声の主は、割とすぐ近くにいた。身長も見た目も人間と変わらない、しかしその雰囲気だけが揺命や家族、行き交う社畜や学畜とあからさまに違っているのは分かった。まず、髪の色だ。黒や茶、髪を染めた不自然な金色や赤なんかは日本人に多いが、その髪は本物の青空のようだった。長い髪が靡く度に目を引かれる。
目線が合うと、困惑している揺命に女性は声を掛ける。
「…お困りですか。呼びかけに即答したものだから、てっきり最低一度は異世界に呼ばれていたのかと思っていたのですが」
今度は言葉の意味を捉え、揺命はその言葉に驚愕した。
まず一つ。異世界というワードだ。彼女が気が触れている狂人で無く、現実として彼女と話しているのなら、揺命は異世界に飛ばされたという事になるのだろう。確かに、辺りを見回せば分かる。先程淡い光として見えていたのは、恐らく魔法陣だったのだろう。部屋の天井に至るまでが、淡く光っている。そして、目の前の女性は日本人には見えない。かと言って揺命に外国人の友人もいないしこんなに日本語が流暢なのも不自然だ。故に、この女性とは初対面のハズだ。こんな綺麗な女性と出会い忘れる訳が無い。だから、此処が異世界であっても違和感はさっぱり感じない。
もう一つ感じたワードは、「呼びかけに即答した」という点だ。彼はしていない。そもそも呼びかけられてすら居ないだろう、恐らく。だから俺はお前と会話なんて。
思った事を口にしようとすると、用意してあったかのように即座に返事が返ってくる。
「いいえ、先程の状況を簡素に述べれば"異世界への召喚に応えて下さいますか"という質問に対し"行くに決まってんだろ"と返しておりましたが。」
…あの時か。ならばゲームに夢中な揺命が気付かないのも無理はあるまい。
ようするに、だ。ハルマゲDONのゲーム、それが始まる直前に異世界に召喚される勇者?に揺命が選ばれて、勘違いの内に快諾してしまい、異世界に召喚された、と。
つまり、だ。
帰らせて欲しい。異世界に行く話は好きだが、自分が行くともなると怠さと怖さの余り腰を引いてしまう。
「返すことは無理です。」
無言への返答ありがとう、と内心呟く。ようするに一方的に呼び寄せる手段しか持っていなかった訳だ。
ハルマゲDONはもうプレイできないか――いやまぁ、それはもう良い。あのゲーム最近インフレ酷かったしね。別に飽きてないけど、この貴重な機会を逃してまでやりたいかと言えば、正直NOだ。
いや本当はめっちゃやりたいけどね。そうでも自分に言い聞かせないとハルマゲDON出来なくて死んじゃうし。独り言を
ブツブツ呟く。
何せ異世界だ。前述したように勇者として暮らすのは怖いが、恐らくこの部屋の外はエルフやらケット・シー、更にリザードマンやドワーフまで、様々な種族が混在した街か、村辺りだろう。そこに一軒家を造り、自給自足の生活をする。ああ、悪くない響きだ。どうせ現実の世界に居た所で揺命の人生は既に詰んでいる。多く見積もって3年後には餓死していただろう。そう考えると、異世界での暮らしも悪くはないはずだ。…魔王を殺せだの魔神を討伐しろだの言われなければ。
それに、俺は召喚された身だ。ということは多少のチートスキルを持て、それでやりたい放題だ。
「無論、敵と戦うためにも救世主様には神から与えられたユニークスキルが備わっております。詳細はこの部屋を出た後にご確認ください。」
「さっきから何で俺の考えてる事わかんの?」
「一つの読心魔術です。因みに他にも、言語の自由化と文学の同一化、多少の筋力と生命力の上昇を私の権限でかけておきました。」
つまり、都合良くこの人が全部やってくれたってわけだ。
「ああ、申し遅れました。私の名はメロ・アプフェルヴァーム。救世主様を召喚する儀を行う神凪という職務についております。メロとお呼びください。」
メロ、か。無表情で不愛想だが、顔はかなり整っている。種族は同じ人間だろう。対する揺命はというと、ずっと不愛想な態度で接している。まぁ、コミュ障且つニート生活まっしぐらだった男が女性と話して愛想良く出来るわけも無いので、そこは諦めてほしいが。
ところで、何故揺命を呼んだのだろうか。そう問おうとするも、先に声を掛けられる。
「世界の存続、文化の繁栄の為です。既にこの地に降り立った勇者は、貴方で7人目。」
要するに、何らかの要因で世界は滅びるらしい。魔王の一生は長い。1000年後の戦争の阻止の為に召喚されたとか言われても困るだけだ。にしても7人目か…数増やし要因かな。
「あー…分かった。取り敢えず、もう行くわ。実際に見てこの世界の事知ってくる。適当に魔王とか倒しておくよ。」
勿論嘘八百だ。魔王なんぞ倒せるかボケが!他の勇敢な勇者様にでも頼んどけ!
勿論この思考が読まれていることにも気付いていたが、彼はこの会話を一刻も早く終わらせたかった。明るい性格とはお世辞にも言えない彼にとって、全てを見透かされるのは心底気分悪く感じる。
何個か気付いた点はあった。だが、彼女との会話は落ち着かない。その辺は、実際に目で見て確かめるとしよう。此処には彼女しか居ない故に、此処に来る必要性も恐らくもう無いだろう。
「世界征服を企む魔王など存在しません。」
即返答された答えは、意外なものだった。どうやら、この世界には魔王と呼ばれる者は少なくとも現在は存在していないらしい。
では一体何をしろと言うのか。と心で呟いた問い掛けに対し、
「それは、自分で探して貰いたいのです。」
…は?今、何て言った。原因も分からず、そして今後何が起こるか、寧ろ起らない可能性もあるというのに自分を呼んだというのか。流石に我慢にも限界がある。ふざけていると、そう思った。彼にも残してきた家族は居る。少しも心配では無いと言うと嘘になるのだ。生憎だが彼の堪忍袋は小さい、キレてやろうかと思案した。だがしかし直後、彼女はこう言ったのだ。
「この世界は250日の後、滅亡すると神に予言されました。原因は分かりません。」
それは、異世界を謳歌するには余りに短く、また黒幕を探す準備にも余りに短い、致命的な事案だった。




