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再編集。テキストを放り込んだだけの状態から、見やすく区切りました。
東京湾横断道路。その途中に建設された「海ほたる」の脇に、船と人形の間の子のような巨大なモノが静かに佇んでいる。頭部は言うなれば、軍艦の前艦橋のような形で、胸部が寸詰まりの船。そこに鋼鉄の胴体と並べられた腕、太い脚が付いたような、そんなシロモノだ。
今やよくある観光スポットとなったそれは、5年前、世界中に一斉に落ちてきたモノの一つだった。世界中の政府や研究機関が、自国に落ちてきたそれを徹底調査したが、出された結論は「我々と同じ程度の人型生物が建造した、技術的にまったく目新しい部分の見当たらないガラクタ」であり、最終的には「観光地にはなるかもしれないが、場所によっては邪魔なので解体費用に頭が痛い」という身も蓋も無いコメントが出される始末。
どこから来たのかという点は諸説入り混じったものの結論が出なかったのも同様である。意匠が尽く、半世紀以上前に実在していた軍艦に似ていた事についても議論が交わされたが、実用性どころか内部に存在する動力では殆ど身動きが取れないので、存在自体の意味に議論がシフトする迷走ぶりである。
いつしか、日本では「人型の船」を略して「型船」と呼ぶようになった。艦橋のような構造部と前後の形から、実在した軍艦の名を付けるマニアも居たが、公式記録では「人型落下物・関東8号」などという「分類+落下地方+番号」のような味気ない代物である。型船には、ハリボテとして型しかない船っぽいもの、という意味も多少はあるようだが。
たまに見かけるが、特別なものでも無い…そんなモノ。各国研究機関が存在意義に匙を投げたもの。それが型船なのだが、どこにも好事家というものは居るもので、少年はそんな中の一人だった。
5年前、地元から横浜中華街へ両親と行った帰り、海ほたるで海メガネを眺めていた少年の前に、型船は降ってきた。
何か巨大な板をハンマーが殴りつけるような音が鳴ったかと思うと、ゆっくりと、殊更ゆっくりとそれは降りてきた。人と船のような形をしたそれは、腰のような部分で沈降が止まり、途端、重力を思い出したかのように海ほたるの構造物部分へ寄り掛かるかのように倒れこんだ。
少年の目の前には、余りにも巨大な鋼鉄の指先がほんの鼻先にあった。衝撃で海メガネが若干傾いていた。
その日から、今日に至るまで、後に型船と呼ばれるようになったそれは、少年の心をかっさらった。学校では型船バカと言われている。中学に入った後も、歴史研究部の名を借りた軍オタ、兵器オタ、その予備軍に混じって型船の事を調べては色々考える日々が続いている。ちなみに、型船バカの称号は自身にとっては褒め言葉だと言って憚らない。
「今日もおじさんの所行くの? 門限は守りなさいよ?」
「わかってるって母さん、んじゃ行ってきます!」
「救命胴衣忘れてるわよ! 船に乗るんだから!」
「うわっ、ありがと! それじゃ!」
半ば週末の日課になった、少年が親戚の伯父のところへ行く際のやりとり。母親は半ば呆れ顔だが、少年は何処吹く風である。父親と少々歳の離れた伯父は、趣味の釣船を週末、天気が許す限りいつも出しているので、それに同乗して型船を間近で観察するのが少年のいつもの予定だ。
「まーた、型船のとこかい。飽きないなお前は」
釣りの用意万端の伯父は、苦笑する。
「”むさし”だってば、前に言ったじゃん」
「俺にとっちゃ、型船は型船さ。どう違うのか前に聞いたが、まったくわからん」
「興味無いと仕方ないか。オレが魚の見分け付かないのと一緒一緒」
「そんなもんか」
「そんなもんだ」
いつものやりとり。釣りに興味を持たない少年には残念な気持ちではあったが、独り身の伯父としては少年の明るさは日々の心の糧になっていた。出航の際の手伝いや荷物運びなども、背が伸びはじめて力も付いてきた事で、年々体の衰えを覚える身としてはありがたい話である。
「んじゃエンジン起こすから、お前はボックスとか積んでくれ」
「りょーかい」
いつもの週末、いつものやりとり。少年にとっては、そんないつもと同じ一日の始まりだった。
目の前で、型船が身動ぎ(じろぎ)するまでは。
艦砲に耐えられそうな頑丈なボディ。既存技術だけで形作られた、鋼鉄の人形。構造体と素材は、立たせても潰れない程度には頑丈。だがそれには、立ち上がらせるためのパワーが足りない。それは、何年も前に各国の研究機関が発表した事実であった。
『何が起きた。簡潔に説明しろ!』
「立ったんだよ、アイアンジャイアントが!」
太平洋、ハワイ沖の米海軍航路を邪魔していた型船の一つ。非公式には「(動線を)邪魔するデブ」という呼称のついたそれの移動に予算が付き、ようやく移送させられる段になって問題が起きた。
海中に沈まないよう浮揚措置と各部の気密処置が行われ、作業用のクレーン船が姿勢を正してフジツボが付き始めた型船の側面が海中から出た途端、クレーンのワイヤーが型船浮上に引っ張られた。それだけではない。海藻にまみれつつあった手足が伸び、不恰好な道化の姿勢から、胸を反らしたプロレスラーのような姿勢になり、珊瑚礁を踏みしめながら型船が立ち上がったのだ。
作業を見守っていた男は、異常を確認するなりクレーン周辺から作業員を退避させた。その後は、目の前に立ち上がった鋼鉄の巨人を前に、ぽかんと口を開けている状態となった。その最中、無線で指揮をしていた社長から状況説明を求める連絡が入ったのだ。
「脆い筈の珊瑚礁の上に、奴が立ってやがる。バルーンでできてんのか」
『…なんてことだ。当然ながら作業は中止だ、私は急いで報告する!』
「どこに?」
『政府にだ!』
この日を境に、世界各地に存在した型船が、動いた、立った、などの報告が相次ぐ事となる。そしてそれは、少年が向かった東京湾にある型船”むさし”も同様だった。
「あのなぁ、見つかったら海上保安庁にどやされるの俺なんだが」
「大丈夫だって、ちょこっと艦橋行って景色眺めてくるだけなんだし」
海ほたる脇にあるこの型船”むさし”の周辺は、不思議と波風がいつも穏やかになり、尚且つ絶好の釣りスポットとして釣り好きの間では広まっていた。海難事故の可能性が低いことも手伝って、表向きは禁止されているものの海上保安庁も形ばかりで見まわる程度である。
少年は釣りスポットとなった型船の背部分から、慣れた足取りで傾いた甲板を歩く。伯父の方は、他の釣り客と共に巡視船の情報を共有しつつ、つかぬ間の釣りを楽しんでいた。
「ま、やばそうだったらすぐに連絡してよ。デミトスは持ってくしさ」
そう言って、少年はベルトに固定してある特定小電力無線を見せた。
「設定はいつもの番号な、ブザー入れたらすぐ戻れよ」
「りょーかいであります」
封鎖されている扉の直ぐ脇、自分だけが知っている蓋を開けば内部に入れる。通風口なのかその他の役割があるのかは知らないが、偶然見つけた時は小躍りしたものだ。以来、型船を訪れる度にここを通って中に入り、誰も居ない艦橋から海と陸地を眺めるのが楽しみになっていた。
傾いた通路を、LEDフラッシュライトを片手に歩く。殆どの水密扉は開けられなかったが、艦橋に続くルートだけは通ることができた。どこで作られたかはわからないが、時代を感じさせる形をした通路やら電灯やらが妙な寂しげな静けさを醸し出している。
「到着っと…」
フラッシュライトの電源を切り、既に見慣れた艦橋を見渡す。電力が通っていないため太陽の光だけが中を照らしており、計器類のいくつかは研究と称して抜き取られているので、なんだか廃墟にも似た雰囲気である。
海外に落ちてきた型船には、地球と同じ言葉が使われていた。妙な事に、落ちて来た地域とほど近い国の使用言語が用いられていた。その事が、型船の起源について今もまったく結論が出ない理由でもある。
「計器よーし! って言っても、先週とまったく変わんないんだよね」
数値自体も見慣れたというか、半ば覚えてしまった。船に似ているが異なる計器が並ぶ。そしてこの艦橋には操舵が無い。その場所には、中腰で寄り掛かって座るような座り辛い奇妙な椅子があるだけだ。
「どうやって動かしてたんだろうなぁ…まさか念力? いやいや、こんなの動かせる念力あったら、その大きさの砲弾飛ばすよな」
脈絡無く考えていると、見慣れた筈の艦橋内で一つ、いつもと違うものを見つけた。
「あれ? ヱイテルの値が変わってる?」
幾つかの計器は、船などの資料や重機のマニュアルなどと照らしあわせて大まかに理解・推測していたが、いくつかの計器が示す値についてはまったくわからなかった。ヱイテルの計器もその一つである。
「本体の位置だよなこれは…、となると今はヱイテル?の中に沈んでるって事かな」
フライトシミュレータなどの姿勢指示器に似た計器。それが、今現在のこの型船が高いヱイテルの中に沈んでると表示していた。周囲のヱイテルは停滞している、とあるがそれがどんな状態を示すのかは少年には理解できなかった。
だが、少しずつ数値が変わる。方向にして静岡方面から、ヱイテルの流れが来ているようだ。
「こんなの初めてだ!」
ここに侵入し始めて、はじめて見る計器の動き。だがそれは、この型船にとっては小さな、少年にとっては大きな事態を巻き起こす。
少年は違和感を感じた。既に傾いている筈の艦橋内が、より傾いたように見えたのだ。いや傾いて見えていたのは少年の方で、型船自体は正しい水平位置にと言った方が正しい。
「う、うう、動いてる!?」
窓から下を見れば、釣り人達も驚いて手近な物にしがみついている。ゆったりとした動きの後、型船の動きは止まる。ヱイテル計は未だ沈んでいることを示し、流れは弱くなったが今も静岡方面から流れが来ていることを示している。
「え、えらいこっちゃ…、伯父さん大丈夫かな!?」
下の騒ぎは収まったようだが、ざわめきは通路を伝って艦橋にまで聞こえてくる。唐突に、腰に付けていた無線機のブザーが鳴った。
『こちらオジ、坊主、無事か!?』
「う、うん、こっちは何ともないよ。伯父さん大丈夫?」
『揺れにびびったが無事だ。周りも、転んで膝を擦り剥いた奴が居た位だ』
とはいえ今まで無かった事態に伯父の方も興奮気味の様子である。
「すぐ戻るよ。なんか、色々騒ぎになってややこしい事になりそう」
『だな。予定は繰上だ、ずらかろう』
世界各地で騒ぎになっていた。動けない筈の、自立すら困難な筈の型船が動いたり立ったりしたのだ。ハワイ沖での例は、推測重量を無視した状態であり、物理的にありえないと説明中の学者がTVでの解説中に、計算しながら興奮し続けて泡を吹いて倒れた程だ。
それだけ、世界中で一斉同時に起きた型船の事件は衝撃的だった。日本政府は型船が動いたり立ったりした後、倒れた場合の被害を想定して周囲を立ち入り禁止にする対応を取った。当然だ。お台場でガンダムの隣に倒れていた小型の型船が立ち上がった際の映像は、現実がすっ飛んだような印象を与えることとなり、偶然その光景を撮影していた動画は、ようつ○にアップされるなり既に数十万再生を数える。
世の物理学者達が揃って頭を抱える事態である。ツイッターなどでは、日本のSF作家の一人が提唱した「エーテルが満ち浮き上がったのだ」という説が実しやかに広まっていた。だが現存する機器ではエーテルなるものを観測する事ができないため、物理学者が一人、また一人とこれまでの物理学の観点から説明をしようとして玉砕していった。