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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

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怖い話

愛奈

作者: 夢野かなめ
掲載日:2026/06/03

 その女──愛奈(あいな)と出会ったのは、夏の気配が見え始める頃だった。


 ひらひらと風に揺れる白いワンピースを着た愛奈は、何処か季節から浮いて見えた。


 愛奈には、冬の夜を感じさせる気配があった。


 全てが静まり、眠り、終わる季節。


 ついそう言うと、愛奈はクスクスと笑った。


「なぁに、それ。季節に似合うとか似合わないとかって、あるの?」


 そう言いながら、(たくみ)の腕に腕を絡ませる。


 愛奈には、他人との距離感が近い所があった。


 しかし、それに気が付かない振りをして、絡む腕に意識を向ける。


 正直な所、最初に声を掛けた時に、下心がなかったとは言えない。


 突然降り出した雨に、駆け足で帰った自宅前で、愛奈は雨宿りをしていた。


 雨宿りというより、全身ずぶ濡れで途方に暮れていた、という方が正しいか。


 はぁ、と吐く息が白く漏れていた。


 その横顔を見て、「うちで雨宿りしていく?」と声を掛けたのだった。


 ゆっくりと顔を向けた愛奈は、じっと巧を見つめ「いいの?」と可愛らしい声で答えた。


 部屋に招き入れたものの、特に何も起きることはなく、巧は寝室で。愛奈はソファで早々に眠りに就いた。


 翌朝、死んだように眠る愛奈の寝顔を見た時、巧の中に生まれたのは、敬愛のような気持ちだった。いや、心酔というような感覚だったかもしれない。


 貸した部屋着は、着古して袖口や襟ぐりがよれていたし、頬に張り付く髪も手入れが出来なかったせいか、乱れている。


 それなのに、特別な存在なのだと、巧は感じていた。


 手を触れてはならぬような。


 神聖な──。


 パチリと目を覚ました愛奈は、なんてことはない風に「おはよぉ」と可愛らしい声で言って、眠そうに目を擦った。


 連絡先を交換しようとした巧は「スマホ持ってないの」という答えに、全てを察し、朝食を食べさせて愛奈を見送った。


 白いワンピースを風に揺らしながら、愛奈は遠ざかっていく。


 何処か不思議で小さな幸福のようなものを感じた、夢のひと時。そう愛奈とのことを処理した巧は、しかし数日後、再び自宅前に立っていた愛奈に驚いた。


「……こんばんは」


 どう声を掛けたらいいのか判らず、そして声を掛けてから、別に自分に会いに来た訳ではないのかもしれない。と気が付いた巧は、愛奈が嬉しそうに笑みを浮かべたのに心底安堵した。


「こんばんは。ねぇ、散歩しない?」


「散歩?」


「そう、散歩」


 そう言って、愛奈は返事を待たずに歩き出す。


 巧は迷わずそれに続き、隣に並んで歩き出した。


 そうすると、愛奈はするりと腕を絡みつかせてくる。


 そういう関係が、一か月程続いていた。


 別に、恋人という訳じゃない。


 色々な話をするが、恋だの愛だのそういった類の話はしない。


 それが、益々特別な関係だと感じさせた。


 相変わらず、巧の中に下心がない訳ではない。


 だが、それ程までに、愛奈は人を惹きつける魅力を持っていた。


 だからこそ、こうした曖昧な関係を保っていたい。


 そう思わせた。


 だから、こそ、愛奈が窺うような目をして訊いたその言葉に、巧はすぐに答えられなかった。


「私のお家、行く?」


 これまでに近所に住んでいるということは聞いていた。


 一人暮らしをしているということも。


 胸が高鳴り、それを隠すように唇を噛む。


「行かない?」


「行く」


 巧の答えに、愛奈は嬉しそうに笑う。


 ──愛奈は、俺のものに……なってくれるのか?


 期待を胸に、巧は愛奈の導くままに歩いた。


「ここだよ」


 と、愛奈が示した、小さく木々に埋もれるようにして建つ一軒家を前にした巧は、戸惑いに目を瞬いた。


「一人で、一軒家に住んでるのか?」


「うん。やっぱりマンションとかだと手狭だし。それにね、ここは色々事情があって家賃が凄く安いの」


 家賃が凄く安い、という言葉に、その原因をいくつか頭に思い浮かべた巧は、思わずといった風に愛奈の横顔を見つめた。


 クルリ、と顔を向けた愛奈は、不思議そうに巧を見上げている。


 愛奈は何処か他の女とは違った所がある。きっと、そうした理由は気にならないのだろう。


「良い家だね。庭の木も手入れしてるの?」


 随分と大きな木々が幾つも生えているが、放置されているという様子でもない。


 階段を上がって庭をよく見れば、花々も咲いているのが見えた。


「うん、これ以上大きくならないようにきちんと剪定してるんだ」


 愛奈が玄関の扉を開けると、少し強すぎるくらいの花の香りが鼻腔をくすぐった。


 確かに、愛奈からはこの花の香りがする。


 それが随分と家に染み込み、最早家自体がこの匂いを発しているようだ。


 玄関の扉を閉めると、愛奈は巧の手を引いて廊下を歩き、振り返った。


「巧君。ようこそ、私のお家へ」


「う、うん……」


 改めて言われると、気恥ずかしい。


 心臓がドクドクと鳴る。


 愛奈を……この目の前の愛らしい女を──。


 巧の中で欲望が渦巻いていく。


 それを感じ取ったかのように、愛奈は手を引き、廊下を進む。


 その先にあるのは、風呂場だ。


 巧は、ゴクリと唾を飲み込んだ。


 愛奈は、肩越しに振り返り、薄く微笑む。


 握る手に力が籠もる。


 風呂場に着くと、愛奈は巧の胸を軽く押し、浴室へと入れた。


 よろめいてタイル張りの床に座り込み、愛奈を見上げる。


 愛奈の動きに意識が集中する。


 愛奈は、脱衣場で下着姿になると、軽やかに浴室へと入り、ゆっくりと浴室の扉を閉め、台に置かれた包丁を手に取った。


 ……包丁を、手に、取った。


 それを巧が意識した瞬間、首元に強い衝撃が加わった。


 潰れた声が漏れ、体がびくりと震える。


 ──痛い!


 そう思うのに、そう感じるのに、もう既に体はいうことを聞かなかった。


 あぁ……と辛うじて漏れた声に、愛奈がにっこりと笑う。


「大好きだよ、巧君」


 ──俺もだよ。でも、なん……で……。


 巧の意識は、完全な闇に呑み込まれた。




「これで、やっと、愛し合えるね」


 愛奈は、うっとりとそう呟いた。


 巧の〝真実の愛の姿〟を掲げ持ち、その頬に付いた血を拭い取る。


 戸惑いと、怯えと、恐怖に見開かれた瞳が愛らしい。


「巧君、可愛い……」


 頬に軽くキスをする。


 その頬はまだ温かい。


 でも、すぐにこの肌は熱を失うのだ。


 色もくすみ、完全な〝死〟を体現する。


 愛奈はそっと床に敷いたタオルケットに巧を置き、残りの部分を浴槽に収めた。


「うん、やっぱりこれくらいの体型の人が一番いいかな。顔の肉付きもいい感じだし」


 残りの部分を処置するのは後にして、愛奈は昂る胸を抑えるようにしながら体を拭い、着替えてから、改めてそっと巧を抱え持った。


 駆け出しそうになる足を抑え、胸を抑え、乱れそうになる息を抑え、そのことに笑いながら階段を上がる。


 階段を上がって左手にある扉を開け、愛奈は暫し恍惚として部屋の真ん中に佇んだ。


 そうして、閉じていた目をパチリと開け、部屋の中をゆっくりと舐めるように見回し、宣言した。


「みんな、新しい愛すべき人だよ。巧君」


 巧を掲げたまま、くるりとその場で回る。


 見つめているのは、壁に設えた棚に並んだ首、首、首──。


 愛奈の愛すべき人々だった。


 愛奈を愛し、そして愛される人々。


 愛はどれだけ沢山あってもいい。


 それを愛し合う者達の中で循環させ、より沢山の愛を感じるのだ。


 ──此処は、私だけの場所。私だけの愛の場所。


 愛奈は巧を抱き締め、そうして今度は唇に唇を重ねた。


 巧の口の中に残った血が、唇に移って鉄のような味がする。「ふふ」と声が漏れた。


「大好きだよ、巧君。沢山、愛し合おうね。──皆とね」


 愛奈は部屋をぐるりと見回し、心の底からの喜びの笑みを浮かべた。




「前から、ちょっと変だとは思ってたの。あんな事件があったのに、女の子が一人で住むなんて。一軒家でしょう? 普通は住まないじゃない、一人じゃ? でもねぇ、会えば挨拶もちゃんとするし、気立ても良さそうだったし、花なんかも育ててて……まさか、そこに死体が……ねぇ? 本当、怖いわぁ……」


 ぼんやりとした視線を向ける小型犬を抱えた、壮年の女の話を聞いていた佐々木(ささき)は、内心で息を吐いた。


 あまりに凄惨な事件が起きていたというのに、口では「怖い」と言いながら、その様子は好奇心を滲ませている。


 ──大抵は、こんな反応だけど。毎度、叱り飛ばしたくなるんだよなぁ。


 ある会社員の行方不明事件から、行き着いた先はこの木々に埋もれた一軒家だった。


 中に踏み入れば、強い芳香剤や香水の匂いに混じり、刑事であれば瞬間感じ取ることの出来る()()()()が、この家には染み付いていた。


 どう説明すればいいのかは判らないが、多くの者が「判る」という臭い。


 そうして捜索を進めてすぐ、二階の一室の異様な光景に声が上がった。


 見渡す限りの、首、首、首。


 綺麗に並べられたそれらは、一部は白骨化しているものもあった。


 あまりの(おぞ)ましさに、胃液がせり上がって来る気配がした。


 それを抑え、今は捜査に集中せねばならない。


 ──それにしても、異様すぎる。


 この家に住む森中(もりなか)愛奈は、長い時を掛けコツコツと首だけを集めていたようだ。


 他の部分は全て庭に埋められていた。


 その上に咲く花々は、特上の栄養を得ているからだろう、実に鮮やかに咲き誇っている。


 そもそものこの件の発端となった行方不明者──川合(かわい)巧の頭部は、見つかっていない。


 恐らく、森中愛奈が持ち出したのだろうと考えられている。


 そう、森中愛奈は捕まっていない。


 何処から情報を得たのか、それとも何かの導きか、佐々木達が囲んだ時には、既に何処にも姿が見えなくなっていた。


 首ひとつを抱え、何処かの町を逃げている。


 佐々木は思わず、はぁと溜め息を吐いた。


 そのような状況を妄想している場合ではない。


 凶悪犯を取り逃がしたなど、諸々と面倒なことが待っている。


 そこまで考え、ガシガシと頭を掻く。


 ──凶悪犯罪だ。こんな感情を抱くべきじゃない。犯人を確実に捕らえることだけを考えるんだ。


 ひとつ息を吐いてから、すっかり首が片付けられた部屋で手を合わせる。


 ──貴方達の無念は、必ず晴らす。


 元々この家は、その昔殺人事件が起きてからというもの、事故物件として知られた家だった。


 その事件すら、味気ないものに感じさせる森中愛奈の起こした事件。


 一度目の事件も、犯人は捕まっていない。


 ──同じ結末には、しない。


 佐々木は、もう一度息を吐き、踵を返した。


 その時、まるで応えるように、部屋の何処かでキィと小さな音が鳴った気がした。


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