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第二幕 栄屋の秘密 其の一

安次郎はとぼとぼと八丁堀を歩いていた。

結局、縁談は破談にはならずにそのまま進んでしまった。


このまま家に帰るのは嫌だった。

母から夜這い魔呼ばわりされるのはもちろん、知三郎が当主と偉そうにするのも耐えられそうにない。


仕方なく一真の家に向かった。


「あら、夜這い魔が来たわ」

一真の家で夕飯を作っていた沙代が言った。


「夜這い魔はやめてよ」

安次郎はため息をついた。


「このままじゃ俺、婿養子だ」

一真の据わっている茶の間に上がりこんだ。


「垂髪の君はいなかったのか」

一真が言った。

「何だそれ?」

「源氏物語みたいで素敵でしょ。それとも接吻の君のほうがいいかしら」

茶を運んできた沙代が口を挟んだ。


「なんでもいいよ、とにかくあの娘は隠されていた」



安次郎はお松に促された事を渡に舟とばかりに家中を探し回った。

ようやく件の部屋へたどり着いたのだが、そこはガランとした物置だった。

誰かが使っているような様子もない。


「そんな・・・」

幽霊でも見たのでしょうか、と付き添っていたお松は笑いながら言った。


安次郎は窓を開けた。向かいに円満屋が見えた。

酒の勢いも借りた夢だったのだろうか。

そう思ってふと下を見下ろしたとき、はさみが庇に引っかかっているのを見つけた。

同時に、窓枠の鎖が擦れた後にも気付いた。


彼女はいる。

この家のどこかに隠されている。



「でも鎖の跡だけじゃどうしようもない。結局それだけだった」

安次郎がため息をついた。


「栄屋のことだけどな」

不意に一真が話し始めた。


「あそこの息子、七太郎のことだ。十年前に辻斬りにあっている。下手人は木山小次郎、一刀流の使い手だ。七太郎以外にも三人斬っている。その後捕まって小次郎は磔。その両親は責任を感じて自害した。妹もいたがこれは生きている。街道沿いの農家に引き取られたらしい」


「調べてくれたのか」

安次郎はまじまじと一真を見た。


「お前が婿に行ったらつまらなくなるからな。兵庫は今、務めにいっているが岡っ引き達に栄屋の事を聞いてもらっている。それより、気になることがあるんだ」


一真は、刀を振るような仕草をした。

「一人目から三人目は、背中なり胸なり一気に切っている。これはためらわずに一気に斬り込んでいる。実に剣の使い手らしいやり口だ。でもな、最後の七太郎についてはちょっと違うんだ。心の臓をさしている。それまでのやり方とは違うんだ」

「一刀流だって突きくらいあるだろ」

「そうじゃない。刀を持っていない町人なんて斬る方にしてみれば腹出して寝ている猫みたいなものだ。刺すなんて地味で逃げられそうなことするよりも思う存分斬りつければいい。それに刺したものも背中までは貫通していない。短いものだな。懐刀みたいな」


「辻斬り、じゃない」

安次郎がごくりと喉を鳴らした。


一真はうなずいた。

「帳面上、これが辻斬りになっているのは、木山自身が白状したからだ。けれど、木山は随分いいかげんなことを言っていたという記録も残っている。この証言も疑わしいものだな」



そこへ公務を終えた兵庫が戻ってきた。

「安次郎、来てたのか。丁度いいや、岡っ引きの銀さんが、栄屋の若旦那のことを覚えていたんだ。何でも殺されたのは二十歳だったって。栄屋はやりきれないだろうなあ」

そういって安次郎の横に座ると、仕入れた情報を話し始めた。


十年前の栄屋は、主人と前妻のお且、それに跡継ぎの七太郎の家族三人と奉公人数人で切り盛りをしていた。

小さいながらも家族仲も良く伸び代のある店でそれなりの繁盛をしていた。


ただ一点の曇りといえば、太郎衛門がよそに妾を囲っていたことである。

それがお松、間に生まれたお園はその時六歳であった。


夫婦はこのことになるといつも喧嘩になった。

そして、あの事件が起きた。


その日、お松に金を工面してやっていた太郎衛門はそのことがお且に見つかりそうになりやむを得ず七太郎に持っていくように頼んだ。

腹違いとはいえお園を可愛がっていた七太郎は快くそれを引き受けたのだが、その帰り道で辻斬りにあったのだ。

夫妻の悲しみは大きかった。


ことにお且はひどかった。

半狂乱になり夫を責め、お松を責め、自分を責めた。

挙句に四十九日を待たずして首をつったのだ。


太郎衛門は人が変ったように暗くなった。

毎日呆けたように部屋に閉じこもり、商いをすることもなくなった。

栄屋は終わりだ、と誰もが思った。


しかし、そこにお松が現れた。


傾きかけた店をてきぱきと建て直し、呆けた太郎衛門の世話を甲斐甲斐しく焼く。

心配していた親戚や奉公人はほっと胸をなでおろした。

そして、皆に望まれてお松はお園を連れて後妻へと入ったのだ。


「へえ、あの太郎衛門がねえ」

あの笑顔の裏に壮絶な過去があったものだ、安次郎は太郎衛門のニコニコと笑っている顔を思い出していた。


「でもね、それからがひどいんだ。妻の座を手に入れた瞬間から手の平を返したように、奉公人につらく当たる。朝晩なく働かされて、飯も少ない。次々に辞めていって当時から残っている人は誰もいないよ。新しく入っても、半年も待たずに出て行くんだって」


「奉公人をいびるのは感心しないな。安も婿にいったらいびられるかも」

からかうように一真が安次郎を見た。

「よせよ。でも、その噂どおりならあの娘の鎖も労働も合点がいく。きっと、今もひどい目にあってるんだろうな」

同情をするように安次郎がつぶやいた。


「お前がそんなに入れ込むなんてな。美人なのか」

一真が少し興味深げに尋ねる。

「美人だ。お園なんかよりもずっとな。おまけに大人しいし可憐だ」


力説する安次郎に兵庫がぷっと吹き出した。

「それだけ記憶がしっかりしてるなら、見間違えでもなさそうだな。明日は非番だから俺、栄屋を見張っとくよ。もしかしたら何か手掛かりがあるかもしれないし」


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