第四幕 結ばれざる者 其の一
「どうしてもいくのか」
安次郎が寂しそうにそういった。
おりんはうなずいた。
一真の家で仲間内でのごく質素なものだったが、七夕の宴が催されていた。
先日までの、おりんの労をねぎらうつもりで行われた席だった。
安次郎とおりんは夜も更けてなおも盛り上がっている輪を抜けて二人で縁側に座った。
そうして酒を酌み交わしていたときふいにおりんが切り出した。
「鎌倉の尼寺に行くことに決めました。明朝、明け六ツに出発します」
安次郎は驚いて猪口を落としそうになった。
「何で。栄屋はあんたに謝ってこれからは娘同様に扱うっていっているのに。それに円満屋だってあんたの腕を欲しがっている。いくところなんてたくさんあるだろう」
「いくところなんてないです。私は科人の妹ですから」
そういってうつむいた。
「栄屋をかばって、さぞいい子とお思いでしょう。けれど、私は自分を護っているだけ」
父母が自害し、兄が磔になった後のおりんの生活はひどいものだった。
家は断絶し財産は没収された。
親戚は誰もおりんを引き取りたがらず、おりんは農家で奉公をすることになった。
しかしすぐに罪人の妹ということは知れ渡った。
毎日のように石を投げられ、引き取り先にも嫌がらせが行く。
挙句には意趣返しとか称して関係のないゴロツキからも斬りかかられたりもした。
「もうお前をおいておくことができねえ」
一年を待たずに奉公先から追い出された。
路頭に迷っているときに通りかかった女衒屋に見初められ再び江戸に戻ったのだ。
「お前は美人だ。遊女の世界できっと大成することだろうよ」
上機嫌で女衒は言うが、おりんは自分の名が知れ渡っている江戸が怖かった。
そんな折、女衒屋にその女を欲しいといってくるものが現れたのだ。
それが栄屋のお松である。
おそらくお松は、おりんの一度だけの証言を聞きつけて不安だったのだろう。
遊郭に売られる倍の値段で栄屋に引き取られた。
太郎衛門はおりんを見るなり仇討ちでもするかのように殴り続けた。
しかしたくさんのあざはできたもののそれ以上の手打ちはなかった。
その後奉行所に駆け込まれないようにとお松から首に鎖をつけられ、隠された針子として飼われ続けていたのだ。
ところがそれは、嫌がらせにあっていたおりんにとってはこれまでにない素晴らしい環境だったのだ。
しっかり隠されているので馬鹿げた意趣返しの心配もないし、仕事さえすれば叩かれることもない。
だからこそ栄屋がつぶれることは望まなかった。
しかし安次郎たちが捕り物に入りお松の悪事の言い逃れができないことを悟ると、お松を切り捨てる方向に考えを変えたのだ。
お松に全て罪を被せて、自分がお園と太郎衛門を救うことで今後に向けて大きな貸しを作ったのだ。
「尼寺にこれからたくさん寄付をしてもらいます。私はそれだけの貸しを作ったのですから」
寂しく笑った。
「私、汚い女なんですよ」
安次郎は星を見上げた。
「それだけじゃないだろ」
「え?」
「あんたが文句も言わずに栄屋に奉公していた理由だよ」
おりんの顔色が青ざめた。
「10年前の七夕の日、木山小次郎の磔が行われた。記録によると縛られた小次郎は、死ぬ間際まで女の名前を叫び続けたらしい」
「やめて」
おりんが耳をふさいで背を向けた。
「やめて。兄のことは、もう忘れたいの」
安次郎はおりんの肩に手をかけそばに寄せると静かに言った。
「忘れられてないから、今つらいんだろう。随分探してあんたんちに勤めていた女中から聞いたんだ。木山小次郎はおりんを愛していた。そうだろう」
おりんの黒い瞳にうっすらと涙が浮かぶ。
「話してくれよ。誰かに言えば少しは楽になるから」
そう促され、やがておりんはぽつりぽつりと話し始めた。
「あに様は私のせいで人斬りになったの。私が、あに様の気持ちに答えられなかったから」