捕り物 其の二
二人が店先にでたときには与力の中尾、吟味方同心の板倉が既に到着していた。
中尾はおりんを見ていぶかしんだ。
「なんだ、その女は?おい清島、詳しく説明しろ」
しかし板倉が「あっ」と声を上げた。
「十年前の、あの木山の妹か。いや、当時からきれいな娘であったがこんなところにいたとは」
板倉は吟味方の熟練だった。
当時、聴取を行ったおりんのことを思い出したようだった。
「まさか被害を受けた栄屋で奉公していたのか。それにその首。その痩せよう。栄屋お前、木山のことを根に持って虐待をしていたのではないだろうな」
板倉は厳しく詰問した。
太郎衛門はぶるぶると震え出した。
その時おりんが前に出た。
「そのようなことはございません。これは私が望んだことです」
おりんは太郎衛門を見ながらそう答えた。
太郎衛門は目を見張っておりんをみる。
おりんは笑みを浮かべそれに答えると土間に立っている中尾に言った。
「十年前の辻斬りについて申したい儀がございます。兄は辻斬り、それは間違いございません。けれど、兄は七太郎さんを切ってはおりません。兄はその夜、家にいたのです」
実は、十年前の聴取のとき一度だけそれを証言したのだ。
この証言は本人の自白によって結局取り上げられることはなかったが記録には残っていた。
一真は、七太郎の辻斬りについて調べていたとき目ざとくそれを拾ったのである。
おりんと木山小次郎はこの日、庭で星を見ていたのだ。
満天の星の中、恐れられていた辻斬りの兄と肩を並べて。
父母すら知らないことであった。
「木山は少なくとも三人は斬っております。しかし証言には多少あいまいなところもあり、この七太郎の件についてはでっち上げた可能性もあります。そして、謀らずもそれにより助かった人がいます。お内儀」
一真はお松を見た。
「あの日、お前は七太郎が金を届けてその帰りの道をこっそりつけた。そして人気のない、いかにも辻斬り向きな場所で声をかけた。忘れ物だとかいったんだろうな。振り向きざまに懐刀で刺したんだ。そして何食わぬ顔で戻ってのうのうと過ごしたんだろ」
違うか、と一真は言った。
「何を根拠にそんなことが」
お松は顔をゆがめた。
「欲の皮が突っ張ると怖いもんだ。人を刺した刀を質に入れるなんて。きれいにふき取ったつもりだろうけど、後々錆が出て売り物にならなかったって質屋が言っていたよ」
兵庫が質屋から借りた帳面を取り出した。
「古いものだがあんたの字だろ。この証文」
「そんな。おっ母さんが、七太郎兄さんを殺したって言うの」
お園が青い顔でつぶやく。
「お園、お前も覚えているんじゃないか。お松があの夜外に出て行ったことを」
そういわれて何かを思い出したようにハッとし、お園は口元を押さえた。
そして、声を殺して泣き始めた。
「七太郎だけじゃない、おそらく自殺と処理されたお且もお前がやったんだろう」
太郎衛門がぎょっとした表情でお松を見た。
「首吊りだということになっているが、その直前に二人が争っている姿を目撃されている。お且はお前が七太郎殺しとわかったんだろう。たとえ分かっていなくても、お前の用事で七太郎は出掛けたんだから逆恨みだってされたっておかしくない。勢い余って首を絞めたんだ。それを工作して納屋で首をつっているように見せかけた。違うか」
一真は続けた。
「実際、七太郎とお且が死んで特をしたのはお前だけなんだ。おかげでお前とお園は表でのうのうと暮らしている」
一真の言葉にお松はハッと笑った。
「何を根拠に、そんなこと。お且を殺した証拠でもあるって言うのかい」
苦々しげにお松が一真をにらんだ。
これはしかし、一真の勇み足であった。
確たる証拠は何もなく聴取で吐かせることしか道はなかった。
中尾が心配そうに一真を見た。
「証拠はあるのか」
そのとき、おりんが横から言葉を入れた。
「ございます」
皆が一斉におりんを見た。
「納屋にお松様のお名前があります。私が数年前に納屋に置かれていたときにそれを見かけました。おそらく死ぬ間際にお松様の目を逃れ書かれたのでしょう。簪のようなもので書いた引っかき傷でしたので、お且様の形見の簪と照合させてみてはいかがでしょうか」
おりんの証言に、お松は悲鳴のような罵声を浴びせた。
「なぜ、それをいわなかったのか」
太郎衛門が叱責するように言った。
「いえば、太郎衛門様はどうなされましたか?お松様を離縁して、お園さんも追い出して、そうして栄屋を一人寂しく切り盛りするおつもりでしたか」
おりんの目に涙が滲んだ。
太郎衛門の戸惑いは皆にも伝わるほどに大きかった。
「わしはお松とはもう一緒におれん。全て裁きに任せるよ」
太郎衛門はお松の罪を認め、自分の非も認めるように中尾の前に出た。
「よし、大堀。納屋にいけ。簪と照合してこい。それから、板倉は罪状の確認に走れ。娘の監禁の容疑は栄屋本人にもある。この夫妻をひっとらえるのだ」
中尾が指示を出し、一真は縄を手に持った。
「お待ちください。太郎衛門様へのお咎めはなにとぞ取り下げを」
おりんは手をついた。
傍にいた安次郎が慌てておりんを起こそうとした。
「こいつはあんたを監禁していたんだぞ。義理立ての必要なんてあるもんか」
しかしおりんは首をふる。
「太郎衛門様は、それは兄を憎んでおいででした。私もここに来た初めの日は私怨で殴られもしました。けれど九年間ここに置いていただいて、仕事も食も与えられ私は十分満足なのです。それに、両親ともお縄になればお園さんはどうやって生きていけばいいのですか」
啜り泣きをしていたお園は顔を上げておりんを見た。
虐待をしていた娘に、それも冤罪のようなものなのにこれほどまでに尽くされるとは太郎衛門も思っても見なかったようだ。
「おりん、悪かった。わしが間違っていたよ。九年、九年もの間だ。文句も言わずにこの扱いに耐えて。わしは、自分が恥ずかしい」
太郎衛門は体を丸めてさめざめと泣いた。
そうしておりんの気持ちも汲まれて栄屋はかろうじて潰されることは免れた。
しかし、安次郎はおりんの太郎衛門を思う気持ちに違和感を覚えるのを感じた。