白焼き重
席に着いたとき、老爺はもう奥へ消えていた。
何も言っていない。
ガレアスも、何も言っていない。
それでいい。
もうそういう間柄だった。
今日は白焼き重を頼んだ。
なぜそうしたのか、自分でもわからなかった。
ただ、タレの甘みを、今日は欲していなかった。
奥から、水音がした。
ガレアスは、兜を外して、カウンターに置いた。
式典があった。
魔王討伐から半年。
王都の広場に、騎士団が整列した。
国王が演説した。
民が歓声を上げた。
ガレアスは壇上に立って、その歓声を、ぼんやりと聞いていた。
英雄、と呼ばれた。
今日だけで、何度そう呼ばれたか。
英雄。
その言葉が、自分のことだという実感が、
半年経っても、まだない。
白焼きはタレをつけずに焼いた鰻だ。余計なものが、何もない。鰻そのものの脂と、皮の香ばしさと、身の甘みだけがある。醤油と山葵で食う。飾りがない分、鰻の素が、そのまま出る。
英雄とは何か、と考えた。
剣が強い人間のことか。
ガレアスより強い剣士を、ガレアスは何人も知っている。
民を守る人間のことか。
セルジオを守れなかった。
最後まで諦めない人間のことか。
怖くて、膝が震えた。
では、何が英雄なのか。
壇上に立っていた間、ずっとそれを考えていた。
今も、まだ考えている。
鰻を焼くとき炭の火加減が全て出る隠すものが何もないからだタレがあれば多少の誤魔化しが効くが白焼きには効かない焼いた者の腕が鰻の上にそのまま乗る。
三十分が経った。
ガレアスは、カウンターに置いた兜を見ていた。
磨かれている。
従卒のリナが、毎朝磨いている。
ガレアスが何も言わなくても、磨いている。
リナにとって、ガレアスは英雄なのだろう。
だから磨く。
そのことが、少し、重い。
この兜を被っている人間が、
自分が何者かわかっていないなど、
リナは知らない。
かすかに、香りが変わった。
炭の匂い。
タレではない。
皮が焼ける、素の匂い。
重箱が、置かれた。
蓋を、開けた。
タレがない。光っていない。白い飯の上に、焼き色のついた鰻が、ただ、ある。地味だと思う者もいるだろう。だがこれが鰻だ。飾りを全部取った後に残る鰻だ。
ガレアスは醤油を、少し垂らした。
山葵を、箸の先につけて、白焼きに移した。
「いただきます」
鰻と飯を、一緒に、口に入れた。
タレの甘みがない分、皮の香ばしさが直接来る。脂の甘みだけがある。素の甘みだ。山葵の辛みが鼻を抜けて一瞬で消えてまた鰻が来る。何もないのに、手が止まらない。これが鰻だったのかと思う。ずっとタレの下にいた鰻が、ここにいる。
ガレアスはもう一口入れた。
英雄のことを、まだ考えていた。
タレがなくても、鰻は鰻だ。
飾りを取っても、鰻は鰻だ。
では、ガレアスは。
英雄という言葉を取ったら、騎士団長という肩書きを取ったら、
何が残るのか。
鰻と飯を、また口に入れた。
白焼きは食い手を選ばない。ただ鰻の素がある。それが好きな者には堪らない。それだけのことだ。
ガレアスはかき込んでいた。
すでに、重箱の半分を、消していた。
答えは、出なかった。
英雄を取ったら何が残るか。
わからない。
食いながら考えたが、わからなかった。
ただ、鰻はうまかった。
山葵は追加してもいい後半に足すと輪郭がまた締まる醤油も足してもいい自分で調整できるのが白焼きの自由さだ正解がない。
ガレアスは山葵を、少し足した。
かき込んだ。
重箱が、空になっていた。
肝吸いを、すすった。
出汁は正直だ余計なものが何もないから全部そのまま出る肝の苦みも澄んだまま底にある答えのように底にある答えが出なくても出汁は澄んでいる。
ガレアスは一息で、飲み干した。
箸を、置いた。
炭の音だけがあった。
答えは、出なかった。
英雄を取ったら何が残るか、まだわからない。
だが、腹は満ちている。
白焼きの、素の甘みが、まだ舌にある。
飾りがなくても、鰻は鰻だった。
それだけは、わかった。
それだけで、今日は、いい。
「……ごちそうさまでした」
老爺は、無言で頷いた。
暖簾をくぐって外に出ると、夜だった。
ガレアスは、兜を被り直した。
答えは、明日も出ないかもしれない。
それでも、明日も仕事がある。
腹が、満ちている。




