風鈴、夏風邪、影法師。
夏はまだ始まったばかりだ。
梔子の花が風を受けて揺れる。
その風で飛んでいったひとひらの葉が、君の顔に覆いかぶさる。
夏は続いていく。
長かった梅雨が開けた。
紫陽花の花は萎れて、まるで朝に見える月のような寂しさを纏っていた。
天気予報によるとしばらく雨は降らない。
学校も夏休みに入った。
中学生として迎えた15回目の夏。
これがこの小さな村で過ごす最後の夏になるのだ。
東京へ行く。
人口数千人の小さな小さな村では、夢を叶えるにも限界がある。
お小遣いを握りしめて、この村に一つしかない商店へ向かう。
昔と比べて人の数も随分減ったようだ。
今日の日差しは、小さな村を照りつけるには暑すぎるものだった。
商店についてアイスを買う。
店の前のベンチに座ろうとした。
先客がいた。
少し間隔を開けてベンチに腰掛ける。
気まずい空気が流れる中、アイスの袋を開ける。
まるで砂漠の中にオアシスを見つけた時のような喜びを感じながら、口に含む。
「君、ここにはよく来るの?」
隣から声が聞こえた。
先に座っていた女性だ。年齢は高校生くらいだろうか。
「まあ、たまに。」
無愛想な返事をする。
軒下にかけられた風鈴の音が鳴る。
夏はもう目の前にいた。
「そっか。私、ここの店のおばあちゃんの孫なの。」
驚いた。
風が通り過ぎる。夏草が揺れて、狭かった視界が少し開ける。
山と山の間に覗く水平線。
僕はあの遥か先の景色を求めている。
「そうなんですね。」
会話は途切れた。
数分間の沈黙が流れる。
この静寂を断ち切ったのは彼女だった。
「暑いね。」
暑い。暑すぎる。
時間はだいたい4時頃だ。
冬だったらもうそろそろ暗くなる時間だが、そんな事も考えられないほど暑い。
「はい。」
そうしてまた沈黙が訪れた。
だがこの沈黙も美しい。
その時間は悠久に感じられ、ずっと過ごしていたいと思う心地よさを秘めていた。
そのまま時間が過ぎて、だんだん空のキャンバスに黒が足されていく。
そろそろ帰らなくては。
僕は立ち上がる。
すると彼女が言った。
「また来てね」
きっと言われなくても来るだろう。
街灯のない田んぼの道を歩く。
セミの声が止まる。
明日行ったら迷惑だろうか。
いつ行くのが一番丁度いいのだろう。
そんな事を考えながら、深い藍色の空の下を歩く。
夏は、今ここにあるのだ。




