悪役転生令嬢は、今日も推し活で忙しい
「やってしまいましたわあああああああ!」
その声は、静まり返ったお茶会の空気を切り裂くように響き渡った。今まで淑やかだった令嬢が、突然叫び出したのだ。皆は度肝を抜かれ、時が止まったように固まる。特に婚約者であるエルリックは、ドン引きして口元を引き攣らせていた。
「き、急にどうしたんだ?」
「あああああ、やっぱり王太子が婚約者なのですわね!」
「いや、もう10年以上前に決まったことだろ。何を今更」
周囲の驚愕の視線が突き刺さるが、イザベラにはそれどころではなかった。頭の中に怒涛のように流れ込んできたのは、前世の記憶。そして、自分が転生した「悪役令嬢」という、最悪の役回りだった。
「お嬢様は少し体調が悪いようですので、失礼いたします」
仕事のできる家令がさっと手を上げ合図を送ると、数人のメイドがすぐさまイザベラに近寄ってきて腕をがしりと掴んだ。そのままずるずると引きずり出され、その日のお茶会はお開きとなった。
「何を考えているんだ! 我が家門を潰す気か!」
「ごめんなさい、お父様……」
その後、父親にしこたま怒られてしまったが、それも仕方のないことだ。この結婚は自分だけの物ではなく、家門の未来もかかっている。王太子の機嫌を損ねて、最悪家門取り潰しになってしまえば、自分達だけでなく、ここで働く者が皆行き場を失ってしまう。
長々と一時間も説教を受けた後、やっと解放され、部屋に戻る。ぐったりとベッドに倒れ込み、深くため息をついた。
「でも仕方ありませんわよね……。急にここが昔やっていたゲームの世界だってことを思い出したんだもの」
何の予兆もなく、王太子とのお茶会中に急に思い出したのだ。この世界は日本で生きている頃に流行っていた乙女ゲームの世界に類似している。今まで出会った人の名前や性格などが全て一致していた。
「しかもその中の、悪役令嬢だなんて最悪ですわっ」
イザベラは、隠れキャラを含めて攻略者が六人もいるのに、その全てでヒロインの邪魔をしてくる、嫌われ者の悪役令嬢だ。
けどさ、婚約者である王太子はまだわかるけど、全員はおかしくない? 製作者の怠慢でしょ!
ヒロインを虐めたおす役割のイザベラの末路は酷い物で、修道院送りやら事故死やら娼館送りなど散々だ。ゲームをしている時はざまぁとしか思わなかったけれど、実際悪役令嬢の立場になると、これはきつい。
「モブでよかったのよ。なのに何故よりにもよって、悪役令嬢なんかになるのよおお」
ヒロインにとは言わないまでも、悪役令嬢にだけはなりたくなかったし、ゲームの世界ならもう少し緩いゲームに転生したかった。
だがそういっても、既に生まれ16年暮らした記憶がしっかりある。両親から厳しいけれど愛情を受けて育った記憶もあるし、言葉遣いや所作も貴族のものがしっかり身に沁みついている。今更変えられないだろう。
「はあ、本当に最悪ですわ。最悪なんだけど、」
これからどうなるのかベッドに突っ伏して嘆いていたが、急に笑いがこみ上げてくる。
「生レオ様にお会いできるの、嬉しすぎますわあああ!」
今周りに人がいたら、悲しみに沈んでいたと思ったら急に瞳を輝かせて笑い出す、頭のおかしい人間だろう。
だが今はこの部屋には誰もいないから、いくらでもニヤニヤできる。
「生レオ様にお会いできるなんて、前世のお布施のおかげかしら」
レオ様は婚約者であるエルリックの護衛騎士で、黒髪に紫の瞳が美しい男性で前世の推しなのだ。公爵家の三男となっているが、実は国王の落とし胤で、エルリックの腹違いの兄弟なのだが、まだ数人しかその事実を知っている者はいない。エルリックでさえ知らない極秘事項だ。
レオ様はそのせいで公爵家で冷遇されて育った。妻の浮気の証拠でもある為、両親がレオ様を疎み、結果実の親からも育ての親からも愛されずに育ったレオ様には、いつもどこかそこはかとない陰があった。可哀想な話ではあるが、その陰の部分が他のキャラとは違って、私は激しく惹かれたのだ。
皆には優しく誠実なのに、ヒロインだけにはヤンデレてしまうところもツボだった。
彼のイベント時にはランカーになるため、いくら使ったかわからないほど散財した記憶がある。
「今日は来られてなかったわね、残念……。いえ、もしお見えになっていたら、みっともないところを見られてしまうところでしたわ。ってそんなことより、どうやって生き延びるか考えなくては……」
学園への入学はもう1か月後に迫っている。時間がないのだ。
幸い記憶を辿っても、まだ誰かを傷つけたり、貶めたことはない。聖人のようなとは言えないが、いたって普通の貴族令嬢だったと思う。
「私、そこまで他人に酷いことをするのかしら?」
ゲームの中では無視、物を隠すなどのいじめから、階段から突き落とす、毒殺するなど結構な犯罪にまで手を染めていたと思う。
婚約者を取られるからと言って、ヒロインをここまで貶めるようなことをしたかと言われると疑問だ。確かに思い出すまでは王太子に恋をしていたので、嫉妬に狂ったのかもしれないが、記憶を思い出すまでの自分はそこまで我儘でも非常識でもなかった。……と思う。
百歩譲って、まだ婚約者であるエルリックはわかる。けどレオ様含め他の攻略者とヒロインがくっつきそうになって邪魔するだろうか?
変じゃない?
「うーん。わからない」
やはり、ヒロインに犯罪行為はしなかったと思う。嫌がらせは言い切れないけど。
もちろん前世を思い出したからにはもちろんしないが、原作の強制力とやらもあるらしい。こちらが何もしなくても、勝手に原作の通りに進んでいく場合もあるとすれば、対策が難しすぎる。
「うーん、うーん」
いっそどこかに逃げてしまおうか。だがそうすると、政略結婚を放棄した我が家門がどうなるかわからない。大切に育ててもらった記憶もあるし、幼い頃から仕えてくれたメイドや家令たちを守りたい気持ちもある。
簡単には見捨てられない。
私がざまぁされた後も、家門は何故か無事だったので私が犠牲になればいいのかもしれないが、やっぱり私だって生き延びたい。
「せっかく美少女に生まれ変わったのですし?」
ベッドサイドの手鏡に手を伸ばして覗き込むと、そこに映し出されたのは輝かんばかりに美しい美少女だった。
金糸を紡いだかのようなプラチナブロンドに、陶器のように白い肌。宝石のように輝く青い瞳に高く通った鼻。薄目だがまるで朝露に濡れた薔薇のような唇。イザベラの顔は完璧なまでに整っており、まるで精巧に造られた人形のようだ。顔だちのどこにも僅かな隙さえ見当たらない。悪役令嬢なので、冷たくきつい印象を受ける顔だが、私はこの顔が嫌いではなかった。
だが断罪まで約2年。どんな美少女に生まれ変わっても、あと2年で死ぬのは辛すぎる。
「私は王太子との結婚に拘りもないですし。むしろ前世日本人で平民の私にとって、王太子との結婚は重すぎるのですわ」
この世界を平穏無事に生き延びる為に何をすればいいか、必死で考える。だがそう簡単に答えが出るはずもない。ヒロインを虐めないぐらいしか案がなく、いくら考えても他のいい案が思い浮かばなかった。
まだ転生していると気付いて時間も経っておらず、できることも少ない。
そのまま必死で1時間以上考え、頭が沸きそうになった時、はっと一つの案が浮かんだ。
「うーん、うーん。そうですわっ」
私は手を叩いて立ち上がる。
「推し活をしましょう!」
もしこの場にツッコミ役がいたら、きっと盛大にズッコケていたに違いない。だが、考えることの放棄は、イザベラにとって最良の解決策だったのだ。
だって、いくら考えたって未来のことなんてわかるはずもない。なら重課金していた推しが目の前にいるのに推さないなんて、それでファンだと言えるのか。
「どうせ今私ができることと言えば、ヒロインを虐めないようにすることくらいですもの。他にできることがないのなら、推し活するしかないわっ!」
こうして私は考えることをやめ、推し活にいそしむことにした。
1か月後の入学式、当日。
イザベラは遠くから見るレオンの姿に感動していた。
――レオン様……輝いてますわ!
本当は大声でその名前を叫びたいところだが、王太子の婚約者が他の男性の名前を叫んでいたら、それこそ大問題である。
ここはぐっと堪えて、心の中でその名前を連呼する。
必死に目線で追いかけていると、周囲からひそひそと声が聞こえてきた。
「まあ、イザベラ様はエルリック様に夢中なのね」
「美男美女でお似合いですもの。羨ましい限りですわ」
エルリックの護衛であるレオン様を見つめていたのだが、周りには婚約者であるエルリックを見つめていると勘違いされたようだ。元々記憶を思い出すまでエルリックに恋をしていた為仕方ないし、その方が都合がいいのだが、なんとなく釈然としない。
――まあいいわ。私だけの推し活を進めるわ。
式後、エルリックに話しかけられる。
「あの後大丈夫だったか?」
強制退場させられたお茶会以降会っていなかったのだが、エルリックは病気で頭がおかしくなったとでも思っていたのだろうか?
それならば見舞いの一つでも贈るのがマナーだろう。まあいいけど。
「申し訳ありません。お見苦しいところをお見せいたしました」
「それはよかった。これからだが、この学園ではイザベラも特別扱いはしない。俺も見分を広める為、他の者と交流を深める為、イザベラもそのように」
「はい。承知いたしました」
これはあれよね。婚約者がいても他の者とデートするぞということですね。まあ確かに物心つく前に婚約者決められて自分で好きな人を選べないって、理不尽ではある。他の人とデートして青春したくなる気持ちもよくわかる。
よくわかるけど、ゲームの中では私は全てのエンドで王太子から転がり堕ちてるんで、婚約者でいるのもあと2年くらいなんですけどね。
その時エルリックの後ろから、柔らかい声がした。
「エルリック様、お約束の時間がそろそろ迫っています」
――キター!! フルボイス最高~!!
レオン様にはまった理由の一つに、声が好きだったというのがあったのだが、ゲームでは特別なスチルの時とか、大事な場面しかボイスがなかった。こんなどうでもいいセリフまでそのお声が聞けるなんて。
眼福ならぬ耳福である。
「では、また」
そう言って去って行くエルリックではなく、レオンの後ろ姿をしっかりと目に焼き付けたのだった。
それから学園生活は、そこそこ平穏だった。ヒロインは別クラスなので、避ければ会わずに済むし、友達もできた。普通に楽しいのだが、1つ大問題があった。
推し活が難しいのだ。
今日もこっそりとエルリックの姿を見ようと、鍛錬場にやってきたのだが、すぐに周りの者に見つかってしまった。
「イザベラ様も来られたのですね!」
「え、ええ」
そしてすぐに友達に囲まれてしまう。私の今の姿は美少女でとてもよいのだが、とにかく目立ってしまった。こっそりの行動が全くできない。
今日は男子の鍛錬の日で、多くの女子が見学に来ているのでまあいいかと一緒に見学し始める。
模擬試合のようで、数人の生徒が戦っていたが。その中でもレオン様の動きはひときわ目立っていた。
――レオン様、最高!
レオン様は王太子の護衛を務めるくらいなので、とても強い。まるで剣舞のようなしなやかな動きで、ばっさばっさと倒していく様子はもはや芸術だ。
――はああああ! かっこよすぎますわ! 目に焼き付けなければ!
私は食い入るようにレオン様を見つめていた。
「やはりエルリック様、素敵ですよね」
「そ、そうね」
皆エルリックを見つめていると思って話しかけてくる。確かにエルリックも弱くはないのだろうが、レオンほどではない。あと線が細い。
騎士であるレオン様と並ぶと、上腕二頭筋が貧弱すぎる。二人並んでいるときに思うのだが腕が貧弱だ。
鍛錬が終わり、人がはけていく。
と、エルリックがこちらに気づいたのか。目があった。
――失敗しましたわっ!
相手側からはかなり見えにくい場所を選んだのだが、一人ではなく数人でいたこと、私の容姿が目立つことが相まって見つかってしまった。こちらに近づいてくるが、目が合ったのに逃げることはできない。
「イザベラ、また来ていたのか」
ふん、と傲慢そうに鼻を鳴らしている。エルリックは俺様キャラなのだ。
「俺にばかり構っていないで、自分の人脈を作ったほうがいいぞ?」
「…………」
――私はレオン様に会いに来たんだっちゅーの!
と言いたいが、そんなことは口が裂けても言えない。にっこり笑ってその場を流した。
鍛錬場だけではない。食事の時も、談笑している時も、休憩している時も、いつもレオン様に会いにいくとエルリックがいて、いつも見つかってしまっていた。
――レオン様に会おうとすると、エルリックもついてくるのよね。
当たり前なのだが、エルリックの護衛としていつも一緒にいるので、レオン様に会いにいくといつもエルリックがいる。まるでエルリックにストーカーのような扱いをされているのだが、全く失礼な話である。私はレオン様のストーカーであって、俺様男のストーカーではないのだ。
だがせっかくこの世界に転生して、推しに会えるのに会わないのは辛すぎるので毎日のように会いにいっていたところ、最近ヒロインが一緒にいることに気づいた。
どうやらヒロインは、エルリックに狙いを定めたようだ。
――王道を選んだわね。
ゲームの一番人気、王道のストーリーなのでよくわかる。だが問題が発生した。推し活をしようとすると、ヒロインを避けきれなくなってきたのだ。
頑張って避けてきたが、レオン様の側、もといエルリックの側に必ずいる。
お友達の令嬢からも目撃情報があがってきていた。
「イザベラ様がいるとわかっているのに、あんなにべたべたと……。恥知らずもいいところだわ」
「この前など、あーんってサンドイッチを王太子に食べさせていましたのよ? そんなこと人前でするなんて、厚顔無恥にもほどがありますわ!」
確かにヒロインであるリアナは、元平民だからか距離感が近い。高位貴族は大体皆婚約者がいるので、異性には一歩ひいて接するのがマナーだ。普通では構えてしまうような相手でもリアナは自然に接するのだが、それが一部の貴族令嬢からは反発を食らっていた。
「まあでも、それを許す王太子もどうかと私は思いますわ」
そう言うと貴族令嬢は、しゅんとした顔で黙ってしまった。いつもヒロインが責められるのだが、元日本の平民である私もリアナの気さくさは理解できるところもある。それより、マナー違反であるのをわかってそれを許している男どもが許せない。
「私は大丈夫ですから」
「イザベラ様……」
そういうとお友達の令嬢たちは、目を潤ませてこちらを見ていた。本当に大丈夫なんだけどね。
そのうちリアナが、エルリックと恋仲であるという噂が学園中に広まった。こちらを見てひそひそ言われるのは思ったより不愉快ではある。
だがめげずに推し活を進めていると、運悪くリアナとエルリックが並んで歩いているところに出くわしてしまった。
「イザベラ様……」
リアナは罰が悪いのか、すぐに視線を外した。
エルリックはため息をつき、レオンに指示した。
「リアナを寮まで戻してやってくれ」
「わかりました」
――ああ、推しが去っていく……
目の前から推しが去って行ってしまって悲しみに暮れていると、エルリックに咎められた。
「最近俺の周りを纏わりすぎだと思うのだが。前から言っているように、俺もここでは一人の国民として見識を広めたいのだ」
エルリックにも纏わりついてしまっているのは本当だが、あなたが目的なのではないと声を大にして言いたい。
「最近リアナ様と仲がよろしいのですか?」
「嫉妬か?」
エルリックは深く眉間に皺を寄せている。この様子だとエルリックもリアナに惹かれているのだろう。エルリックから婚約を解消したいと思っているのなら、できるだけ穏便に婚約者の座を明け渡すほうがいいだろう。
私は思い切って告白した。
「いいえ。嫉妬ではありません。実は私、エルリック様のことタイプじゃありませんの」
「は? いや、この前までお前、俺に」
突然のことに鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしている。男前の変顔は結構面白い。
「大体毎日、俺に纏わりついているではないか!」
「いえ、お傍に逞しい方がおられるので、その方を見ていました」
「……レオンか。未来の王太子妃が浮気とは嘆かわしいぞ」
お前が言うなよと思うが、浮気されていると思われるとまずい。
「はい。でも異性として好きというより眼福みたいな感じです。もちろん二人でお会いしたことも、きちんと会話したこともありませんわ。それはエルリック様もよくご存知でしょう?」
「……俺もリアナと2人っきりで会ったことはないぞ」
あんなに噂になっているが、2人で会ったことはないらしい。確かにエルリックの周りにはいつも護衛やらなんやらがいるので、2人っきりは難しいのかもしれない。
何故かちょっとだけ、心が軽くなったような気がした。
「そうですか。私が言いたいことは、リアナ様と仲良くされても私は大丈夫だということです」
「だが、イザベラは」
エルリックはまだ信じられないという顔をしている。
「なんでしょうか?」
「…………とりあえず、今日はもう遅い。寮まで送ろう」
これ以上話しても無駄だと思ったのか、そこで会話は終わった。
それでも寮まで送ってくれるところは紳士的だと思う。だが寮まで二人の間の空気は重かった。
言う事を伝え気楽になり、もっと集中して推し活できるし生き残れる確率も増えたのではと思っていたのだが、あれからエルリックからの呼び出しが何故か増えた。
今日もどうしてか一緒に食事をとることになっていた。
「どこを見ている?」
「え? レオン様のことです」
最近やっと自分を見ていたと思っていたのが勘違いで、ずっとレオ様を見つめていたのだと気付いたようだ。苦虫を噛み潰したような顔でこちらを見ている。
「婚約者が目の前にいていい度胸だな」
「そうですか? エルリック様は私などに興味はないのでは?」
この男は顔がいい自信家で、ゲームの中ではヒロインには優しかったが悪役令嬢であるイザベラには冷たかった。実際記憶を思い出す前思いを寄せていたのに、全く相手にしてもらえなかった。
「レオンのどこがいいのだ。顔なら俺もいいだろう」
確かに顔はエルリックもいい。異母兄弟なだけあって顔の雰囲気も似ている。
「私、筋骨隆々なタイプが好みだって最近気づきましたわ。殿下はちょっと線が細すぎてなよっとしているのでタイプではありません」
「なっ、なよっと?」
脳みそが一時機能停止したように、その場で固まってしまっている。
「俺は、そこまでなよっとしている訳ではっ」
「でもムキムキではないですし」
「…………」
この後の食事の間、エルリックは一言も喋らなかった。
それからも何故かエルリックに呼び出される回数が増え、食事やお茶を共にする機会が多くなっていた。
少し怖くはあるのだが、その場にリアナはいないし、レオ様は見つめ放題なので、まあよしとしておく。
幼い頃から婚約者として何回も交流していたので、気心もしれている。
そうして暫く経った頃、あることに気づいた。
「あら? 殿下最近お太りに?」
何故か制服がきつそうにパツパツになっていた。
「馬鹿をいうな! 太ったのではないわ! 筋肉がついてきたのだ」
むっと言い返してきたエルリックの腕を見ると、確かに筋肉が育っているように見える。
「鍛えておられるのですか?」
「まあ、政務ばかりでは体がなまるからな」
そう言って少し誇らしげに鼻をならす。
「そうですか」
どうせ気紛れだろうと思ったが、その後もエルリックの筋肉はもりもりと育っていった。
その後も順調に推し活をしていたのだが、ある日突然レオン様が見えなくなった。
「レオン様はどうされたのですか?」
「あー。あいつか。あれは暫く学園を休むらしい」
「ええええええええええ!」
あまりのショックに、婚約者である王太子の前で大声で叫んでしまう。
最近レオ様はどうやら王太子の護衛から外れたらしく、暫く学園には来られないようだ。今までは王太子に会えば自動的にレオン様に会えていたが、そうではなくなってとても悲しい。
同じ父を持つのに、片や大事にされる王太子、片や本当の父からも、育ての父からも愛されないということに、義母兄弟であるエルリックの側にいればいるほど、その境遇の差に苦しさを覚えていき、闇落ちしていくので、離れられたことはレオン様にとってはいいことなのかもしれない。
だが私の推しが足りない。
絶対的な推し不足だ。
「はあああああああ」
エルリックと今日もお茶をしているが、推しがいないので楽しさが10分の1以下だ。
「婚約者の前でため息をつくな」
「だって推し不足……」
「推し?」
「見ているだけで元気づけられる存在ということです」
「イザベラは、本当にレオンのことが好きなのだな」
その声がいつもの偉そうなものではなく、どこか寂しそうで私は慌てて否定した。
「好きとか嫌いというより、何ていうんでしょう。眺めていたいと言いますか。応援したいといいますか。役者に皆きゃーきゃー言っているでしょう?あれと同じです」
「よくはわからんな」
推し活を理解してもらうのは正直難しいだろう。
「周りからは理解されないとはわかっているので」
そう言うと、エルリックはまた苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
その次の日もまた呼び出され、何かを手渡された。
「何ですか? これ」
「開けてみろ」
薄い封筒を開けると、そこには1枚の写真が入っていた。
「こっ、これは……!!」
それはレオ様が10歳くらいの時の写真だった。
「激レアきましたわっ」
思わず心の声が漏れてしまう。
「はっ、嬉しそうだな」
「はい! ありがとうございます」
お礼を言うと、複雑そうな顔でため息をついた。
「役者が好きな妹に、何が欲しいか聞いたら写真が良いと言ったからな。これは王宮に初めてあがった時のものだ」
「素晴らしいですっ!」
ゲームの中でも、子供の頃の様子はちらっとしか描写されないのだ。こんな所で激レアカードを手に入れることができて感激だ。私が感動していると、エルリックが言った。
「これからも、たまには色々もってくるから元気をだせ」
「私元気なかったですか?」
「ああ、憎らしいほどにな」
そう言って、エルリックは苦笑していた。
それから確かにエルリックは2回に1回はレオ様の写真やらなにやらをもってきてくれた。そのうち写真だけではなく、レオ様の使っていた名入りのペンなどのグッズも持ってきてくれるようになった。
会えないのは寂しいが、激レアグッズが揃っていくのは嬉しい。部屋に並べて飾って毎日眺めて楽しんだ。けれど、そのグッズを見るたびに、私にこれを持ってきてくれたエルリックの顔が、なぜか頭に浮かぶようになった。
ーー何故? 最近レオ様にお会いしてないからかしら?
やはり推し不足なのかもしれない。
推しに会えないこと以外は、平穏な日々が続いていたある日だった。
「あら? 髪色どうされたのですか?」
急にエルリックの髪色が見事な金髪から、真黒に変わっていた。
「気分転換に変えようと思ってな」
そう言ったエルリックの顔はレオン様にそっくりだった。異母兄弟で髪以外は元々顔だちも似ていたのに、体を鍛え、髪色まで同じにしたのだ。似ていないはずはない。
「似合っているか?」
「いいえ。全然」
そう返すと酷く傷ついた顔をしている。
「な、何故だ! イザベラはこういう見た目が好きではないのか?」
落ち込むその姿が大型犬みたいで、何故か可愛い。自然と笑みがこぼれていた。
「エルリック様はそのままで金髪が似合うと思いますよ。華やかな雰囲気と金髪がよくあっておられました」
「そうか……」
私はくすりと笑って聞いた。
「エルリック様は何故、体を鍛え、髪を染めたのですか?」
「…………わかっている癖にそれを言わせるのか」
「はっきりと言葉にして頂きたいのです」
何となくわかってはいたが、しっかりと伝えて欲しいというのが女心だろう。
「イザベラに振り向いて欲しくてだ。レオンではなく俺を見て欲しい」
真っ直ぐにこちらを見つめて、エルリックは言った。
「俺にはイザベラしかいない。好きだ。俺と共に未来を歩んでくれ」
心臓が跳ね、嬉しさがじんわりと広がっていく。顔は元々よく、さらに自分の好みに体型や服装などを寄せてくれているのだ。大体記憶を思い出すまでは好きだったのもあって、最近絆されていた。
自分でもはっきりエルリックのことが好きだなと自覚できる。
だがやはり不安なことがある。ゲームの結末では悪役令嬢は全てのルートで婚約破棄されている。
それを思うと、なかなかすぐに返事ができないでいた。
「迷うのか?」
婚約者で本来なら王太子を支えなければいけない私に、一緒に歩んでほしいと頼んでくれるエルリックは優しいのだろう。だがこの不安をどう伝えればいいのか。
悩みに悩んで、ゆっくりと口を開いた。
「では一つ約束して欲しいのです」
「何だ?」
2人の間に重い空気が流れる。私は祈るような気持ちで切り出した。
「これからも」
「これからも?」
「レオン様を推すことを許して欲しいのです」
「はぁ!?」
エルリックの目が点になっている。けど婚約破棄をしないで欲しいと伝えたところで、今のエルリックにはそんな気はなさそうなので意味がない。またゲーム終了までもまだ半年ほどあるので、強制力とやらも気になる。
ならばもう、考えるのは無駄なので推し活したほうがいいのではないか。
という結論に今回も至った。決して思考の放棄ではない。
「もちろん、王太子妃になってからもです」
「まだレオンのことが好きなのか?」
「いいえ。全く」
「あいつだけはやめておけ! 今だってあれは、」
「リアナ様を監禁しているのでしょう?」
そう尋ねると、エルリックは心底驚いたように目を見開いた。
「何故それを知っている」
「女の勘です」
「女の勘とは恐ろしいな」
ゲームをプレイしているからわかる。レオン様が護衛から一時期離れるのは、リアナを監禁した時のみだ。
リアナはエルリック狙いだったようだが、どうしてかレオン様ルートにいってしまったようだ。推しが一番幸せになれるルートでもあるのでよかったと思っているし、大体レオン様はヤンデレなので、自分とどうこうなって欲しいとは思ったことはない。
ヤンデレは見ているのが一番よく、当事者になるのは怖い。
「私は監禁されたくないですし、不貞を働きたいとも思っていません。ただ推しの幸せを見ていたいのです」
「……それがイザベラの願いなのだな」
「はい」
エルリックは呆れたようにため息を吐きながらも、笑って言った。
「わかった。まだよく理解できていないが、俺は誰よりもイザベラを理解したいと思っている」
俺様だった王子が私の為に自分を変え、婚約者のよくわからない趣味まで認めてくれるらしい。想ったよりエルリックは器の大きい男だったようだ。
他の誰と結婚したとしても、他人の男の推し活は認めてくれないだろう。
「だから俺と、一緒にともに歩んでくれるか?」
「はい」
私は満面の笑みで答えた。
それからしばらくするとレオン様もまたエルリックの護衛に戻ってきた。
「ああっ! 幸せそうなレオン様最高!」
ヒロインと結ばれ、陰鬱な雰囲気がなくなったレオン様もまた素敵だ。
ぼそりと隣でエルリックが呟く。
「俺も推してくれよ……」
少し拗ねたエルリックは可愛かった。あれからも鍛え続け、エルリックは私の好みドンピシャの男へと育っていた。
「ふふふ」
推しが二人に増えて、今日も私は推し活で忙しい。
読んでくださってありがとうございます。いいねやブクマを頂けると飛んで喜びます!
長編小説も書いているので、よかったら読んでください。