第14話「精神病棟の蝶」
その病院は、都心からやや離れた小高い丘の上にあった。
相原律人の娘――相原 彩音。
彼が頑なに公表を避けていた「唯一の肉親」であり、
その存在は、政治家としてのイメージに“致命的なリスク”をもたらす。
彼女が精神を病んだ理由は、いずれも機密扱いだった。
だが、俺は知っている。
こういう秘密には、“本人の罪”が埋まっている。
原口椿の手引きで、
俺は“病院関係者”を装い、接触の時間を得た。
面会室。
ガラス越しに現れた少女は、
予想を裏切るほど静かで、そして穏やかだった。
彼女は、椅子に腰かけると、まるで昔の友人に会うように微笑んだ。
「あなたが“蓮”なんですね。お父様の会議録で見ました」
心臓が跳ねた。
彼女は俺の存在を“父の記録”から知っていた。
「私は、彼の“失敗”そのものです。
人間性を排除した計画の、感情というバグ」
彩音の言葉は美しく、そして痛々しかった。
「彼は、“倫理の試験体”として私を育てたんです。
感情を持たせず、選択の是非を論理でしか判断させない教育。
幼い頃から“もし誰かが死ぬとして、それが何人なら許されるか”を問われ続けました」
俺は言葉を失った。
彩音は、相原律人が“正義”を実験するために作り上げた“人間”。
その結果、感情の歪みと乖離性を抱え、
十六歳の時に精神が破綻した。
「でもね――私、“夢”を見たの。
夜の蝶が、病院の外を飛ぶ夢。
それが“私自身”なんだと思った。
ガラスの向こうじゃなくて、本当に飛びたかった」
俺は手元の資料を閉じて言った。
「君は間違ってない。
生きてるだけで、君は“あの人間の正義”を否定してる」
その時、彩音は初めて、
俺を真っ直ぐ見つめてこう言った。
「お父様はきっと、あなたを“最も恐れてる”。
感情を否定してきた人間が、
一番怖いのは“怒ってる誰かの正しさ”なんです」
俺はゆっくりと頷いた。
「俺は、お前を利用するために来た。
でも今は、守りたいと思ってる。
お前が“普通の人間”として、外に出られる日を――」
すると、彩音はいたずらっぽく笑ってこう言った。
「じゃあ交渉成立ですね。
“復讐屋さん”と、“倫理の亡霊”の共犯関係」
彼女は“蝶”だった。
かつてはガラスの箱に閉じ込められていた。
でも今、その翅が開こうとしている。
――次回、第15話「蝶が飛ぶ夜」
彩音の言葉が相原の心を揺るがす時、
Veilの刃がついに“中枢”へと向かう。