03 遺影選び
月枝は身の回りのものをあわててボストンに詰め込んでいく。
何日かは戻ってこられない。
旦那と自分の分の喪服を出してきて、祈るような気持ちで荷物に加えた。
真由のパジャマなどをバッグに詰め込んでいると、学習机の上に大事そうに置いてある届いたばかりの赤いランドセルに目がいった。
今まさに死にかけている父に買って貰った赤いランドセルだった。
真由は、何度も開けたり閉めたりしながら、小学校へ行くのを楽しみにしていた。
おてんばがすぎ、先日幼稚園で手首を骨折してしまったので、卒園式も入学式も包帯姿なんだなぁと、ぼんやり思った。
――包帯と、赤いランドセル?
月枝は強烈な既視感を覚えて手を止めた。
いつか、どこかで、同じように赤いランドセルを眺めながら小学校に行くのを楽しみにしていた包帯姿の女の子がいた。
それは幼いころの自分だったろうか?
それとも……?
胸の奥に引っかかっている記憶のかけらをもてあましたまま身の回りのものをあわてて車に詰め込んで、札幌の実家に着いたのは、午前九時を少し回ったころだった。
そのとき出迎えた母の表情を、月枝は一生忘れないだろう。
「父さんは?」
助手席のドアを開けながら、もどかしげに問う娘に向かって、母は「うん」と静かにうなずくと、ただ穏やかに微笑んだ。
月枝は、その母の微笑みで父の死を知った。
笑顔を見ても、不思議と父が一命を取り留めたとは思わなかった。
そのときの母の表情は、それほどに深い、諦めとも悟りとも違う、長年連れ添った伴侶を看取ったあとの、すべてを宥恕するような微笑みだったのだ。
人は、愛する者を送るとき、あんなに深い表情をするものかと、打ちのめされたような気がした。
月枝は、「そう」と短く応えると、チャイルドシートで眠りこけていた娘の真由に声をかけて車を降りた。
なんだかまぶしくて、母の顔がまっすぐ見られなかった。
決して美人ではない母のその笑顔を、美しいと思った。
死は、直面した者の真価を問う。
多分、逝く側も送る側も。
親戚が少しずつ集まってきて、狭い家の中にザワザワが広がっていく。
なにもこんなに急ぐことないのに。
だからお酒はほどほどにしなさいって言ってたのに。
日向子ちゃんの赤ちゃんを抱けなかったのが残念よねぇ。
どれもこれも、七十に届かなかった父の、少しばかり早すぎた死を惜しむせりふには違いないのだが、結局は故人に対する恨み言になる。
月枝は、葬儀社の担当者に遺影の写真を選ぶよう言われたのを幸いに、母を促して二階に上がった。
月枝は、叔父や叔母といった人種が苦手だった。
冠婚葬祭などでしか顔を合わせないくらいの薄い付き合いなのに、進学のこと、就職のこと、結婚のこと、子供のことと、どんどん干渉してくる。
うっかり彼らの価値観にそぐわないような考えを披露しようものなら、年長者の権威を振りかざしたお説教を拝聴する羽目に陥る。
もちろん、その場限りの単なる社交辞令も多いのだが、それがとてもうざったくて、親戚筋の相手はいつも日向子に任せきりだった。
日向子は社交家で、叔父や叔母の興味本位の世間話に巧く合わせることができる。
だから、こんなときは早く日向子に来てほしかった。
まったく、名は体を表すとはよく言ったもので、日向子は生命力に溢れた生き生きとした娘に育ち、月枝はひっそりと体を縮めて細くなり、やがては姿を隠してしまうような娘に育った。
両親が寝室にしていた六畳間の押入に、古いアルバムがぎっしりと詰め込まれている。
月枝は色あせた表紙の少し黴くさいそれを引っ張り出し、分厚いページをめくり始めた。
昔のアルバムは写真の四隅を三角の袋状になったシールで台紙に留めるものがほとんどなので、取り扱いには注意が必要だ。
その三角コーナーの糊は何十年もの時を経て、いたるところではがれかかっている。
昭和の高度成長期。
若い夫婦は家を建て、庭に梅の木を植えた。
以来、この白梅は家族の節目を見守ってきた。
月枝は子供のころ、風に舞う純白の花びらを追いかけては体に花吹雪を浴びるのが好きだった。
日向子とふたり、花びらを集めて首飾りを作ったりしたものだ。
写真の中の父は、苗木の傍らで、植樹に使ったスコップをステッキのように地面に立て、ランニングシャツ姿で誇らしげに胸を張っている。
こちら側でカメラのシャッターを切る母もまた幸せな笑顔だったのだろう。
その表情が思い浮かぶようだ。
赤茶けた写真に残る切り取られた時間。
そこには、還らぬ日の情景に焼き付いた、ささやかではあるが確かな幸せがあった。
月枝はこみあげてくるものを抑えられず、そっと目尻を指先でぬぐった。
「お父さん、子供みたい」
泣き笑いの顔で月枝は言った。
「一国一城の主だって顔に書いてあるでしょう? だったら、ランニングと長靴で写ることないのにねぇ」
母は愛おしむように言った。
そして少し困ったように付け加える。
「お父さんたら家ではそんなだから、ちゃんと背広を着て写ってる写真って、会社の慰安旅行くらいなのよねぇ。遺影ってそんなものかしら。味気ないわねぇ」
「スナップ写真でもいいみたいよ。今はコンピュータで紋付きでもスーツでも着せられるって、葬儀社の人、言ってたから。髪の毛増やしたりもできるって」
髪の毛のくだりで母は静かに笑った。
そういえば、お父さん、気にしてたわねぇ、などと言いながら遠い目になる。
父の箪笥の上には使いさしの育毛剤がずらりと並んでいた。
これは効くんだ、などと言いながら新製品が発売されたといってはせっせと試している姿を見て、こういうのも男のロマンなのだろうかと月枝は思ったものだった。
ふたりは、そうして小一時間ほど写真を眺めながらとりとめのない思い出話にふけった。
肉親が逝ったとき、故人を語らずにいられないのは、残された者が自分の気持ちの整理をするためなのだろう。
身近な命を失うということは、自分の中にあるその人が占めていた部分を埋めていく作業が必要だということだ。
それは、同じ思いを共有する人間と語り合うことであったり、絵を描いたり想い出を文章で綴ったりする作業であったり、故人のやり残した仕事を継ぐことだったりする。
そうやって折り合いをつけていくうちにその人のいない季節がめぐり、人は、ゆっくりと、その人がいないことに慣れていくのだ。
けっきょく、月枝は梅の木を植樹して、えっへん、とばかりに得意な笑顔をしている写真をアルバムから取り出した。
しかつめらしい顔をしている証明写真も、よそ行きの顔ですましている写真館で撮った家族写真もなんだか違うような気がしたからだ。
念願のマイホームを建て、記念の木を植えた瞬間の父の笑顔は、生命力に満ちあふれ輝いて見えた。
「ちょっと若すぎないかしらねぇ?」
母はそう言いながらも目を細めて写真に見入る。
きっとふたりにしかわからない想い出が詰まった写真なのだろう。
だったら、なおのこと、ふさわしい。
「ほんとはランニングのままが父さんらしいと思うけど、一応、スーツに着せ替えてもらおうよ。親戚の手前」
「そうねぇ」
母は取り出した写真を、そっと両手で包み込むように胸に引き寄せた。
平凡な会社員だった父も、若いころは接待で午前様になったことも多かった。
へべれけになって帰宅して、上機嫌で歌を歌って母にたしなめられているのを夢うつつで聞いたこともあった。
そんなときは娘たちをかまいたくなるのか、母の制止を振り切って寝ている娘たちを代わる代わる抱きしめては無精髭の伸びた頬をぞりぞりと押しつけてきた。
あれは子供の柔肌にはかなりの刺激で、痛い痛いと逃げると父は酒臭い息を吐きながら
「よしよし。そんなに父さんが好きか。父さんといっしょに寝ような」
などと幸せな勘違いをしながら子供たちの布団を占領して大の字になってしまうのだった。
そこで寝てしまうと大柄だった父を動かせる者はもういない。
娘たちも慣れたもので、正体なく眠りこけた父の腕や足の隙間に器用に潜り込んで、とんでもない寝相のまま朝を迎えるのだった。
それは、夕飯をともにできない娘たちとの父なりのスキンシップだったのかもしれない。
いや、ただの酔っぱらいのわがままだったろうか。
お坊さんが来たよ、と言いながら階段を娘の真由が上ってきた。
葬儀の打ち合わせや戒名についてなど遺族が決めなければならないことはたくさんある。
読経の際の僧侶の人数まで細かく決めねばならず、当然のことながら人数によって料金も違う。
葬儀社の人に棺桶のカタログを見せられたときも驚いたが、新聞社から電話がかかってくるので、お悔やみ欄への掲載を控えたければ断るようにと叔父から言われたときはもっと驚いた。
新聞のお悔やみ欄に載ると、仕出し屋や仏壇屋などのセールスの電話がひっきりなしにかかってくるのだという。
そのうえ、通夜で留守になる日を確認して空き巣に入るやつもいるらしい。
だが、父も社会的地位が多少はあった身だ。
お悔やみ欄を見て父の死を知る旧友もいることだろう。新聞への掲載は避けられそうもなかった。
真由は、階段を上がりきると踊り場でもう一度声を張り上げた。
「ママぁ、おぼうさんがきたからよんできなさいってパパが」
この春、小学校への入学を控えた娘の真由は、幼稚園の年長組でも指折りのおしゃまさんだ。
一人っ子で兄弟のいない彼女は、お姉さんぶって年少のすずらん組の子供たちの面倒を見ているらしい。
「はーい。今行くわ」
娘に応えて、月枝は立ち上がる。
その拍子に無造作に持ち上げたアルバムから一枚の写真が滑り落ちた。
「あ、おちたよ!」
真由が走ってきて落ちた写真を拾い上げる。
写真を見て首をかしげた。
「だぁれ?」
えっ? と思って真由が差し出した写真を月枝はのぞき込む。
その瞬間、心の中でぜんまい仕掛けのバネがはじけ飛ぶ音が聞こえたような気がした。
記憶の底に眠る汽車のリズムと少女たちの笑い声、降り積もる雪と乾いたオルゴールの調べ。
粉々に壊れ散らばってしまったガラス細工が、フィルムを逆回しすると元の姿に戻るように、甘酸っぱく懐かしい想いのかけらが、記憶を遡り脳裏に像を結んでいく。
月枝は唐突に今朝がた見ていた夢を思い出した。
果てしなく続く雪原をゆく一両だけの汽車に乗った少女たち。
写真にはふたりの女の子が写っていた。
ひとりは幼いころの月枝。
そしてもうひとりは、あの夢の中で楽しそうに笑っている少女だった。
「ママ? どうしたの? ママ?」
真由の声で月枝は我に返った。
立ち上がって写真をのぞき込んだ母が、懐かしそうにつぶやいた。
「あら……。明奈ちゃんじゃないの……。ちょうど、真由と同じ年頃だったわねぇ……」
「明奈……ちゃん?」
封印してしまった記憶の鍵を求めるように、月枝は母を見た。
「忘れちゃったの? 日向子が入院してたとき、同じ病棟に入院していた斉藤明奈ちゃんよ。ちょうどあなたと同じ学年で、おそろいの赤いランドセルを買ってもらって、いっしょに小学校に行くんだって楽しみにしてたじゃないの」
入院中というキーワードがしっくりくる背景だった。
病室の開け放たれたドアから、ベッドの角が見えている。
月枝は幼稚園の制服姿で、制帽はもう一人の少女が被っている。
少女はパジャマ姿で、目には眼帯、左手には包帯を巻き付けていたが、表情はとても明るく元気そうだ。
「コートも手袋も長靴も、みんなおそろいだった?」
母は、ポンと手を打った。
「そうそう。あななたたち、本当に仲が良くて……。日向子のお見舞いに来てるんだか明奈ちゃんのところに来てるんだかわからなかったわねぇ。もっとも、日向子はまだ一歳だったから遊び相手にはならなかったんでしょうけれど」
「斉藤……明奈ちゃん……」
噛みしめるようにつぶやいて、月枝は母を見た。
「そんな話、今までしたことなかったじゃない? どうして?」
「話をしなくなったのは、あなたのほうでしょう?」
「えっ? そんなに仲良しだったのに?」
「そうねぇ。仲良しだったから、かもしれないわねぇ」
そう言って遠い目になった母の物言いにひっかかるものを感じて、月枝はさらに問いただそうとしたが。
「おーい! 月枝!」
階下からの夫の呼ぶ声で、寺の住職が来ていることを思い出した。
月枝は、あわてて返事をし、その話題はそのままに、真由を誘って階段を下りた。
私は32歳の時に父を突然の事故で亡くしましたが、当時の葬儀は今と違って派手でした。
今は、家族葬が主流になって、ほんとにいい時代になったものだと思います。
この節に書いた親戚のあれやこれやとか葬儀のなんちゃらは、実体験に基づいていたりします。
昔は面倒でしたね……(しみじみ)