19 あの日、せいいっぱい生きた少女たちへ
父の葬儀のあと、一人の年輩の女性が月枝を訪ねてきた。
新聞のお悔やみ欄を見て、迷ったけれども、どうしても伝えたいことがあって来たのだという。
その女性は、斉藤明美と名乗った。
明奈の母だった。
「パパには会えなかったけど、鉄道の旅が楽しかったって、言ってたわ」
明美は、明奈の残した言葉を伝えた。
「え? 会えなかった?」
「ええ。あの子はそう言ったわ。
でも、あの子が亡くなって、別れた夫に連絡したとき、本当は会っていたことを知ったの。
あんな雪の中、自分に会いに来た娘を抱いてもあげないなんて……。
だけど、明奈は、そんなことは一言も言わずに、ただ、楽しかったって。
月枝ちゃんの風邪はいつ治るのかなぁ、って。
早くいっしょに遊びたいなぁって。
逝く間際まで、そればかり繰り返していたわ。
あの子は生まれてから、ほとんどの時間を病院で過ごしていて、同じ年頃の友達はいなかったの。
あなたが最初で最後の友達だったのよ。
毎日、明奈はあなたのことしか話さなくて……。
検査が辛くても治療が苦しくても、あなたと遊ぶひとときのために一生懸命がんばって。
あの子は、あなたとふれあえたほんの数ヶ月の間に、一生分の幸せをもらったんだと思うわ」
明奈の母は、三十年の時を経て、初めて明奈の最期を静かに語ることができるようになったのだろうか。
会いに来るのを迷ったという明美も、心の中にずっと封印してきた月枝も、たやすく癒えることのない同じ痛みを抱えてきたのだ。
多分、明美は月枝に会いたくなかったのだろう。
元気な月枝を見るのが辛かったのだろう。
それがわかっていたから、月枝は謝らずにはいられなかった。
「でも、あの日無理をしなければ、あんなに急に逝くことはなかった……。哀しい想いをすることもなかったし、あのオルゴールだってお父さんからのプレゼントだって信じたまま逝けたかもしれなかったのに……。ごめんなさい。私は、とりかえしのつかないことをしてしまいました」
明美は、静かに首を振った。
「あの子があの日まで生きて、自分の足で歩いて、普通の子のように過ごしていられたのは奇跡みたいなものだったのよ。
あのときはもう、白血病の兆候が出ていて、無菌室から出られなくなるのも時間の問題だったの。
あの子にとって、あなたと手をつないだり、抱き合ったりできなくなるのがいちばん辛かったと思うわ。
だから、さほど苦しまず楽しい想い出だけを胸に逝けたのは、もしかしたら救いだったのかもしれない」
「そんなこと、私、知らなくて……。明奈ちゃんはいつも笑ってたから、そんな苦しい思いをしてるなんて、ぜんぜん……。だから、簡単に雪の中連れ出したりして……」
「自分を責めたり、私に謝ったりしないでね。私は、三十年前、あなたに言ってあげられなかった言葉を伝えに来たのよ」
明美は、月枝の手を取った。
「月枝ちゃん、明奈を最後まで対等に扱ってくれてありがとう。友達になってくれてありがとう。最後に、外の世界の想い出を作ってくれてありがとう」
「対等?」
月枝は、呆然とつぶやいた。
「ええ。あの子は生まれつきの難病だったから、いつでもどこでも特別扱いだったわ。接するのはいつも大人ばかりで、遊ぶときもいつも相手が気を遣ってくれてた。でもね、あなたは違ったのよ。明奈がいつもの調子でわがままを言えば、口をきいてくれなくなったりしたでしょう?」
「あ、ええと……」
月枝は、照れ笑いをする。
明美も笑った。
「それはあたりまえのこと。そうやって、友達になっていくんだから。
けんかもたくさんしたわね。
そんな日は、月枝ちゃんは、もう来てくれないんじゃないかって夜中まで心配してたわ。
でも、次の日、あなたは可愛い絵のついたメモ帳とかシールとか持ってきてくれて、明奈は、それを抱きしめて眠ってた……あの子は、あの子なりに幸せだったのよ。
その幸せをくれたのは、あなただわ」
あの子なりに幸せだった……。
その言葉は、深く月枝の胸に染みた。
明奈は幸せだったのだろうか、本当に?
本当にそう信じてもいいのだろうか……?
「あの……オルゴールなんですけど……」
月枝は、おそるおそる切り出した。
「ぜんまいを壊してしまって……。直してあげるって明奈ちゃんと約束したんですけど間に合わなくて……。私、あれを、ふたりで旅した夕張鉄道の廃線跡に埋めてしまったんです。実は、探しに行ったんですけど、もう見つからなくて……」
「そうだったの……。でも、あのオルゴールは、ふたりの宝物だったでしょ? あなたが想い出の場所に埋めてくれたのなら、それがいちばんかもしれないわね」
遠い目をしてそう言って、明奈の母は帰っていった。
彼女もおそらく、自分の気持ちの整理をつけに来たのだ。
明奈の人生は決して無駄ではなかったのだと、確認しに来たのだ。
それほどに、明奈にとって生きるということは、苦難の連続だったのだろう。
子供の苦しむ姿を見て平気でいられる親などいない。
月枝も子を持つ親となり、母としての明美の気持ちがわかるようになった。
明美は、どんなに月枝の健康を羨んだだろう。
どんなに我が子の回復を願っただろう。
それが叶わぬ願いと知っていても、願わずにはいられなかったのだろう。
あの母は、おそらく、一生、死んだ娘を思い続けて生きるのだ。
これまでもそうしてきたように、これからもそうするのだ。
彼女とも、もう二度と会うことはないのだろうと、月枝は思った。
月枝はふと、いつか真由が人生に迷ったとき、少女たちの物語を話してあげられるだろうかと考えた。
あの日の少女たちが、どんなに強く結びついていたのか、どんなに真剣に、まっすぐに生きていたのか。
けれども、その一途さが、どんな取り返しのつかない悲劇を招いてしまったのか。
そして、オルゴールを埋めるのを手伝ってくれた男の子のことも。
きっと娘もまた、その物語からなにかを感じ取ってくれることだろう。
月枝は、腰にまとわりついてきた娘の頭を優しく撫でた。
もうすぐ小学校に上がる、あの日の少女たちと同じ年齢だった。
「ママ、夕焼けだよ」
真由が空を指さした。
見上げると、あの、天国へ上る汽車を泣きながら追いかけた日と同じ、赤みの強い夕焼けが、西の空を染めていた。
幕
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
途中、ちょこちょこと後書きに作者自身の体験談などを披露しましたが、作品の内容はフィクションです。
実際の団体等には一切関係ございませんのでご了承下さい。
思い出の中のエピソードや小道具を拾い集めて架空の物語に仕立てた感じです。
作中に出てくるキハ251ですが、夕張鉄道が廃線になったあと、鹿島鉄道に譲渡され、鹿島鉄道が廃線になった2007(平成19年)まで走っていました。
そのラストランの時、家族でキハ251に乗りに行きました。
乗客が多すぎて、つり革のラインダンスは見ることができませんでしたが、偶然新聞の取材を受け、北海道から来たと言うと、小さく記事に載りました。
この作品は、オール讀物新人賞に応募したことがあります。惜しくも最終までは行きませんでしたが、内容的にはカテゴリーエラーだと思うので、よく残してくれたな……と、当時の編集部には感謝しかありません。
もしよろしければ、感想などいただけましたら、踊って喜びます。
どうもありがとうございました。