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18 三十年後の墓参り


 三十年ぶりの野幌駅には当時なかった南口ができていた。


 南口を出て左側が駐輪場になっている。

 月枝は、整然と並んでいる自転車の群れを眺めながら、このへんに夕鉄の三番ホームがあったんだなぁ、と当時を懐かしく思い出した。


 もちろん、レールがあった面影はどこにもない。

 ぶらぶらとオルゴールを埋めた北海鋼機前の駅のほうへ歩いていくと、右手斜めに向かって江南通りという案内板があった。


 この道路の感じはなんとなく覚えがある。


 ここは、あのとき、泣きながら天国に上る汽車を追いかけた線路の跡に作られた道路ではないだろうか。

 もちろん、周囲の建物などは変わってしまっているけれども、どこかあの日の景色と重なるような気がして、月枝は足を速めた。


 そして月枝は見覚えのある背の高い白いポールを上空に見つけて、思わず立ちすくんだ。


 それは、あの日、オルゴールを埋めた腕木式信号機だった。


 どうしてそんなものが歩道の真ん中に残っているのか、月枝は慌てて駆けだした。

 今も操業中の北海鋼機の横の歩道に、水平に振りだした停止信号のまま時を止めている腕木式信号機があった。

 しかし、それは石を積み上げ立派に整備された土台の上に大事そうに保護されていて、横には、江別市によって建てられた説明看板が併設されていた。


 多分、ここを整地したときに信号機の根本に埋めたオルゴールはどこかへ行ってしまったことだろう。

 こんなふうに観光名所になってしまうほど、夕張鉄道は過去のものなのだ。


 それでも、あのときの信号機だけはここにあって、時の流れを見下ろしてきた。


 いまさらこの場所へ来て、どうするつもりだったのか。

 あのとき埋めたオルゴールを掘り出すつもりだったのか。

 そして、明日、空へ逝く父に託し、明奈へ届けて貰うつもりだったのだろうか。

 そんなことをしてもどうなるものでもないことなど、わかりきっているのに。


 いや。ただ、いてもたってもいられなかったのだ。

 あまりの辛さに胸の奥に封印してしまった幼いころの友への想いを、ゆっくりと確かめてあげたかったのだ。

 幸薄かった明奈のために、そして、泣くことしかできなかった自分のために。


 あれは確かに、愛だった……。

 幼くて危なっかしい想いだったけれど。

 小さな体全身で、彼女を愛していた。


 通夜の準備で忙しい家を放り出して発作的にこんなところへ来てしまう自分に、月枝は苦笑した。

 まるで六歳のころから変わっていないではないか。


 いや、あのことがあってから、月枝は、大人に従順で面倒をおこさない「いい子」になったのかもしれない。

 多分、暴走して取り返しのつかないことになるのを恐れるようになったのだ。


 月枝は、綺麗に白く塗装を施された信号機を見上げて、細く長く息をついた。

 そのとき、さほど車の通りも多くない江南通りを、野幌方面から一台の車が走ってきた。

 気にせず信号機を見上げていると、少し先で車が止まった気配がする。

 特に店もなにもない場所だ。

 気になって車のほうを見やると、停止した車の後部座席のドアが開いた。


 開いたドアから、子供の赤い長靴が覗く。

 月枝は驚きのあまり、その場に固まってしまった。

 あの日の少女たちが履いていた赤い長靴は、今も記憶の中に鮮明に赤く焼き付いている。


 赤い長靴の少女が車から降り立った。

 真っ赤なコートをまとい、元気な笑顔で月枝に向かって駆けてくる。


 ――明奈ちゃん……?


 いっしゅん、息が止まった。


「ママーっ!」


 その幼い声で、月枝は現実にかえった。

 駆けてくるのは、娘の真由だった。

 赤いコートも長靴も月枝が買い与えたものだ。


「真由!」


 息を弾ませながら駆け寄ってきた娘を抱きしめて頬ずりした。

 車を降りて来た夫の鉄郎に視線を移す。


「どうしてここが?」


 月枝は、ちょっと出かけてくると言い残して家を出ただけだった。

 夫にこの場所のことを話した覚えはない。

 そもそも、月枝自身がすっかり忘れていた因縁の場所だった。


「オルゴールを探しに行くって、真由に言ったんだって?」

「言った……かな?」


 鉄郎は、傍らの信号機を見上げた。


「まさかこれが残ってるとは驚きだな」

「え?」


 その言葉の意味を考えあぐねている月枝の頭を、鉄郎は、まるで子供をあやすようによしよしと撫でる。

 その動作に驚いて、月枝は思わず半身を引いた。


「なんで、頭撫でてるの?」


 思わず警戒するような上目遣いになった。

 対する夫は涼しい顔だ。


「なんでって、落ち着くだろう? 真由だって撫でてやれば安心するみたいだし」

「六歳の子といっしょにしないでよ」

「嫌ならやめるけど?」


 月枝は、ツンと唇の先を尖らせた。


「……嫌じゃないよ」


 ぽつんと言って、月枝は鉄郎の肩にもたれかかった。


 多分、もう二度と、この場所へ来ることはないだろう。

 ただまっすぐ前だけを見つめていた、あの日の少女たちの旅は、ここで終わったのだ。



この作品を書いていたとき、実際に、この腕木式信号機の跡には取材に行きました。

夕張鉄道の通っていた辺り……にも行きました。

あの汽車に乗っていた人たちは、覚えているでしょうか?

懐かしく思うでしょうか?

時々、そんなことを思います。

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