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16 解かれた封印


「ママ! ママったらぁ!」


 小さな手に揺り起こされて、月枝は目を開けた。

 いつの間にかソファで眠り込んでいたらしい。


「どうして泣いてるの?」


 真由が膝によじ登ってきて、月枝の頬に伝う涙を小さな手でぬぐった。


 長い夢を見ていた。

 それは、子供のころに心の中に封印してしまった一人の少女の記憶だった。


 月枝は、時折見る夢の続きを、ようやく思い出すことができた。


 父を亡くしたことで、死が身近なものとなり、あの少女のことを思い出すことができたのだろうか。


 あの日、少女たちを乗せたあの汽車は、死へ向かって走っていた。


 つり革の奏でる小気味よいリズムに抱かれながら、なにも知らない少女たちの笑顔を乗せて、死へ向かって走っていたのだ。

 あれはまさに、避けられない死の記憶であった。

 それがあまりに辛くて、哀しくて、ずっと心の奥にしまい込んでいた。


 あの日いっしょに旅をした明奈は、肺炎をから心不全を併発し、月枝が眠っている間にあっけなく逝った。


 母が明奈の病名や病状についていろいろ説明してくれたが、当時の月枝にはろくに理解することができなかった。

 ただ、自分が無茶をして明奈を病院から連れ出したから死んでしまったことは確かだった。

 吹雪の中で無理をさせたりしなければ、まだ何年か、何ヶ月かの月日を、生きて、笑っていられたのだ。


 明奈を喜ばせようなんて、自分が守ってやるなんて、世間知らずの子供の思い上がりだったのだ。

 自分が計画した無茶な冒険のせいで、明奈は知らなくてもいい事実を知り、心がズタズタに傷ついてしまった。

 生きる気力も失ってしまったのかもしれない。


 なにもかも、自分のせいなのだ。

 自分が、明奈の希望を粉々に打ち砕いて殺してしまったのだ。



 明奈の病気は、先天性の染色体異常だった。

 ヒトの細胞には四十六本の染色体があって、通常二十二対の常染色体と二個の性染色体から成っているが、ある染色体のすべて、あるいは一部分が多くなったり、少なくなったりすることによって発症するのが染色体異常である。

 この異常は、不完全な染色体の分離によって引き起こされることが多い。


 通常、染色体は二本で対を成している。

 これが一本になるのがモノソミー、三本になるのがトリソミー、四本がテトラソミー、五本がペンタソミーである。

 ちなみに二本ある正常染色体はダイソミーという。


 ほとんどの染色体異常は正常な発生を見ることができず流産してしまうのだが、出生に至る症例としては、21トリソミー(ダウン症候群)がもっとも多く、18トリソミー(エドワード症候群)、13トリソミー(パトー症候群)がそれに次ぐ。

 しかし、この18トリソミーや13トリソミーは、ともに長くは生きられない。


 明奈の場合は、五万人に一人といわれる8トリソミーモザイク症候群(Warkany症候群)といって、8番染色体の同一個体中に8トリソミーと8ダイソミーが混在する複雑なもので、一九七一年、明奈が三歳のころ、染色体分染法によって最初に同定されたばかりの症例だった。

 受精後の卵割初期に染色体の不分離が生じ、モザイクとなる事で発症するのだという。


 この8トリソミーモザイクの特徴は、ほかの染色体異常と違って精神発達遅滞が認められない場合がままあるということだ。

 明奈も、IQは正常レベルであった。

 しかし、身体的な異常はほかの染色体異常の場合と同じく、心室中核欠損症などの先天性心疾患や、腎機能障害。

 合指症や悪性腫瘍など多岐にわたる。


 ちなみに明奈の目の疾患は、網膜芽細胞腫という癌が発生したものだった。

 また、急性骨髄性白血病や骨髄異形成症候群などを発症しやすく、明奈が退院できなくなったのはこの疑いがあったためだった。

 生命予後は合併する先天奇形の程度に左右されるが、心不全や感染症などで早期に死亡する例は少なくない。


「……オルゴール探さなきゃ……」


 月枝は、津波のように甦ってきた鮮烈な過去の幻影に、溺れてしまいそうだった。

 膝の上の娘をきつく抱きしめる。

 その小さな存在のぬくもりの確かさと、記憶の中で抱きしめた少女の冷たさがオーバーラップして、胸が詰まった。



いつか、バニシング・ツインの物語を書いたとき、実際にある病名などは書くべきではないと意見されたことがあります。

確かに、テレビドラマなどでも、架空の病名を造りあげて作劇することが多々あります。

それは、似たような症例に苦しむ人への配慮だったり、苦情を避ける目的なのだと思います。


明奈の障害を記すべきか、ぼかすべきか、悩みました。

でも、書きました。白黒はっきりつけたがる私の悪い癖かもしれません。

決して興味本位で書いているのではないことが、読んで下さっている方々に伝われば幸いです。


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