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13 悪魔の城


 駅の待合室で月枝の持ってきたお弁当を分け合って食べ、炭酸のジュースを買って飲んだあと、木造の駅舎を出た。


 そこには、三月も末だとは思えないような雪模様が広がっていた。

 駅舎の右手には農協の倉庫があって、店舗も営業中のようだが吹雪で扉が堅く閉ざされている。


 道を歩いている人は誰もいない。

 それでもふたりは元気だった。

 帽子とマフラーで首に雪が入らないようにしっかり武装して、ふたりはお互いの格好をチェックする。


 よし、とうなずくと道路に一歩を踏み出した。


「こっちだよ」


 明奈が駅から左手の線路沿いに伸びる道を指さし、月枝の手をとって進む。

 去年の春までここに住んでいたというだけあって、明奈の足取りはしっかりしていた。


 月枝は、道沿いに現れるものすべてが珍しくて、キョロキョロと周囲を見回した。

 札幌で育った月枝にとっては、違う街の違う匂いがとても新鮮だった。

 明奈は、ここで生まれたんだなぁ、と思うと不思議な気持ちがした。


 線路沿いの道をまっすぐ行くと、踏切がある。

 ちょうど警報機が鳴ってふたりが足を止めると、鉄人28号みたいな黒光りするラッセル車が地響きをたててやってきた。


「うわぁ~」


 ふたりはその迫力に、思わず何歩か後ずさった。

 鉄のかたまりが、線路に積もった雪を左右にかき分け走っていく。

 はねとばされた雪が舞い上がり、もうもうと渦を巻いて遮断機の側にいたふたりを巻き込んだ。


「ひゃぁ~」


 少女たちは、線路に背を向けるようにして抱き合い、巻き上げられた雪が落ち着くまでじっと耐えた。


「たつまきだぁ~」


 体中真っ白になって、月枝が言った。


「すごいの見ちゃったね。ちょっと自慢だね」


 明奈も真っ白だ。

 ふたりは、互いの姿を見て笑い転げると、遮断機の上がった踏切を渡って長沼方面へ歩き出した。


 雪の中を歩いていくと、左手の道沿いに煉瓦でできた大きな蔵が並んでいるのが見えてきた。

 重厚な造りに、思わず月枝は足を止めて蔵を見上げる。

 上のほうに二つある窓が目で、その下の真ん中にあるひさしのついた窓は鼻。

 下の入り口が口のように見えた。


 雪の中に暗くそびえ立つ煉瓦の蔵は、まるで悪魔の城か、嵐の夜に迷い込んだ旅人を食べてしまうお話の中のレストランのようだった。

 出入り口の観音開きの扉にかかった錆の浮いた閂が今にも外れて、中から巨大な舌が飛び出してきそうだ。


「こわいね。耳の中にバターをぬってくださいってかいてあるかも」

「こわいね。おなかにおはいりくださいってかいてあるんだよ」


 想像力たくましい少女たちは足を速め、いっしょうけんめい雪道を進む。

 足を速めたつもりなのに、なかなか悪魔の城から離れられなくて、ふたりは、何度も後ろを振り返りながら「こわいね」を繰り返した。


 悪魔の城から逃げているうちに橋に出た。

 夕張川を跨ぐ馬追橋(うまおいばし)だ。

 寒風で吹きさらしの橋を、欄干に隠れるようにして渡った。


 橋を渡って少し行くと左へ折れる細い道がある。

 川沿いの土手のように盛り上がった道だった。

 そこに入ると、激しい風が粉雪を巻き上げる地吹雪で一寸先も見えなくなった。


 豪雪地帯では、雪は地面からも降るのだ。


 ふたりはしっかりと手を握り合い、少しでも暖かいように肩を寄せ合った。


 月枝は、喉まででかかった「まだ遠いの?」というせりふを、必死に飲み下し、かわりに提案した。


「オルゴール、鳴らそう」


 明奈も少し心細くなっていたのか、すぐに同意するとポケットの中からライター型のオルゴールを取りだして、かじかむ手でネジを巻いた。

 手が冷たかったので、明奈が半分巻くと、残りは月枝が巻いた。

 そして再びそれをポケットに入れて、音を鳴らしながら歩く。


 ひゅうと唸る風の音にかき消されそうになりながら、ポケットの中のオルゴールは優しく鳴り続けた。

 その音を聞いていると、だんだん元気が出てきて、ふたりの足取りは力強くなった。


 もう少し、もう少しと互いを励まし合いながら一足一足歩いた。

 足下の雪に小さな長靴を絡め取られそうになりながら、正面から顔にぶつかってくる雪に目を細めながら、ふたりは一生懸命歩いた。


 やがて、行く手に二階建ての家が見えてきた。


「あっ!」


 明奈が叫んだ。

 月枝はつられて顔を上げる。

 顔面に思い切り雪がぶつかってきて、頬が切れそうに痛んだ。


「あのおうちのむこうなの。あのむこうが、あたしんち」


 月枝は、ホッとしてその場にへたりこんでしまいそうだった。

 歩いても歩いても何も見えないので、口には出さなかったが、迷子になってしまったんじゃないかと不安だったのだ。

 この吹雪の中で迷ってしまったら誰も見つけてくれやしないだろう。


「走ろう」


 月枝は、明奈の手を引いて走り出した。

 長靴の中の足は、もう感覚がないくらい冷え切っている。

 それでも、ふたりは走った。


 少しでも早く、明奈と父親が会って喜び合う姿を見たかった。

 ポケットで鳴るオルゴールも、そんなふたりを応援してくれているようだった。


 最初は二軒の家が重なって見えなかったが、最初に見えた二階建ての家の向こうにもう一軒、同じ形の家があった。

 北海道立中央農業試験場の公宅だった。

 家と家の間に入ると、吹きさらしの土手と違ってずいぶん暖かく感じた。


「いま、なんじかな?」


 明奈が突然時間を訊いた。

 でも、どこにも時計はない。


「わかんないけど、駅のとけいはまだ十二のところになってなかったよ。どうして?」

「パパ、おひるやすみにかえってきて、ごはんたべるから、まだいるかなぁ、って」


 職住接近の施設では昼食を帰宅して取ることが多い。

 ここは、栗山まで出なければ、周囲に飲食店などもないうえ、マイカーの普及率もまだまだ高くはない。

 帰宅して昼食をとるのが一番楽な方法なのだろう。


 駅を出たのが十二時少し前。


「そっか。いるといいね」


 月枝はワクワクしながら明奈を促す。

 明奈は真っ赤な頬でうなずいて、玄関に近づいた。

 ドアの横の呼び鈴まで精一杯背伸びして手を伸ばす。


 その瞬間、ガチャッとドアが開いた。

 あわてて明奈はドアにぶつからないように後ろへ下がる。


「パパ、いってらっしゃぁい!」

「おう。いい子にしてろよ」


 子供の声に送られて、男の人が出てきた。

 モコモコのジャンパーを着込んで、膝までの長靴をはいた、背の高い、めがねをかけた男の人だった。


 突然のことに驚いた明奈が声を失って男を見上げ、そのまま硬直した。

 男の後ろでドアがゆっくりと閉じていく。


 男は驚いた表情で明奈を見下ろした。

 こんな吹雪の日に、雪だるまのようになってやって来たのは、どこの子供たちだろうと思ったに違いない。


「咲子に用かい?」


 明奈は、ふるふると首を左右に振った。

 咲子というのが、さっき行ってらっしゃいと送り出していた子供の名前だということは容易に想像がついた。


「明奈ちゃん……」


 月枝は男を牽制するように見上げながら、そっと明奈に近づいて手を握った。


「明奈?」


 男の表情が変わる。

 明奈はうつむいていてわからなかったかもしれないが、月枝はそのしゅんかん男の表情に浮かんだものを感じ取って、胸に鉛の棒を差し込まれたような気がした。

 男の顔に浮かんだのは喜びではなく当惑、いやむしろ、厄介ごとが転がり込んできたといった動揺だった。


「パパ……」


 明奈は、か細い声で呼びかけた。

 月枝の手がぎゅうっと痛いくらいにきつく握られる。


 月枝は、明奈が必死に泣くのをこらえているんだと思った。


「いや、ちょっと待ってくれ。なんで? ほんとうに明奈なのか? 明美はどうした? こんなところまで、なにしに来たんだ?」


「パパに会いにきたにきまってるじゃない!」


 たまりかねて、月枝が怒鳴った。

 男は、月枝の大声に、あわてて両手をあたふたと動かす。


「そ、そんな大声を出さないでくれ。いや、困るんだよ。君は? 明奈の友達? だったら悪いけど、明奈を連れて帰ってくれないかな? 咲子は明奈のことを知らないんだよ。可哀想だろ? 急に複雑な事情があるなんてわかっちゃったら」


 胸に刺さった鉛の棒が、ぐりぐりと傷口を押し広げるようにねじ込まれていく。


「明奈は、もう、パパの子じゃないの?」


 明奈は、うるむ瞳で男を見上げた。


 男は言葉を失って、明奈を見下ろした。

 肯定することも否定することもできない、小心な男だった。


「でも、オルゴール、くれたよね? 明奈のたんじょうびに。ことしは小学生だね、おめでとうってカードにかいてあったよ?」


 ポケットからオルゴールを掴みだし、男に差し出す。

 その、かじかんだ小さな手が震えていた。


「いや……」


 男は困ったように首を振った。

 その動作で、オルゴールは彼が明奈に贈ったものではないことがわかった。

 多分、明奈を喜ばせようと思って、母の明美がそう言ったのだろう。


 明奈は、オルゴールを投げ捨てると、一目散に駆けだした。

 月枝は驚いて、反射的に雪の中に埋まったオルゴールを探す。

 雪の中から銀色のオルゴールを拾い上げると、なすすべもなく立ちつくしている男に向かって、ありったけの大声で叫んだ。


「ばかぁっ!」


 月枝は、走り去った明奈を追いかけた。


 こんなことになるなんて思ってもみなくて、ただ、明奈を父親に会わせてあげたくて、明奈の喜ぶ顔が見たくて……。


 だけど、病気の娘が入院しているのに、一度も見舞いに来ない父親がどんな男なのかくらい、よく考えればわかることだったのかもしれない。


 月枝はまだ幼くて、自分の父親はいつも優しいから、寂しくなってすり寄っていくといつも暖かく抱きしめてくれるから、きっと明奈の父親も同じだと思っていた。


 それがお父さんだと、思いこんでいた。


 辺り一面が雪で覆われていて、月枝にはどこを走っているのか、すでにわからなくなっていた。

 ただひたすら、前を駆けていく赤いオーバーコートの少女を必死になって追いかけた。

 声が枯れるくらい何度も名前を呼んだ。

 だけど走りながらでは、冷たい空気で肺が一杯になってしまって、うまく声が出なかった。


 月枝は泣きながら走っていた。

 多分、明奈も泣いているだろう。

 涙が目で凍って、瞬きするとパリパリと薄い氷が割れた。

 睫毛に白い氷がついて、前が見えにくかった。


 でも、涙はあとからあとからこぼれてきては、凍った。


「明奈ちゃぁん!」


 月枝は、立ち止まって絶叫した。

 冷たい風を思い切り吸い込んで、ゲホゲホと咳が出た。

 それでも叫ぶのをやめなかった。


「ひとりで泣かないで、いっしょに泣こうよぉっ!」


 寒風の地吹雪の中、月枝の声が届いたのか、それとも心が届いたのか、明奈は不意に立ち止まり、月枝を振り返った。

 月枝は咳き込みながらも明奈に向かって駆けだした。

 明奈もまた、月枝のほうに駆け戻る。


 ぬかるむ雪道に足をとられ、転びそうになりながらふたりは必死の思いで駆け寄って、しっかりと互いの体を抱きしめた。


 涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔で、ふたりは、声を上げて泣きじゃくった。


 白く冷たい壁に閉ざされて、世界中でたったふたりきりになってしまったような、気がした。



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