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12 冒険の朝


 翌日は、雪だった。


 寒の戻りで、明け方からぐんぐん気温が下がっていて、真冬の服装をしなければ凍えてしまいそうだった。

 月枝は、リュックに、フリルが付いたお気に入りのブラウスと赤いチェックのスカートを折れ目がつかないようにそうっと入れた。


 明奈に貸してあげようと思ったのだ。

 久しぶりにパパに会うのだから可愛くしなくてはいけない。

 明奈のロッカーの中にあったものを思い浮かべて、足りない物を自分の箪笥から引っ張り出して詰め込む。


 母が編んでくれたお花のモチーフがついたカーディガン。

 タイツに毛糸の靴下。

 毛糸のパンツはいるだろうか?


 ぶたさんの貯金箱を壊してお年玉の残りをキューティハニーの絵のついたお財布に移した。

 赤いコートのポケットにチョコレートとあめ玉をつっこんでから、父親といっしょに家を出る。


 今日は大荷物だな、という父に、ママに頼まれたの、と答えて北十二条の駅で別れた。


 明奈の長靴やコート、帽子や手袋などは、母の明美が病室から出ている間に、急いで紙袋に詰めて、月枝が外来の一階女子トイレまで運んだ。

 掃除用具入れの中に、紙袋と、月枝が家から持ってきたリュックを置く。

 ここに隠せば、よっぽどのことがない限り一時間やそこらでは見つからない。


 実は、少し前に、父が見ていた映画で病院を脱走する場面をやっていた。

 その映画は、靴や上着をトイレに隠してそこで着替えを済ませ、外来患者に混じって出ていくという筋書きだった。

 そっくりそのまま真似てみたのである。


 朝の回診のあと、月枝と明奈は連れだって廊下に出た。

 階段の踊り場で遊んでくると明美には言った。

 昨日は布団にくるまって落ち込んでいた娘が、今日は元気に遊びに行くというので、明美はホッとしているようだった。


 娘が泣くと、母親はとても辛いのだろう。

 だけど、いくら子供でも、たった一日で退院できなくなったショックから立ち直れるわけがない。

 明奈は、月枝との冒険に賭けていた。

 父と会えるかもしれない期待に胸をふくらませていた。


 だから、普段と同じにふるまおうと健気にも自分を奮い立たせていたのだ。


 それは月枝も同じだった。

 もし、病院を抜け出すのに失敗したら、今度こそ病院に出入り禁止になってしまうかもしれない。

 病気の子を無断で外に連れ出そうとするなんて、どう言い訳しても許してもらえないことは、月枝にだってわかっている。


 だから、必ず成功しなければならなかった。


 大好きな人たちにも、嘘をつかなければならなかった。

 小さな胸がチクチク痛んだけれども、それでも明奈を父親に会わせてあげたかった。

 そしてそれができるのは自分だけだと信じていた。


 外来のトイレで服を着替え、コートを身にまとうと、どこから見ても外来患者だ。

 明奈は眼帯をしているので、眼科だね、などと言って笑い合った。

 月枝はお弁当だけになったリュックを背負い、パジャマを入れた紙袋を、また同じように掃除用具入れの中に隠す。

 そのまま、まっすぐ玄関まで行って外に出た。


 ドアが開いたしゅんかん、雪混じりの冷たい風がぴゅうと吹き込んで、明奈の頬をなぶった。

 反射的に立ち止まり首をすくめた明奈に、月枝は、「いこう」と赤い手袋の右手を差し出した。

 明奈はお揃いの手袋の左手で、それを握った。


 つい最近、包帯がとれたばかりの左手だった。


 月枝は、明奈の手が痛くないように、やさしく握り返した。

 手と手のぬくもり。お互いの体温。

 明奈は、はじめて左手で手をつないだことに感動して頬を赤らめた。


 そしてふたりは、雪の降る街へ歩み出した。


 北大の塀に沿ってまっすぐ南へ歩くと、札幌駅が左手に見えてくる。

 子供の足で、ほんの十五分。

 明奈ははしゃいで、顔に降りかかる雪を口を開けて受け止めたり、降り積もった新雪にわざと足跡をつけたりした。


 月枝もまた、真っ白のキャンパスに足跡で字を書く。

「あきな」それを見て明奈は、ぴょんと飛んで字を書き、こう付け足した。


    つ

  あ き な

    え


 ふたりの名前で作った十字架は、永遠の友情の誓いだ。


 少女たちは雪の上に書いた字と互いの表情を見比べて、満足そうに微笑んだ。



 札幌駅の北口で切符を買った。

 カウンターまで背が届かなくて、背伸びしてやっと二人分の切符を買えた。


 改札では、切符切りの職員が堅い切符に入鋏する。

 札幌駅のハサミは「M」の形。

 日本全国すべての駅で、この切り口は違う形をしていた。

 ふたりはその形をじっと見つめて、にこっと笑うと、切り口同士を合わせてみた。


「リボンだ」

「ふたつあわせたらリボンになるね」


 女の子らしい発想に、駅員は笑いながらふたりを見送った。


 ホームには回転幕式の発車案内表示器が取り付けられていて、行先・列車名・発車時刻を表示した幕がクルクルと回転しながら現れるようになっていた。

 二人は旭川行きの列車に乗り込み、窓際に陣取った。


 札幌駅を出ると、苗穂(なえぼ)を通過し、白石(しろいし)厚別(あつべつ)大麻(おおあさ)野幌(のっぽろ)と駅は続く。

 駅名板に記されたひらがなの駅名を読み上げながら、ふたりは白一色に染まる窓外の景色を眺めた。


 窓の隅のほうに巻き上げられた雪がたまっている。

 うっすらと白く曇ったガラスは、ふたりのためのキャンパスだ。

 月枝は、指先で豪華なドレスを着て踊っている明奈を描いた。

 明奈もまた、フリルのドレスを着て頭に大きなリボンをつけた月枝を描いた。

 ふたりは顔を見合わせて、うふっと笑い合った。


 列車はほどなくして野幌駅に着いた。

 野幌駅は、ひっきりなしに列車が行き交う鉄道の分岐点だった。


 日本一の炭坑、夕張炭田の石炭を小樽に運搬する目的で建設された夕張鉄道線は、函館本線野幌駅から、室蘭(むろらん)本線栗山駅、夕張線(現・石勝線)鹿ノ谷(しかのたに)駅を経て夕張本町駅までを結んでいた。


 単線の夕張鉄道が使用していたのは三番ホーム。

 ふたりの少女は、雪の舞うホームでおしゃべりをしながら汽車を待った。


 やがて、ホームに一両だけの気動車が入ってきた。

 クリーム色のボディに赤いライン。

 屋根は銀色。

 正面の窓が二つ並んでいる湘南フェイスと呼ばれるデザインの車両だった。

 側面にはバスのような窓がずらりと並んでいる。


 今までに乗ったことのある客車とはぜんぜんちがっていて、月枝は目を輝かせた。


「すごーい。かわいい汽車だね、明奈ちゃん」


 眉毛まで雪で白くなった明奈が、赤い頬でうれしそうにうなずく。


「走り出したら、もっと面白いよ」


 二人はパタパタと互いの体に積もった雪をはたき落とすと、舞うように車両に乗り込んだ。

 車両の右側と左側に向かい合うように長く伸びた座席の中程に、ふたりはちょこんと腰をかけた。


「キハ251って暗号みたいだね」


 車体に書いてあった番号だ。

 変わった形の車両が珍しくて、月枝ははしゃいだ。


 キハ251。

 昭和二十八年新潟鉄工所製で、北海道初の液体式気動車である。

 車両形式を表す暗号のような記号は、実はとてもわかりやすく分類されていて、大抵の車両はこの形式記号を見るとどんな車両であるのかを判断することができる。

 鉄道好きな人たちは、こういったところにも、多分、美学を感じているのだ。


 ちなみにキハのキは、車両が電車なのか気動車なのかを表記している。

 キは、エンジン搭載の気動車。

 ハは、一般乗客が乗る普通車。

 251の2はディーゼル機関搭載。

 5は急行型。

 1はこの形式の登場順を表している。


 始発の野幌を出発し、一つ目の駅、北海鋼機前(ほっかいこうきまえ)を過ぎると、線路は急に右にカーブする。

 函館本線から離れて、室蘭本線が着く栗山へ向かってショートカットするように未開の荒野を進んでいくのだ。


 スピードが乗ってきた車体は、右に左に激しく揺れ始め、車体の揺れに会わせるようにつり革が一斉に右へ左へと踊り出した。

 揺れて戻って揺れて戻って、つり革は天井からせり出した網棚のパイプにぶつかり、硬質な音をたてる。


 チャッチャッチャッチャ……。


 つり革と網棚が刻むリズムは小気味よく続く。

 少女たちは音に合わせて体を左右に揺らし、リズムに酔う。


「あたし、こんな汽車、はじめてのったよ」


 頬を紅潮させ、月枝は胸元で手を打った。

 初めての体験に胸が高鳴っていた。


「月枝ちゃんといっしょで、うれしい」


 ぽつんと、明奈が囁くように言った。


「へへ……」


 月枝は照れ笑いして、明奈の肩にちょこんと頭を傾けた。

 明奈も、こつんと頭をくっつける。


 お揃いの赤いコート、赤い長靴、赤い手袋。

 ふたり並んでいることがとてもしっくりきて、互いになにも言わなくても、相手の気持ちがすっかりわかってしまうような気がしていた。


 雪の中、賑やかなリズムを刻みながら夕張鉄道はゆく。

 見渡す限り荒涼とした白一色の平原を、一本の線路がどこまでもどこまでも続いていく。

 遮るものなんかなにもない、まるで少女たちが抱えている未来のように真っ白な、誰にも汚されていない景色が広がっていた。


 上江別(かみえべつ)下の月(しものつき)晩翠(ばんすい)南幌(なんぽろ)……。


 札幌から離れるほどに季節はずれの雪は激しさを増し、窓の外は吹雪に閉ざされてほとんどなにも見えなくなった。


 南幌で乗ってきた老人が、ふたりの横に座った。

 老人は深く皺の刻まれた頬を緩めて少女たちに微笑みかけた。


「嬢ちゃんたち、どこまで行きなさるね?」

「栗山です」


 即座に明奈が答えた。


「ほうほう。そうかね。嬢ちゃんたちも、この汽車のことをようく覚えておきなされよ。ここも昔は機関車三重連で石炭を満載した貨車を引っ張ったものじゃった……」


「さんじゅうれん?」


 耳慣れない言葉を月枝がオウム返しすると、老人は落ちくぼんだ目を細めて言った。


「あの凄い力の機関車をな、三台も繋げないと運びきれないほどの黒いダイヤが取れたんじゃよ。あとにもさきにも、もう、そんな山は出てこないんじゃろうなぁ」


 機関車三つと聞いて、月枝は、あの黒くて堅くて強そうな機関車を繋げて走るなんてことができるんだろうかと思った。


「おじいさんは、どこまで行くの?」


 明奈が訊く。


「わしかい? わしはどこにも行かんさ。ただ、終点まで行ってみたり、途中の駅で降りて駅の周りを歩いてみたりしとるんじゃ。もうじき、できなくなってしまうからのう」


 ただ目的もなく汽車に乗っているという老人の話は少女たちにはとうてい理解できなかったが、老人があまりに幸せそうなので、なんとなく、そのままうなずいた。


 そして老人は、次の双葉(そうよう)で降りていった。

 駅の周りを歩いてみるのだと笑っていた。

 この雪の日に、なんで、一駅ごとに下車して駅の周りを歩くのか、物好きな大人もいるものだと思いながら、ホームで見送る老人に、ふたりは手を振った。


「機関車みっつかぁ」


 椅子から足をぷらぷらさせながら、明奈が言った。


「すごいねぇ。きっと、けむり、もくもくだよね」


 月枝は、手をもくもくと広げて見せた。


「みっつだから、もくもくもくだよ」


 明奈がみっつぶんの煙突の煙を両腕で描いた。


 双葉を出ると、北長沼(きたながぬま)、そして線路は右に緩くカーブして目的地の栗山に着く。


 ふたりは、心地よいつり革のリズムに包まれた車両に別れを告げて、寒風吹きすさぶホームに降り立った。



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