惑う者
慰めの言葉や励ます言葉を今の彼女は受け入れないだろう。
だからその所業を「作り話だ」と安易に否定するようなこともできない。
(でも、このまま放っておけない。
まだ俺にもできることはある……!)
ローグは胸の内の決意を押し込むように少し息を吸って、明るい声音で問いかけた。
「なぁ、ライセアはなんで軍に入ろうって思ったんだ?」
唐突な質問を不審に思いながらもライセアはどこから話すべきか迷って黙り込む。
少ししてポツリと話し始めた。
「リゼット家は代々ユグドラシル探索、それも最前線の指揮を務める家系だ。
たくさんの者を軍に輩出している家系でもあるし、近衛騎士になった者も1人や2人ではない」
そんな家に生まれてしまえば、ライセアが軍を志すというのは自然なこと。
(ああ……女帝陛下の近くにいたのはそういうことだったのか)
ユグドラシル探索は国の使命でもある。
近衛騎士を輩出し、ユグドラシル探索の指揮官を務めている者が傍に控えているのはおかしな話ではない。
今更ながらフィールエとライセアの関係性を知ったローグの中で新たな疑問が浮かぶ。
「そう言えば、なんでライセアが家長になったんだ?
兄や姉がいるって何回か聞いたけど……」
ローグの中には家長というのは兄弟の中でも年長者がなるものというイメージがある。
旅を共にする中でライセアは兄が2人、姉が1人いると語っていた。
だが同時にリゼット家で家長をしているのは自分だと語った。
その疑問にライセアは笑みを浮かべる。
「そう複雑な話ではない。単純に兄様たちよりも強かったというだけだ」
「……それは剣の腕が?」
政治というものを少し知っているため出された確認にライセアは首肯する。
「兄様たちは私より頭も良いし、世渡りも上手いと思う。
だが、剣の腕は私が1番だった」
彼女は腰に下げている剣の柄を撫でながら続けた。
「リゼット家は代々ユグドラシル探索で功を上げた家、優先されるのは剣の腕だ」
「まぁ、そこは疑いようはないな。
現にミノケンノスを倒しているし、女帝陛下にも認められてる」
ローグの素直な賞賛にライセアは黙り込む。
そこに喜びや誇りが全くないわけではないというのは雰囲気からはわかるが、それ以外にも虚無感のようなものをローグは感じていた。
そして、それは的を射ていた。
「女帝陛下に認めていただいてるのは光栄なことだ。
しかし、そこで気が付いたことがあるのだ」
「気が付いたこと?」
無言でライセアは懐から3本の剣と羽があしらわれた勲章、白銀帝国剣勲章を取り出し見つめる。
「私は自分の意思で軍に入ったのか? という疑問だ」
父がそうだったから、兄と姉もそうだったから続いたというだけで何かをしたいから、得たいから軍に入ったわけではない。
認められたいから入ったわけでもなく、ましてや民のためですらなかった。
言い聞かせるように語っていた「民のため」という理由は軍に入った後に生まれたもの。
本心から志し、邁進したわけではない。
勲章を授与されるまではそれに気がつかないでいられた。考えられないでいられた。
だが──こんな自分が勲章を賜ってしまった。
「これは1つの到達点だ。
私はそこになんの志も、願いもなく、至ってしまったのだ」
数多くのヒトだけではなく、フィールエ女帝にまで認められた。
それはライセアが1つの山の頂上に立ったということを表す。
もちろん周りにはまだ高い山が数多くある。
その数の多さには気圧されることはなかったが、ふと後ろを振り返って気が付いた。
「地位を得てしまったことで途端に怖くなったのだ。
私はなんの理念もなく軍者になった。命じられるままに行動し、結果を残してしまった」
家族や従者は惜しみない賛辞の言葉をかけてくれた。
多少思うところはあるかもしれないが、それでもライセアというヒトの力を親族全員が認めている。
「なんの意思もない力が怖かった。
改めて考えても力の使い方が分からないことが怖いのだ」
当然の話だ。
元々なんの目的もなく理念もなく、ただ環境に身を任せて力をつけて勲章を得た。
そんな自分の手には決して小さくない力がある。これに恐怖を覚えないわけがない。
「私がなぜ今ここにいるのか、なぜこの地位にいるのか、それを考えると怖いんだ。
震えが止まらないんだ」
それはいつも気丈に振る舞うライセアから初めて聞いた弱音だった。
怯えた子どものように声を上げて縮こまって身を振わせるライセアにローグは優しく声をかける。
「理念がない。それでもいいんじゃないのか?」
流すようにあっさりと言ったローグにライセアは顔をバッと上げて返した。
「いや、しかしそれでは民を守る者としての姿勢として──」
「理念があるやつ以外ヒトを守ってはいけない、なんて女帝陛下だって言ってない。重要なのは結果だ。
ライセアはミノケンノスなんていう魔獣を倒したし、軍の指揮もした。それは確かなことだ」
ライセアがどう言おうと、思っていようと彼女が成したことは消えない。
それで救われた者たちがいるということも変わらない。
その行動に理念の有無は関係ない。
「それに、本当はあるはずだ。ライセアにも何か目的がさ」
断言する口調を不思議に思ったライセアは訝しみながら問いかける。
「なぜそう思える。言い切れる」
「簡単だよ」
ローグはハルシュたちから追放を言い渡された時のことを思い出しながら続けた。
「ヒトってがむしゃらに頑張れない。
なにか目標とか目的があって初めて頑張れるんだ」
ローグは「またハルシュたちとパーティを組んで仕事をする」ということを目標にしてダンジョンに1人で潜り続け、戦い続けていた。
そんな者の口から語られたその言葉は実体験からくる自論であったが、ライセアの中に光を作るには十分だった。
「私の目標、目的か……」
いつの間にか迷子のような顔は消え、いつもの端麗な顔立ちとなっていたライセアはポツリと独りごちて思考を自分の中へと向ける。
考え混み始めた彼女に対してローグはその肩を揉み解すように言う。
「自覚してないだけでたぶんある。じゃなかったらライセアはそこまで強くなってない」
「生への執着。死にたくないという思いからこうなっているだけかもしれんぞ」
自虐的で揶揄うような言葉にローグは小さく笑って返す。
「それはそれでいいじゃないか。たとえそうでも自分を卑下する理由にはならない」
その言葉に同意するように微笑みながら頷いたライセアは改めて口を開いた。
「しかし、理由か……。
ふふっ、しかし全く見当もつかん。これではローグの気遣いも無駄になってしまったか?」
見通したような言い方にローグは一瞬、肩をびくつかせて目を泳がせる。
「……な、なんのことだ?」
否定が入らなかったあたりからすでに認めているような物だが、ライセアはそれに気が付かないふりをして推測を口にした。
「大方、私の軸を見つめ直させようとしたんだろう。
自分の原点、初心とも言えるものを見つめ直せばこの国に対して行うべきことも自ずと見えてくる。そう考えたのだろう?」
ヒトに話を聞いてもらったり、体を動かしたり、休息したりなど迷った時にすることは様々だ。
ローグはスタート地点に戻らせることを選んだため、ライセアに軍に入った理由を聞いた。
彼女の言っていたことが今回の行動の理由の全てだった。
しかし、それを認めるというのはどこか気恥ずかしく感じてローグははぐらかす。
「そうかもしれないな」
「なるほど。あくまでもその態度、と……。
まぁいい。私としても見つめるものが定まったのだ。戸惑うことはあるが迷いはなくなった」
ルイベ帝国含め大国のしてきたことや自分自身の身の振り方などわからないことは多い。迷いが消えたわけではない。
しかし、不思議と不安感や焦燥感といったものは消え去っていた。
(理念はなくとも私は守る力を持っている。
ならば今はこの力をただ守るために振るえば良い。そうすればいずれこの迷いにも答えが……)
白銀帝国剣勲章を見つめるライセアの瞳には、新たな決意の光が宿っていた。
何かを決心したかのようにその勲章を握りしめたかと思うとそれを懐にしまってローグへと言葉を向ける。
「感謝する、ローグ。君と旅をしてよかったと改めて思う」
「そうかな……? そうだったら嬉しいな」
「機会があればぜひ私の家族にも合わせたいと思うほどだ」
「ああ、俺も挨拶がしたいな。ライセアには帝都の頃から世話になりっぱなしだったから」
ローグが返された言葉から自分が本当に伝えたかったことがまるで伝わっていないということを知ったライセアはずいっと身を寄せた。
「ラ、ライセア? 急にどうした?」
普段意識することは少ないが、ほのかに香るラベンダーの清涼感と凛とした美しい目に見つめられて顔が赤くなった。
唇同士が触れあいそうなほどにあるライセアの顔を見続けることができなくなったローグは目をそらす。
「ふむ……なんとも思わないわけではないのだな」
「え、えぇ? な、なんの話だ?」
「なんでもない。ただ確認したかっただけだ」
嬉しそうに笑ってローグから半歩離れる。
困惑と疑問を顔いっぱいに広げる彼を見て微笑んだライセアは少し間を置いてから姿勢を正した。
浮かんでいた柔らかな表情は再び軍人としての凛とした顔に戻り、その目には先ほどの決意が宿っている。
「ローグ、マレット子爵たちにこの話を伝えてくれるか?」
「あ、ああ、そうだな。
この後の動きはそのあとに決めよう」
今後の方針を決めた2人は揃って背を伸ばす。
辺りはまだ薄暗いが、夜明けを迎える空のように、2人の心には不思議と高揚感が満ち溢れていた。




