救われたから
それを聞いた瞬間、驚愕が走った。
ローグの母を死に追いやった病。
彼ほどの者がいながら死んでいったということはそれだけ治療が難しいということを表している。
全員が全員、揃って口を噤んだことで訪れた静寂。
それを壊したのは意を決して出されたユラシルの質問だった。
「治せるん、ですか?」
「……治せるかもしれない」
「かもしれないですか……」
ラシアは自分に言い聞かせるように呟きながら掛け布団を握りしめる。
断言しなかったローグの言葉からは躊躇いや恐怖が含まれているように感じたのだ。
しかし、ラシアは問いかける。
「ということは、あるのですね。治療法自体は」
「ほんと? ローグ」
その場にいる誰よりも縋るようにルミリはローグに歩み寄ってその手を掴む。
少しの沈黙を挟んだ彼はしゃがむと彼女の手を優しく包み込んでポンポンとその手を叩いて微笑んだ。
そうしてルミリの手を解いて立ち上がったローグは淡々と告げた。
「これは私と母が出した仮説に過ぎません。それをまずは念頭においてください」
「構いません。それではローグ様に問います。
私の体を蝕むもの、その正体は何なのですか?」
「スカム・マナです」
聞き覚えのない言葉にその場にいた全員が眉を顰め、疑問符を浮かべた。
「魔術を使う際、マナから魔力を作り出す過程で生じる余り、これがスカム・マナです。
通常は様々なもので排出されるのですが、体内に蓄積し続けると毒となります」
「スカム・マナ。それがラシア様のお体の原因……」
「ふむ。しかし聞いたことがありませんね」
「私もありません」
アーミュ、エーリャ、ラシアが順に感想を口にした。
聞き慣れないものに違和感を覚えていた彼女たちより早く状況を受け入れたルミリが話を戻す。
「えっと、普通は外に出るって言ってたわよね?
なのにお姉様の体に影響が出てるってことは……」
「そう、おそらく体外に排出されておらず、蓄積し続けている」
なぜ本来排出されるはずのスカム・マナが溜まり続けるようになるのか。その原因までは不明。
なにかしらの外的要因があるのか、それとも体質なのか、遺伝するかどうかさえもわからない。
しかし、溜まり続けることがあり、その結果ラシアのように寝たきりになり、最終的にローグの母親のように死の要因となる。
「ローグ様の話の通りなら体質の問題、となるのでしょうか?
だったらもっと同じような話があってもおかしくはないですね」
「しかし、ない。
それはおそらくそんなものがあるということを知らないから」
「私たちがそうだったように原因不明の病と認識しているのでしょうね」
認識の齟齬がないか確認し合うように話していたアーミュとエーリャにローグは肯定した。
「ラシア様がこのようになったのは魔術を使い始め、鍛錬を積み始めた頃と聞きました。
魔術を行使した際に発生していたスカム・マナが原因の可能性があります」
もう10年近く前の毒がずっと体を蝕んでいる。
しかもその毒は魔術を使えば必ず発生するもの。
そんな話とてもではないが想像できないことだった。
だがローグは淡々と話を続ける。
「ラシア様は魔術の才があったと聞きます。
しかし体質的にスカム・マナの排出は苦手だった。
それにもかかわらず魔術を練習し続けていたが故に大量に体に溜まり続けた結果、体に不調を来した」
「質問、よろしいでしょうか?」
小さく手を挙げながら口を開いたのはエーリャ。
ローグが頷いたのを見て彼女は続けた。
「咳止めや熱止め、頭痛薬などは効いていましたが……スカム・マナが原因ならば効かないはずでは?」
「スカム・マナそのものは体を弱らせるだけのもの。
しかし弱った体は通常なら罹らない病気にも感染しやすくなる。
薬は個々の症状に効いているだけで、治った矢先に別の病に罹るんだ」
そこまで言ったローグは一度口を閉じたが、すぐに再開させる。
「私の母も最後は複数の重篤な病を患って、亡くなりました」
話を聞く限りではラシアもそうなっていてもおかしくはなかった。
だが彼女は複数回医者を呼ぶことができ、薬も十分に得られたゆえに今まで生きながらえることができたのだ。
「それでローグ様、治療はどのように行うのでしょうか?」
「あ、そう! ローグ、どうやったらお姉様は治せるの?
薬があるんでしょ? 材料は!?」
詰め寄るルミリを落ち着かせるように両肩に手を置いたローグは微笑むとエーリャに向き直った。
「材料自体はそう貴重なものじゃないから市場でも手に入る。
いくつか市場には出回らないものがあるけど、この辺に自生してるはずだからそれは自分たちで採りにいく必要がある」
「材料自体は……ですか」
アーミュの呟きにいち早く反応したのはユラシルだ。
「材料がわかっているのに、なんでローグさんは薬を調合しなかったんですか?」
「……調合ができなかったんだよ。
調合する時に魔力を混ぜる必要があるんだ」
ユラシルの小さな「あっ」という声にローグは苦笑いを浮かべて続ける。
「その時の俺は魔力を作れなかったし、この仮説を立てた頃には母さんに調合する体力なんて残ってなかった」
材料はわかっている。
調合方法もわかっている。
なのに調合自体が出来ない。
それがどれほど悔しいものだったかなど想像に難くない。
「……誰かに任せることはできなかったのですか?」
「薬の知識と魔術。両方がないと難しいからな」
「いるわけ、ありませんね。どちらもできるヒトなんてそう都合よく……」
アーミュの暗い表情を見てローグは頷いた。
しかし次の瞬間、上げられた彼の表情に影は落ちていなかった。
「でも、今は違う」
言ったローグは視線をユラシルへと向けて続けた。
「ユラシル。薬の調合を頼みたい」
「……え? わ、私ですか!?」
周りから向けられる視線と突然の言葉にユラシルは戸惑いながら自分を指した。
「そうだ。この中で薬の知識があって魔力を込められるのはユラシルだけだ」
「それは……そうかもしれないですけど!
い、いや! 今はローグさんだって魔力を作れるはず──」
「ダメだ。俺の力は強過ぎる。
ただでさえ弱っている体に強過ぎる力を注ぎ込めばどんな影響が出るかわからない」
即座に返され、反論する言葉を見つけられなかったユラシルはバッとエーリャとアーミュへと視線を投げた。
2人は少し考え込んだが少しして首を横に振った。
言葉として返したのはエーリャだ。
「私たちが知る限り、魔術と薬学の両方に精通している方はいません。
探せばいるでしょうが……」
いるかもわからないヒトを探すよりも今からユラシルに調合させる方が早いのは間違いない。
(私しか、いない……)
ローグの補佐のつもりだった彼女に、突然重大な責任が降りかかった。
失敗すれば──
「……ッ!」
薬の調合を学んだからこそ、ほんの少しの間違いが命取りになることを知っている。
その恐怖が彼女の心を凍らせていた。
しかし、ここで頷かなければヒトを1人見捨てることになる。
その選択を自分でしたことになる。
(私が、私に……できる、わけ──)
その言葉が心の中で形になる直前、その手が優しく包まれた。
ハッと気が付き、いつの間にか下げていた頭を上げた先にはローグの顔があった。
「大丈夫。ユラシルは1人じゃない。
少し心許ないかもしれないけど、俺が隣にいる」
「ユラシル……。お姉様を、助けて」
ローグの優しい言葉と今にも泣きそうなルミリの顔。
それらから視線を移すとまるで「お好きなように」と言っているような目を向けるラシアがいた。
エーリャとアーミュも何も言わない。
今ユラシルにのしかかっているプレッシャーは自分たちが与えているものだと自覚しているからだ。
(私は……)
この手で救える者がいるのだろうか。
視線を下に動かして自分の手のひらを見つめる。
こんな手でも──
(──いや、違う!)
手を握りしめたユラシルは顔を上げるとその場にいた者たちへと宣言するために胸を張ると口を開いた。
「私、その薬を調合してみせます。
上手くできるかは分かりません。でも、やってみます!」
ローグとは違い、救える力が自分にはある。
その手に救えるかもしれない力があるのならば、その手を必要としている者がいるのならば手を伸ばす。
(私はローグさんに助けられた。救われた。
なら今度は私も誰かを救ってみせる)
ラシアはそれを聞いて深々と頭を下げた。
「……ありがとうございます。ユラシル様、ローグ様。
お2人には心よりの感謝を」
凛とした声で告げたラシアの表情は歓喜で今にも泣きそうなものであった。




