オリエンスの姉妹
ローグたちを扉まで案内したエーリャは彼らを一瞥すると「お願いします」とでも言うように会釈して扉をノックした。
「ラシア様。ルミリ様をお連れしました」
「どうぞ、入ってください」
柔らかい声が返されてエーリャが扉を開くとルミリはローグたちに手を振りながら部屋に入っていった。
エーリャもまた部屋に入り、廊下がにわかに静まり返ったがすぐにユラシルが口を開く。
「ラシア様ってどんな方なんですか?
お優しい方っていうのはなんとなく分かりましたけど」
「そうですねぇ」
持っている印象を話すために思い出すうち、何か面白い出来事でも呼び起こしたのかアーミュは小さく微笑みながら答えた。
「聡明な方ですよ。
本を読むのが好きで、勉強にも熱心でした」
「ルミリ様とは真逆ですね」
「ええ、ですから度々勉強をご一緒された時はそれはそれは賑やかでした」
なんとなくルミリが何かをぼやき、離れようとしたところをラシアがどうにかこうにか説得しているような光景がローグとユラシルの脳内に浮かぶ。
それを浮かべて2人は笑い合った。
「それはなんとも楽しそうだな」
「はい! ルミリ様もラシア様のことをとても想っているようでしたし、仲の良い姉妹なんですね」
「ええ。さらに魔術にも才がありました。
ラシア様もそのことは自負していたようで魔術の訓練に励んでいました」
しかし朗らかに語っていたアーミュの顔に影が落ちた。
「魔術を学び始めて1年、11歳となったころに突如病に侵されて今のようになってしまったのです」
ローグとユラシルの表情も少し暗くなる。
今ルミリとエーリャが話しながら体調を確認しており、もし良ければこのまま会うことになる。
そんな者に対してどんな言葉をどんな表情で言えばいいのか悩み始めた時だった。
「ええッ!?」
唐突に響いた驚愕の声に2人の思考は吹き飛ばされた。
アーミュの方は疑問符を浮かべながらその部屋の方を見る。
続いて聞こえてきた声は先ほどよりも小さくはなった。
だがそれでも断片的に声が聞こえる程度には大きな声。
「──急──な」
言葉は聞き取れないがなんとなく慌てているような、動き回っているような雰囲気だけは感じ取れる。
「慌ててるみたいだけど、大丈夫かな」
「何かあったんでしょうか?
体調が悪い、というわけではなさそうですけど」
「はて? 珍しいですね。ラシア様のこの慌てよう……」
ローグとユラシルが疑問符を浮かべ、アーミュが自分も中に入るべきか迷っているところに、扉が開かれた。
「お待たせいたしました。
ローグ様、ユラシル様。ラシア様が入っても良いと」
平然を装ったエーリャの後ろを覗き込もうとしながらローグは問いかける。
「ああ、そうなんだ。えっと、さっきすごい声がしてたけど……?」
「問題ありません」
バッサリと断ち切る物言い。
「え? でも──」
「大丈夫です」
2度目の有無を許さないエーリャの言葉に2人は違和感を覚えながらも彼女に促されるままに部屋に入るしかなかった。
その背中に続いて歩くアーミュが改めて小声でエーリャに問いかける。
「それで、さっきの声は?」
「……客人に礼を尽くせる格好ではない、と。
病人であるラシア様は気にしなくとも良いと言ったのですが」
2人がこの部屋に来ることは突然決まったことだ。
ラシアが心構えも身支度もできていないのは当然といえる。
しかし、そこで怒るのではなく「客人に見せられる姿ではない」と返すのはラシアらしい言葉だ。
「あー、それで少し慌てた様子だったわけね」
「アーミュ。わかっていると思いますが、このことは」
「ええ、内密に、でしょ?
主人の痴態なんて見せたくないわよ。私も」
部屋の外まで聞こえていた声のせいで少し怪しいところはあるが、多少ならば愛嬌と見せられる。
今はローグたちを世話する役目を与えられている2人だが、本来は主人を支える者だ。
自分の仕事と役割を思い返しつつ彼女たちも部屋へと入った。
◇◇◇
部屋はローグたちに充てがわれている部屋よりもこじんまりとしていた。
扉を開けてすぐに見えるのは大きな窓とベランダへ出るための扉、その視線を左へ移せば暖炉がある。
そして、その向かい側にはダブルサイズのベッド。
その脇には2つの椅子と茶会用の小さな円テーブル、ドレッサーが置かれていた。
ベッドから上半身を起こした女性エルフは朗らかな笑みを浮かべてローグたちを出迎える。
「ようこそ。私はこの別邸の主人をしております。ラシア・オリエンスと申します。
本来であればお2人がこの屋敷を訪れた際に直接ご挨拶をしなければならないところ、今日この日まで遅れたこと申し訳ありません」
丁寧に頭を下げ、再び顔を上げたラシアを見て、ローグたちは一瞬言葉を失った。
ルミリ同様の淡いブロンドヘアは長く伸ばされ、丁寧に手入れされた絹のような柔らかさを感じさせる。
タレ目気味の紫色の瞳は物静かな性格を物語り、表情には痛みを示す様子はない。
それでもどこか儚げな雰囲気は彼女が病人であることを表している。
「いえ、私たちの方こそ失礼をいたしました。
本来であれば何かしらの御礼をお贈りするべきところ何もできず……。
重ねて本日の突然の来訪、重ねてお詫びいたします」
ローグが頭を下げるのに続いてユラシルも少し慌てて頭を下げた。
「ふふっ、構いませんよ。ルミリから色々と聞いておりましたから。
とても良くしていただいたようで」
それからさらにどこか堅苦しい話が始まりそうなことを察したルミリはベッド脇の椅子から立ち上がってローグの手を掴んだ。
「ローグ、お姉様を」
「は、はい。無論」
ローグがおずおずと先ほどまでルミリが座っていた椅子に腰を下ろしたところでラシアが言葉をかける。
「お2人がこの部屋に訪れた理由はルミリとエーリャから聞き及んでおります。
私の方からもお願いできますか?」
「私の全力は尽くしましょう。
少しお体を触りますが、よろしいでしょうか?」
「ええ、どうぞ」
「では、どちらでも構いませんので腕の方を──」
そう言うとローグはラシアの脈を見ては首を触り、額に手を当てながらいくつかの質問を投げかけ始めた。
それを見ながらルミリはユラシルに小声で問いかける。
「ねぇ、ユラシル。ローグって本当に探索者なの?」
「……少なくとも医者ではないかと。
私もこうして人を診ているローグさんは初めてで」
「そうなんだ」
感心しているような声だったが、なんとなく見惚れているようにユラシルには見えた。
そうしているうちにローグは診察を終えて改めて椅子に腰を下ろしていた。
だが、その表情は明るくはない。
(脈は正常、喉の腫れもなければ痛みもない。熱も頭痛もない。
でも体の重さがずっとある……)
改めてルミリを見る。
少し痩せこけてはいるが不健康と言い切れない体つきと肌の色。
触診をしても痛い場所はなく、多少咳が出る程度で他の自覚症状はない。
(くそ! やっぱり俺じゃダメだ。
本職で医者やってるヒトが見てもわからないんだぞ? 俺にわかるわけがない)
ローグの諦めをいち早く察したラシアは諦観からくる笑みを浮かべる。
同時にそれは彼を責めるのではなく、感謝を伝えるような笑みだ。
(……いや、まだだ。落ち着け)
たしかにローグは片手間の薬師。
ヒトを見るのもユグドラシル内で出会った探索者のみでたくさんのヒトを診たわけではない。
それを知っていながらルミリは頼ってきた。
そして当の本人であるラシアは「妹がわがままを言って申し訳ない」という様子で微笑んでいる。
そんな中で簡単に諦めるようなことをローグはしたくなかった。
(医者が診てもわからない……。
ルミリ様の言う通り、見方が違うのかもしれない)
探索者としての直感が働いた。
まず疑うべきは前提そのもの。
(そもそもこれは本当に病気や毒なのか?)
探索者が医学を知らないためにヒトを診れないように、医者も武器や魔術を深く学んでいない以上それらに関しては「わからない」と言うしかない。
(毒じゃないなら魔術か?
呪術系の魔術……。たしかにあるけど毒を盛るよりも回りくどい)
しかし関係しているとすれば魔術しかない。
そう考えたところでローグは首を横に振った。
(いや、たぶんその線も調べてるはず。
そして俺と同じ結論に達したから医者に診せ続けているんだ)
毒でもなければ魔術でもない。
症状は体の重さと咳。
頭を悩ませる中、視線を動かした先には固唾を飲んで見守るルミリとユラシルの姿があった。
さらにその後ろ、扉の側にはアーミュとエーリャが静かに見守っている。
そんな時にふとこの部屋に入る前にした話が頭をよぎった。
『ええ。さらに魔術にも才がありました。
ラシア様もそのことは自負していたようで魔術の訓練に励んでいました。
そんな頃でした。突如病に侵されて今のようになってしまったのです』
瞬間、ローグは椅子を蹴飛ばす勢いで立ち上がった。
「ッ!? ローグ!?」
「ローグ、様?」
ルミリの驚いた顔、ラシアの疑問の顔に彼は言葉を返す。
「わかり、ました……」
「え!? 本当ですか、ローグさん!」
「ああ、本当だ」
ユラシルに答えたローグはラシアの方に向くとはっきりとその言葉を口にした。
「ラシア様の体の不調。それは私の母を死に追いやったものと同じものである可能性が高い」




