居場所を共に
ルミリの案内と夕食を終えたローグとユラシルは並んで充てがわれた部屋へと向かっていた。
その後ろをエーリャとアーミュが続いて歩く。
雰囲気が悪いというわけではないが、彼らの間に会話はない。
そのまま部屋にたどり着き、別れて眠る。
そんな時に唐突にユラシルから決心したような声が上がった。
「ローグさん、お話があります」
「……ああ、わかった」
答えたローグは一瞬、目を伏せた。
ユラシルの話とは昼間に言いそびれていたものだろう。
彼女がなにも言わないならばそのまま流すつもりであったが、話すというのならばそれに付き合わなければならない。
(たぶん俺のことだろうしな)
「ゆっくり話せる場所、あるか?」
「ええ、ご案内いたします。
お茶とお菓子もありますがいかがいたしましょう」
頷いたローグを見てエーリャは案内を始め、同時にアーミュはお茶の準備を始めた。
◇◇◇
案内されたのはこじんまりとした談話室だった。
壁際には棚とあまり高価には見えない雑貨が飾り付けられ、その向かい側には絵画。中央には円テーブルがあり、向かい合うように椅子が置かれていた。
余った場所に部屋を作った。そんな印象を受ける中途半端な広さの部屋だったが、この屋敷の性質上、意味はあるのだろう。
それぞれに椅子に腰を下ろしたタイミングでアーミュが手慣れた様子で茶を淹れ始め、その間にローグが切り出す。
「あの服って、そんなに似合わなかったか?」
しかし、そこに真剣なものはなく揶揄うような語調だった。
そんなローグにつられてユラシルはいつもの調子で返す。
「い、いえ! むしろすごく似合ってて……だから」
そのままに話は進んでいくかに思われたが、次第に語調は真剣で迷いのあるものへと変わる。
「ローグさんはこれ以上探索者でいない方が、戦わない方がいい」
「……なんでだ?」
「ローグさんには居場所があります。
勲章を貰って貴族になったり、メリスさんのところに住んだり、それに……女帝陛下と結婚することも」
戦いを続けていればいずれアディターとしての力を使うことがあるかもしれない。
普通に生きているだけでも短命なアディターが戦い、その力を使えばその寿命をさらに削ることになる。
王としてならばそれは仕方ないことかもしれないが、ローグは違う。
彼は王ではなく、これから先も王になることを望んでいない。
ならば戦うことを避けてヒトらしく生きられるはずだ。
「ああ、そうだな。少なくとも戦って死ぬことはない。
賢い選択ってのはそういうものなんだろう」
「なら!」
「でもできない」
「ッ!?」
ノーマの平均寿命は約120年。
アディターが短命であり、その平均すら越えられないとしても戦わない方が格段に生きられる時間は長くなる。
もちろんローグにもそれはわかっている。
それでもなお、首を縦に振ることはない。
「な、なんでですか!」
「俺は居場所を作っちゃいけないんだ」
ローグは自分の手のひらを見つめる。
その手は普通のヒトの手。
手のひらはタコの影響があって固いが生き物特有の熱を持ち、誰かと繋ぐことができる手だ。
しかし、同時に全てを破壊する手でもある。
「ユラシルも見ただろ? アディターの力は敵も味方も、俺自身も壊す。
いずれ全てを壊してしまうやつが居場所を作ったらダメなんだよ」
「そ、そんなこと、は……!」
ユラシルは反論の言葉を投げかけようとしたがそれを詰まらせた。
ローグの言うとおりアディターの力は強力過ぎる。
敵味方どころか自分自身すら容易に壊してしまう力。
本当に相手を大切に思っているからこそ自分自身の居場所はそこではない。
そもそもあってはいけないと考えるのは自然だろう。
よくわかっている。
知識としてある。
直接見て、理解もした。
しかし、それでもユラシルは返す言葉を探して膝の上にある拳をぎゅっと握り締めた。
そんな彼女に追い打ちをかけるようにローグが続ける。
「守りたいからこの力を取った。
でも、力を使ってわかったんだ。
これはヒトの近くにあってはならない。いつかヒトを傷つけてしまう」
脅威から守るためにアディターの力を掴んだ。
しかし力を持ちながら近くに居続けることで守ろうとしている者たちに危険が及ぶのならば潔くその身を引く。
その行動はハルシュに追放を言い渡された時の行動とまったく同じだった。
「──違う」
その時との違いがあるとすれば、彼の結論を否定する存在がいるということ。
「違います!」
「なに?」
疑問符を浮かべる彼へとユラシルはキッと鋭い瞳で睨みつける。
「ローグさんがいなかったら私はダスラに……いいえ。その前にあの日、モラシュルの群れに殺されていた」
今度はローグが言葉を失う番だった。
たしかにアディターの力は救うことはできず、その体で持って盾となりながら脅威を消し去る矛としかなれない。
だがヒトとして生きていたローグは違う。ユラシルをその手で救い、波の迎撃に奔走した。
彼がそこにいなければ間違いなくユラシルは死に、波の被害もより大きくなっていただろう。
「ローグさんは覚えていますか?
あの時、私が魔獣かもしれないって怯えている時にローグさんは『自分の居場所を見つけるまで側にいる』って言ってくれたんです」
「そ、それが……そんなことで」
「でも私はその言葉で救われた!」
椅子を蹴る勢いで立ち上がったユラシルはローグへと歩み寄ると怯えるその瞳を見つめて続ける。
「私はまだ自分の居場所を見つけてない。
なのに……なのにローグさんは私の前からいなくなるっていうんですか? あの時の約束を破るんですか!?」
「ッ!? で、でもそうしなきゃユラシルが!」
「ローグさんは、まだそんな!」
「少々よろしいでしょうか」
加熱する2人に口を挟んだのはエーリャだ。
視線が集まる中、なにを考えているのかも分かりにくい糸目でローグを見下ろしながら続ける。
「ローグ様はこれより勲章を賜るお方です。
今後、貴族になるか、軍に入るか、探索者を続けたり、どこかで住むなり自由です。
ですが、約束を反故にすることはそれを授けるフィールエ女帝陛下の名を穢すことになります」
「それは脅迫、か?」
「いえ、オリエンス家従者としては滅相もありません。
ですが──」
そこで言葉を区切ると目を開く。
空色の美しい瞳でローグを見つめて微笑んだ。
「エーリャとしては信じてほしいものですね。
その瞳をあなたに向ける存在のことを」
諭されたローグはいつの間にか外していた視線をユラシルへと戻す。
彼女は涙を堪えながらも力強く彼を見つめていた。
助けを求めて縋り付くものではない。
ふらふらと覚束ない足取りのローグの手を握り締めるための瞳。
「脅迫はしません。これは私の個人的な願いです。
ゆえに拒否するのならば私たちに止める術はございません。
しかし、どうか信じてほしい。
彼女は、そして私もあなたに手折られるほど弱くはないのです」
エーリャの声音から迷いはまるで感じられない。
それはローグを説得するためではなく、本当にそう思っているからこそ出る声だった。
少なくともローグにはそう思えた。
アディターの力を持っているからではなく、1人のヒトを案じて言葉を向けている。
だからこそ疑問が浮かぶ。
「なんで……なんで、そこまで俺に言ってくれるんだ?」
「決まっておりましょう」
優しい笑みを浮かべるエーリャに先んじてユラシルが少しの照れ笑いを浮かべながらその言葉を口にする。
「ローグさんのことが大切だからです。
私にはローグさんっていうヒトが必要なんです!」
トラスロッド、シルト、ハルシュ。3人ともそうだった。
自分の行動が彼を生かすと信じていた。
命を投げ打ったその行動。彼女たちにそうさせた祈りはたった1つ。
──どうか良きヒトの世で──
「──あ、あぁ……!」
視界が歪み、涙がポツリと膝に落ちる。
一度落ちてしまえば止める術はなかった。
(そうだ。それだけでいい。それだけでよかったんだ。ヒトは、それだけで……!)
たった1つの祈り、想いだけでヒトは誰かに手を差し出せ、言葉を送れる。
そこに特別な理由は必要ない。ただ、手を伸ばしたいと想った者がいて、その手を取った者がいたというだけの話だ。
だがそんな単純なことがヒトの繋がりを生み、誰かの心に温もりを与え、ほんの少しだけ生きている世界を「良いもの」と思えるようにする。
頭を抱え込み、嗚咽を漏らすローグの頭をユラシルは優しく撫でる。
「ローグさんだってアディターの力を継いだのは大切なヒトを守りたいと思ったからじゃないんですか?」
(そうだ)
この力を継いだのはもう誰も死なせたくなかったからだ。
全てのヒトをではない。
自分が守りたいと願った者たちを死なせたくなかったからこの力を手にしたのだ。
(俺はそれだけの理由で奪うことを決めたんだ)
瞬間、過ぎるのはダスラの残した言葉。
──私を殺そうともその力はいずれ貴様を殺す。
そうだろう。
──貴様もまた、何も成し遂げられずに死んでゆく。
そうかもしれない。
『私の力を奪ったことを後悔するがいい』
その時が来たらきっと自分の選択を恨む。
(でも、選んだのは俺自身だ。
なら、これからも選び続ける。この力で誰も傷つけない場所を探し続ける)
ゆっくりと息を吐いたローグはふっと口元を緩めた。
「俺も居場所を探したい。俺が俺でいられる場所を」
「ローグさん……!」
「あてのない旅だけど、付き合ってくれないか?
ユラシル」
「……ッ、はい! もちろんです!」
笑顔で答えたユラシルはそのままぎゅっとローグを抱きしめた。
「な!? ゆ、ユラシル!?」
予想していなかった行動にローグは目を見開く。
だが自分を包む温もりを感じ取り、ゆっくりと目を閉じた。
止んだ涙がまた流れ始めるなか、彼女の背中を優しく撫でる。
「……ありがとう、ユラシル」
大切な者たちに背中を押されて歩き出した自分の進む道。
先は見えずとも、不安や恐怖はない。
(ヒトの祈りが、願いがこれほど温かいものなら……それがあるこの世界はきっと……)
ふと、いつだかにしたハルシュとの話が脳裏を過ぎる。
『ローグ、私さ。結構好きなんだよ?』
『好きって、なにが?』
『え!? えっと……そ、そう! 世界が! 私がいて、ローグがいて、みんながいてさ。
それってすごく良いことじゃない?』
(──ああ、そうだな)
例えもう2度と話すことはできずとも、託された祈りは残り続けている。
交わした言葉も、ここに残り続ける。
ヒトの言葉が残って誰かを生かす。
それが繋がり続けてあるこの世界はきっと“良きヒトの世”なのだろう。




