旅籠屋へ
それからユグドラシルを歩くこと数時間。
彼らがユグドラシルから出て街道を歩くころには日は大きく傾き、夕陽が遠くの山並みを赤く染め始めていた。
茜色の光に照らされた道を歩きながらようやく警戒を緩めることができ、肩から緊張が抜けていく。
筋肉の疲労が一気に押し寄せてきたが、それでも互いに雑談を交わしながら近くの村へと向かった。
「えっ!? パーティから追放?」
思いがけない話にユラシルは思わず目を見開いた。
驚愕から同情へと表情を変えた彼女は言葉を探しながら問いかける。
「その……辛くないんですか?」
「全くないとは言わないけど、実力が足りないと判断されたなら仕方ない。
ユグドラシルでは何が起こるかわからないからな。俺のせいで仲間が死ぬのはもっと嫌だ」
ローグの声音には嫌味といったものはまるで感じられず、本心からそう言っているとユラシルは感じた。
彼は追放されてなお、そのパーティの者たちを心配している。そう思えたがゆえに眉を顰めて首を捻る。
(ローグさんの実力が劣ってるなんて、そんなはずは……)
あの状況で急所を射られるほどの弓の技量に行動力と判断力。
並大抵のヒトならばまず間違いなく持っていないそれらを持ち合わせておきながら、特に驕っている様子はない。
そんな彼が実力不足だけを理由にパーティから追放されたというのは、どうにも違和感がある。
探索者というものについてさして詳しくないユラシルだが、もし彼を追放できるほど実力のあるパーティならばもっと有名であって当然。少なくとも資金繰りに困ることは考えられない。
(いくらお金がないからって……そんなの)
薄ぼんやりとした違和感を覚えていたユラシルにローグの質問が向けられる。
「そういうユラシルはなんで1人だったんだ?」
「え、えーっと……あれ?」
思い出そうとして初めてその違和感、疑問にユラシルは気が付いた。
(私、なんであそこにいたんだろう……?)
どうにか思い出そうとしたが上手く思い出せない。
とにかくダンジョンを出なくてはならない。
そう思っていたのは間違いないが、その理由が思い出せない。覚えているのはモラシュルに遭遇する少し前からの記憶だけだ。
言い淀む中でそのことに気がついて意識が疑問に支配されたユラシルを見たローグは「あー」っと声を漏らす。
「すまない。俺が話し過ぎてたな。気にしないでくれ」
ローグの声にはユラシルを労り、慰めるようなものがある。
その雰囲気や声音から「ユラシルの仲間はユグドラシルで亡くなった」と彼が早とちりしているのはわかった。
謎は多いがそれは違う。そう断言できる。
不要な気遣いにユラシルが声を上げるよりも早くローグが言葉を続けた。
「ほんとごめんな。事情はそれぞれってのが頭から抜けてた。とりあえず村に着いたらゆっくり休むといい。これから先はそれから考えるでも遅くない」
ローグは安心させるような笑顔を浮かべると村への歩みを再開した。
自分を助けた存在に誤解させたままというのは忍びない。
しかし、今は朝方からモラシュルに追いかけられそれからほぼ休みなくユグドラシルを降りたせいで肉体的、精神的にも疲労がある。
言葉が上手くまとまらないのであれば、しばらく時間をおいた後に話した方がいいだろう。
ユラシルは自分にそう言い聞かせるとローグに続いて歩き出した。
そうしてたどり着いたのはユグドラシルから西に歩いて3時間ほどの場所に位置する農村。
大きな街とユグドラシルを繋ぐいくつかの村の1つということもあってか建物や農場、畑も多いうえに街道の整備もされている。
しかし、栄えているという雰囲気はあまりなく、どこか長閑で質素な村だった。
「ここは探検者の羽休め的な村でな。いくつかの旅籠屋と小さな武器屋ぐらいしかないんだ」
夜の帷が降りた村の説明をしている中で、ユラシルは明かりが漏れる民家から子どもの声を聞いてふっと表情を緩めた。
辺りに明かりは少ないがそれでも不思議と恐ろしいような、怪しいような雰囲気はない。
「でも、私は好きです。この村」
「俺もパーティから追放されてこの村に移ったんだけど同感だよ。静かだし、なにより飯と酒が美味い」
笑い合いながらたどり着いたのは村の中でも特に大きな平家の建物。木材とからぶき屋根のそこがローグが泊っている旅籠屋である。
内部は石畳、その先は段差を挟んで板張りの床、さらに奥には丁寧に整理されている中庭があった。
ローグは迷うことなく入り口右手の受け付けにいた人当たりの良さそうな恰幅のいいエルフの女性に声をかける。
「今戻りました」
「あ、お帰りなさい。どうだったかしら?」
「ええ、ちゃんと採ってきましたよ」
言いながらベルトにぶら下げていた小袋を受付台に置いたローグは中から野草や薬草を取り出して並べていく。
それらを確認した女将は感嘆の声を漏らした。
「相変わらずいい仕事してくるわね〜。じゃ、ここから部屋代と食事代を引いて──」
そろばんで計算していた女将はそこでローグの隣に立つユラシルに気がついて首を傾げた。
「ん? その子は?」
「ゆ、ユラシルです……あの、えっと」
「あー、ちょっと訳ありでさ。しばらく同じ部屋に泊めたいんだけどいいかな?」
ローグの物言いから察した女将はそれ以上聞くことなく、笑顔を浮かべては数段優しい口調で答える。
「もちろんいいわよ。それに食事代もちょっと負けたげるわ」
「いいのか?」
「ええ、最近こうして薬草やら野草やら採って来てもらって助かっちゃってるからね。報酬よ」
ローグが食い下がるのを防ぐように付け足して顔を綻ばせる女将。
ある働きに対しての正当な対価、報酬として出されたものというのならば素直に受け取らない方が無礼だ。
申し訳なさと安堵とが混ざった表情を浮かべてローグは頭を下げる。
「なら、お願いします」
「ありがとうございますっ!」
「いいよいいよ。布団は後で持っていくから部屋で休んでなさい」
女将の言葉に素直に従ってローグは靴箱に靴をしまうと板張りの床を歩いていく。それに続いてユラシルも旅籠屋へと上がった。
廊下や入り口すぐの待合所のようなところは板張りだったが、部屋は畳が敷かれた部屋だった。
部屋の中央には囲炉裏があり、その周りは畳。広さとしては2人が寝て過ごす分には全く問題ないのだが、隅にはローグのものであろう荷物が積まれており、少し手狭に感じる。
部屋に上がったローグは囲炉裏を囲むように置かれた座布団に座ると緊張した体をほぐすように肩や首を回した。
「やっと落ち着けるな〜」
今すぐにでも寝転がりそうだったローグは部屋の入口にユラシルが立っていることに気が付いて声をかける。
「ん、どうした? 座って寛いでいいんだぞ?」
「え、あっ、はい……お邪魔します?」
囲炉裏を挟んで向かい側に遠慮がちに座るユラシルへとローグが微笑んだ。
「しばらくは君の部屋でもあるんだから……って言っても今はまだキツい、か」
そのことにまだ誤解を解いていないことを思い出したユラシルが話を切り出そうとしたが、それよりも早くローグが尋ねる。
「ユラシルの職業を聞いてもいいか? できることでもいい」
「あ、えっと……たぶん魔術師です。あとは蟲を少し使えます」
蟲、という単語が出た瞬間にローグの眉がピクッと動く。
「蟲、か。それは驚いたな」
ただでさえ珍しい大犬や大鳥使いよりも蟲使いというのはさらに稀である。
理由は蟲は1匹では弱いため、必然的に一度に扱う数が多くなり、その結果使役する蟲の操作が複雑になるからだ。一部には強力な毒を持っている種類があるというのもその扱い辛さに拍車をかけている。
しかし、扱えさえすればダンジョン内で容易に確保できるため、維持費用は比較的抑えられる。何より数が多いため使い方の幅が広い。
強い蟲を確保するためにはダンジョンに入る必要はあるが、逆を言えばそこに目を瞑れば大犬たちと比べて継戦能力としては圧倒的に上。
加えて魔術を使えるとも言っていた。それは蟲が確保できなくとも戦力として腐ることはないということ。
そんな貴重な能力を持ち合わせたユラシルであるならば引く手数多。タイミングが良ければ有力なパーティからの誘いがあるかもしれない。
「それだけの能力があれば、パーティ探しには苦労しないな。
ただ、魔術師なら【ローリオ】か。いや、距離的には【帝都】の方がいいかもしれない」
ローグの口から溢れた呟きにユラシルが「えっ?」と小さく声を漏らす。
それに引かれるようにいつの間にか下げていた顔を上げたローグの先には少し驚いた様子のユラシルの顔があった。
その理由を察してローグは表情を和らげる。
「ん、ああ、大丈夫。帝都までは俺も一緒に行くから安心してくれ」
「い、いえ、あの……ローグさんはパーティを探さないんですか?」
「もし探してるんだったら俺はユラシルと出会ってなかったよ」
そう言う笑顔にはどこか悲しげながらも期待しているようなもの。
彼は追放されたパーティに戻ることを諦めていない。確信できるものはなにもないはずなのに彼の目には絶望の色はまるでなかった。
ユラシルが彼の表情にかける言葉を失う中で部屋の扉がノックされ、女将の声が続く。
「布団持ってきたわよー!」
「はーい!」
先ほどまでの表情をパッと霧散させたローグは立ち上がると女将の対応に向かった。