蠢くモノ
酒と酒場の熱気で火照った体を冷ますため、ローグは酒場の入り口横に立っていた。
彼は何かを口にせず、ただ思考に耽る。
(今回の波は明らかに作為的だった。
指揮、あるいは作戦を練ったやつがいる)
武器を使い、連携する魔獣はいる。
だが、波ほどの規模で計画的にヒトを狩る存在は確認されていない。
(俺が知らないだけ、か? 本当に?)
高い知能を有しながら他の魔獣を使役できる未確認の魔獣が存在する。
そう考えれば納得はできるが、すんなりとそう結論付けるにはなにか違和感があった。
(もしそうなら、帝都を狙う理由が魔獣にあることになる。
あるのか、そんなものが?)
考えたところでローグはため息と共に首を横に振った。
ありえない。
魔獣はその全てがダンジョン内で完結している。
ヒトを襲うのはあくまでもテリトリーに入られたことによる防衛反応だ。
例外は波だけ。
その波も今までは繁栄を狙ったようなものではなく、ただ前進しているだけだった。
(わからない。調べるにしても手がかりもないし……)
ため息をつき、夜空を仰ぐ。
満月から少し欠けた2つの月を眺めるローグはふと気配を感じた。
視線を下ろした先にいたのはフードを目深に被った1人のヒト。
「すまない。少し良いか?」
フードに隠れた顔は見えないが、声の調子から女性だと知れる。
彼女から少し後退って警戒を見せるローグに対してローブの女性は慌ててフードを脱いだ。
フードを脱いだ女性の髪は、月明かりに照らされて淡く輝く金色だった。
三つ編みにしてシニョンにまとめられた髪には、耳の横に細い編み込みが施されている。
ローグを見据える透き通るような蒼い瞳と凛とした顔立ちは精悍で、どこか気高い印象を受けた。
「あ、怪しい者ではない!
私はルイベ帝国軍に所属するライセア・リゼット。今回の波を指揮していた軍のエルフだ」
ローグは驚いたように眉を吊り上げると同時に疑問符を浮かべる。
「飲みにでも来たならわざわざ俺に声をかけずに入れば良いじゃないか。
別に俺はここで門番をしてるわけじゃない」
「い、いや、探している者がいるんだ」
少し怪しくはあるが例え名や立場を偽っていようと自分には関係ない。
そう思ったローグは警戒を解きかけたがすぐに耳に届いた言葉によって再び警戒を強めることになる。
「その者の名はローグ。
斥候で今回の波に出てきた巨大な魔獣を倒した者の1人だ」
ローグは視線をライセアに固定させたままに辺りの気配を探るが彼女以外に誰か居るような気配はない。少なくともこの場には彼女1人で来たようだった。
言動から追い剥ぎではないと予想したが、それでも軍に所属するエルフが顔を隠しながら接触を計っているというのは怪しさしか感じられない。
「……ローグは俺だ」
「君が……? 本当に?」
ライセアは怪訝そうにローグの頭の先からつま先まで見た。
「ふむ、たしかによく見れば特徴は一致するな」
心底から驚いたように目を見開いたライセアは咳払いを1つすると軍属らしく仰々しく頭を下げた。
「まずは礼を言おう。
君が、いや、君たちがいなければ少なくとも3つの村が滅んでいた。前衛にいた者たちももっと多く死んでいただろう。
彼らを救ってくれたこと、ルイベ帝国軍に所属する1人の軍者として心より感謝する」
慣れない仰々しい礼と言葉にローグは押されながらもどうにか平静を装いながら返す。
「それを言うためだけに来たってわけじゃないんだろ?」
その問いかけに顔を上げたライセアは申し訳なさそうにしながら頷いた。
「ああ、すまないが君に話がある。
場所を変えたいのだが、良いだろうか?」
「……俺はまだ貴方が本当に軍に所属してるのか確信が得られない。
移動してすぐに殴り倒されるのは遠慮したいんだが?」
「そこは私を信じてくれ、としか言えん。
なにぶん今は用心して身分を証明できるものを持っておらなんだ」
肩をすくめながら困り顔で言ったかと思えばその表情が嘘だったかのようにライセアの真っ直ぐな瞳がローグを射抜く。
彼女が嘘を言っていないことは語調や表情で察せたが、やはり安心するための明確な証拠がほしいところだ。
どうするべきかと悩んでいたところで彼女が名乗った名前を何度か言ったところでそこに至った。
「ライセア・リゼット……?
って、もしかしてミノケンノスを倒した軍のエルフか!」
「ああ、それは間違いなく私だ」
笑顔で胸を張るように首肯するライセアを改めて見つめた。
よくよく見れば噂に聞いていた容姿とも似ている。
もちろん魔術で姿形を似せるものはあるが、そんな姿を取ってまで自分に接触する理由はないはずだ。
「……わかった。ついて行こう」
わざわざ姿と身分を隠してまで接触してきたからにはそれ相応の理由があるはずだ。
まだ騙される可能性はあるが、それは誘いに乗らなければ判断しきれない。
彼の答えを聞いたライセアはふっと表情を緩めるとフードを被り、ついてくるよう手で示しながら歩き出した。
ローグは辺りを気にしながら彼女の後ろに続いた。
◇◇◇
月と星の明かりで照らされた帝都をローグとライセアは歩く。
静寂の中で先に口を開いたのはライセアだ。
「ローグ、今回の波についてどう思った?」
「……魔獣は明らかに作戦を使っていた。
ただ前進するんじゃなくてヒトを狩る作戦だ」
まずは前衛と中衛を誘い出すことで戦線を縦長にする。
次に遅滞攻撃を行って勢いを削ぎ落とされたことで立ち止まった前衛、中衛の横っ腹をミノケンノスが貫くことで後衛、直掩と分断する。
最後に孤立した前衛と中衛を殲滅した後、残った直掩と後衛を狩る。
「私の勘違いではなかったか。
いやすまない。なにぶんずっとダンジョン内で動くことが多くてな。
波の指揮どころか参加したのも今回が初めてだったのだ」
苦笑いと共に吐かれた言葉にローグは訝しみながら返す。
「初めて参加する波で指揮だって? それはおかしくないか?
例え武勲を上げているとはいえ、相手は生半可じゃない群れだ。少なくとも参加したことがあるやつがやるべきじゃ……」
「私もそれを疑問に思い、上には伝えた。
だが、どうやら私を推した者たちがいたようだ。」
視線で「意味はわかるな?」と問いかけるライセア。
それらを受けたローグは顎に手を添えて少し考え込もうとしたが、すぐに答えに行き着けた。
「そうか、権力闘争か。武勲を立てた貴方を失脚させようとしたんだ。
今なら調子に乗って暴れた馬鹿なやつで周りからも自然に映──」
口に出したことで改めて考えを整理できたローグは自然と足を止めて頭を抱える。
「もしかして今回の帝国軍の動き、特に前衛と中衛には杜撰なところがあったけど……あれって!」
「ああ、部隊の中にそうしようとした者の手勢が混ざっていたのだろう」
本来ならば前衛と中衛が多少もたつき混乱を生んで犠牲が数十名出るぐらいで済んだだろう。
おそらく、ライセアの失墜を狙っていた者たちはそのもたつきを「指揮能力がない」として突くつもりだった。
彼らはその小さな失敗をきっかけとして彼女の立場を悪くするために行動を起こした。
「だが、その思惑に魔獣の異常な動きが重なった……!」
「結果、波に参加した者の3割が亡くなり、村が3つ滅ぶ危機に陥りかけた」
ローグとわかってすぐに少し引くほどにライセアが仰々しい礼をしたのかようやく理解できた。
今回の波に参加した探索者と軍に所属する者たち全員が一部の者たちのいざこざに巻き込まれた。
ローグたちがミノケンノスを倒すことが出来たためギリギリ持ち堪えられたが、もし失敗していればどうなっていたかなど分かりきっている。
表情を険しくさせながら怒りで拳を作るローグ。
彼を見て一瞬表情を曇らせたライセアだったがすぐにそれを引き締めると口を開く。
「私の本意ではないとはいえ君たちを巻き込んだということは事実だ。
改めて申し訳ない。そして、感謝を」
「……俺を呼んだのはそれ関連か?」
「いずれ頼むことがあるだろう。
あのミノケンノスを倒したのだ。戦闘能力は十分すぎる」
「協力できることならある程度のことはする。されるがままなんて嫌だからな」
「ああ、その時には必ずや君に依頼として話を出そう。
しかし今回の話はもっと別のことだ」
「別のこと?」
ローグが疑問を抱きつつ歩くこと10分。
ライセアに案内されたのは帝都の中でも貴族の親族が住む高級住宅街にある邸宅だった。
外観には周りの豪邸に埋もれるような印象はあるが門構えにあしらわれている装飾は高級感がある。
権力や金を主張するのではなく、積み重ねた歴史を静かに誇るような邸宅だ。
「まぁ、聞けばわかる」
そう言い迷うことなく邸宅の門に向かっていたライセアだったが、ふと思い出したように足を止めると振り向いた。
「だが、腰は抜かすかもしれんな?」
悪戯っぽく笑うライセアにローグは首を傾げるしかなかった。




