追放の違和感
帝都の酒場はここ半年で1番の賑わいを見せていた。
元々置いてあったテーブルのみならず、急遽引っ張り出された大樽の上にまで並べられた料理の山、それを囲うのは波を終えた探索者たちだ。
今回の波で死んだのはルイベ帝国軍、探索者合わせて前衛100、中衛は40、直掩20の合計160人。それは500人の部隊の約3割であり一般的には全滅といわれる被害だ。
さまざまな幸運が重なっていたとはいえ、そんな状態でまだこれだけ生き残った者がいるのは奇跡と呼ぶしかない。
しかし、まるでそんなギリギリの戦いが嘘だったかのように、笑い飛ばすように酒を飲み交わしながら探索者たちは塩辛い食べ物を酒で飲み込んでいく。
こうするのにも理由はある。
探索者の遺体は大抵損傷が酷く、一瞬は表情を顰めてしまうような状態が多い。
そんな死者の無念をこの賑やかな声や雰囲気で解きほぐし、大地に帰られるように笑顔で見送る。
それが死者への敬意ある行いとして探索者たちの中では一般的になっているのだ。
そんな説明をハルシュから聞いたユラシルはジュースが入った木製のカップを撫でた。
「あの、ハルシュさん。まだ聞きたいことがあるんですけど……」
「ん? なに?」
酒が入っていることで少し赤らんだ顔を綻ばせて首を傾げるハルシュにユラシルは躊躇いながら問いかける。
「どうして、ローグさんを追放したんですか?」
今まで朗らかだったその顔が動揺で染められた。
気まずそうに視線を逸らしたハルシュはぽつりと尋ねる。
「ローグの両親が亡くなったことは知っている?」
「……はい」
「ローグはどっちの死も目の前で見ているのよ」
その言葉にユラシルは息を呑んだ。
死んだということは知っていたが、その瞬間を見ていたとは思っていなかったのだ。
「ローグの戦闘知識、技術の大半は彼の父親が教えててね。
その日は家から離れた場所で泊まり込みで訓練をしていたのよ」
「……戦って亡くなったとは聞きました。
襲われたんですか?」
「ええ、たまたま野盗が現れてね。
毒矢から彼を庇って死んだのよ。野盗は倒したそうだけど……ね」
「……お母さんは、病気で亡くなったって」
「ええ、父親が死んでから半年後にね。
ローグに薬師の知識と技術を教えられるぐらいすごいヒトだったわ。
未だに治療法が確立していない難病だった」
ユラシルはそっと拳を握る。
ローグはどちらの死にも立ち会っていながら、何もできなかった──
『あの家には良い思い出もあったけど、その思い出は全部書き換えられてしまった。
正直、あの場所に居続けるのは怖かったんだ』
ローグの話がようやくはっきりわかった。
彼の心にどれほどの影を落としたのか、想像するだけで胸が苦しくなる。
「あの家にいたころのローグは暗いわけじゃなかった。普通に笑っていたし、普通に悲しんでいた。
1人のヒトとしてそこにいた。けど、でもそこにローグは……ローグというヒトはいなかった」
当時の彼のことを思い出しているのかハルシュは沈痛な面持ちを浮かべる。
しかしそれをふっと緩ませ自嘲へと変えた。
「その時の私はどうすればよかったのかわからなかったの」
どちらの死に際にもいながらローグが何もできなかったようにハルシュもまたそんな彼に対して何もできなかった。
必死に考えた。
考えて、想って、悩んで、そんな日々を送っていた。
「そうして考えていくうちにあの場所からローグは出た方がいいって思ったの。
あの家から出てまた新しいローグとして生きるべきだって」
「だからローグさんと一緒に探索者に?」
「そう、でもそれは私の願い。救われてほしいという私のわがまま。
私はそれにローグを付き合わせてしまった。
救いたいって思ってたのに……彼の意思をなに1つ聞かなかった」
「それは……たしかに最初はわがままだったかもしれません。
でもローグさんは言ってました。
あの場所が怖かったって、だからハルシュさんの話に乗ったんだって」
その言葉を聞いて驚いたように目を見開いたハルシュは自嘲ではなく、本当に安心した笑みを浮かべた。
ユラシルが語ったことは自分のその行動に対して初めて聞いたローグの感想だったからだ。
喜びを噛み締めるような語調で彼女は語る。
「そう……なんだ。なら昔の私は間違っていなかったのね。
なら、なおのことローグを縛り付けるわけにはいかない」
「縛り付ける?」
「たぶんユラシルもわかってるとは思うけど、ローグって1人でなんでもできるでしょ?
でも私がいたらローグは自由に動けなくなる。だから追放したの。
ローグはあの家から解放されたのに、今度は私が彼を縛る存在になりたくなかった」
はっきりと言い切ったハルシュにユラシルは慌て向き直りながら声を上げた。
「ち、違っ! 違います!」
あまり考えていなかった強い否定の言葉に目を白黒させるハルシュにユラシルは続ける。
「私はローグさんと出会って長くはありません。
でも……あのヒトはあなたたちのことを、縛ってるだなんて思っていません」
「……そう、かしら?」
「はい。もし本当にそう思っていたのなら、あんなに皆さんのことを信じるはずがないです」
だんだんと声を小さくしながらもユラシルは言い切っていた。
波の前でシルトやトラスロッドと話した時と同じように、ハルシュの声音からは悲しさと虚しさしか感じられなかった。
ローグはハルシュたちのことを想っている。
ハルシュたちもローグのことを想っている。
──なのに彼らは道を違えた。
共に歩めるはずなのに、それを望んでいるのにまるでそのことを避けるように。
(あれ?)
悲しさに胸を締め付けられていたユラシルの中に1つの疑問がよぎった。
(そうだ……なんで、ハルシュさんたちはここまでローグさんとパーティを組むことを避けているんだろう?)
波の戦闘を思い返してみても彼らの連携に悪いところはなかった。
むしろその逆、彼らの力があれば樹と根のどちらでもかなり進むができるだろう。
どちらも奥に行けば行くほど貴重な素材は増える。つまり稼ぎが増えるのだ。
そうすれば彼らが頭を悩ませている金の問題も解決するはずなのに、不自然なほどに彼女たちはその方法を取ろうとしていないようにユラシルには感じられた。
(なんだろう。まるで何かが邪魔をしているみたい)
そもそも、金の問題が理由ならなぜ彼らは一度もローグと相談しなかったのだろうか。
ローグなら金の工面の手伝いくらいできたはずだ。
それに──
(もし本当にローグさんが邪魔だったのなら、ハルシュさんたちに今もローグさんのことを気にかける必要なんて──)
「どうかした? ユラシル」
思考に埋まりかけたユラシルを引っ張り上げるようにハルシュの声が響く。
半ば驚きながら、いつの間にか下げていた頭を上げると、心配そうに覗き込むハルシュの顔が目に入った。
「あ、いえ、なんでも」
誤魔化すように木製のジョッキのジュースを飲んだユラシルを見てハルシュは身を引きながら「そう」と呟いた。
そのまま2人並んで酒場の喧騒へと目を向ける。
中央に近い場所ではシルトが他の探索者たちと何かを熱く語り合っている。
トラスロッドとニアスはその喧騒から逃れるようにカウンターで和やかに会話をしているようだった。
ローグの姿は見えないがおそらく夜風にでも当たっているのだろう。
(この感覚はたぶん、合ってる。
でも、そこからどうすれば……)
手がかりは掴んだ。
しかし、そこから先はどうするべきかわからない。
そもそも邪魔をしている存在はもちろん、その理由の推察すらできないのだ。
ユラシルが頭を悩ませている中でポツリとハルシュが口を開く。
「ねぇ、ユラシルはローグとパーティを組むの?」
「はい。その、私の力を認めて頂けたらですけど……」
「ローグは認めてるわ。信頼もしてる。
だから、頼みがあるの」
真剣な面持ちで切り出したハルシュは頭を下げた。
「どうか、ローグのことをお願い。彼の背中を守ってほしい。
私にはもう出来ないけど、ユラシルにならできるはずだから」
優しく微笑むハルシュの声からは悔しさと悲しみが痛々しいほどに伝わった。
自分がその場所に立てない悔しさ。
誰かにそのことを託すしかないという悲しみ。
本当なら自分が名乗りを上げたい。
その場を誰かに譲りたくはない。
しかし、そうすることはできないという現実に押し潰されている。
「……はい」
ユラシルは、しっかりとハルシュの目を見据えた。
「私が……ローグさんの背中を守ります」
これは簡単なことではない。
彼らの間には、まだ何かが隠されている。
(どんな理由があったとしても、このままでは終わらせない。
私が、このわだかまりを取り払ってみせる──)




