波の乱入者
ローグたちのすぐ近くにいた前衛が轢き潰される少し前、後衛のさらに後方に位置する小高い丘にいたライセアが声を荒げていた。
「どうなってる! なぜ前衛があれほど前にいるんだ!
部隊の指揮官はなにをしている!」
ライセアが気が付いたのは魔獣についてではなく、部隊の動きだった。
防衛戦だというのに不自然に前へと出ている前衛の動きはおかしいという他ない。
彼女の怒声に肩をビクつかせた部下の1人がおずおずと前に出て頭を下げた。
「は、それが我々にも……」
聞いた言葉に拳を額に当てたライセアは重い息を吐く。
(どういうことだ?
なぜここまで前衛が前に出る。いつもならばこんな……ッ、いやそうか!)
なにかに弾かれるように波と魔獣、魔蟲の死骸へと視線を向けたライセアは元々細く鋭い目をさらに細くさせてじっと見つめる。
(いつもの波と違うのか? では、違うものはなんだ?
魔獣の数か? それとも種類……?)
すぐに歯噛みしたライセアはすぐに首を横に振った。
(くっ! わからんな。もっと波の資料や市場に目を向けるべきだった)
しかし、今は後悔の時ではない。
とにかく前衛を下げるか後衛を上げなければならない。
これ以上部隊が縦に伸びてしまえばいずれは中衛にすらも後衛の支援が届かなくなり、下手をすればこの防衛線自体が食い破られかねない。
「あ……」
部隊の右側、林を迂回して小高い丘を越えて迫るそれに気が付いたライセアの表情はローグがそうなったのと同じタイミングでだんだんと青ざめていく。
「まずい!!」
瞬間、前衛の半分がそれに轢き潰された。
◇◇◇
そして戦場。
唐突に地面に押し潰されて数秒、ユラシルは反射的に閉じていた目をゆっくりと開く。
「うっ……あ、ローグさん?」
広がる彼女の視界の間近にあったのは心配そうに顔を覗き込むローグの顔だった。
彼はおどおどした様子のユラシルを見て安心したように表情を緩ませたかと思えば鋭く真剣な物へと変えて顔を上げて叫んだ。
「みんな!」
「私は大丈夫!」
「こっちもだ。くっそ、なんだ今の!?」
「さてね。ただ──」
「はい。事態が変わったということはたしかでしょうね」
ハルシュの声に続いてシルト、トラスロッド、ニアスの順に声が上がった。
それらを聞きながらローグは立ち上がるとユラシルへと手を差し出す。
その手を取りながら立ち上がろうとした彼女は辺りを見回しながら問いかける。
「い、今のはいっ……たい」
何が起こったのかローグが答える前にユラシルの視界にまざまざと変わった戦況が突きつけられた。
ヒトの形を保っている物もあれば上半身だけ、下半身だけの物もあった。
その中にももぞもぞと動いている者はいるが、おそらくそう長くは持たないだろう。
前衛の約半数がそのような惨状だった。
ユラシルは上がろうとしていた腰をストンと落とす。
「こんな……こんなことって」
「大体半分、やられたな」
シルトの言葉は冷静だったがその顔には怒りがまみれていた。
その少し後ろにいたトラスロッドが続ける。
「前衛につられて前に出てた左側の中衛も1/3ぐらいやられたわね」
「一度、直掩や後衛の位置まで後退しましょう。
このままじゃ私たちも──」
ハルシュが全てを言い切る前に前衛を轢き潰したそれが悲惨な戦場へと戻ってきた。
しかし、今度は突撃ではなく、まるで死刑宣告をするかのように悠然とした足取りだ。
前衛、中衛と直掩、後衛の間に入ったそれは巨大だった。
深い鼻息を吐く頭は雄牛、ヒトの形の上半身から丸太を思わせる腕が4本。それが柔軟でもしているかのように回される。
下半身は筋肉質な馬の体。
首を横に振っては嘶き、後ろ足で地面を蹴るそれを見てシルトは苦笑いを浮かべた。
「なぁ、ローグ。お前斥候だろ。あれの情報なんか知らないか?」
短剣を構えながら苦笑いと緊張が混ざった顔でローグが答える。
「ちょっと前に根の15層を軍と探索者共同で突破したのを知ってるな?
16層への階段前に陣取ってたやつの特徴が全部一致してる」
ローグは視線を逸らさずにその名を告げる。
「名前は、ミノケンノス」
ちょうどそのタイミングでミノケンノスは咆哮を上げる。
4本の腕に持つ馬上槍の先端をガツンという音を立てながら前方へと向けると地面を2回踏み鳴らして駆け出した。
反射的に身構えるローグたちの横を通り抜けたそれは未だ混乱している前衛に向かい突撃。
難を逃れた者、腕や足を失いながらも生き延びていた者、既に死んだ者、全てを等しく轢き潰した。
4本の足で力強く駆け抜けたそれは大きく旋回、中衛の中でも後方に展開していた者たちを踏み潰していく。
そんな状況ではもはや普通の魔獣や魔蟲を相手にする余裕はなく、混乱に包まれた部隊で連携というものは失われた。
一部では前方から迫ってきている魔獣や魔蟲を相手に戦闘を繰り広げている者もいるがそう長くは持たないだろう。
加えて、ミノケンノスの後に続いて割って入ってきたのだろう魔獣たちの対応をしているせいで直掩や後衛の攻撃は前衛までは届いていない。
完全に部隊が二分されている状況だ。
「これ、下手すりゃ俺たち含めて壊滅だな。どうすんだ。ローグ、ハルシュ」
「そうね……。
ローグ、あいつって私たちを見逃すと思う?」
「ま、ないだろうな。逃げるのもたぶん無理だ」
3人のどこか他人事のような会話にユラシルは我慢出来ずに声を上げた。
「む、無理だってそんな……」
「言ったろ? 逃げるのは無理だ。だから戦う」
それを聞いて目を見開いたのはユラシルではなく、ニアスだった。
動揺を隠すこともなく彼女は声を荒げる。
「ちょっ、ちょっと待ってください!
アレとまともに戦って勝てると思っているのですか!?」
「でも、今はそうするしかない」
「無理です!
まだ逃げる道はあります。魔術なら……!」
「それで助かるのは俺たちだけだ。
でも、それ以外は?」
ユグドラシルから帝都まではいくつか村がある。
防衛部隊が崩壊したことを知って軍や探索者が討伐に向かうとして、どれほど急ごうとも4日弱はかかる。
それだけあれば村の3つは簡単に飲み込まれるだろう。
ローグにそこまで言われるまでもなく理解できたニアスは口惜しげに歯を食いしばった。
「ッ、それは……!」
ニアスとユラシルを一瞥したトラスロッドは腹を括って戦う気満々の3人へと問いかける。
「それで方法は?
そう言うからには作戦があるんでしょ?」
「正直ないな。問題しかない」
いくつか残っていた中衛のパーティや軍との一方的な戦闘を繰り広げているミノケンノスへと視線を向ける。
それを見ていたシルトが半ば呆れながら呟いた。
「まずはどう止めるか、だな。
流石にあれを正面から受けるのは魔術で強化されてもキツいっていうか……無理だぞ」
「まぁ、だろうな」
移動中のミノケンノスへと攻撃を仕掛けるのは論外だ。
あのような力の塊とぶつかって勝てるヒトは存在しない。
前提としてまずはミノケンノスが足を止めている状況を作らなければならない。
「でも、立ち止まっている時に突撃したところで返り討ちに遭うのがオチだ」
ローグが見る限り止まっている時も隙らしい隙はない。
身長の2倍近くの高さに頭があり、目があるのだ。どう動こうとも見つけられる。
途中で攻撃がバレた時点で反撃は失敗、鉄塊のような馬上槍が振るわれるか、4本の足のどれかで蹴り飛ばされるかのどちらかの結末を迎えるだろう。
「そ、それって、やっぱり難しいんじゃ……」
「ああ、でも絶対に言えることがある」
「そ、それは?」
「あいつは間違いなく一度倒された。
なら、倒す方法はある」
ユラシルの問いにローグはそう力強く答えた。
しかし、彼自身もこの戦いに勝算は見つけられないでいた。
(ユラシルの手前断言しちまったけど、どうやって倒せばいいんだよあれ……)
動いている時も止まっている時も攻撃のチャンスはまるでない。
根の中で倒せたのもダンジョンという限られた空間であの異常とも言える移動能力に制限があったから、という理由が大きいのかもしれない。
(でも、間違いなくチャンスは止まっている時だ。これに間違いない。
問題は止まっている時の隙、いや……見えているのにかわせないタイミング)
そんな都合の良いタイミングがあるものかと自分で一蹴したところでミノケンノスの目が向けられた。
それは馬上槍を構え、地面を2回踏み鳴らしている。
死刑宣告のような動作を見たローグはウエストポーチからそれを取り出した。
「っ、目眩しを使う!
ニアス、ユラシルは防御魔術!
トラスロッドは──」
「わかってるわ。
タイミングは大丈夫、意地でも合わせる!」
「頼もしい!」
笑顔でローグが答えた瞬間、それは地面を蹴り飛ばして一直線にローグたちへと向かう。
(あの速度明らかに図体以上の力。強化魔術か?
でもそんなタイミ──あっ!?)
僅かな希望が見つけるのと同時、ローグは閃光筒を投げた。
それはミノケンノスの目前で弾け、強烈な光と音が辺りを包む。
「──ッ!?」
唐突な閃光に動揺し足を止めたミノケンノス。
視界を奪われた隙を突き、トラスロッドの氷塊が落下、破裂する。
その破片を避けるように、ミノケンノスはローグたちの横を駆け抜けた。
巻き上がる風に目を細めながら離れていく背中を見たニアスがハッとしてローグに提案する。
「そ、そうです。それを使えば!」
「いや、たぶん次は効かない。
それに……これより良い方法を思いついた。賭けだけど、たぶんいける」
表情で「乗るか?」と問いかけるローグに首を横に振る者はいなかった。




